第10話:引き継ぐ人、去る人、始める人

 ~キャスト交代前夜~


 11月の肌寒い朝。フューチャーテック大崎の朝会で、山手部長の声が響いた。「みなさん、こちらが高輪さん。今日から法人営業部兼人事部のチーフです」紹介に合わせて、高輪が一礼する。


「高輪です。前職は都内の上場企業で部長をしてました。早期退職で地元に戻り、フューチャーテック大崎でお世話になります」スーツの折り目がきっちり決まり、穏やかな表情の奥にどこか厳しさを漂わせている。


 高輪が口元を緩ませて、「いやあ、都会の喧騒で色々と鍛えられました」と加えると、場の緊張が和らいだ。「じゃあ、まずは社内システムの説明から」山手が高輪を奥へ案内する。


 目黒はその後ろ姿を見送り、「大手企業からの転職か……」と呟く。品川も「なんだか硬いよねぇ」と肩をすくめた。


 ネット通販部のエリアに戻ると、品川の後ろの席に見慣れない顔があった。「あ、品川くん、目黒くん、おはよう」小柄で人懐っこい笑顔を振りまいている神田が、二人に小さく頭を下げる。「本日より正式配属になりました」


「神田さん!サポート部からついに来たんですね」品川が嬉しそうに声を上げる。「よろしくお願いします」目黒も挨拶を返す。


 神田は立ち上がると、少し照れくさそうに続けた。「以前からサポート部でメール対応はしてましたが、これからはネット通販部の一員として頑張ります」


 サポート部での経験からか、神田は初日から目黒と絶好調だった。「このクレーム、分類『出荷遅延』ですが、原因は『在庫不足』だね」神田が指摘する。


 目黒も「そうですね。同様の問い合わせが他にもありますから、専用の案内テンプレートを作りましょう」と返す。二人の連携に、品川は感心して頷いていた。


「神田さん、すごいですね。入社は品川さんより先輩なんですか?」と目黒が尋ねた。神田は少し照れくさそう答える。「まあ、そうだけど。通販経験は品川くんの方が長いから」


 品川は椅子をくるりと回し、「でも神田さん、すごいよ。クレームの扱い、目黒くんと同じくらい上手いじゃん」と微笑んだ。


 午後の休憩時間。品川がマグカップを手に、ぽつりとこぼした。「高輪さんが人事、神田さんがメール……もう俺、いらないんじゃね?」その声には、少しの寂しさと、やりきった安堵が滲んでいた。


 そこへ山手が通りかかり、品川の肩を軽く叩いた。「これで、ようやくネット通販部も、営業と技術の両翼が揃った。品川、お前の文化祭、形になったな」


 山手の言葉に、品川は頭に手を当てて笑った。目黒は営業部を見渡しながら、品川と二人だけの頃を思い出していた。積み上げてきたもの、そしてこれから紡いでいくもの。そう思うと、胸の奥が熱くなるのを感じた。


 ~まだ終わらせたくない~


 その日も、目黒、品川、神田の三人で深夜残業が続いていた。目黒が導入したフリーソフト『返信くん』のおかげで、メール対応の作業は格段に速い。


「今日もお疲れさん」品川は伸びをし、缶コーヒーを飲む。そして、ぼそっと呟いた。「……俺、秋葉原店に行くんだよね」


「えっ」目黒が思わず声を上げた。「いやいや、ちょっと何言ってんすか」神田も目を丸くして、品川を見つめる。


 品川は缶コーヒーを片手に、プルタブを指でカチカチと弾きながら言った。「翔太くんが秋葉原店の店長になるんだ。……今なら、俺も対等にやれる気がしてさ」


「フューチャーテックも、いよいよ秋葉原に進出ですか?」目黒が確認すると、品川は頷いた。「ネット通販の売上が、城北店を抜いたの見たでしょ?次は、秋葉原で挑戦してみたいんだ」


 品川の言葉には、静かな、だが確かな決意が宿っていた。「俺の文化祭、まだこれからだよ。秋葉原が本番なんだ」


「もう決まってる話なんですか?」目黒が眉をひそめて聞く。品川は苦笑し、「なんか言い出しにくくてさ。今日、営業部のみんなが帰ったら言おうと思って」と言った。


 ふと神田が声を上げた。「秋葉原、良い店だよ。アクセスもいいし、将来性もある」言葉を切り、窓の外を見る。「でも、店長は大変らしいよ。翔太くん、かなり厳しいんじゃないかな」


 品川は思わず吹き出した。「厳しいわけないよ。翔太くんは人の扱いが下手なだけだよ」その表情には、懐かしさと期待感が混じる。「だから、俺が行けば、もっと良くなる。あいつ、昔から説明会とか苦手だったろ?」」


 深夜の静けさの中、三人それぞれの思いが交錯する。品川の新たな挑戦。残される目黒と神田の複雑な思い。そして、まだ誰も口にしない「これから」。


 次の日から、通販部の空気はぎこちなかった。神田は品川を避け、目黒も最低限の会話しかしない。昼休憩、品川が席を外した隙に、神田が目黒に近づいた。


「マジで納得いかない」神田の声に怒りが滲む。「今、通販部が一番おもしろい時期じゃないか。なんで今、出ていくんだよ」


 目黒も頷き、「僕たち三人で、やっと形になったんですよ」と言った。神田は奥歯を噛む。「品川くん、勝手すぎるよ」二人の視線の先には、サポート部のメンバーと話す品川の後ろ姿があった。


