第5話 レジデュアム
「検出されたのは合成触媒。X-0群。完全に未承認の領域にある化合物だった」
沢渡が、報告書といくつかのサンプル容器を机上に並べながら淡々と続けた。
「これは通常の環境では活性化しない。水に混入していたのは“前駆体”の形。浄水場の処理を通しても消えず、ただ“潜んでいた”」
篠原と真鍋が、書類を覗き込む。
「pH、鉄分、温度、そして……個体ごとの生体成分。特定の条件が揃ったとき、ようやく微細な反応が起きる。その結果として、選別的に人体に影響を与える可能性がある」
「つまり、誰に効くか分からない」
「その通り。でも、誰かがそれを“知っていて”撒いた。目的は一つ――『反応』を見ることだ」
言いながら、机上に置かれた資料の一枚をめくる。
「実際に反応した痕跡があったのは、第二貯水施設から繋がる旧式の放流ライン。そのルート上では、有機溶剤系の異常な変質が確認されてる。水は乳白色に濁り、強いアミン臭がしたって記録されてる」
少し間を置いて、沢渡は声を落とした。
「分子構造としては不安定だけど、人体の中で分解されにくい。少量でも、神経系や粘膜に反応を起こす可能性がある。明確な毒性を示すデータはなかったけど……これは“試してた”としか思えない」
真鍋は短く息を吐いた。
「水道局員も言ってたな。『通常じゃ出ない化学反応』って」
篠原が呟くように問う。
「匿名都市と同じ……?」
「近いけど、もっと慎重で、もっと長期的だ」
沢渡が示したグラフは、ある一人の住民が提出した血液サンプルの経過を表していた。微量の変質が、三日かけて進行している。
「すぐには死なない。でも確実に、何かを“変える”構造だ」
真鍋が壁にもたれながら低く問う。
「その“何か”が分からないってことが、一番怖いな」
篠原が、そっと目を伏せた。
「……三宅は、それを知ってたのかな」
誰も答えなかった。
やがて、沢渡が封鎖中の浄水施設で採取されたサンプルを一つ手に取り、透明なビーカーに注ぐ。
黄色がかった液体が、ゆっくりと揺れる。
「この色は、鉄との反応による変色だ。pH7.1、鉄イオン濃度0.003%――自然環境ではほぼ起こり得ないバランス。誰かが計算して、導いたものだ」
真鍋が静かに口を開く。
「つまり、“あの時あの場所”でしか起こらない。それでいて誰が対象になるか分からない、個体依存性の罠……」
「毒とも違う、“試薬”だな」
沈黙が落ちた。
誰が撒いたのか。何のためだったのか。
それは最後まで、明らかにはならなかった。
⸻
数日後。
三宅が死亡した、という報せが届いたのは、週の始まりだった。
搬送中の車両内。拘束され、移送手順に則って身体検査も済んでいたはずだった。
だが、彼は心肺停止状態で発見された。
「検死では、口腔内から極微量の樹脂片と苦味の強いアルカロイドが検出された。遅効性の毒物と見られている」
報告書を読み上げたのは、別部署の担当官だった。篠原は彼の言葉を途中で遮るように、短く言った。
「……身体検査、したはずよね?」
「ええ、厳密に。搬送前には金属探知も、全身のスキャンも行っています」
「じゃあ、どうやって?」
男は答えられなかった。
真鍋が、低く言う。
「誰かが仕込んだ。本人か、外部か……どっちにしても、あれだけ黙っていれば、口封じの理由としては十分だ」
報告書を閉じる音だけが、部屋に響いた。
⸻
“それ”は、ただの水じゃなかった。
そして“三宅”は、ただの男じゃなかった。
(終わり)
ブラックウォーター 特命対テロ部隊 第零分隊シリーズ 長谷部慶三 @bookleader
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