それは、箱から箱庭へといたるよう。

拝読させていただきました。
静から動へ、けれど、それは微細な振動ではなく、確かな「揺れ」だろうか、他者から与えられるものではなく、自らの内に宿る、生命のクォーツのような何かが、「時」ではなく「刻」としての感覚と思えてしまいます。
 一朝一夕では届かない、けれど、過去と今の蓄積にこそあの言葉が響きを持つ。
 きっと、きっかけさえあれば、誰しもが“成る”ことができるのだと、静かに確信せずにはいられませんでした。