Induced Presence Field 3
そう、アイラは彼の愛に同じく囁きで応えた。そう、彼女は彼に助けを求めた。そして、もう一度、囁き、叫んだ。
「『お願い、アントニオ――』」
彼は、彼女に向かって静かに微笑んで頷いた。愛は届いている。
彼は、青年の方を向いて、少々驚きつつも誇らしげに頷いた。欲望は継承される。
彼は、情熱的な瞳でアイラを見つめ、ゆっくりと近づいてくる。
彼は、青年にその場を譲って、後ろに下がり、熱心に見つめ始める。
視点が入れ替わる。彼の記憶の中では、この場に青年はいない。彼は、青年が行った行為を自分の記憶として、その脳裏に刻んでいたのだ。狂ってる。
アイラはこの一瞬、目を閉じ、その奥で瞬くインジケーターを確認する。再演開始からおよそ46分。
脳波安定域はギリギリ、感情層同期:過剰反応域。
まだ呼吸は乱れていない。感情の乱れは酷くなる一方だが、まだ限界ではない。深く息を吸い込んで、これから起こるであろう出来事に備える。アイラの忌避感と、彼女――マリーだった女性の苦痛とは、まだ完全に同調していない。
――確認完了。まだ大丈夫。いけそうね。
自分の状態を確認すると、そう判断した。再演を続行する。
目を開けると、彼が、青年が、眼前に迫っていた。アイラは、彼の愛に受け入れるため、わずかに身体を開く。彼女は、青年が近づくにつれ、力なくその場に崩れ落ちる。
彼が、アイラを包み込むように抱き寄せると、ワンピースの背中のボタンをひとつひとつ丁寧に外していく。
青年が、彼女にしがみつくように抱きつき、ワンピースの背中の部分を乱暴に引っ張りボタンが飛び散る。
やがて、アイラの、彼女の、下着姿が顕になり、赤面し、蒼白になる。
「『いやっ』」
アイラは恥じらいのため、彼女は拒絶のため、両手で身体を覆う。
これは再演なのか、同調なのか。境界線が曖昧になりつつある。このままではまずいと感じるが、まだ再演を止めるわけにはいかない。
彼の視線が熱を帯びる。
青年の目が興奮で血走る。
彼も、青年も、どちらも同じ。どちらも彼の魂が宿っている。記憶と記録、曖昧なものとはっきりしたもの。その全てが今この場で再現されている。もう止めることはできない。
彼は、アイラの身体に気を遣いながら覆い被さり、首筋に唇を寄せる。
青年は、彼女の身体に容赦なく掴み掛かり、首筋に歯を立てる。
さらに最悪なことに、この場を少し離れた場所から二人の様子を見ていた彼も、青年の成長に感動を覚えると共に興奮してきたのか、自らの下半身を曝け出し、弄り始めた。
美しさも醜さも、願いも真実も、はっきりと浮かび上がり、全てが晒される。
何もかもが、最悪で最低だ。
彼は、アイラの全身を愛撫しつつ下着に手を掛け優しく外す。
青年は、彼女の全身に痕跡を刻みながら下着を強引に剥ぎ取る。
アイラの、彼女の、姿に、彼の、青年の、そして彼の、呼吸と鼓動が早くなり、その瞳の欲情の色が濃くなる。彼と青年も同調し始めている。
彼の、青年の、執拗な攻めが、アイラの、彼女の、ありとあらゆる敏感な部分を刺激し続ける。
Les gens sont vraiment stupides.(本当に人間は愚かだわ)
そして、彼女もアイラに同調する。
「『「もう、いいのよ」』」
アイラは、彼女は、潤んだ瞳を、彼に、青年に、向けて、静かに囁く。期待して、諦めて、呆れて。
そう告げた瞬間、彼が、青年が、息を呑んだ。
「『いいんだな』」
そして、まったく同じ激しさと荒々しさで、アイラの中に、彼女の中に、一気に侵入してきた。
「『ああ』」
快感に、苦痛に、喜びに、絶望に、声を上げる。
早く終わってくれさえすれば、もうどうでもいい。
それは、どちらの感情なのか。
彼女だけが納得した。
彼の肩越しに見える後方の彼も、恍惚の表情を浮かべて、その衝動に身を任せているようだ。
