終末のランチ

みしまゆう

終末のランチ


 

 もし世界に終わりがきたとして、最後に食べるなら何が食べたい?

 昼休み。いつものように机を合わせて、昼飯を食べていた時のことだった。

「何、それ」

 唐突な質問に、俺は購買で買った安いクリームパンを食べる手を止めた。向かいに座って話しかけてきたスバルを見る。

 スバルはスマホを俺に向けてとある記事を見せてきた。俺は顔を近づけて、その記事を読んでみる。

 ――隕石が明後日、地球に最接近。

「まぁ直撃する確率は0.2%? らしいから、ないとは思うけど。もし世界が終わるなら何が食べたいかなって」

 0.2%。ソシャゲのSSRが出る確率とほぼ同じ。それって結構な確率なような気もする。だけどそれほど話題になっているわけでもないらしいし、多分世界規模で見れば大したことではないのだろう。でもこういう話題は嫌いじゃない。俺はちょっとだけ真剣に考えてみる。最後に食べたいもの。

「そう言われてみると案外難しいな」

 クリームパンを齧る。トロッとしたぬるくてあまいクリームが口の中いっぱいに広がる。パサパサした生地と一緒に咀嚼して、飲みこむ。ほぼ毎日食べているせいで、おいしいのかおいしくないのかもうわからなくなってしまった。クリームパンと焼きそばパン。二個で二五〇円。これが俺の昼飯。

 ハンバーガー、ポテト、のり弁当、カレー、ラーメン……etc.

 パッと浮かぶのはジャンキーでありきたりな、強いていうなら今食べたいものばかり。最後と言われると難しい。もうこの先なにも食べられないのなら、何が食べたいだろう。

「んー、スバルはなんかあんの?」

 うまく答えられなくて、俺は逆にスバルに訊く。

 スバルはきれいな箸捌きで弁当のご飯をつまみあげ、口に運ぶ。いつ見ても所作が丁寧だと思う。弁当も毎日自分で作っているのだとか。料理をするのが好きらしい。男にしては小ぶりな弁当箱にはいつも色とりどりの食べ物が隙間なく詰められている。何気に俺はスバルがお弁当箱を開ける瞬間を心待ちにしていた。いつだって、宝石箱みたいなそれを見るのが俺の楽しみだった。

「そうだなぁ、俺は自分の作るごはんが食べたい」

 スバルは自分の弁当箱を見つめながら言う。言い方によってはナルシストさを感じる言葉だが、スバルが言うとそう聞こえないから不思議だ。

 料理は親に教えてもらって、高校生になってからは自分で作るようになったと言っていた。両親共働きで忙しいから、自分の分は自分で用意する。朝早く起きるのは大変だけど、達成感もあるし、何より昼ごはんが楽しみになるから。と、これはスバルの言。なんともスバルらしい。俺とは大違いで、尊敬しかない。

