【中華BL】花開け将軍、股開け男寵

中村愛雅/冰激琳

第一章 再会

第1話 亡き人

 


 しとしとと雨に降られた梅の花は、まるで泣いているかのようにぽつぽつと雫を垂らす。


 大通りには傘を被った、汚れ一つ無い白い衣を纏った男がひとり歩いていた。その男の所作はまさに優雅であり、袖一つはらう動作すらも様になっている。

 広袖から覗く指先は細く優美で、もはやそれだけで彼が相当に美しいことが伺えた。傘で顔は隠れているが、おそらく相当の美男子であろう。

 男の前では、ゆったりと悲しそうに降る雨さえも、春花の朝露のように明るく見えた。

 

 一方で、男――易滔凔イー・タオチュアンの心には暗雲が垂れこめていた。

 彼には昔、たったひとりの弟子が居た。その弟子は明るく、いつも彼には従順であり、師弟関係すらも超えた仲でもあった。正直なところ、修真者※1としてはあまり優れた才能はなく、飲み込みも悪かったが、彼にとってはその弟子こそが人生の指標であり、彼の心に光を射し込む太陽のようなかけがえのない存在であった。

 易滔凔イー・タオチュアンはひどくその弟子に心酔していたが、数十年前、その弟子は眼の前で命を落としてしまった。彼はその出来事をきっかけに、今まで全く関わりの無かった人界を放浪するようになり、修真者としての生活を自ら断ってしまった。

 それから今に至るまで、彼はまるで空っぽの人形のような心地で生きていた。彼自身は数々の修真者がどれだけ修練してもたどり着くことが遥かに難しい、「元嬰期げんえいき※2」の領域まで達していたが、今の状態を見ればその影はひとかけらも感じられない。

 たとえ今修真界に戻って、己が元嬰期であることを主張したとしても、誰も信じてくれないだろう。

 とはいえ、そもそも彼には修真者として生きることは疾うに諦めていた。彼の心にはたった一人の、亡くした愛弟子の存在がいるだけである。

 ああ、あの愛弟子にまた会えないだろうか。忘れられないあの兎のような童顔を、また見れないのだろうか。あの包み込むような優しい声に、また耳を癒やされることは無いのだろうか。

 そう考えれば、まるで彼の心を反映するかのように、静かに降っていた小雨が、子供が大泣きするかのような大雨に変わってしまった。彼は静かに空を見上げて、虚ろな眼で、自らの心のように暗く、明るい空に蓋をしてしまった雲を見つめる。

 若い頃はこんな雲を見て鬱陶しく感じたものだが、今ではその雲も、透き通る濡れた真綿のように美しく感じるのだった。

 彼の花弁のように美しい顔は傘から垂れた薄い布から露わになり、大雨に打たれて、涙も雨もわからなくなってしまった。

 彼の顔は雪のように白く、顔に落ちる雫が映える。

 易滔凔イー・タオチュアンはそのままただ静かに雨に打たれ続けるだけだったが、やがて寒さを感じると、目の前にあった茶屋に入っていった。

 「坊っちゃん、随分と寒そうですね、ささ、中へどうぞ。存分ともてなしますぞ。」

 濡れても美しい、いかにも高貴そうに見える衣を纏った易滔凔イー・タオチュアンを見て何を考えたのか、茶屋の店主が店内へと彼を誘う。

 「ありがとうございます。」

 彼は自分の寒さなどどうでもよかったが、流れに任せてそのまま店内へ入った。店内は他の店よりも少し豪華で、ところどころに緻密できらびやかな装飾が施されている。見たところ、高貴な方々がいらっしゃられるような、いかにも高そうな店であった。易滔凔イー・タオチュアンは通された卓に沿って置かれた、四つの椅子のうちのひとつに無造作に腰かけ、店主に「熱い茶を」とだけ言うと、卓に腕を載せ、頭に被っていた傘を隣の椅子に置き、店内の凝った装飾に目を向けた。壁には非常に細かい筆致で描かれた、金の鳳凰の絵がかけられている。鳳凰は振り向くように力強い目でこちらを見つめていて、広げられた羽はまるで燃え盛る烈火のように美しい。赤や金で彩られた中心の鳳凰とは違い、背景には深い紺色が使われていて、その二つの色のぶつかりがまるで炎と氷、または、朝と夜などのまったく反対のものが、手を取ってきらびやかな舞を披露するようで、これもまた迫力があって魅力的である。いったい店主は、この絵のために幾らかっぱらったのだろうか。易滔凔イー・タオチュアンは宮廷絵師が描いたようだ、と思った。

 そのまま店内にある様々な魅力的な装飾を見つつ、茶を待っていると、入口の方から賑やかな声が聞こえた。どうやら数人ほどの客が入ってきたようである。

 客は店主の言われるがままに店内へ案内されると、ちょうど易滔凔イー・タオチュアンが座っていた卓の隣の卓に腰を下ろした。

「将軍、すっかり降られてしまいましたね。ちょうど良さそうな茶屋が見つかってよかった。…それでそれで、さっき仰られた美女とはいったい!?」

 どうやら客は二人のようで、どちらもいかにも武人のような格好をして、剣をいている。話を聞けば、ひとりは将軍のようだ。将軍と聞けば、誰もが英雄の登場に驚き涙し、感謝の言葉を述べるような存在である。だが、残念ながら易滔凔イー・タオチュアンは俗世に疎く、有名であるはずのその’’将軍’’の名すらもわからなかった。