「永遠に離さない」
『永遠に逃がさない』
彼が、青年が、そう言うと激しさが増した。わずかにずれているが、言ってることは同じ、全く変わらない。妻として、所有物として。
この再演は、彼のもの。彼だけのもの。最初から制御することなど敵わないのだ。それだけ強い衝動、それだけ強い欲望。
アイラは、ただそれを叶えるだけ。それが再演するということである。クライアントには最高の体験を。
世界が霞み、目の前の彼だけがアイラの瞳に映る。
彼がアイラの中で大きくなり、高みへと上ろうとしている。彼と、青年と、そして彼と、全ての息遣いが完全に同調した。
そして、全てが弾けた。
余韻などない。ただ彼が心から満足しているのが分かった。
「……愛してるわ」
『……愛してた、わ』
アイラが、彼女が、愛を肯定し、否定した。
「ああ、最高だ……」
『アアッ! 最高ダァッ!』
彼は、その愛に酔いしれた。
青年は、征服感で昂揚した。
――達成感はないが、何とか辿り着けた。アイラはそう思い目を閉じ、「ゼロ・リンク」と呟いた。
それが合図。
「再演の完了を確認。パルス・キャストを終了します」
エラが終わりを告げた。
「――こんなのやってられないわッ」
アイラはパルス・キャストの同調から目覚めるなり、そう毒づきながら神経ナノチューブを外して繭型ポッドから抜け出した。
何が『亡き妻とのあの日の海辺の散歩』よ。“散歩”の定義って何よ?! あれが散歩だったら昨夜のアレは空中浮遊かしら? まったく、とんだ地獄絵図を見せつけられたわ。
リズ・スリーがアイラのあまりの剣幕に珍しく動揺を見せコンソールから跳ねるように一歩下がった。アイラは、そのままの勢いで、満足しているであろうクライアントの顔を見ずにはいられなかった。
まだ同調から覚めていないクライアントは、笑みを口元に浮かべながら、薄っすらと涙さえ流している。
「いい気なものね」
彼にとっては、さぞ美しく、さぞ思い出深い再演になったことだろう。美しく沈むアウレオンに佇む二人、蕩けるように囁き合う二人、愛を確かめ合う二人――人の苦労も負担も知らないで夢のような時間を過ごしたのね。
アイラにしては珍しく、怒りが心を支配し始めていた。今すぐ彼を罵倒して、蹴飛ばしてやりたい。彼女にはその権利があると思った。
しかし、彼の顔は見るべきではなかった。満足そうにしている顔を見ていたら、あの海辺での彼の振る舞いが蘇り、穏やかそうに見える老紳士の裏のまた裏を覗いていた自分自身にも嫌悪感を覚えた。ここにいても怒りで気分が悪くなる一方だ。
「――リズ、行くわよッ」
そう告げて、足早にこの場を後にする。頼まれてもこのクライアントの再演は二度としないと心に決めて。
ルシッド・コームへの扉が背後で閉まり、もうこれで、あの顔は見なくて済むと思いながら、エレベーターの方にしばらく歩を進めた。頭の中にさらなる怒りの感情が溢れてきて、どうにかなりそうだ。少し落ち着かなければ。自然と足が止まる。
アイラはノクティライトの壁面に額を押し当てながら、「先に行ってて」と、無言で着いてきていたリズ・スリーに命じる。
おおよそクライアントの希望に沿った再演をしたはずだ。そもそもクライアントが望む場所へ辿り着くルートは限定されていて、それしか出来なかったというのが正しいのだが。
「もしアリンだったら? もっと上手くできるのかしら……?」
アイラは、ここにいない同僚の笑顔を浮かべながら呟く。彼女ならやんわりと諭すのかしら。
キャシーなら? シュエなら? シャルなら? 次々に同僚たちの顔が浮かぶ。考えても仕方のないことだが、彼女たちならどんな風に再演しただろう? そう考えずにはいられなかった。アイラとは違う着地点を見つけられるのだろうか。
「それで?」
自分のものではない冷たい声色で、ふいにそう口に出してしまう。
それで、どうしただろう?