 スバルの弁当は何度かつまみ食いさせてもらったことがあるけど、本当にどれもおいしい。だから俺はついスバルにねだってしまう。

「いいな、俺も、スバルのごはん食べたいかも」

 これとか、と俺は弁当箱を彩る卵焼きを指さした。

「ばか。それは、マコトが今食べたいものだろ」

 スバルは呆れたように言いつつも、卵焼きを一切れ箸でつまみあげてお裾分けしてくれた。

「ほら」

「やった。あーん」

 口を開ければ、卵焼きを放り込まれる。ちょっと醤油と砂糖が効いたあまじょっぱい卵焼き。俺はそれをゆっくり、できるだけゆっくり味わう。

 もうこれだけで十分だと思えるくらいに、おいしい。

 めいっぱい口の中で卵焼きを味わって飲みこむ。じっと見つめてくるスバルに俺は笑って言った。

「俺、やっぱり世界が終わる日は、スバルのごはんが食べたいよ」

 スバルは恥ずかしいのか、俺から目線を外して小さく「ばか」と呟いた。





 それで、世界はやっぱり終わるらしい。

 あの隕石再接近のニュースの当日。この世界は0.2%の確率を見事引き当てて、隕石が衝突した。

 それなりに大きい隕石は太平洋のとある小さな島に落ちた。被害は津波から始まり、島とその近隣の大陸を巻き込む大規模な火災が起こった。塵や水蒸気を巻き上げて大気を覆った煙は、太陽光を遮ってゆっくりゆっくりと地球の温度は下がり始めた。幸い、日本にはすぐにその影響はやってこなかった。テレビでもSNSでも動画配信でも隕石が落ちた場所のニュースが毎日のように流れ、それでも俺たちの日々は変わらなかった。だけどその衝突から着実に世界は滅びへと向かい始めていた。

 そうして、隕石衝突から五年。四季はなくなり一年中、世界は冬に覆われた。俺たちはなんとか大学を卒業して、都市部から少し離れた郊外のアパートで二人暮らしをしていた。

 金持ちと若い子育て世代は地下シェルターへ優先的に住むことを許され、同性で子供を産むこともない『非生産』的な俺たちは地上で暮らす選択肢しか残されていなかった。幸い五年の間に、地上の住居もこの『前氷期』に堪えるだけの工事が行われ、俺たちは運良くその住居の抽選に当たり、地上で生き残ることができている。

 窓を見る。今日も、外は雪が降っている。暦では今日は七月七日。七夕だった。

「ただいま」

 声と共にドアが開いて、スバルが帰ってきた。俺は急いで玄関の方へ向かう。スバルは、もこもこのコートにたくさんの雪をつけて玄関に立っていた。

「おかえり、はは、すごい雪」

 ほっと胸を撫で下ろしつつ、俺はスバルのコートに積もった雪をはらってやる。外に出るのは余程のことがない限りは控えるようにしている。仕事も今は全てリモートワークになり、唯一外に出るとすれば食事の配給の受け取りくらいだ。だけど、今日はどうしてもスバルが外に出る用事があると言って出て行ったので心配していた。

「スバル、」

「なに? 」

 コートの上からスバルを抱きしめる。頬をよせれば、スバルのつめたい皮膚と触れ合う。スバルは黙って俺のハグを受け入れてくれた。俺の心配が伝わったのか、スバルが俺の背に手をまわす。体温を分け合うように、しばらく俺たちは抱き合っていた。


「マコト、しつこい」

 どのくらいそうしていたのか、スバルに背中を叩かれて渋々離れた。スバルの耳が赤くなっているのは寒さだけのせいじゃないと思いたい。

「心配してたんだよ」

「わかってる。でもどうしても、これが欲しくて」

「これ?」

 俺が首を傾げると、スバルは得意げに笑ってエコバックを掲げてみせた。

「なんと、卵が手に入りました!」

「ええっ⁉︎」

 ほら、とスバルはエコバックの中からタッパーを取り出してその蓋を開けてみせた。そこには2個、白い卵が入っていた。

 卵なんてもう地上ではほとんど手に入ることができない。一定の温度管理がされている工場で生産はされているものの、燃料や飼料の高騰から俺たち庶民では到底買うのは愚か、お目にかかることさえ難しい代物になっていた。

