第2話


 ――(あんず)、というらしい。

 もちろん、他でもない、彼女の名前だ。


 外の世界の全てに興味津々な彼女の行き当たりばったりな行動力が心配なので、最低限の手ほどきをしてやることにした天也。


 自分の身さえ自分で守れるようになれたら充分だろう。


 ……それ以前に見えている危険に首を突っ込まない、と教えた方が早いのだが……それができるならこうして困ってはいないのだった――



 杏と天也。

 自己紹介を終え、ふたりが行動を共にする。


 目的地は別フロアにあるプリクラコーナーだ。

 プリクラが目的なのにどうして格闘ゲームばかりが置いてあるフロアにいたんだ? と疑問はあるが、『……こいつだし』という理由で納得できてしまう。


「……おーい、なにしてんだ?」


 杏はUFOキャッチャーに興味があるらしい。

 さっきから見えているぬいぐるみに目を奪われ……ではなく、UFOキャッチャー自体に目を輝かせていた。吊るされたアームを見て可愛いと呟くのは彼女くらいなものだ。


「やるか?」


 興味があるのは分かり切っていることなのに、杏は首を左右に強く振る。


 目線を前へ向け、早くプリクラコーナーへいきましょう、と拳を突きあげるが、意識は完全に横のUFOに引っ張られている……いや、興味があるならやればいいのに。

 と、天也が何度目か分からない呆れ顔を見せた。


「やってもいいのですか!?」


「? いいだろ、別に。プリクラがしたいって言ってたけど、別のもんをしちゃいけないってことでもないし」


 最短距離でプリクラを楽しむ理由もなかった。


 寄り道をしたって、誰も文句を言わないのだ。


 ……もしかして、天也に気を遣って……? 確かに彼女ひとりだと興味の対象が道中に多過ぎて、目的地に辿り着けないだろう。

 最悪、目的さえ忘れて「なにしにきたんでしたっけ?」とそのまま帰ってしまいそうだ。


 それならそれで興味がその程度だったことが分かるし、本人が違う興味を満たして満足するならそれでもいいとは思うのだが……、同行人がいる場合、目的地につかないのはやっぱりイライラするだろう……。その匂いを、杏は無自覚に嗅ぎ取ったのかもしれない。


 気遣いができるのは褒められたことだが、今はいらない気遣いだ。


「これ、動かしたいです!!」

「好きにどーぞ。中身はいらないのか?」


「じゃあこれ、クマのぬいぐるみを!」


「クマ……ああ、これクマか……三つの首の……ケルベロスみたいだな……」


 女子中学生になにが受けているのか、分からないものだ。


 二足歩行で三つの首を持つクマだった。

 喜び怒り悲しみを表す三つの表情がひとつの体に……ちょっと不気味だ。それでもマスコットっぽくはマイルドになっているので可愛い、とも言えるかもしれない……

 天也には分からないセンスだ。


 杏がガラスにぺたっと張り付いて中を覗く。


 じっと見て…………、そのまま十数秒が経過した。


「やり方、分かるか?」

「それくらい分かりますよ!」


 この穴に入れればいいんですよね? と。まあそうなのだが……、これは天也が悪い。余計な考えが生まれてしまってから、頬をつねって冷静に戻る。


「なんでそんなことを?」

「気にすんな。……ちなみに、穴に落とす、と言えよ?」

「? はいっ!」


 元気な返事で杏が財布を取り出した。中学生にしては高級そうな、なんの皮だ? ……長財布が出てきた。彼女が財布を開いている間に、天也がコイン投入口を指差す。


「ここに百円玉を入れるんだ」

「落とすんですね!」


「これは入れるで……まあいいや、落とすんだ」

「はい!」


 杏が取り出したのはカードだった……クレジットカード。

 投入口にカードを向けて……「あれ?」と首を傾げた。


 さすがに無理やりカードを投入することはなかったか、と安心するが……硬貨を知らないわけもないが、一応聞いてみる。


「百円玉は?」

「これのことですか?」


「どこの国のコインだそれは」

「知りません。でも綺麗だと思いませんか?」


「思うけどな。今はいらない……つーか使えない。ちゃんとしたコインを出せ」

「ちゃんとしたコイン……? それはぽくぽくちーんのことですか?」


「一休のとんちで乗り切れってことじゃない。……はぁ、じゃあいい、ここはおれが出す。後で返せよ?」


「億倍にしてお返ししますね」

「やめろ、おれがいらないトラブルに巻き込まれる」


 女子中学生が持つには不釣り合いなクレジットカードだった……あれはたぶん、大人の世界の成功者が持つカードだ。それを持つ彼女は……親が成功者なのだろう。


 あらためて、目の前の少女の存在が特異に見えてくる。一挙手一投足、見張られていて、間違った対応をすれば地下室へ連れていかれるんじゃないか? と戦々恐々としてきた……が。


