君に奇跡のクローバーを。

天照うた @詩だった人

知っていたんだ、全部。

 君が、教えてくれたんだ。

 なにか欠点ハンデがあっても、幸せになれるって。幸せに、してくれる人が居るって。

 君が全部全部、教えてくれた。私のことを、救ってくれた。


 ――ごめんね、って言おうと思ってた。でも、今言うべきなのはきっとそのコトバじゃない。



◇◆◇◆◇◆


 ――私は、小学校低学年の時、病気を発症した。


『感音性難聴』


 その病の典型的な症状として、ことが挙げられる。

 はじめの頃は戸惑った、声のない世界。けれど、それも日が過ぎるにつれて私の『普通』になる。

 もちろん、みじめだ。みんなが普通にできることが私にはできない。みんなが私を避ける。『可哀想な子』として私のことを見る。それが辛い。どうしようもなく、惨め。


 私は学校に行かないことにした。学校とは反対側の、海に面する岬へ毎日通った。

 はじめの頃は帰る度にお母さんが怒ったけれど、もうそれもなくなってきた。


 目を閉じて、私は妄想する。

 静かに波の音が聞こえる夕暮れの岬。カラスの鳴く声も聞こえる。隣には仲の良い友達が居て、私も普通に話せている。笑顔で、いれている。


 ……そうだったらいいのに。

 瞳を開ければ、無音の世界。私はひとりで体育座り。からっと晴れた空はまるで無機質な私の人生を表しているようだ。



 辛かった。頼れる人なんて、いない。もう、どうにでもなればいい。

 手をついて立ち上がる。長時間座っていたからか、少しだけ視界が揺れた。

 少しずつ前に足を進めて、岬の端まで来る。からっとした波風が優しく、でも鋭く私の頬に触れる。


 別に、本当に死ぬ気なんてなかった。

 ここからの景色が、どんな色をしているのか、どんな手触りをしているのか知りたかっただけ。

 でも、そこから見た景色はあまりにも綺麗で、あまりにも美しくて……『ここでなら死んでもいい』そんな風に、思ってしまった。


 ――その時だった。


 いきなり首元がぐいっと地面に押しつけて、呼吸がしにくくなった。視界がぐるんと逆さまになる。

 5秒程制止した後、自分が地面に押し倒されているのがわかった。

 ……一体誰が、こんなことを。

 少し頭を上げて、前を見つめる。そこには、同い年くらいの体格をした男子の顔があった。何かを喋っているようだけど、私には何も聞こえない。

 少し手で断りを入れて、スマホを出す。LIMEのkeepメモを開いて、言葉を打ち込んだ。


『私は耳が聞こえません。気に掛けてくれてありがとうございました』


 すると、彼の方もスマホを取り出して、メッセージを打つ。


『なんでここにいるの』


 信用できるはずもない。初めて会った人に、そんなの話す義理もない。

 だけど、本当の私はこのやるせない気持ちを誰かに伝えたかったのかもしれない。気づくと、打ち込んだ文章を彼に見せていた。


『耳が聞こえないの、惨めで。そういうの気に掛けてくれるのとかもほんとうに……なんか、おせっかいで。学校に居るのも、家に居るのも嫌になって。私には、居場所がない、から』


 彼はまじまじと私の文章を見たあと、少しだけ、ほんの少しだけ、瞳を伏せた。

 その意外にも長い睫毛、大きな瞳、ミステリアスな雰囲気に息を呑んでしまったのは、気のせいだ。きっと。

 でも、そんな整った外見とは裏腹に、メッセージの内容は酷いものだった。


『自意識過剰。周りが一人の人間のことにそんなに一生懸命になるはずがない』


 その言葉に、私はむっとしてしまった。

 この人は、きっと私の立場になんて立ったないだろうし、これから立つこともないだろう。そんなあなたに、何が分かるの?