「これ、すごく高かったんじゃ……」

「まぁ、それは。今日はさ、特別だし」

「特別」

 何かあったっけ? と思い出そうとする俺にスバルは困ったように笑う。

「忘れたのかよ。今日で俺たち付き合って五年目」

 記念日忘れるとか、最低だぞ。とちょっと拗ねてみせるスバルに、俺は驚く。昔は、記念日なんてバカバカしいなんて言っていたのに随分かわいらしくなったものだ。

「ごめん、でも俺にとってはもう毎日が記念日みたいなもんだしさ」

 そうやって、もう一度ハグをすれば、スバルは「ほんっとマコトきもい」なんて言いながらもハグを返してくれた。


 「それでその卵、どうすんの?」

 エプロンをしてキッチンに立つスバルの横で、俺は訊く。

 ちょうど時間はお昼頃だった。

 スバルは早速買ってきた卵を調理するらしく、手早く準備をし始める。

 もうガスは通ってないので、カセットコンロにガスボンベを設置してその上にフライパンを乗せる。そして、お茶碗に卵二個を割り入れて、箸でかき混ぜ始めた。

「マコト、覚えてる? 昔さ、世界が終わるならなに食べたいって訊いたこと」

 スバルはそう言いながら、フライパンに手をかざして温度を確かめた。

 十分温まったフライパンに油をひいて、かき混ぜた卵液を半分だけ入れる。じゅわ、と音がして油と卵の焼ける匂いが立ち上る。ぷくぷくと膨らむ卵の泡を箸で潰しながら、薄く焼いた卵を折りたたんでいく。あ、と俺は気づいた。

「あの時さ、マコト、俺の作ったごはんが食べたいって言ってくれただろ」

 だから、久しぶりに作ってあげようと思って。

 食事は配給制になって、ほとんど料理をすることはなくなった。レーションのような栄養のかたまりを食べるだけの日々。いつ終わるのかわからないこの世界で、生きていくには仕方のないことだった。

 料理が好きだと言っていただけあってスバルは器用に卵をフライパンの上で巻いていく。スバルの表情は心なしか楽しげに見えた。俺は黙って卵焼きができるのをスバルの横で待つことにした。

 

 焦げのひとつもないきれいな黄色の卵焼きを四つに切り分けて、お皿に乗せる。

「お米もあったらよかったんだけど」

「まぁ、それは仕方ない。俺はスバルの卵焼きがまた食べられるだけでうれしいよ」

 テーブルに卵焼きのお皿を置いて、お箸を二つ用意する。ほんとうはそれだけじゃお腹が空くから保存食も用意するか迷ったが、せっかくの手作りの料理の味を別のものと一緒にしたくなかった。

「じゃあ、いただきます」

 まずはスバルが一切れ食べた。

「どう?」

「うん、うん……おいしい。塩だけの味付けだけど、十分なくらい、おいしい」

 しみじみと言うスバルに俺は笑みが溢れる。スバルはお前も早く食べろと、急かしてきた。

「お願いがあるんだけど」

 俺は言う。

「なに?」

「スバルが、食べさせて」

 あ、と口を開けてみせるとスバルは、ぽかんとした後、呆れたように笑った。

「ばか」

 そう言いつつも、箸で卵焼きを取って俺の口へと運んでくれる。

 口の中に入った卵焼きをゆっくりと噛む。あたたかい。卵のやさしい甘さと少しだけ塩気のある味は、つめたい保存食にはないものだった。手料理ってこんなにおいしいのかと、妙に感動して無言で咀嚼する。

「どう?」

 スバルが訊く。

「おいしい。もう食べられないと思っていたから、すごく、すごくおいしい」

 ありがとう。と、笑って言えばスバルが少しだけ泣きそうな顔をした。

 たった四切れしかない卵焼きを俺たちは大切に味わって食べた。

 外はもう何年も雪が降っていて、年々食糧はなくなって、世界終末時計はすでに0時を指している。

 明日、世界が終わりますと言われても、そうなのかと思うくらいにはこの世界に希望はないけれど、それでもこうしてスバルと二人でいられることが俺にとっては最大の幸福だった。

「また、スバルの手作りのごはんが食べたい」

 無茶なことを言っているとはわかりつつ、それでも俺は伝える。

 スバルはきっとそのことをわかっていながらも、笑顔を見せてくれた。

「何度だって作ってやるよ」

 俺たちは世界の終わりの片隅で、ただ今日を生きるための約束を交わしたのだった。

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