第11話:誰の正しさか

~異常の兆候~


初冬の朝日が、フューチャーテック大崎本社の営業部を淡く照らしていた。窓ガラスは外気で冷やされ、内外の温度差でうっすらと結露が浮かんでいた。その一角で、高輪チーフが電話をしていた。銀縁の眼鏡越しに見える彼の眉間には、深いしわが刻まれていた。


高輪は受話器を耳に押し当てながら、怒気を含んだ声で言った。「まだ組めてないって何ですか?こっちは納期が決まってるんですよ」営業部の空気がぴんと張りつめた。返答は聞こえないが、どうせ言い訳だろう。


「今週中に二十台、来週までに残り全部。それが条件なんですから」高輪の声に、目黒は画面に向かったまま、ピリついた空気を肌で感じていた。ここ数日、営業部に朝から晩まで緊張感が漂っていた。


目黒が背後の神田に声をかけようとしたとき、神田は画面を覗き込みながら、ため息をついていた。机の上には、サポート部から引き継いだ資料の束と、「いつになったら届くんですか!」という殴り書きのFAXがあった。


「神田さん、状況どうですか?」目黒が声をかけると、神田は疲れた表情で微笑んだ。「納期未定のお問い合わせで溢れてるよ。お客様から直接電話も増えてる」神田の言葉通り、メールは自動返信では対応しきれないほど内容が複雑になっていた。


「もう、手動対応に切り替えた方がいいかもしれませんね」目黒が言うと、神田は無言で頷いた。ちょうどそのとき、息を切らせた千石が営業部に駆け込んできた。通称「千ちゃ」。周東店から本社へ異動してきた若手スタッフだ。


「おはようございます!」明るく人懐っこい千石だが、今朝はどこか落ち着きがなかった。「おはよう、千ちゃ」神田が目を細めて応える。千石は慌てて自分の席に着くと、声を潜めて言った。「大変なことになってますね」


「工場からの出荷が遅れてる?」目黒が尋ねると、千石は力なく頷いた。

「昨日からてんやわんやで、工場では組み立てに手間取ってるみたいです」目黒と神田が顔を見合わせる。


そこへ山手が姿を見せた。「おはよう、みんな。……ちょっと大変なことになってるな」いつもは温厚な彼だが、今日はどこか険しい表情をしている。目黒たちの顔を見ると、「三人とも、ちょっといいか?」と声をかけた。


「法人向けのセット販売の件で、トラブルが発生してる」山手が口を開いた。「どんなトラブルですか?」目黒が身を乗り出す。「俺も詳しくは把握してないが、技術的な問題らしい。高輪さんが朝から工場と開発に食い下がってるんだが……」


山手は言葉を切り、三人の顔を順に見た。「悪いんだが、状況を確認してくれないか。工場と開発、両方に。問題の所在をはっきりさせたい」山手は頷き、改めて言った。「何がどうなっているのか、正確に把握したいんだ。頼んだよ」


~出荷できない理由~


目黒と千石は営業部の隣の建物に向かった。「千ちゃ、以前はこっちにいたんだよね?」千石が少し歩調を緩めて答えた。「はい。生産管理やってました。でも、自分が作ったものを売る現場が見たくて、営業に志願したんです」


工場の建物の中は、普段より緊迫した雰囲気に包まれていた。作業員たちは黙々と手を動かしているが、その表情には焦りがありありと見て取れた。「おはようございます。工場長はいらっしゃいますか?」千石が声をかけた。


奥のほうから、中年の男性が姿を現した。作業着の上に黒のジャンパーを羽織り、額には汗の跡が残っている。千石が一歩前に出て、「お久しぶりです。大塚チーフ」と挨拶する。「ああ、千ちゃか。久しぶりだな。……でも今日は厳しいぞ」


工場長の大塚は、額の汗を拭いながら「とりあえず奥に来てくれ」と言い、二人を組立ラインへ案内した。作業場の中央には、半完成のパソコンが無数に並んでいる。段ボール箱には、赤いマジックで「映らない」と大きく書かれたコピー用紙が貼られていた。