 ……そうやって私が言えなかったのは、その次のメッセージのせい。


『だから、気にすんな。居場所が欲しいんだったら、俺が隣にいてやる』


 ……ぶっきらぼう、だなぁ。

 でも、なんだかほわほわと胸の辺りが温かくなってくる。まるで妄想している時のように、心が楽になる。


 どうやって、この感情を表せば良いんだろう。

 ……きっと、このメッセージアプリだけじゃ表せないよね。


◇◆◇◆◇◆


 それから、彼は毎日あの岬へ通ってきてくれた。

 私が体育座りをする横で、彼はあぐらをかく。そして、いつものやりとりが始まる。


『おはよう!』

『はよ』

『いつもありがと、ごめんね』

『お前が謝ることじゃないだろ』

『でも、やっぱ優しいなぁって』


 ちらっと横を覗くと、彼はメッセージを打つのに精一杯なよう。

 ……私がこんなに君のことを見てるって、知らないくせに、ねっ。

 手を伸ばせばすぐに届く距離。だけど、思いを伝えるには媒体スマホがないとできない。


 そんな自分が、また惨めになる。

 病気のせいってわかっても、辛くなっていく。


『そういえば、昨日どこまで話したっけ』

『なんの話?』

『あの、クローバーの話』

『あーね』


 クローバーの話、それは昨日彼がしてくれた……少し不思議な、お話。

 この岬には一つの噂がある。それは、『奇跡のクローバー』。四つ葉じゃなくて、五つ葉のクローバー。それが、『奇跡のクローバー』だそうな。


『五つ葉のクローバーが存在するところまで聞いた』

『りょ』

『それで? そのあと、どうなるの?』

『んーと、五つ葉のクローバーを見つけたヤツがいて、そいつは『好きな人を射止める』っていう夢が叶ったらしいぞ』

『…要するに恋が叶うクローバー?』

『いやいや、願いが必ず叶うクローバー』

『へー』


 そこで視線を感じて顔を上げると、彼がむっとした顔でこちらを見つめてきていることに気がついた。


『なに?』

『一緒に、探そうぜ』

『好きな子でもいるの??』

『そういうんじゃないんだけどな…』


 私は顔を上げて彼の方を見つめる。すると、ばちっと視線が合った。

 なんだか気まずくなって視線をスマホに戻す。


『いいよ。探そ!』


 そうやって送ると、彼がわかりやすくぱあっとした笑顔を浮かべて、こくこくと首を縦に振った。

 たまに可愛い彼の一面も、今は私が独り占めしている……なんてね。図々しいや。


 体勢を変えて、地面を見る。確かにそこは一面のクローバー畑で、シロツメクサも咲いていた。

 春の陽が私たちの背中を押すように照る。

 葉をかき分けて五つ葉を探す。もともと葉が多い品種なのかもしれない。四つ葉は結構ある。けれど、五つ葉は見つからない。


 必死に探していると、彼が私の肩を軽く叩いた。少しだけ身体が跳ねたけど、なんのこともないように笑顔を見せる。

 彼は自分のスマホの時刻をひょいっと私に見せてくれた。17:30。もうそろそろ帰った方が良いみたい。

 肩と肩がぶつかる。彼の吐息が、私の肩に当たる。少しだけ赤くなりながらも、こくんと頷いて荷物を持った。


 ……少しだけ、だ。少しだけ、心臓がバクバク音をたてた。

 心臓の音だけ聞こえちゃうだなんて、なんか恥ずかしいな。


◇◆◇◆◇◆


 それから五つ葉のクローバーを探すのは、私たちの習慣となった。

 毎日LIMEで軽い会話を交わしたあとはクローバーを探す。けれど、まるで私たちから逃げるかのようにクローバーは見つからなかった。


 そんなある日のこと。

 クローバーを探し始めてから2ヶ月位がたって、だいぶ私が諦めかけていた頃にそれは起こった。


「……った!!!」

「えっ」


 急に、声が聞こえた。音が、聞こえた。

 岬に打ち寄せる波の音、初夏を知らせるように鳴き始めた虫の音……そして、ほかでもない君の声。


「っ、なん、で?」


 幼い頃の感覚を思い出して声を発しようとしてみるが、まともな声が出ない。

 それより、なんで? なんで私は、耳が聞こえるようになったの?


「……やっと、やっと見つけた。『奇跡のクローバー』」

「わぁっ!」


 彼が私に見せてくれたのは、ほんとうに綺麗な五つ葉のクローバーだった。

 ……奇跡、かぁ。私、耳が治るなんて思ってなかった。一生私、君の声なんて聞けないと思ってたんだ。

 きっと、『ごめんね』が正しいコトバ。たくさん君に迷惑掛けちゃって、時間を奪っちゃって。

 でも、今言うべきコトバは――



「ありがとう、本当に」

「いや、別に気にしなくて良いよ」


 そんな彼の、笑顔が好きだ。声が好きだ。全部が好きだ。

 私は、とっくに自分の気持ちの正体に気づいていた。

 これは、『恋』。私の初恋。だから、君には伝えられなかった。君に、背負わせたくなかった。


 ――君が余命半年の病気を患っていることを、私は知ってたから。

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