第9話 なにやら獣の気配がする。
「ヴァッサ男爵の長男?」
情報収集から戻ったマギアの口からは先ほど男爵との歓談でも気になっていた人物の名前が出てきた。
カミル・ヴァッサ。ヴァッサ男爵家の長子だが、ひどく冷遇されているのだという噂が街には流れているようだ。
「確かにヴァッサ男爵からはカミル様の話は全くありませんでした。次男のオスカー様のお話ばかりで……」
ロッタローゼと同席していたアレクシアも同じようなことを感じていたようだ。
事前に家族構成を知っていなければ、ヴァッサ男爵家の子息はオスカーだけだと思えるほどカミルの話題がなかったのだ。
「隣国へ留学に出たあたりまでは自慢の息子……という話だったそうなのですが、留学から戻って以来まったく話も噂もなく、一部では男爵家の屋敷に幽閉されているなんて話もあるようです」
そう言ったスヴェンは街の噂とは別に貴族として気になることがあるようだ。
「私が事前調査で受けていた報告では、カミルはクヴェレの街の護衛騎士として登録されていたのですが、この町には騎士団自体の存在がないのです」
「騎士がいない?」
この世界では騎士は戦をするばかりではない。普段は警護や犯罪者の取り締まりなども行っているため、どんな小さな町にも一人は騎士が赴任しているのだ。
クヴェレは男爵領の主要地であることもあり、小さいが騎士団があると王都の記録にはあったらしい。
「騎士団が逗留していると言う建物もあるのですが無人でした」
「周辺の人たちに聞いた話では、騎士は男爵の屋敷――つまりここに逗留していると言うことになっているようです」
ロッタローゼたちは客人であるがゆえに、この屋敷のすべてを把握しているわけではないが、昨夜のような騒ぎを起こして置いて、警備のものが一人も現れなかったことを思うと、とても騎士団がここに逗留しているとは思えない。
「きな臭いお話ですわね……」
アレクシアが眉間にしわを寄せて言った。
「一刻も早くこの屋敷を出たいですが、ゴンドラの件はどうでした?」
「ゴンドラは借りられなかった。と言うか、大きなゴンドラはみな壊されたり故障したりしていて、街中でも困っている」
「今動けるゴンドラは一人乗りの小さなものばかりだ。それも町中で争うように使われていて、権力を使ってそれを借り受けるのはあまりお勧めできない状態です」
ロッタローゼが横から強引にゴンドラを借りるような真似をすればヘイトが向くのは間違いない。
「これはしばらく動けないかもしれません」
マギアの言葉に全員が言葉もなく黙り込んだ。
そして、本日中にはゴンドラを修理しますと言うヴァッサ男爵の言葉は守られず、皆が危惧していた通りになってしまった。
◇◇◇
再びロッタローゼにあてられた部屋の露台で座って月を見上げているロッタローゼとマギア。
アレクシアの監視の目が厳しくて、今日は何もなしの月見となったが、マギアからどうしても話したいことがあると言われて、消灯後に落ちあったのだ。
「ゴンドラが壊された現場をいくつか見たんだが、そのすべてに獣の臭いと言うか――気配があった」
「獣? 獣人と言うこと? それとも正真正銘の獣?」
「その辺はよくわからないが、狐の臭いが強かったんだ」
マギアは本人が犬神だと名乗るとおりに犬を主とする獣人だ。故に嗅覚が非常に優れている。
「姐さんと近い臭いがしたんだよ……」
「私と同じ臭い?」
ロッタローゼの正体である
「獣でも人でもない……だが狐のような臭い」
「それは……」
嗅覚の鋭いマギアが嗅ぎ分けたそれがロッタローゼと同じだと言うならば、それは神狐のものなのでは――?
「なぁ、姐さんはなんでそんなちびっこの姿にされてんだ? 前にタマモノマエ? とかいう妖にやられたって話は聞いたが……」
「――アタシも正しくはわからないんだ。私と玉藻の前は格が全然違った。玉藻が本気を出せば私はこんな世界に飛ばされることもなく一瞬でチリにされただろうよ。だから玉藻とは関わりなんかなかったんだ。それなのにある日いきなり眷属の白妖狐たちに襲われた」
その数は異常だった。まるで戦でも仕掛けられたようなありさまだったのを今でも覚えている。
そして、どうしてそんなことになったのか、動機は全く分からない。心当たりも何もない。
薔薇は神狐になったばかりで、薔薇より玉藻と敵対する勢力は他にあったはずなのに。
「そいつらはこっちの世界に来れるのか?」
「え?」
「姐さんが、こっちに来たのは偶然じゃないだろ?」
「まさか……」
薔薇がいた世界とこの世界はかなり違う。土地や文化が違うだけではなく、多分時代も違うだろう。
この世界は元の世界より過去にあると薔薇は思っている。
そんな全く違う世界に干渉できるほど玉藻には力があったのだろうか?
