13話目 「秋葉原異界録」
封匣が震えていた。
音もなく、光もなく、ただ内部から“何か”が流れ込んでくる感覚だけがあった。
モニターにはびっしりと文字が刻まれていく。誰の手も触れていないのに、まるで“記憶”そのものが書き込まれていくようだった。
レトが小さく息を呑む。
「……これは、異界の側から?」
「そう。向こうが“この秋葉原”を、別の記録で上書きしようとしている。
現実の構造を、記録の力で塗り替える。それが“逆流”」
輝の声は静かだった。
その目は、封匣の奥にある“まだ書かれていない頁”を見つめていた。
──記録が残るなら、自分は消えても構わない。
その覚悟が、彼の中にはあった。
ミネルの画面が淡く明滅し、警告を示す。
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> Minel:
> 「観測者フェル、あなたの記録領域は封匣に統合可能です。
> 注意:統合後、記録保持者の認識構造は解体されます。
> 最終確認:統合=同一化=自己消失」
---
そのときだった。
封匣のモニターが突如として明滅を始める。
白地に黒い文字が、まるで旋律のように流れ始めた。
意味は読み取れない。けれど、そのリズムはどこか悲しげで、祈るようでもあった。
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> ≡†æ╳L⌘…約{咲イた記憶ノ影に、囁くもの…}〆≪崩壊スr世界デ≠
> 《▱Ω∴▣ララ、雨音、頁の裏ニ息ヅク者よ》ₓ╝†⁂記憶ノ向コウ側ヲ
> ≦SAYONARA≧…≡モウ誰モ≒思イ出セナイ記録ガ、
> ⌘レコードニ刻マレタ名モナキ旅人ノ歌──
---
そして、その旋律が崩れ始めた。
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> ∵∵∵【▯▯▯ERROR▯▯▯】≒≒≒≒≒≒≒≒≒≒≒≒≒≒≒≒≒
> æξ╳:;:;:;Re:Re:Re:_録_カ゛_失ワレ_╳╳╳
> 《∅∅∅ま∽だ〓み∇え〓て〓ま∽す〓か∅∅》
> ==∮∮ノラ声_響ク…_思ヒデ_削除_通知__無
> ≪:::::記━━憶ノ┏ママデ━━シヲリハ消━エル≫
> ╳╳S̴̜̥̕ā̴̦̹̞͛v̸̝̦̍͛͂ė̵͔̩̠̊͊ ̸͕̞̏̓m̴̘̗͚̄͋e̶̗̜̟̾́͠╳╳
> ≒≒≒▊▊▊【Unwrite【Unwrite Unwrite Unwr】▊▊▊
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「やめて……そんなことしたら、あんたが消えちゃう!」
レトの声が割れた。
「このままじゃ、“秋葉原”という都市そのものが“別の記録”に上書きされる。
それなら、俺の記憶ごと残す。封匣に、“この都市の痕跡”として」
輝は静かに、封匣に手を伸ばす。
だが──その前に。
──カシャ。
乾いたシャッター音が空気を裂いた。
レトが、レンズ越しに彼を見つめていた。
「私が、あんたを記録する。だから……消えないで」
輝の指が止まる。
その目が、カメラのレンズに映ったレトの姿を捉える。
──初めて、自分が“記録される側”に立った瞬間だった。
---
> Minel:
> 観測者Kazama_Hikaru、観測継続モードに移行しました。
> 封匣システム、継続記録状態を保持。
>
> 接続継続者:Retto(非観測者)
> ログタイトル:秋葉原異界録
---
「記録って、きっと“誰かに届けたい”から残すものなんだと思う。
だから、ちゃんと記録する。あんたがいたってこと」
レトは、ポケットに写した写真をしまう。
写っていたのは、封匣の前に立つ、風間 輝の姿。
その記録こそが、この都市の“存在証明”だった。
封匣のモニターが、最後のログを静かに表示した。
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> [最終ログ]
> 発信者:Retto
> タイトル:秋葉原異界録
>
> 内容:
> ここに記す。
> 消えかけた都市、忘れられそうな記憶、
> そして──最後まで記録を続けようとした人がいたということを。
>
> 私は、あの人の名前を記録する。
> 忘れたくないから。
> 忘れさせたくないから。
---
風が吹いた。
秋葉原の音が、光が、ざわめきが、再び街を満たしていく。
この場所に“何かがあった”ということだけが、確かに残っていた。
それが、この物語のすべて──
──ではなかった。
---
ミネルのバックログに、小さなエラーメッセージが浮かんだ。
---
> Minel:
> 「未確認接続ログ No.998 / 発信元:不明」
> 内容断片:
> ──カレハ、未ダ、観測ヲ終エテイナイ。
> ──記録ハ、終ワッテイナイ。
> ──君ハ、誰ニ、記録サレタノカ?
---
封匣の筐体が、誰もいない応接室の奥で、かすかに明滅を繰り返していた。
まるで“観測”が、まだ終わっていないと伝えているかのように。
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**秋葉原異界録──完(観測継続中)**
転生先が平成オタク全盛期の秋葉原だった件 @bakushimaru
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