第8話 噂話を集めましょう。
「昨夜は大変ご迷惑をおかけいたしました」
「本当に!」
翌朝、目を覚ましたスヴェンは大慌てでロッタローゼの部屋にきて謝り倒してきた。
それを迎え撃つのはアレクシア。頭を下げて謝意を示しているスヴェンの前に仁王立ちで立ちはだかっている。
ロッタローゼはあきれ顔で二人の様子を見ていた。
「あんな深夜にいったい何をしていたのです?」
「わかりません。気が付いたら、あの場所で倒れていました」
やはりスヴェンには昨夜の記憶はないらしい。
(まるで狐憑きね……)
ロッタローゼは昨夜のスヴェンを思い出す。
今とはまるで違い、理性を失い凶暴な殺意に乗っ取られているようだった。
二階の露台まで飛び上がってきた脚力も異常で、人の力とはとても思えないものだ。
しかし、狐憑きならば眷属であるロッタローゼにわからないはずがない。
「今後このようなことがないように……」
「何故こうなったのかもわからぬ者が、どうやって起きぬように注意できるのですか?」
アレクシアの容赦ない突っ込みにぐぅっと声を詰めたきり何も言えなくなってしまうスヴェン。
「何? まだやってんの?」
「マギア」
部屋のドアが開いてマギアが入ってきた。
「しばらく終わらないかもしれませんね」
ロッタローゼが苦笑しながらそう言うと、マギアはちょっと渋い顔をしてからロッタローゼだけに聞こえるように言った。
「実はヴェレからもう一日屋敷に逗留してほしいと言われたんだ」
「……どういうことですか?」
「なんでも屋敷のゴンドラが全て壊されて沈んでしまったらしい」
「え?」
マギアが聞きこんできた話では、今朝、船番が屋敷の船着き場に行くと、すべてのゴンドラの底に穴が開けられて浸水してしまっていたそうだ。
「それならば昨日すれ違ったような乗合ゴンドラを呼べば済むことではないの?」
立場的に乗合にそのまま乗ることはできないが、必要であれば一日借り上げる程度の金は持っている。
「それが、ゴンドラは明日治るので、もう一日だけ滞在を伸ばしてほしいの一点張りで話にならないんだ」
「胡散臭い話ね……」
「それより……ちょっと気になってんだが……」
マギアは更に声を潜めて言った。
「ゴンドラ壊したの、あの
それを聞いてロッタローゼの顔色がサーッ青ざめる
「や、やめて頂戴……」
この屋敷にあるゴンドラはすべて特別製だと聞かされていた。
ゴンドラ自体は木製だが、装飾には金や銀に宝石がふんだんに使われていた。
そんなゴンドラは修理だけでも相当な金額がかかりそうだ。
「スヴェンは寝る前に寝台に縛り付けておいた方がいいかもしれないわね……」
「お嬢様!」
「ロッタ―ローゼ様……」
ロッタローゼのつぶやきに二人分の返事が聞こえて振り返ると、満面の笑みを浮かべたアレクシアと絶望に顔色を失ったスヴェンがいた。
「是非ともそうするべきだと思いますわ。騎士たるものが己を見失って夜出歩くなんて!」
アレクシアはもっともだという風に頷きながら言った。
「スヴェンは少し修行が足りないのではありませんか?」
「う……」
スヴェンは言い返す言葉もない。
アレクシアはスヴェンをやり込めて満足そうだ。
アレクシアは使用人だがロッタローゼの専任であり、出自も庶民ではなく下級貴族の出だ。騎士であるスヴェンの方が階級は上にはなるのだが、シェーンベルク侯爵家に仕えるものとしてはほぼ同格なので、アレクシアはスヴェンに対して容赦がない。
「アレクシア、いじわるはその辺にしてあげて」
ロッタローゼはアレクシアに優しく微笑んで言う。
「スヴェンは昨日も私たちをゴンドラの事故から救ってくれたわ。昨夜のことは見逃してあげて頂戴」
「お嬢様はお優しすぎます……」
アレクシアは意地悪と言われてほんの少ししょんぼりしたが、恨めしそうにスヴェンを見る。
「この屋敷で失態を知られれば、迷惑がかかるのはお嬢様ですわ。スヴェン、わかっているの?」
「はいっ! 申し訳ございませんっ!」
スヴェンはひたすら謝り倒すばかりだ。
実際、昨夜の奇行が屋敷の人間に知られれば、今この場で立場を追い込まれるのはロッタローゼであることは間違いない。
「アレクシア、その辺にしてあげて」
ロッタローゼがやんわりと止めると、やっとアレクシアはスヴェンからロッタローゼの方を向いた。
「畏まりました、お嬢様」
アレクシアは「ですが……」と続ける。
「本日、出発できないというのは本当ですか?」
「アレクシア様はお取込みだったようなので、私の所にヴェレが参りまして――」
マギアはアレクシアにもう一度状況を細かく説明した。
「こちらのお屋敷側の都合ですのに」
アレクシアはヴェレの態度にも不満を感じているようだ。
「とはいえ、強引に出立してヴァッサ男爵と遺恨を残すのはお兄様もお望みではないでしょう」