「確かに玉藻は高位の神狐だったけど……そんな力があるとは……」
「俺は姐さんは偶然ここに来た気がしないんだよな」
マギアは真面目な顔で言った。
「世界を越えるってことはそう簡単なことじゃないだろ? 何か道か縁でもなけりゃこんな風にすっぽりとはまるように世界を渡れないんじゃないかと思うんだが……」
マギアのいう事には一理ある。
このロッタローゼと言う少女の身体に上手いこと収まったのも偶然とはいいがたい。
たまたま空きがあって、すぽんと入ったと思えるほど簡単なことではないと思う。
現に、薔薇は自分の神通力が戻ったとしても、どうやってこの世界を渡って元の席へ帰れるのか見当もつかない。
「玉藻の狙いはアタシを別の世界に飛ばすことだったってことかい?」
もしそうだとしても、どうしてそんなことをしたのかは分からない。
「まあ、姐さんと同じ臭いの連中がうろついてる可能性がある以上、姐さんも気を抜かないようにな」
「ああ、わかったよ……」
この世界に神狐か妖狐がいる――。
それは良いことであるとは、微塵も思えなかった。
◇◇◇
翌日にはゴンドラの修理ができると言う話だったが、朝一番でロッタローゼのもとへやってきたヴェレはもう数日の滞在延長を願ってきた。
「ゴンドラがなくては街の中を移動することもできないのですか?」
早朝ではあったがきちんとドレスに着替えたロッタローゼが、腰を低くしてこちらをうかがうヴェレに言った。
「この町の水路は砦の役割も担っております。水路しか移動できないことで、街が守られているのです」
「それはよろしいことですが、こういう事態に身動きが取れなくなるのは困ります」
態度だけはすまなそうなヴェレにアレクシアがはっきりと返す。
「ロッタローゼ様は聖都へ向かわれる途中。いつまでもここに滞在するわけには行きません」
「し、しかし、ゴンドラがなくては街の外に出ることもできませんので……」
「では、馬をお貸しいただこうか。私がロッタローゼ様をお連れして水路を馬で渡って見せよう」
スヴェンの申し出にヴェレは顔色を悪くした。
「それは……」
「私も騎士だ。戦で川渡の経験はいくらでもある。まずは1頭馬をお借りできれば、私の馬のもとへ行って戻ってくる。私の連れている馬であればロッタローゼ様を安全にお運びできるだろう」
自信満々で言うスヴェンにヴェレは返す言葉がない。
この屋敷に馬がいるのは確認済みだ。
水路しか出口のないこの場所に馬がいると言うことは、少なくともその馬は水を恐れず屋敷に入ったはずだった。
「あの馬はこの町の騎士団からお預かりしている馬ですので……私共の一存では……」
「確かご子息のカミル殿はこの町の護衛騎士であったな。それであれば私から話を通させていただくが」
「い、いえっ! それは……わかりました、私共の方で馬の準備をさせていただきます」
核心に近いところにつっこんだスヴェンにヴェレはさらに顔色を悪くして応えた。
「しかし、すぐにとは難しいのでもう一日、もう一日だけお時間を頂戴いたしたく……」
スヴェン、アレクシア、マギアの三人は顔を見合わせるが、ここは主であるロッタローゼの言葉を待った。
そしてロッタローゼは柔らかに微笑んで、しかしはっきりと答えた。
「お待ちできるのは本日夕刻まで。それ以上になるようであれば、私は水路を泳いででもこの屋敷を出発させていただきます」
「……畏まりました」
ヴェレはもうそう答えるしかない。
「ヴァッサ男爵にはとてもよくしていただいておりますけれど、私もシェーンベルク侯爵家の名代として聖都へ礼拝に行かねばなりません。ご理解いただけますように」
ロッタローゼはそう告げると、頭を下げるヴェレににっこりと微笑んだ。
「少しやりすぎてしまったかしら?」
ヴェレが部屋を後にした後に、ロッタローゼは少し悪戯っぽく言った。
「いいえ、あのくらいはっきり申しませんとあの男には通じませんでしたでしょう」
アレクシアはよほどヴェレが気に入らないのか、退出していったドアの方を忌々しそうに見つめている。
「いずれにしろ、長居が得策でないという考えには私も賛成です」
スヴェンの言葉にマギアも頷き、ここから一刻も早く出立することにはみな賛成のようだ。
「しかし、お嬢様が狙われている可能性があるだなんて……」
皆の共通の不安はそれだ。
昨夜、マギアからもたらされた「狐の気配」のことをそのまま伝えることはできないが、ロッタローゼにかかわっていることには違いない。
不明なことが多いが、もしかすると聖都へ向かう侯爵令嬢を狙っている可能性があるかもしれないとアレクシアとスヴェンにも伝えた。
根拠を求められると厳しかったが、リスクを警戒することにこしたことはないので、まずは対処することを選んだ。
「昨日、私たちが街の中を移動できたように、多少の危険を冒せば水路を使わずに移動はできますが……できれば馬があれば水路を渡れます」
「スヴェン様、馬は私も操れますので、最初に私がこの屋敷の馬で街の入り口まで戻ります」
スヴェンの言葉にマギアが返す。
「マギアが?」
「ええ、私は護衛としては役に立たない。スヴェン様がロッタローゼ様から離れるのは今は得策ではありません」
その言葉にアレクシアも賛同する。
「そうですね。今、お嬢様から護衛が離れるのは避けたほうが良いかと」
「ですから、私が街の入り口まで行って馬を連れてきます。問題がなければ、この屋敷の馬を待たずに、行くこともできます」
マギアは増水した水路に身を隠し、ロッタローゼを攫ったことがある。
犬神は水を操ることはできないが、水を恐れることもない。
(私の神通力が戻れば、こんな水路の水など一滴も残さず消し去ることもできるのに……)
こうなってしまった以上、今の生活を悪いとは思わないが、歯痒く思うことは多い。
そして改めて「人間の女の子」になってしまったのだと思う。
「ありがとうマギア、お願いするわ」
ロッタローゼは何もできない歯痒さを飲み込んで、マギアに微笑んで言ったのだった。
―― 続
神様だったアタシが、今はお貴族様で聖女様。 貴津 @skinpop
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