第15話 新しい仕事
給食準備のバタバタが終わって、ほっと一息つきながら給食を食べて、後片付けをした後に控え室で過ごすのんびりしたこの時間が、エイミーは好きだった。
給食を作る厨房の隣にある控え室には、着替えや荷物を置いておく棚と、小さな机と椅子が置いてある。
エプロンや三角巾を着けたり、出来上がった給食を食べたりする。
壁には給食献立予定表が貼り付けてあるだけで、それ以外には何もない殺風景な一室に、午後の穏やかな空気が漂っている。
「マーヴィンちのおじいちゃんが居なくなったんだって?」
噂話の好きなアウレーネさんは、真っ先に話を切り出した。
彼女の熱を抑えるようにゆったりとブラッシングをする。
「でも、すぐに見つかったそうですよ」
少し離れた場所で、羨ましそうにブラッシングを見ているブラッドが鼻を鳴らした。
「あんたの兄さんが見つけたのかい?」
「そうですね、ポールさんと一緒に」
マーヴィンの祖父ロバートは、敷地内の作業所兼資材置き場で見つかった。
一通りのことは、兄であるジョンに話を聞いた。
「年を取ると急に記憶が無くなって、自分の家が自分の家だと思えなくなるらしいよね」
「そうなんだってね」
アウレーネも、ブラッドも、沢山の家族を支えている。自分の家族はどうなるんだろうか、と心配もしている。
「難しい問題だよ」
その時、コンコンと控え室のドアがノックされた。
「シェリルのお迎えかしら?」
エイミーはドアへ小走りに近寄った。
ドアを開くと、マーヴィンが立っていた。
「あら。どうしたの?」
「昨日は、ありがとうございました」
「夜遅くに、ジョンがそちらに伺ってごめんなさいね。大丈夫でした?」
こっくりと頷くマーヴィンは、ポケットから小さな櫛を取り出した。
薄い長方形の木製で、櫛の部分も丁寧に仕上げてある、一度はエイミーが持っていたあの櫛だった。
昨日の夜、ロバートの探索から帰ってきたジョンは、この櫛をエイミーから受け取り、届けてくれたのだ。
「これ、エイミーさんにプレゼントするって、お父さんが」
「いいの? 嬉しいわ。ありがとうって、伝えておいてくれる?」
「うん」
たたた、と走って去って行くマーヴィンの顔が、以前よりも明るくなっているのがわかった。
「いい櫛だね」
「使ってみます?」
アウレーネにいつも使っている短毛のブラシから、マーヴィンから受け取った櫛に変更してみる。
「うん、いいね。肌への当たりが柔らかいよ」
「これならブラッドさんも使えるんじゃないかしら」
「本当かい? 私も一度やってもらいたかったんだよ」
アライグマ以上に短い毛の豚には、基本的には短毛ブラシが合っている。
けれど、歯の先端が丸く整えられているこの櫛なら、大丈夫なのではないかとエイミーは思った。
「痛かったら言ってくださいね」
慎重に手を動かしていく。時折、ブラッドの耳がぷるんと震えた。
「どう、ですか?」
「うん。悪くないね」
「そういえば、お二人に協力していただきたいことがあるんですよ」
ブラッシングですっきりした顔のアウレーネが、ぴんと背筋を伸ばした。
「いつもブラッシングしてもらってるから、私たちにできることがあれば協力するよ」
「うん、できることなら」
血流が良くなって、肌の赤みが増したブラッドも快諾してくれた。
「ありがとうございます」
「何を協力すればいいんだい?」
「お二人にブラッシングをして、ブラシに絡まった毛をいただきたいんです」
「ん?」
何を言っているのかわからない、という顔でエイミーを覗き込む2人。
「実はですね……。マーヴィンのお父さんに頼んで、ブラッシング用のブラシを製作してもらうことになったんです。アウレーネさんも、ブラッドさんも、ブラシの材料になる毛をお持ちなんですよ」
「私たちの毛が、ブラシに?」
獣毛のブラシは人間界では人気なのだと、話せてしまえば楽なのだが、それは伏せることにした。
エイミーは、マーヴィンのお父さんが木工職人であること。ブラシも作れること。そのブラシの材料に、アライグマと豚の毛が欲しいことをわかりやすく伝えた。
「そんなもん。捨ててしまうものなんだから、自由に使っていいよ」
アウレーネとブラッドは、顔を見合わせて頷いた。
「ありがとうございます」
エイミーは何度もお礼をした。そのたびに、こんな簡単なことで感謝されるなんて照れるね、とみんなで笑い合った。