「シェーンベルク侯爵家に遺恨を残すなどと」
「遺恨は言葉が過ぎたかもしれないわ。でも、強引に出れば似たようなことになります」
ただ、そうは言うものの、ロッタローゼも逗留の延期は出来ればしたくなかった。
「何か良い理由があればよいのですけど」
「男爵はあくまでも好意で申し出てますから難しいですね」
マギアが悩ましげに言った。
マギアもわかっている。
マギアだけではない、ゴンドラが全て壊されてしまうなどと言うトラブルのある屋敷に残ることはリスクしかないということを。
しかし、当り障りなくこの屋敷を出るのは難しい。聖都への旅は先を急ぐようなものではなく、各地で貴族たちと交流するのも織り込み済みだ。むしろ、この時に近くを通るのに交流を疎かにすることこそ問題となる。
その辺の事情は貴族とその家に仕えるものであれば十分承知していることだった。
「とりあえず、今日は出立できないということで、男爵の申し出に甘えさせていただきましょう。アレクシア、その旨をお屋敷に伝えてもらえるかしら」
「畏まりました、お嬢様」
アレクシアはすぐに部屋を出て行く。
「それから、マギア、今日は仕方がないですが、明日は男爵所有のゴンドラがなくても出発できるように船の手配をして」
「わかりました。すぐに手配をかけましょう」
マギアもアレクシアに続いて部屋を出て行く。
後にはロッタローゼとスヴェンが残された。
「……さて」
ロッタローゼがそう言うと、スヴェンは首を垂れた姿勢のまま体をビクッと震わせた。
「スヴェン、昨夜のことは不問に付します。アレクシアたちにもそのように言うので、もうこの話はここでお終いです」
「申し訳ございません」
スヴェンはもう一度そう言うと深く深く頭を下げる。
(こうしてみると真面目なお坊ちゃんなんだけど……)
金髪のつむじを眺めながら、ロッタローゼは昨夜のスヴェンを思い出す。
ロッタローゼが知るスヴェンとは全く別のモノに入れ替わったかのような変貌。
記憶にはないようだが、あの力がスヴェンの本性であれば、スヴェンと言う人間の評価を変えざるを得ない。
(少し試してみるかね)
ロッタローゼはいつまでも頭を下げたままのスヴェンに「顔を上げなさい」と言った。
ゆっくりと顔を上げたスヴェンはまだ顔色が悪いが、不問に付すと言われた以上自ら引き摺るわけにもいかないのか平常を取り繕うとしている。
「スヴェン、お願いがあるの。この屋敷のゴンドラが壊されていたのは聞いていたわね?」
「……はい」
「誰が壊したのかを探るのは難しいと思うのだけど、壊しそうな理由のある人なら探せないかしら?」
ロッタローゼは犯人を捕まえるつもりはない。
だが、容疑者を探れば、この家にあるものが見えてくるのではないかと思ったのだ。
この家に何があるのかを探れば角が立つが、ゴンドラを壊した犯人を捜しているとなれば面目は立つ。
「……噂話を集めるだけになるかもしれませんが……可能かと思います」
スヴェンもロッタローゼの言葉の意味を理解したようだ。
「では、スヴェン。お願いよ。ゴンドラを壊した連中を探して」
「畏まりました」
スヴェンはそう言うと、もう一度深々と頭を下げて部屋を後にした。
「さて、どうなるかしら」
ロッタローゼは誰もいなくなった部屋の窓際へ寄り、静かに露台に出る。
まだ朝が早いせいか、人の気配は少なく、わずかに人の声が聞こえる程度だ。
(屋敷中のゴンドラが壊されているというのに、誰も騒いでいない……)
使用人の数は多すぎるくらいの屋敷だ。
それなのにこんなにもひっそりしている。
(あ、マギア……)
庭の先を見るとマギアが徒歩で屋敷を出て行こうとしているのが見えた。
その後をスヴェンが走って追いかけていた。
スヴェンは騎士服を着ているが、マントも羽織らず剣も佩いていない軽装だ。
マギアに追いついたスヴェンは何事かマギアに話しかけ、二人はそのまま肩を並べて歩き始める。
(マギアがいるのなら足は困らないわね)
この屋敷から出るには船が必須だが、世に長けたマギアであればそう言うことは困らないだろう。
そう言う点ではスヴェンにはそう言う世渡り交渉のようなものが上手いと思えなかったので、マギアと一緒に出掛けるというのは良い判断だった。
「お嬢様?」
気が付くと部屋に戻ってきたアレクシアが背後に立っていた。
「アレクシア」
「何をご覧になって……あれは、マギアとスヴェン?」
「ええ、ちょっとお使いを頼んだの」
「そうですか……お使いでしたら私でもと思いますが……」
「アレクシアには今日は重大な役目があるからお使いに行かれてしまうと困るわ」
「役目?」
「私の護衛」
アレクシアは護衛と聞いて目を瞠った。護衛ならばスヴェンだとでも思ったのだろうか?