「わたくしっ、やっていいですかっ!?」


 期待の眼差しを向けられ、こうして信頼……らしきものを向けられている。

 今更、彼女への接し方を変えてガッカリされたくはなかった。

 注意を受けたら直せばいいだけだ……天也は杏のことを、特別扱いしなかった。


 ……彼に自覚がないだけで、充分に特別扱いなのだが……。



 コインを投入して機械が動き出す。説明通りに杏がボタンを押して操作――

 降下したアームが三つ首のクマさんを挟んだが、重量があるので持ち上がらなかった。


「ま、そうなるよな」

「なんですかこれ初期不良ですよ!!」

 と、杏がいちゃもんを言い始めた。


 初期不良……ではないのだが、彼女はいつも一番最初に物を与えられるのだな、と生い立ちを垣間見た気がした……。


「…………」


「杏?」


 少し考えた後、杏が重たい筐体を持ち上げようとして――おぉい!? 天也が慌てて止める。

 彼女の細腕ではたぶん無理だろうが、万が一持ち上がって角度がつき、クマが転がり落ちてゲットできてしまうと……彼女のためにならない。


 プレイ済みとは言え万引きと同じだろう。

 それに、こういう行為は警報が鳴って店員がすっ飛んでくるシステムだ。

 彼女の親を考えればもみ消せるかもしれないが……、やっぱり教育にはよくないだろう。


 気づけば、天也は杏の親目線になっている……。


「やめろ、それは禁止だ」

「ぶーぶー」


「そんなズルしてゲットしたって嬉しくないだろ」

「いいえ、わたくしはこういうの、ズルしたって嬉しい人ですから」

「お前は可哀そうなやつだ」


 杏は目を見開き……。

 言い過ぎたかな、と天也の心がちくっと痛んだが、ここで甘やかす方がよくないだろう……、悪い遊び方を教えるくらいなら、自分が嫌われた方がマシだ、と――天也がコインを投入する。


「もう一度やってみろ、コツ……になるかは分からないが、教えてやっから」

「……はい、ごめんなさい……」


「? なに謝ってんだよ、いいから、教えるからもっとこっちこい」

「ふぁい」


 空気が抜けたような返事と一緒に、杏と肩が触れる。



「――――ってのがコツだ。分かったか?」

「やってみます!」


 ガッツポーズをしてアームを操作する杏。

 最初は調子がよかったが、途中から苛立ち、ムキになって、教わったコツも忘れて手癖で取ろうとしてしまっていた。


 杏の「もう一回だけです!」のおねだりに負けて財布の中のお札を崩してまで小銭を使い、筐体の中へ投入していく……。


 どうして途中で辞めなかったんだ、と後悔していた。

 ……が、ここまでくるともう諦めきれなかった。


 ここまできたら、獲れるまでやる。


「そろそろおれがや、」


「大丈夫ですっ――次こそは絶対に!!」


「どの口が言ってんの!?」


 失敗。


 失敗。失敗。失敗。


 失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗。


 失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失敗失――――



「さあ、もう一回!」


「鬼かお前はッ!」


 と言いながらも財布を開いていた天也は、もう末期だろう……。

 どっちにしろ財布の中身はすっからかんだった。渡したくても渡せない――。


 ふと、こちらを覗いていた若い店員と目が合う。

 彼は気の毒そうに天也を見つめていて……。


「…………」


 店員にもっと早く助けを求めていれば、結果は違っていたかもしれない。


 今更な話だが。


「悪いけど、もう金がねえよ……だから残念だけど、これで終わりだ」

「えー、もうできないのですか? ……まあいいですけど」


「――おい! どっちでもよかった、みたいなテンションで言うな! こっちの心が折れるだろうが!!」


「次こそプリクラにいきましょー! 早く早く天也先輩!!」


「あのクマは!?」


「んー、お父さまに言えば同じの買ってくれるかなと思いまして――だからこれで無理に取る必要もないんですよー」


「…………」


 思い返せば、ムキになっていたのは天也で、彼女も最後の方は興味が薄れていた。


 結構早い段階で、彼女のブームは過ぎ去っていたらしい……言えよ、早く。


 いけるいける、とノリに乗らせたのは、実は天也だった……これこそ自業自得か。


「先輩? ぼーっとしてないで早くきてください、わたくしが手を引きますよ?」


「それは屈辱だからやめろ」


「どういう意味ですか!!」


 人を弄ぶ小悪魔系の後輩お嬢様。


 彼女にこれ以上関わると痛い目を見る気がする……それは本能が発した警告だ。



 だけど。


 悲しいかな、それでも天也の中に、彼女を放っておく、という選択肢はもうなかった。





 … おわり

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気になるあの子は危なっかしい 渡貫とゐち @josho

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