第3話

@mamomami

第3話

 なんと自分の希望と反して、考えてもいない方向へ物事が進み始めた。以前友人の博子に誘われて軽い気持ちで受験した高等看護学校から、合格通知が届いたのだ。その頃の高等看護学校数は少なく、どの学校も競争率が高かった。私は元々受験する気もなく「准看護婦の免許さえ取得していればいい」と考えていた。しかし受験した学校は珍しい二次募集が行われ、若干名の募集に会場からあふれるほどの受験生が集まったのだった。共に成績が芳しくない私たちがまさか合格するとは思わず、意外な急展開に戸惑った。しかし母からの「せっかく合格したのだから、正看護婦の免許を取って欲しい」と強く願われ、仕方なく私は内密に願書手続きを進めていたファッションデザイナー専門学校の願書を捨てた。


 成人式を迎え、准看護婦試験合格証と卒業証書を同時に手にした私と博子は、満開の桜の木の下を制服の紺色スーツに袖を通して高等看護学校に入学するのだった。看護学科は女子31名で、驚いたことに学校経営している総合病院の勤務者がほとんどだった。私たち数人以外は、全員病院の尞から通学していた。勉強も一段と難しくなり、環境の変化について行くのが大変だった。そんな中で私がいつも心に留めている情景があった。それは准看語学校の教室で、高等看護学校の不合格通知を受け取った友人の泣き崩れた姿がいつもあった。「彼女たちが出来なかった事を、幸運にも私は勉強する機会を与えられている」と思うと、今までにない勉強意欲が身体中をみなぎった。入学と同時にヨットにも熱が入り、私は船舶操縦士免許を取得した。また学校は隔日登校のため、それ以外の日は今まで働いていた病院に勤務することになった。学校、勤務、ヨットと、毎日が慌ただしく過ぎたが、充実した日々だった。そして私はかつて経験したことのない成績上位を、保つことが出来たのだった。


 瞬く間に2年が過ぎ、とうとう最終学年の3年生となった。すると入学時から恐れていた実習が、目の前にちらつき始めた。そして今まで隔日だった学校が毎日となり、病院勤務が出来なくなり仕方なく退職することになった。高等看護学校に入学した時にすでにわかっていたことだったが、いざ退職届を提出した時は寂しい反面、今日までよく頑張った、と自分を褒めたくなった。高等看護学校は病院勤務で貯めたお金で学費を払っていたが、まだ支払いが必要なため週1回の当直だけは続けた。

 そして卒業までの最後の難関の、半年以上にわたる病院実習が始まった。毎日の計画表、実習前の予習、復習に毎日寝る時間を惜しんで勉強した。また実習先の担当患者さん、スタッフへの気遣い、と神経をすり減らす毎日だった。しかしそんな私だったが、手術室実習中に卒業後の道を決める出来事が起こった。その時の脳外科の執刀医が「実習生さん、脳の中をのぞいてみる?」と、遠くで見学していた私たちに声を掛けてくれた。私たちは、交代しながら恐そる恐そる顕微鏡をのぞき込んだ。その何十と重なるレンズの先には、ドクドク規則正しく動き、一つ一つの脳内の臓器がきらきら輝き美しく見えた。「わぁ、こんなに人間の脳は美しいんだ」。この出来事で、私は脳外科に興味を持つのだった。すべての実習が終わり学校へ戻ると、数人のクラスメートの顔が消えていた。みな実習中に退学していたのだった。

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