「今日は私から目を離さずに、どんな時も一緒にいてほしいの」
「お嬢様、それは……」
「だって、ゴンドラが全て壊されてしまうなんて……怖いわ……それに、スヴェンでは一緒にお部屋にいられない時もあるでしょう?」
年相応な少女の顔でロッタローゼが告げると、アレクシアは「申し訳ございません」と頭を下げた。
「お嬢様がお怖い思いをされているのに気づけないなんて、アレクシアはお嬢様のメイド失格でございます」
「そんなことはないわ、アレクシア!」
ロッタローゼはアレクシアの胸に飛び込むようにして抱き着くと、ぎゅっとその手に力を入れた。
「アレクシアは私の大切なメイドよ」
「お嬢様っ!」
感極まったようにアレクシアがロッタローゼを抱きしめてくる。
「本日は……いいえ、ずっとアレクシアはお嬢様のお傍に居りますからね」
アレクシアはロッタローゼに逆らうようなことはないが――。
(この人って、昔からこんなだったかしら?)
決して冷たく扱われたり虐待を受けるようなことはなかったけれど、いつも一人で、窓から中庭に咲く花を見ていた。
今はアレクシアやメイドがロッタローゼの部屋に沢山の花を活けてくれるが、当時はそれもなくて、遠くの花を見ることしかできなかった。
(病弱だったというのもあるだろうけど……)
薔薇はロッタローゼが幸せな少女だったと思えない。
だから、薔薇がロッタローゼになった時にせめて魂だけでもどこかで幸せでいてほしいと思ったのだ。
「お嬢様? そろそろお着替えをなさいませんと」
アレクシアがにっこりと微笑んで言う。
この屋敷に逗留が決まった以上、部屋に閉じこもってはいられない。
「気が乗らないけれど、これも私のお仕事ね」
ロッタローゼ侯爵令嬢として今日も一日笑顔を振りまかなくてはならない。
ヴァッサ男爵は一言で言えば凡庸な男だった。
男爵家の跡取りとして生まれ、それ以外の道もなく、前男爵が亡くなって自動的に跡を継いだ。
男爵領は水上の街という珍しい場所ではあるが、逆を言えば作物の育たぬ不毛の土地だ。ゴンドラで常に行き来する湖にも水産資源などが期待できるわけもなく、今は何とか観光で保っているが、これ以上発展できるかと言うとそれも難しい。
現状維持と惰性で時間が過ぎて行く――そんな中で生きている男だ。
「こんなおじさんの相手ではロッタローゼ様も退屈でしょう?」
「いいえ、逆に私のような娘のお相手をしていただきありがとうございます」
「息子がいればよい話し相手になったのでしょうが、生憎、私の代行で視察に出しておりまして」
「ご子息様はもうご立派な次期男爵様ですのね」
ロッタローゼはそう言ってにっこりと微笑む。
事前情報としてヴァッサ男爵には2人の息子がいると聞いていたが、話をしていると一人の――多分、次男であろう息子の話しか出てこない。
長男について探りを入れてみようかとも思ったが、なんだか藪蛇になりそうな予感がしてロッタローゼも上手くかわして話をするようにしていた。
(長男に何かあったのかしら?)
貴族はあまり家の中のことを表ざたにはしない。
風邪を引いた程度の話でも、上げ足を取られかねず、そこから綻ぶようなことはままある。
(この屋敷の中にも長男がいる様子はなかったのだけど……)
ロッタローゼやマギアに感づかれないように屋敷の中に潜んでいるのだとしたら相当なものだ。
そうであれば封印のされた部屋に監禁されているか、長男自身が隠形の術で潜んでいるか。
どちらであってもそうする意味が分からないが――。
(深夜に騒ぎが起きても、誰も起きてこない屋敷。姿の見えない長男……)
そんなことを考えながら、ちらりとアレクシアの方を見ると、アレクシアも何か不穏なものを感じているのか、いつもより笑顔がかたい気がする。
(とりあえず、マギアたちの情報待ちね……)
ロッタローゼは興味のないヴァッサ男爵の自慢話に愛想良く微笑み返しながら、この時間が早く終わるのを祈るばかりなのだった。
―― 続
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