019.「不気味な執着」





 市街南端――爆心地から二ブロックほど外れた区画。


 瓦礫や破片こそ散乱しているが、直撃を受けた形跡は薄い。周囲に響いていた悲鳴や怒号も、ここでは嘘のように遠ざかっていた。



 「……やけに静かだな」



 トラフィムが口を開いたのは、そんな沈黙の中だった。

 歩みを進めるごとに、奇妙な感覚が肌に貼り付く。まるで“何か”をすり抜けて、そこに紛れ込んでしまったような気配。



 「トラフィム、ここ、どういう区域だ?」


 「ああ。昔の市役所分館があったはずだ。今は廃ビルのまま残ってるって話だった。だが……」


 「ない。消えてる、建物が……」




 目の前に広がるのは、白く囲われた広場のような空間。

 搬入口付きの車両が何台も並び、中心には巨大な仮設テント。資材と見られるコンテナが隙間なく置かれている。




 その規模は、まるで災害時の指令拠点のようだ。


 だが、フェンスに警告表示はなく、監視カメラも見当たらない。周囲には案内もなく、避難民も誰ひとりとして近寄っていない。


 


 「不自然だ……」



 ショウが眉をひそめ、スマートフォンを取り出す。

 だが、現在地は地図上では“開発予定地”としか表示されていなかった。




 「マップ情報に、何も載ってない。……そもそもここ、通行経路にも設定されてない」


 「都市のナビから除外されてるってことか?」


 「意図的に、な」



 トラフィムがフェンスの支柱に手を添えながら言った。触れた指先が、ごく僅かに振動している。



 「……振動式の警戒センサー。軍用に近い。民間設備じゃない」


 「つまり、ここだけは……最初から爆発の範囲外になるよう“除外”されてたってことだ」


 「人も、情報も。全部、避けさせるように仕組まれてたってことか」




 そう――この場所だけが、都市災害という“演出”の外側にあった。



 瓦礫に沈む街のど真ん中で、ここだけが整然としている。

 それはただの偶然ではなかった。




 「たぶんここが、あいつの準備した“根城”だ」



 ふたりの視線が、仮設テントの奥へと向けられる。


 白布の隙間から、何かが光を反射した。無数のケーブル、機材、そして中央に鎮座する、装甲付きの輸送コンテナ。




 今、ようやく全ての線が繋がった気がした。




 市街地の異常な爆破連鎖。

 信号の制御、ジャミング、民間の無関心――



 その全てが、ここへと繋がっている。



 「クラヴツォフ伍長に報告して」



 ショウが頷き、端末を操作する。

 ようやく回復した回線を通じて、暗号通信が開かれた。


 向こうに、何かが待っている。

 仮設テントの中、まだ誰の目にも触れていない“核心”が。










 クラヴツォフ伍長への報告を行った後、2人は警戒しながら謎の建造物へと足を進めた。

 仮設テントの布地を押し分け、中へと入ったショウとトラフィムは、無人の内部を静かに見渡した。


 内部には無音と冷気が支配し、災害対応とは明らかに異質な空気が漂っている。




 「……軍用装置か。完全に管理下にある場所だな」



 トラフィムが低く呟く。


 中央には、鋼鉄製のコンソールが組まれ、視界の奥には、冷却ユニットが唸るのが見えた。


 鋼鉄製の情報端末が無機質に鎮座している。周囲にはデータ収集装置や監視用の小型ドローンが収められたコンテナが並び、いずれも軍用規格のものだった。



 「手を出すなよ。中身は分かんないけど……情報、残ってるかもしれない」



 ショウは壁際の端末に目を向けながら、手を触れることなく距離を保った。


 そのとき、外から足音が響き、テントの布地が再び揺れた。




 「――無事か。中を確認していると聞いた」



 入ってきたのはクラヴツォフ伍長と、犬班の隊員たちだった。

 伍長はショウたちに軽く頷きを返しつつ、中央の装置に目を向ける。



 「内部の様子は?」


 「中央の端末と監視系の機材が残されていました。爆風の痕跡もなく、かなり丁寧に設置されてます。」


 「ふむ、攪乱装置か、あるいは遠隔制御の拠点だろうな」




 クラヴツォフはすぐに端末へ歩を進め、ひとつひとつの装置に目を走らせる。鋼板の継ぎ目、冷却ユニットの刻印、ケーブルの太さと色――すべてを確認したうえで、静かに言葉を継いだ。