 翌朝の営業部会議。山手が連絡事項を伝え終わると、品川が突然口を開いた。「通販部の引継ぎについて、ちょっとみんなで話したいんだけど」


 議題にない発言に山手は少し困惑したが、「異動の話やろ? うん、ええよ、ちぃとはなそか」と応じた。


「俺が秋葉原に行っても、ネット通販部はもう大丈夫だと思うんです」品川は切り出した。「二人とももう十分戦力だし、俺がいない方がやりやすいんじゃないかな、って思ってさ」


 神田が耐えきれず割り込んだ。「だからこそ任せられるって?そういうの一番ムカつくんで」営業部の空気が凍る。神田は珍しく感情的になり、「自分だけ好きな場所に行って、残された側のこと考えてる?」と畳みかけた。


 神田の勢いに押され、品川が、「いや、だから……」と弁解しかけたが、今度は目黒が静かに、しかし芯のある声で口を開いた。「品川さん、確かに業務は回ります。でも、ネット通販はまだ成長途上なんです」


 目黒は真っ直ぐ品川を見据え言った。「まだやれること、山ほどあるんです。今じゃなきゃ、ダメなんですか?」山手は目を閉じ、腕を組む。高輪は無言で状況を見守っていた。


「……悪かった」しばらくして、品川がぽつりと言った。「でも、俺にも行きたい理由があるんだ。秋葉原で翔太くんと仕事をしたい。それだけなんだ」


 神田は冷ややかに「勝手にすれば」と言って席を立った。目黒も黙ってノートを閉じる。会議は早く終わり、それぞれ静かにパソコンに向かい仕事をはじめた。


 ~渡す者、受け取る者~


 その日の夜、目黒はアパートの天井を見つめていた。窓から見える田んぼは、稲刈りが終わり闇に包まれている。十時過ぎ、スマートフォンが鳴った。神田からだった。


「目黒くん、ちょっといいか?」電話越しの神田の声は落ち着いていた。「品川くんのこと、考えてたんだけど」と神田は続けた。「あいつが行くなら、条件を出そう」


「条件ですか?」目黒が聞き返す。「そう。筋っていうか……あいつが行くならさ、代わりの誰かを置いていってほしいんだよ」神田は言葉を選ぶように、そう言った。


 翌朝、目黒と神田は早めに出社し、営業部の片隅で品川を待っていた。照明がまだ半分しか灯っていない中、ドアが開く音がした。「おはようございます」目黒が軽く会釈すると、神田が品川に顔を向けた。「ちょっといいか。話がある」


 品川が怪訝な顔をすると、目黒が静かに続けた。「翔太くんと一緒に仕事がしたいのは、否定しません。でも……誰か代わりを置いてってくれませんか」


 品川は眉をひそめた。「誰か?誰を置いていけばいいんだよ」神田が即答する。「千ちゃなら、営業と工場の両方を知ってる。通販は未経験でも、現場の言葉を通訳できる」


 品川は少し声を荒げる。「いやいや、千ちゃはネット通販なんて知らないいぞ?」さらに目黒が口を挟んだ。「だからいいんです。神田さんと僕が、一から教えます」


 神田もうなずく。「そうだ。千ちゃなら、工場の知識も豊富だし、客対応も慣れてる。ネット通販は未経験でも、戦力になるだろ」


 品川は考え込み、しばらく黙っていた。そして、ようやく口を開く。「わかったよ。千ちゃに声かけてみる。もし千ちゃがOKなら……それが筋だよな」品川の言葉に、目黒と神田は顔を見合わせ、小さくうなずいた。


 その日午後の周東店。ショーケースを磨く西台店長が、溜息をついた。 「あいつ、本社に戻りたがってたからな。……まさか、こんな形で声がかかるとはな」


 入口の外では、ワイシャツを腕まくりした千石が段ボールを営業車に積んでいる。西台の視線の先で、千石は変わらぬリズムで、いつも通りの作業を続けている。


「千ちゃ、ちょっといいか」 西台が声をかけると、千石は手を止め、不思議そうに顔を向ける。「どうしました?店長」 その声には、何の疑いもない信頼がにじんでいた。


 西台は少し黙ったあと、静かに口を開いた。「千ちゃ、お前さ……もし本社に呼ばれたら、どう思う?」千石は目を丸くする。「本社、ですか?」戸惑いの中にも、どこか期待がにじんでいた。


「実はな。通販部で人手が足りなくてさ。品川くんが秋葉原に異動するって話が出てて……代わりに手伝ってほしいって声が上がってる」


 千石はしばらく言葉を失い、黙ってレジの方を見やった。そこは、自分が積み重ねてきた日々が詰まった場所だった。「通販……わかんないっす」


 そう言ったあと、千石はふっと息を吸い、顔を上げた。「でも……やってみます」瞳の奥には、不安を上回る興味と決意が光っていた。

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