生住異滅

@dalumax

第1話 廃屋


生住異滅

1 廃屋

 栄枯盛衰は世のならい。諸行無常、生住異滅、雑草に覆われた豪邸、奢れるもの久しからず、盛者必衰、荒れた座敷に燃え尽きた百目蝋燭宴会の跡、虚しい。其れよりも竹林の涼風があばら家を吹き抜ける、快適さ。菜根譚では、そう表現する。そうした事が一目瞭然であるが、人は、どうして、栄華に酔うのか。まあ、それも良いか。

役所の小泉寅太郎は同心幸之助と岡っ引き安吉と3人で、広大な屋敷門の前に立った。朽ち果てた門は分けなく開いた。

「誰かおるか」 奥を誰何した。さらに進んで玄関の前に立ち、再度呼びかけた。近隣の住人から、この屋敷が地震や災害、火事にでもなったら危ないからと陳情がなされたので、役所もやっと、重い腰を上げて、与力が小泉を指名してお前、行って来いと命じられたのであった。近隣の通報した数人が中の様子を見ている。何度も呼びかけたが、シーンと静まり返っている。じゃあ職権で入ろう小泉は自分に言いかけするように、岡っ引きに合図した。用意した掛屋で戸締りしてある玄関を壊した。

「誰かいないか」誰何しながら奥に入る。土間、水がめ、釜、蓋、木くずが散らかっている。さらに奥に進むと、床の間には掛け軸が壊れて垂れ下がっている。廊下の雨戸も半分ほど朽ち果てている。天井も穴が空いている。ムジナかネズミかが跳梁跋扈の跡。大広間の百目蝋燭が燃え尽きたあちこちの燭台。畳には、一升徳利や食器、器が散らかっている。昨晩の大宴会の様相であった。

「大宴会が連日開かれていたのだな」

ここは浅草油屋小太郎の別邸である。

埃をかぶった三味線とカッポレと書いた紙きれが、きばんで挟まっていた。

♪♪♪

かっぽれかっぽれー

よいっとなー

沖の暗いのに白帆が見える

沖に浮かぶは紀伊国屋みかん船

カッポレ―カッポレ

♪♪♪

岡っ引きの安吉が踊り出す。

「埃が立つ、やめろ」寅太郎が右手を左右に振って注意する。

「今となっては夢幻、儚いでやんす」と同心幸之助。

「庭にまわってみよう」

庭は鬱蒼と竹藪、倒木も無秩序に倒れている。地面は苔むしている。雑草に隠れてあずまやがあった。 その奥に茶室、簡素だが、侘びさびの贅を尽くした風情である。その前につくばい、水草が覆っている。ここも苔むしている。蛙がお腹を膨らましたり、へこんだりして、こちらをじっと見ている。蛙にしてみれば、人間は久しぶりの珍客である。

「茶室だったのだな」3人は代わる代わる中を覗いた 中は何もなかった。

「わびしいな、これが、わびさびというのか」と寅之助。

「それはないでしょう。幽霊屋敷とでも」と幸之助。

「掃除すればまたきれいになりましょう」と安吉が、夫々感想を述べる。

栄華を誇った油屋小太郎の屋敷の跡である。今はだれも住んでなく廃屋となっている。

「バカ息子だな」とつぶやいた。

「大馬鹿ですな」

「親不孝者のトンチキ野郎ですわ。女房にも逃げられて」

「しようもないね」と口々に侮蔑したのであった。油屋小太郎はどこへ行ったのか 。

その小太郎は、伊勢路への旅を楽しんでいた。茶屋に休んでいた、仲の良い老夫婦に声をかけた。

「これから伊勢参りに行くのです」

「それは、それは、ご信心深いことで、おひとりですか」

「はい、一人で。今日で3日目、まだ足が慣れていなくて」

「もうじきなれますよ。足を傷めぬよう、草鞋の紐をしっかり締めて、しばらくは無理をしないことですな。旅籠も早め早めに入って休息が大事です。道中は永い。足慣らしも大切ですよ」

二人は旅慣れていると見えて色々お節介を焼く。

「ありがとうございます。そうします」

「奥様はお留守番ですか」

「いえ、数年前に出ていきました。私の荒れた生活に愛想をつかして」

「そうですか」驚いた様子も見せない。

「そうすると、懴悔の旅でもありますね」

「おじいさん、余計なことを、失礼ですよ」

「わっはっはっはっ、その通りですよ。いちから出直しですわ」

「まあ、人生いろいろあります。私共も結構ケンカしていますよ。持ちつ持たれつ」

「ご夫婦でいつも旅しているのですか」

「まあ、旅は疲れますが、楽しいですな。風光明媚な景色で心が癒されます。今までの苦労が報われます。温泉も楽しみ。宿の食事も楽しみ。神社仏閣の荘厳さに心洗われますな」

「良いですな」

「ええ、旅は楽しみで、家督は倅に譲りましてな、こうして、寿命のつきるまで旅を続けようと思いましてな」

「良いですな」

「伊勢参りを終わりまして、日本海沿いに出羽三山もお参りして、長旅になりましてな、これから長野の諏訪神社、善光寺とお参りにいくところでございまして」

「出羽三山も、諏訪神社も善光寺もいずれ行きたいと思っています」

「行きなされ、出羽三山は、霊場ですな。羽黒山、月山、湯殿山、我々は修験者ではありませんが、霊山、霊場、心が洗われます。この世の世迷言なんて小さい小さい、そんな気持ちにさせられます。

ほんのひと時ですがな。また下界に戻れば、宿の応対が悪いだの、店の蕎麦が不味いだの、捕らわれの世界に戻ります。わっはっはっはっ」

「家業は、ご心配ないので」

「ええ、息子は、私より賢く商売上手で、その嫁もしっかりもので、親孝行と申しますか、道中に、小遣いが少ないだろうからと、為替を送ってくるのでございます」

「良い息子さんですね」

「あなた様はご立派な商い人とお見受けしましたが、なんの御商売ですかな」

「ええ、油屋でございます」

「油屋、それは大層な御商売で」

「わっはっはっ、私は、あなた方の息子さんと違いまして、親の財産を食いつぶしてしまったバカ息子で、こうして懴悔の旅をしているのでございます」

「それは、それは、まだあなた様はお若い、伊勢参りが終わりましたら、お店を立て直されては如何ですか」

「有難うございます、私は商売の才覚がないので、別の道を探しているところでございます」

「がんばりなさい、人は才覚でなく努力ですよ。おっと、ご立派な方にこんなことを申して」

「ありがとうございます、あなた様がたの親切心に心動かされまして、すっかり身の上話などしてしまいました」

「お互い様ですよ、道中、お気をつけて下さいませ」

「ありがとうございます」

老夫婦に気を許したせいか、気持ちは清々し、青空のもと、両側の樹木の街道を西に、足取りも軽く次の宿場に向けて歩いていくのであった。

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