 「これは……市販の装備じゃない。軍用規格だ。装備番号も消されていない。――西部方面の弾薬支援部隊が使っていたものと一致する」




 トラフィムが眉をしかめる。



 「最初、俺たちが遭遇した爆破現場で使われていた炸薬も、同じく軍の備蓄品だった。民間どころか、通常ルートでは絶対に流出しないはずの……」



 ショウは思わず、端末の冷たい金属面を見つめた。反射する光の奥に、瓦礫と血と、悲鳴の混ざった光景がちらついた。



 「……じゃあ、誰かが、情報と物資を“中”から渡してるってことか」


 「その可能性は高い」




 クラヴツォフの口調は抑えられていたが、その目は鋭い光を放っていた。



 「配置場所、通信遮断のタイミング、交通規制への介入……。どれも内部情報に精通していなければ、実行は不可能だ」


 「……民警に、裏切り者がいるってこと、ですか」



 トラフィムの問いに、伍長は明言を避けた。ただ一つ、端末の画面を指さし、淡く光る座標ログを示す。




 「断定はできない。だが、そろそろ“中”を疑わなければならない段階に入っている」






 重い沈黙が流れた。




 テントの外では、なおも遠くで警報とサイレンが交錯している。だがこの場所だけは、別の空気に満ちていた。




 「君たちの発見は重要だ。ここから先は我々が引き継ぐ」



 そう言って、クラヴツォフはショウとトラフィムをまっすぐ見た。



 「指揮系統の再接続は完了した。市内の拠点部隊がすでに連携を始めている。――現場での判断は委ねる。引き続き、慎重に動け」


 「……了解しました」


 ショウが応じ、トラフィムも短く頷いた。


 


 そのときだった。


 



 「離れろ!」



 整備班のひとりが、機材の端に無意識に手を伸ばした瞬間、端末のモニターが急に点灯し、内部のファンが低く唸り出す。


 同時に、簡易スクリーン側の接続が自動的に作動し、無言のまま信号を転送していく。




 「――再生が始まった!? 誰が指示を……」


 「いや……これは、おそらく設計された動作だ」



 クラヴツォフ伍長が、僅かに眉を寄せて言う。



 「触れた瞬間に反応していた。外部の操作ではなく…… あらかじめ仕込まれていたな」



 やがて、スクリーンに映し出されたのは――


 


 薄暗い部屋の中。舞台裏のような照明。

 椅子に座り、笑みを浮かべる、ひとりの男。

 赤毛。金の瞳。スーツの袖を無造作にまくり、ワイングラスを片手に掲げた――




 ヴァシリー・マルカヴィッチ。




 『やあ、こんにちは。触ってくれて、ありがとう』



 静まり返るテントの中に、その声が柔らかく響く。



 『ここまで来てくれるなんて、本当に嬉しいよ。ねえ、ちゃんと見てる? “灰かぶりくん”に“トラフィム”。ぼくはずっと、君たちを待ってたんだ』



 スクリーンの前で、トラフィムの肩がわずかに揺れる。

 ショウもまた、その声に込められた気配――感情ではなく、“欲望”のようなものに、背筋を撫でられた。



 『せっかくだから、もう少し遊んでいこうよ。次はどこで会えるかな。君たちが走って、焦って、絶望する姿――ぼく、すごく楽しみにしてるんだ』





 映像は、そこまでだった。

 ブツリ、と音を立ててモニターが暗転し、静寂が戻る。




 「……録画、か」



 クラヴツォフが低く呟いた。



 「おそらく、機材を操作すると自動で再生される仕組みだ。誰かに“発見”されることを計算のうちに組み込んでる」


 「……あいつ“追っ手が来る”って前提でなんもかも用意してやがる」




 トラフィムの声には怒りではなく、苦々しさと呆れが入り混じっていた。

 けれど、どこか――彼の眼差しは、もう“逃げる側”ではなくなっていた。




 「居場所は……すぐ近くにいる可能性もあるな」


 「見てるなら、嗤ってるさ。どこかの高みで。 舞台監督気取りでな」




 クラヴツォフの冷ややかな声に、誰も反論しなかった。



 ヴァシリーの映像は、挑発ではなく“予告”だった。これで終わりではない――そう言わんばかりの余裕と、自信。そして、得体の知れない“計算”。


 


 「通信班、装置内部のログを解析。映像の出力元とデータ痕跡を洗え。再生されたメッセージは全部記録に残しておけ」


 「はっ!」


 


 整備と通信担当が手分けして動き始める。

 クラヴツォフは、ショウとトラフィムに視線を戻した。



 「……君たちに、聞いておきたい」



 低く落ち着いた声だった。



 「ヴァシリーが、訓練生たち個人を名指しで挑発する理由――その根拠は、いまのところ血縁関係のみに留まっている。だが、我々が把握している関係以上に、彼は…… “君たち”を追っているように見える」



 ショウとトラフィムが無言で視線を交わした。

 答えたのはショウだった。

 


 「……わかり、ません」


 「…でも、一つ。 あいつは…… この事件を使って、俺たちを“試している”。……というか、“未処理のまま”だったことを、根に持ってる……たぶん」


 


