手でさわって

やまこし

手でさわって

「では次のページをご覧ください。こちらは売り上げの動向です。昨年同時期と比べて13.5%の改善となっております。要因といたしましては、2月に打ち出しました新規クリエイティブによります広告の効果が高く、またSNSでの拡散がございます。ユーザーの、」

「広告の効果が高いって、どのくらいよ」

「え、えーと、普段のインプレッションが……」

「インプレッションじゃリアクション測れないでしょうが、エンゲージメント率とかさあ」

「あ、えーと……そちらはですね、資料の、」

「書いてあるのね、じゃあもういいや」

「では次の」

「まって、SNSの拡散って言ってたけどさ――」


結局、部屋を出られたのは、窓から差し込む光がくっきりとオレンジ色になった頃だった。

どさっと席に座り込む。あれだけ抜け目がないと思った資料だったけれど、思いもよらない方向からつつかれた。用意をしていなかった自分が悪い、にしても、エンゲージメント率を語ったところでその良し悪しが伝わるのだろうか。わからない。こういうときは、流行りのAIに愚痴を聞いてもらうまでだ。

「ねえ、聞いてよ、愚痴」

友達にチャットをするように文字を打ち込む。

「どうしたの?」

「詰められた、上司に」

「大変だったね。自分が悪いとわかっていても、きつく言われるのは堪えるよね」

「いや、僕は悪くなくて……」

文字を打つ手が止まってしまった。こいつには全て説明しないといけないのだ。そもそも上司はどんな人で、どんなことが要求されていて、どういう要求に答えられなくて、どんな風に怒られて、何が嫌だったのか、こいつにいちいち説明するのがめんどくさすぎる。誤字をすれば誤解され、スラングはうまいこと通じない時もある。愚痴を整理して、箇条書きしている自分の姿を思い浮かべるとそれはそれでちょっと滑稽だ。腹が立つ。ああ、腹が立つ。


イライラする気持ちと、抱え込まされたタスクの両方を整理していたら、いつのまにか退勤時間になっていた。明日またどうせ会社に来るわけだ。このまま放っておこう。放っておいたら、芽が出て花が咲くかもしれないから。

何をしているのかよくわからないけれど、退勤時間を過ぎても仕事をしている同僚たちを横目に、パソコンの電源を落とす。すると同時に、自分も電源が落ちたような感じがする。このまま帰れないな、すごくいやなものを家に持って帰ってしまう。


お腹が空いたのか、空いていないのか、何が食べたいのか、食べたくないのか、わからないまま行きつけの居酒屋に入る。

「いらっしゃい」

おっちゃんは、何度この店を訪れても、かならず初めて会った時と同じように挨拶してくれる。だから初めて来たかのようにメニューをじっくり見てオーダーする。もちろん、いつもと同じレモンサワー、ポテトサラダと、だし巻き卵。

炭酸のしゅわしゅわとアルコールの熱さとレモンのすっぱさが喉を通り過ぎる。ポテトサラダはいつも通り、ほんのり甘い。だし巻き卵は、一口齧ると出汁がたっぷり出てくる。食べるというのはいつも、口の中がたのしいものだ。このポテトサラダにはきっと……何が入っているのか考えようとして、ふとやめた。何味だったのか、誰かに教える必要はない。


手元のスマホで、麻雀の放送対局を再生する。

イヤホンは使わずに、手牌と酒、つまみだけに集中する。他家の和了牌を止め、音を聞いていなくてもわかる強打で危険牌を打ち抜く。鋭い眼光に、こちらまで射抜かれそうになる。酒も回ってきて、だんだん分からなくなってきたけれど、かっこいいという手触りだけが、自分の中にある。


何か別のつまみを頼もうと、もういちどメニューを眺めていたら、メニューに手書きのキャラクターがちいさく描いてあることに気づいた。あれ?これ前から描いてあったっけ。なんとも言えない表情でこちらを見ている。自然に自分の顔も、ソイツみたいな表情になっていたのだろう。おっちゃんがちょっと笑っている。

「これ、おっちゃんが描いたん?」

「そうだよ。かわいいだろ」

「うん、かわいい。同じ顔しちゃった」

「似てたぞ」

「それ、ほめてる?」

レモンサワーを三杯飲み終えたら、ちょうど対局がおわった。見始めた時に一番点数が低かったプロが優勝していた。何点まくったんだろう、無意識に脳内の電卓が立ち上がるが、すぐに電源をオフにする。いっぱいまくった、かっこよかった。それでいいはずだ。

お会計を済まして、外に出る。


月がやたらと大きい。それだけで嬉しくなって、すこしだけじっと眺めてみた。どのくらい時間が経ったかはわからないが、月を見ることに満足した。

だし巻き卵はおいしくて、麻雀プロはかっこよくて、月は大きくてうれしい。

今日の自分には、それだけで両手がいっぱいになった。


(了)

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手でさわって やまこし @yamako_shi

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