「なに、その美女とは………」

 隣の卓に座る’’将軍’’は、もう片方の男に「耳を貸せ」という意味で手招きすると、二人でこそこそ話を始めてしまった。急に楽しみを奪われた易滔凔イー・タオチュアンは、仕方なく再び装飾を見ることにした。しかし、その途端、袖を引かれる感覚があることに気づく。

「…道士様、すみません、助けてください…!」

 袖を引かれた方へ振り向くと、そこに居たのはぼろぼろな衣を着た、汚れた小さな女子おなごだった。

 明らかにおかしな状況に気付いた易滔凔イー・タオチュアンは、声を低くして彼女に声を掛ける。

「どうした?君はなぜそんなにぼろぼろなのだ?」

「父さまが……倒れてしまって…!!」

 彼女は言いながらも、我慢していた涙が目から溢れ出していた。おそらくこの子は店主の娘で、店主は厨房で倒れてしまい、どうしていいかわからず、易滔凔イー・タオチュアンに頼ってきたのだろう。この危機的状況に気付いたいかにも暇な易滔凔イー・タオチュアンは、彼女に店の奥へ連れて行ってもらうことにした。


「こっ…ここです!」

 彼女に連れられた先にあったのは厨房だった。大きなかまどの上に大きな釜が据えられており、横の卓には切ったばかりの野菜たちがそのまま放置されている。卓の上に置かれた火鉢にはまだ温かい銚子ディアオズ※3があり、茶を炊いていたのであろうとわかる。

 しかし、そこには人影一つ無かった。

「君…」

 少女に声をかけようと振り向いたその時だった。口をなにか暖かいもので覆われたかと思えば、身体の力が抜けていく。

―――騙された!!

 気付いたときには一足遅く、もはや身体に力を入れることすらままならなくなっていた。おそらくなにかの薬を染み込んだ布で口を覆われ、奇襲されたのだ。視界にうっすらと映るのは、もう完全に信用できなくなったあの店主である。推測だが、易滔凔イー・タオチュアンに助けを求めた彼女は店主に言われて嘘を吐かされたのだろう。それで、彼女は泣いていたのである。

 彼は、霊力※4を身体に巡らせ続け、なんとか意識を保っていた。薬を盛られたせいで筋肉は言うことを聞いてくれないが、どうやらこの薬には霊力を抑える作用は無いらしい。――ならば。易滔凔イー・タオチュアンに勝ち目は充分にある。

 易滔凔イー・タオチュアンは足先に霊力を巡らせると、精一杯の力を込めて、彼のそばに立って何をしようとしているのか、帯に手をかけている店主に向かって勢いよく蹴りつけた。

 蹴り自体は実に弱い力で、まさに赤子のような蹴りだったが、霊力を思いっきりぶつけたおかげで、正面から食らった店主は膝から崩れ落ちていった。

 ――勝った。

 易滔凔イー・タオチュアンはあの気持ちの悪い店主から解放され、爽快感を得た。けれど、薬を盛られた自分の身体は、何にも解決していない。

 易滔凔イー・タオチュアンは今出せる最大限の力を使って立ち上がろうと片足を踏ん張った。しかし身体に力を入れれば入れるほど、意識が遠のいていく感覚がする。ついに彼は、意識を手放した。



 将軍――芳滔滔ファン・タオタオは腹心、朱加ジュー・ジアと茶を待ちつつ、少しばかり雑談をしていた。しかし、いつまで経っても茶は来ない。もうすでに二刻(三十分)は経っているはずだ。芳滔滔ファン・タオタオはついに痺れを切らすと、朱加ジュー・ジアに厨房へ行くよう命令した。

 ここの店主は茶一杯だけで将軍を二刻も待たせるとは、いったい何を考えているのだろうか。こんなことができるのは相当な馬鹿か、皇帝ぐらいである。

 それとも、厨房で何か良くないことが起こっているのだろうか。

 そう考えた矢先、厨房へ行かせた朱加ジュー・ジアの甲高い悲鳴が聞こえた。

 芳滔滔ファン・タオタオは急いで厨房へ向かうと、顔を青白くした朱加ジュー・ジアが震えて固まっていた。芳滔滔ファン・タオタオ朱加ジュー・ジアの向く方を見ると、なんとそこにはさっきまで隣の卓に座っていた男が倒れているではないか!

 その周りに店主らしき人物はおらず、この場所で店主が倒れている男を殴るか何かして、そのまま店主が逃げたことが予測される。

 芳滔滔ファン・タオタオは倒れている男の容態を見ようと、その男の顔を覆った真っ黒な髪の毛を払う。しかし、男の顔を見た途端に、なんと芳滔滔ファン・タオタオは固まってしまった。

「将軍、どうしたんです?その男は知り合いなんですか?」



 

 易滔凔イー・タオチュアンはほぼ意識を手放していたが、大きな音が耳に入るとまた意識がはっきりしてきたらしく、そっとまぶたを開く。

 しかし、目覚めて早々、易滔凔イー・タオチュアンは飛び上がりそうだった。

 なんと目の前に、数十年前に亡くした、まさに人生の中心だった弟子と全く同じ美しい顔が、こちらを覗き込んでいたのである!








―――――――――――――――――――――――

※1修真者…人でありながらも仙人を目指し修練に勤しんでいる者。

※2元嬰期…修真者のランク付けのうちの一つ。このレベルの修真者は不老になり、姿を変える能力を使うことができる。

※3銚子…中国のやかん。

※4霊力…修真者が仙術を使う上で必要な力のこと。この力の源のことを根基という。

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