第4話


 ある日、学校からの帰り道、あたしは神社の前を通りがかった。

 すると、ユキをくれた女のひとが、鳥居の前に立っていて、レースの長手袋をはめた手をふってきた。

 あたしはカッとして、思わずそのひとにかけよった。

 元はといえば、ぜんぶこのひとのせい。このひとがユキをくれたせいなのだ。

「どうしてくれるのよ! あんな猫、もらうんじゃなかった! ユキのせいで、あたし、ひどい目にあっているのよ!」

 あたしが文句を言うと、女のひとは、クスッと笑った。

「何がおかしいのよ!」

「ごめんなさい。だってその様子だと、ずいぶんまいっているみたいだから。まるであの猫を飼っていた時の、私みたいだわ。」

 女のひとは驚くようなことを言った。

「えっ、ユキを飼ってたの? そうか、わかったわ。それであの猫が恐くなって、あたしに押しつけたんでしょう? だって、あの猫、どう考えたって、福猫なんかじゃないものね。まるで化け猫だわ。もう人間くらいに大きくなっているのよ!」

「あらら……もう、そんなに?」

 女のひとはまた笑った。

「なんでもいいから、引き取ってよ! もともと、あなたの猫なんでしょう!?」

 すると、女のひとは首をふった。

「いいえ、違うわ。あの猫は、自分から飼い主を選んでいるのよ。いくら他の人に渡そうとしても、あの猫は自分で決めた飼い主のもとに戻っていくの。もしかして、あなた、あの子を捨てようとしたんじゃない?」

 そう言われてあたしはハッとした。

「決めた飼い主のもとに……。」

「ええ。だからあの猫自身が次の飼い主を選ばない限り、だれかに渡すことなんて、できないのよ。あの猫は確かに私の所にいたわ。そして私の生活のすべてを変えた。でも、あの猫はもう私を食べられなくなり、もっとおいしいエサのもとに出ていったの。この意味、わかるでしょう?」

 女のひとはじっとあたしを見た。

「たっ……食べる……。やっぱり私、食べられてるんだ。やっぱりそうなんだ……。」

 あたしが真っ青になると、女のひとは、また薄く笑った。

「あなた、あの猫が食べてるものが何だか知ってる?」

 あたしはわからなくて、首を横にふった。

「あの猫が食べてるのはね、あなた自身じゃなくて、あなたの中にある『邪心』なの。それがそんなに大きく育っているなんて、あなたってとってもおいしいのね。」

「邪心……?」

「そうよ。あの子の正体は、人間の邪悪な心を食べて、何百年も生きている妖怪猫なの。」

 女の人は目を細めて笑った。

「そんな……。妖怪だなんて……。それじゃあたし、どうしたらいいの? お願い、助けてよ!」

 あたしは怖くて、泣きながら訴えた。

「そうね。じゃあ、私にあの猫をくれた前の飼い主が教えてくれたことを、あなたにも教えてあげましょう。あなたがユキと呼んでいる猫が生まれたわけをね。あの子は、昔、陰陽師という霊能力者に作られた、使い魔なのよ。」

「陰陽師という霊能力者の……使い魔?」

 あたしは意味がよくわからず、戸惑った。

「ええ。今から数百年前、悪い大蛇の妖怪たちが世の中をさわがせていたそうよ。そこで、ある霊能力者が、大蛇の妖怪をたおすために、やはり霊力が強い動物である猫に目をつけて、蛇を退治するための、特別な猫を育てたの。それがあの猫、北斗丸よ。そう、元々霊力の強い子猫に、幼いときから蛇を食べさせて、呪いのようなものをかけたのね。だから、別名、『蛇食い猫』とも言うの。」

「蛇を食べるから、蛇食い猫……?」

「ええ、その通りよ。北斗丸は、大蛇を退治するのに大活躍して、どんどん強くなっていった。霊力も強くなり、命も長くなっていった。そして、蛇や蛇の妖怪を食べながら、今まで生き続けてきたの。

 だけど、日本はどんどん近代化して、妖怪はいなくなり、蛇も滅多にいなくなった。そこで、お腹を空かせた北斗丸は違う蛇を――すなわち、人の中にいる蛇を食べることにしたの。」

「人の中にいる……蛇?」

「そうよ。あなた、コトダマって知っている?」

 あたしは全然わからず、首を横にふった。

「簡単にいうと、言葉や音が持っている、まじないの力のことよ。北斗丸の場合、『蛇(じゃ)を食らうように。』というまじないをかけられているから、それと同じ発音の『邪(じゃ)』を食べれば、生き続けることができるの。

 だから北斗丸は、邪心の多い人間を見こんでとり憑き、その人の邪心を食べて成長するというわけよ。その周囲の人間を霊力であやつって、思うままに行動させることもできる。今は、あなたの家族があやつられ、あなたの邪心がエサというわけね。」

「じゃあ、あたし、このままいったら、どうなるの?」

 あたしはびくびくしながら訊ねた。

「安心するといいわ。邪心を食べつくされても、人は死なない。かえって心の中の邪心が無くなって、根っからの善人になるのよ。この私みたいにね。

 私も二年前、やっぱり人から北斗丸をもらったのよ。そのころの私は、人をバカにしたり、すぐにひがんで嫉妬したり、いじめたり、悪口を言うような、とても嫌な性格の女の子だったの。そんな私の邪心を食べて、北斗丸はどんどん大きく育っていった。

 そのうちとうとう私に邪心がなくなってしまうと、北斗丸はだんだん弱って、体が小さくなっていった。そうして命がつきるまでに、私に次のエサを探させたの。運よくあなたが見つかって、本当によかったわ。」

 女のひとは晴れ晴れとした顔で笑った。

「北斗丸の奴隷でいたくなかったら、せいぜい心を入れかええて、明日からがんばることね。

 そうしてエサがなくなり、北斗丸が子猫のようになってしまったら、だれか悪い心を持った人をさがして、北斗丸を渡せばいいのよ。急いでね。そうでないと……。」

「そ、そうでないと……?」

「北斗丸に、今度は別の『じゃ』を食べられてしまうわ。」

「別の『じゃ』って?」

 あたしはとてもいやな予感がして、ごくりとつばをのんだ。

「『若』という字も『じゃ』と読めるから、北斗丸のエサになるのよ。つまり、あなたの若さも食べられてしまう、ってこと。」

 女の人は、ほほえんで、レースの手袋をはずして見せた。

 すると手袋の下から、しなびて枯れた、おばあさんのような手が現れた。

「実はね、私、こう見えても十七歳なのよ。そうは見えないでしょう? 北斗丸に若さを食べられたから。だけど、老婆になる前に、あなたを見つけたから、まだよかったわ。不登校になったいとこのキリコから、あなたの話を聞いたとき、あなたしかないって、思ったのよ。あなたなら、きっと北斗丸が喜ぶだろうってね。

 じゃあね、エミリちゃん、さよなら。」

 女の人はそう言うと、手をふって、背中を向けたのだった。 

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蛇食い猫 藤木稟 @FUJIKI_RIN

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