「これが問題の法人向けセットですか?」目黒が尋ねると、大塚は頷いた。「具体的に、何が問題なんでしょう?」 しばらく沈黙したあと、大塚が言った。「うちじゃ無理だ、あの構成。グラフィックボードとマザーボードのドライバがバッティングしてる」


「バッティング?」目黒は首を傾げた。「バッティングというのは、ソフトウェア同士が衝突して、正常に動作しなくなることです」千石が説明した。「特に、ドライバ間の相性問題は解決が難しいんです」


「そうそう。あと、熱問題もある」工場長が続けた。「あの構成だと、ケース内の温度が想定以上に上がって、安定性が損なわれる」目黒は状況を理解しようと努めた。「つまり、ハードの組み合わせに問題があるということですか?」


「いや、理屈では動くはずなんだ。でも、実際に組むと、安定して動かない。そこが生産の難しいところだよ」大塚はため息をつき、頭をかいた。千石はうなずきながら尋ねた。「開発はなんて言ってますか?」


「それが、『仕様通り動くはず』の一点張りでね」大塚は疲れた表情で肩をすくめた。「あの構成で出荷したら、確実に返品修理になる。こっちとしても、そういうものは出したくないんだ」


「一度、開発にも話を聞いてみます」目黒が言うと、工場長は力なく頷いた。「くれぐれも言っておいてくれ。我々が非協力的なんじゃない。安定した製品を出したいだけなんだ」


~正しさの交差点~


二人は、建物の奥にある開発部へと向かった。「……できるとやれるって、違うんですね」工場で聞いた話が頭に残っていた目黒が、ぽつりと言う。「はい。技術的にできると言えることと、現場でやれることは違うんです」千石が応じた。


「営業からしたら、できるならやれって話になるよな……」目黒がつぶやいた。千石は苦笑しながら頷いた。「そこが難しいところです。言葉は同じでも、意味が全然違うんですよ」


開発部のエリアには、さらに緊迫した空気が漂っていた。「あ、千ちゃじゃないか」歩み寄ってきたのは、開発部チーフの日暮(ひぐれ)だった。大柄で筋肉質な体つきの彼は、普段は活力にあふれているが、今日はどこか疲れた表情をしていた。


「実は、法人向けのセット販売の件で」目黒が切り出すと、日暮は顔をしかめた。「ああ、あれか。今まさにそれを議論してるところなんだ」


「工場の大塚さんに話を聞いたんですが、構成に問題があるって」千石が言うと、日暮は眉間にしわを寄せた。「技術的には動く組み合わせだよ。互換性に問題はないはずなんだ」日暮は声を落として続けた。「でも、安定して動かせるかは、また別の話だね」


まただ。さっきと同じ言葉。目黒は、現場と開発の間にある認識のズレを改めて痛感した。「具体的に、どこが問題なんですか?」日暮は腕を組みながら答えた。「理論上の熱設計と、実際の生産環境では差が出る。特に、グラフィックカードのような発熱の大きいパーツは、影響が出やすい」


「では、仕様を変えれば……」目黒の言葉を、日暮が遮った。「すでに営業が現行仕様で販売してしまってるんだ。今さら変えるわけにはいかない」


「でも、今のままでは安定しないんですよね?」千石が確認する。日暮は小さくため息をついた。「……そういうことになる。だけど、工場ができないって言って止まってるのもまずい。納期があるからね」


「では、どうすればいいんでしょう?」目黒は状況を整理しようとした。日暮は、動作検証中の筐体を見つめながら言った。「仕様か納期か、どこかで折り合いをつけるしかない。でも、どの部署も自分たちが正しいと思ってるから、簡単じゃない」


目黒と千石が戻ろうとすると、日暮がもう一言付け加えた。「ところで、あのグラボ、営業の高輪さんが強く推したんだ。『これを使えば競合より魅力的な仕様になる』って」その言葉に、目黒と千石は顔を見合わせた。この問題の根は、思ったよりも深い場所にあるのかもしれない。

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