彼女が行った再演は、クライアントの“曖昧な記憶の強化”であり、決して“思い出を鮮明にする”行為ではなかった。あの海辺の地獄絵図を、塗り潰してなかったことにする“記憶の改竄”に手を貸したようなものだ。
パルス・キャストで再演することは、現実と同等の質感を五感で記録を体験するということである。しかも、それが“正しい記憶”であると頭の中に固定するようなものだ。今まで曖昧だった記憶を、再演によって鮮明に思い出しただけだと。
エルピス・カートリッジの記録を元に“クライアントが望む“再演をするということは、犯罪に手を貸すことと何か違うのだろうか。あの記録の全てを知っているのは、あの海岸にいた私たちだけ。そういう意味でアイラは正しく“共犯者”だった。
「ああ、もうッ」
そもそもどうしたら良かったのだろう。ノアが粗ぶって、再演内容を告げた時に辞退するべきだったのだろうか。いや、そんなことはできない。
何をどうやっても、あの岩陰に行くしかなかったと断言できる。あそこで、彼の愛を受け入れるしかなかった。決められた道筋で、決められた結末。演じるというより欲望に引っ張られただけだ。
何もできなかった。
海に沈もうとしていた彼女を救うことはもうできないが、彼を断罪することくらいはできたはずだ。でもできなかった。彼の要望を叶えることを優先した。仕事なのだからそれが正しいことだということも分かっている。
でも、それが悔しい。
あの繭型ポッドで同調していた老紳士に対しても、こんな再演を受け入れたノアに対しても、それを淡々と準備するリズ・スリーに対しても、そして、あんな再演しかできなかった自分自身に対しても。全てに怒りをぶちまけたい気分だ。
「そう、ノアが悪いのよ」
自分でもおかしなことを言っているな、と分かっていても、絶対にそうだという気持ちが強くなる。
「絶対、ノアが悪いわ」
確認するように冷たい声で繰り返す。
段々と頭の中が冷たい怒りで凍りつく。冷静な気持ちも、泣きたい気持ちも、全て凍らせながら。それに対して、身体は怒りで熱くなる。駄目だと分かっていても止められない。一度溢れ出た怒りはどこかにぶつけないと治りそうにない。
アイラは意を決して歩き出した。この怒りをどうにかしなければ。
そのままザ・コアへと戻り、ホログラムのスクリーンを見つめているノアの元へ一直線に駆け寄る。他は目に入らない。
アイラが戻ってきたことに気がついたノアが顔を向け「アイラ、ご苦労さ――」と言い掛けたその瞬間、その冷静沈着で淡々と業務をこなしていたであろう顔を見たらアイラの怒りが頂点に達し、噴き出した。
「Tu oses appeler ça une reconstitution ? Une farce misérable, une pantomime grotesque de ta petite vérité pourrie ! T’as mis ma peau en feu pour satisfaire ton fantasme rance, espèce de vieux déchet empaillé ! ――」
そう、これは八つ当たりだ。ノアは、いきなり怒りをぶつけられても表情は変わらない。それがまたアイラの怒りに火を注いだ。
「――C’est fascinant, vraiment. Tu parviens à combiner ignorance, lâcheté et perversion en une seule et même personne. Félicitations, t’es un chef-d’œuvre de dégénérescence humaine――」
アイラがルシッド・コームの外の通路で自問自答をしている間に戻っていたアリシアが「うんうん」と彼女が罵倒している内容を分かっているのか、いないのか、とりあえず頷いているという体で、シュエメイと一緒に近づいてくるのにも気付かない。シュエメイは、ノアに罵声を浴びせるアイラに何故か羨望の眼差しを向けている。
「ねぇ? アイリー?」
「――うるさいわね、黙ってて!」
アリシアが話し掛かるが、アイラの怒りは止まらない。
それを受けてアリシアは「あ、それはスタンダードなんだ……」と笑いながら呟く。
「――Tu crois tout comprendre avec tes petits yeux de technicien stérile, mais tu n’es qu’un automate mal programmé qui pense que la logique peut guérir les cauchemars ! Tu es l’incarnation même de la suffisance froide, un glaçon déguisé en homme. Un glacier émotionnel qui ne fondrait même pas devant l’enfer――」
「ねぇ、アイリー、アイリーってば! スタンダードじゃないとわかんないよ?! ね、ノア?」
「Tu me regardes toujours comme un problème à résoudre, pas comme un être vivant. Tu es vide, creux, inutilement brillant ――え?」
息継ぎのタイミングでアリシアの声が彼女に届いた。ノアは無言でそうだと肩を竦める。
「アイラさん、かっこいい……」
「でしょ?」
シュエメイの言葉にアリシアが答えるのを聞いたアイラは我に返った。怒りの代わりに恥ずかしさが前面に出てくる。
「え? え?」
「あらら、反動が来ちゃったか。アイリーのそれ久しぶりで感動しちゃった」
アリシアも「やれやれ」と言いながら肩を竦める。
そう、あまりに負荷が高い再演の後は、その反動で、アイラは拒絶反応が怒りに変換されてしまうのだ。そう、分かっている。
「まぁ、その、なんだ、悪かったよ……」
ノアが申し訳なさそうに言った。
「……ごめん、オフレイヤーしてくる」
アイラはそう小さく言い、ザ・コアの片隅にあるオフレイヤーのコンソールへと走って行った。
ヴァレリア標準時間7:50、こうしてラスターたちの一回目の再演は、アイラの罵倒とノアの気まずい表情で幕を閉じた。
次回の更新は、2025年9月頃を予定しています。不定期での更新となりますが、気長にお待ちいただければ幸いです。
Hotel Mirage-9 2nd Identity @2nd_identity
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