雨〜それは冷たさと温もりと〜
浅霧紲
勢いだけで書いた本編
僕は雨が嫌いだ。
外に出るのだって億劫になるし、一番の問題はそう、今この布団を干せないこと。
「くっそ……折角の休みだってのに……」
28日連勤明けでようやく訪れた休日。
ブラック企業? いえいえそんな。
アット"ホーム"な職場です。
「ねー、お兄ちゃん。そこに布団抱えて立っていられるとめちゃくちゃ邪魔なんだけど」
背後から聞こえた生意気な女子中学生の声なんかよりずっと、この布団を干せない現在の激しい雨の方がずっと問題なのだ。
「ねえ、聞いてんの? 返事しろよ童貞」
「童貞じゃねえよ!!」
見栄張ってるわけじゃないです、ええ、本当に。
……本当ですよ?
「いいからどいて。デートに遅れちゃうから」
「え、お前彼氏いたの?」
「童貞のお兄ちゃんと一緒にしないでくれる?」
だから童貞じゃないんだって。
僕はいつもよりずっとおめかしした妹をじっくりと観察する。
ドレスのようにも見える黒のワンピース、ハーフアップにされた髪には赤いリボン。
「へー、彼氏の趣味悪そう」
「うちに金属バットあるの、お兄ちゃん知ってる?」
「それは死ぬからやめて」
妹は布団を抱えたまま階段を塞いでいる僕をなんとか押しのけて玄関へと駆けて行った。
「おい、帰りは?」
何時になるのか、と聞いたつもりだったけれど、妹は少し迷った様子を見せてから薄く笑ってこう言った。
「まあ、帰ってくるよ」
僕は、雨が嫌いだ。
最後になってしまった笑顔が、あんな中途半端な笑顔だなんて、未だに信じられなくて。
雨が、嫌いだ。
億劫になる外出よりも、休日だというのに干せない布団よりも。
妹の笑顔を容赦なく地面に流してしまう、雨が嫌いだ。
「人の子よ。そう嘆くでないぞ」
ふと聞こえてくるのは、あの生意気な女子中学生のものじゃない。
その相違がまた胸を締め付けてくる。
「僕は今超絶機嫌が悪いんだ。勧誘なら他を当たってくれないか」
「何を言うておる。我の姿を見ればお主の考えも変わるじゃろうて。ほれほれ、こっちを見てみい」
ああ、本当に腹が立つ。
文句の一つでも言ってやらなきゃ気が済まない。
勢いよく振り返ったその先にいたその相手の姿を見て、僕は言葉を失った。
「……やっと、こっちを見てくれたね、お兄ちゃん」
パリッと決まったスーツ姿にはあまりにも似合わない赤いリボンが、雨を吸い込んで深い色に変わっている。
「おま……なんで……」
「ごめん」
僕は、雨が嫌いだ。
「ごめんね、お兄ちゃん。あの時、私が」
妹から笑顔を奪った僕を。
「私のせいで」
現世に引き戻してしまう雨が、嫌いだ。
「お前は何も悪くない。何も悪くなんかない。布団持って階段なんかで突っ立ってた僕が悪いんだよ。だから、お前は」
「今日はね、報告があるの」
僕の声が届いていないのか、妹は俯いていた顔を上げて、そう言った。
妹の後ろから、なんだか申し訳なさそうに腰を低くした男が現れる。
「私、今度結婚するのよ。あの時から付き合ってる人なの。結局、お兄ちゃんには紹介できなかったけれど」
男は見当違いの方向に頭を下げながら自己紹介をしている。
「……あれ、雨が」
さっきまであんなにバケツをひっくり返したかのようにざんざか降り注いでいた雨が少しずつ弱まっていく。
しとしとと、優しく弱い雨が妹の頬を優しく撫でるのを見ながら、僕は目を閉じる。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
声は届かなくても、うっすらと姿が見えるだけだとしても。
妹は僕を理解してくれているから。
きっとこの思いは正しく伝わったのだろう。
僕は、やっぱり雨が嫌いだ。
いや、でもちょっとだけ。
雨を好きになってやってもいいかもしれないなと思った。
《降り注ぐ雨、それは静かに頬を濡らす。その冷たさが、いつしか温もりと変わりますように》
雨〜それは冷たさと温もりと〜 浅霧紲 @lycos_311
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