 トラフィムの声には、困惑と警戒が滲んでいた。

 だが、それ以上に――ショウの胸には別の感情が芽生えていた。


 不可解さ。

 執着というには、あまりに異様だった。



 「……それにしては、なんか違和感がある。トラフィムを追ってるのはわかる。けど、どうして俺まで……?」



 ヴァシリーが名前を知っていたこと、映像の中で執拗に“ふたり”を語ったこと。

 まるで、対象が一人では成立しないかのように。



 「未処理の獲物にしては、執着が深すぎる。 こっちがたまたま視線に入る位置にいただけかもしれないけど…… なんというか、狂ってる」


 


 トラフィムも小さく頷いた。



 「……あいつのことは、俺にもわからない。でも――ただの復讐とか、仕返しって感じじゃないのは確かに」




 クラヴツォフが静かに言葉を挟んだ。



 「やはり、何かある。こちらで掴んでいる記録には、個人の動機や利害だけでは説明がつかない“異常な興味”が随所に見られる」




 ショウはふっと息を吐いた。


 得体の知れない恐怖。

 それは、銃を向けられるよりも、何をされるかわからない相手に執着されることだった。


 


 「……不気味すぎる」


 


 その言葉に、トラフィムも苦々しげに同意した。





 「まるで、俺たちが踏み込むのを待ってたみたいなやり方だ。……気味が悪い」



 ショウとトラフィムは、しばしその場に立ち尽くしたまま、薄暗いテント内に漂う鉄と油の匂いを無意識に吸い込んでいた。


 やがて、クラヴツォフが振り返る。



 「……君たちの立ち入りはここまでだ。以降の処理は技術班に任せる」



 明確な指示というより、促すような口調だった。

 ショウが静かに頷く。トラフィムも一言も発さぬまま、踵を返した。







 外に出ると、すでに日は傾き始めていた。


 かすかに金を帯びた灰色の空の下、遠くでまだ煙が立ち上っている。だが、街全体を覆っていたあの混沌は、少しずつ終息の兆しを見せていた。



 「……行こう、ショウ」



 トラフィムがポツリと呟いた。

 それは、疲弊とも苛立ちともつかぬ声音だったが、その足取りには迷いがなかった。


 ふたりは無言のまま、テントから延びる仮設の通路を抜け、瓦礫の狭間に敷かれた簡易舗装を踏みしめていく。


 



 「さっき……あの映像、見た時」


 ショウが、ふいに言葉を落とした。



 「“灰かぶりくん”って、さ。 あいつ……なんでそんな呼び方、したんだろうな」



 呟いた自分の声に、ショウ自身がぞわりとした違和感を覚えていた。


 それは家の中――祖父や両親、ごく限られた家族の中だけで使われていた、たったひとつのあだ名。ミリツィアに来てからはもちろん、誰かに話した記憶も、記録に残したこともない。



 「……知ってるはずがない、のに」



 小さく漏らした言葉に、隣で歩いていたトラフィムが足を止めた。

 そして、珍しく真顔のまま、ショウをじっと見つめる。



 「おい、今の……どういう意味だ?」


 「文字通りの意味だよ…… “灰かぶりくん”なんて、祖父がふざけて呼んでただけで……外では一度も言われたことない。俺も、言ってない。誰にも」




 言葉を聞いた瞬間、トラフィムの足が止まった。

 その表情が、静かに険しく変わる。



 「……誰にも話してなかったのか、それ」


 「話す理由なんて、ないし。そもそも……あいつと俺に、接点なんてなかった」




 トラフィムは一瞬だけショウを見たが、それ以上言葉を返さず、視線をそらした。

 代わりに、小さく舌打ちをする。




 「……クソが」



 低く吐いたその一言には、明確な怒りが混ざっていた。

 トラフィムにとってヴァシリーは、自分の過去を歪めた仇であり、殺意の対象だった。


 だが今、あの男は――ショウにさえ、自分の知らないかたちで指をかけている。




 「わざわざ選んで言ってやがるな、あいつ……! 本気で気持ち悪ぃ……!」




 トラフィムの声音は、苛立ちを抑えるように低く絞られていた。


 


 「……お前を“見てる”ってことだ。俺だけじゃなく、お前にも――あいつの視線が向いてる」


 


 ショウは一言も返さず、ただ黙って前を見据えていた。

 その横顔に、トラフィムは何も言わなかった。ただ、見えないものを踏みつけるように、強く一歩を踏み出した。



 あいつの興味が、どこまで本気かなんてどうでもいい。


 だが――


 


 (……俺の知ってること以上に、あいつはずっと、お前のことを知ってるみたいだ)


 


 その事実が、ひどく腹立たしかった。

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