それからしばらくした休日。
エイミーとジョン、そしてポールとシェリルはピクニックへ出かけることにした。
シェリルがたくさんサンドイッチを作り、詰めた籠はポールが持っている。
背丈の低い草が生える広い丘は、犬が走り出したくなるような空間だった。
青い匂いを含んだ風が、背後に連なる山から吹き下ろしてくる。
「やっぱりピクニックはいいわね」
日傘を持ったシェリルは、どこからどう見てもお嬢様のように優雅だった。長くて細い毛が、太陽の光が透けて輝いている。
敷布を広げたジョンの隣で、ポールが籠を下ろしている。2人はさながら、お嬢様の用心棒のようだ。
「ウィリアムのブラシはどうなった?」
芝生の上の敷布が、風で飛ばないように抑えていたエイミーに、ポールが尋ねる。
「はい。試作品を作っていただきました」
「見せて、見せて!」
シェリルが好奇心旺盛に目を輝かせてエイミーに詰め寄ってきた。
「アライグマの毛を使ったブラシなんです」
黒と白のまだら模様、短いブラシの毛は艶々としていて、長さも揃えられている。持ち手は木で作られていて、持ちやすいように角をとってあった。
「使いやすいの?」
「はい。私の手にぴったりです」
マーヴィンの父ウィリアムとジョンがやり取りをした結果、木工細工の仕事を復活させることができた。
ウィリアムは、一度は怪我をして休職し、自信をなくしていた。ロバートの失踪事件の際、仕事を続けろとアドバイスしたものの、何をすればいいのかわからなかったウィリアムに、櫛やブラシを作ってくれないかとお願いしたのもジョンだ。
「俺の妹が櫛を使うから」
櫛だけではなく、ブラシは作れないのか? と聞いたのは相談されたエイミーからの提案だった。
「次は豚毛を使ったブラシができあがる予定なんです」
早速、シェリルをブラッシングしながら、エイミーが教える。
「ジョンが思いついたの?」
「なんだよ。俺が思いついたらいけないのか」
「だって、前に私がブラッシングしてもらった時の反応が微妙だったじゃない」
細かいことに気づくとは思わなかった、と悪びれず言い切るシェリルに、ポールも苦い笑いを浮かべている。
「ウィリアムと木工細工の話をしたから、だよ」
だから思いついたのだ。
ジョンは、木工細工の資材置き場に置いてあった色んな材料を見て、妹がブラッシングに使えるのではないかと考えた。
一度は仕事を辞めてしまったとはいえ、やる気さえあれば元通りになる。仕事だってできるだろう、と予想した通り、ウィリアムはロバートからアドバイスを貰いながら、木工細工を続けることになった。
「ウィリアムもロバートも、仕事が欲しかっただけなんだ」
「仕事ってお金を稼ぐ手段というだけではないから」
シェリルは学校で行った職業体験の授業のように、周りを見渡してそれぞれの顔を見て言った。
「その人が、その人らしく生きていくために、必要なことなのよ」
ポールは敷布の隣にごろりと横になった。
ジョンは、籠の中のサンドイッチを物色している。
「ねぇ、2人とも聞いてる?」
「聞いてるよ」
「……ん、ああ、もちろん」
エイミーは、シェリルのブラッシングを続けながら、コロコロと鈴の音のような笑い声を零した。
「それにしても、いい天気。そして、いいピクニックね」
「そうですね」
あの日、あの時のピクニックで異変が起こったことを、それぞれ思い出していた。
同じ場所なのに、何かが違って見えた。
「なんだか、ジョンはふっきれたみたいだし。エイミーもすっかり元気になったし。良かったわ」
「色々とご心配おかけしました」
新しい仕事に取り組むマーヴィンの父親は、これから色んな仕事をこなしていくうちに、祖父を超える木工職人になれるだろう。
そして、異世界に転生してきたトリマーは、新しい家族を守るために周囲からの協力を得ながら。
「シェリル、お前だけずるいぞ」
「え? もしかして、ジョンもしてもらうつもりなの?」
てっきり、サンドイッチを食べるんだと思ってた。とシェリルから小さな反論をされながらも、ジョンは場所を交代してもらう。
「これ、悪くないよな」
エイミーはアライグマのブラシを握りしめて、穏やかに微笑んだ。
「兄さん、私、ハサミが欲しいの」
黒く艶やかな毛をブラッシングすると、耳がぷるると動いた。
「ハサミ? じゃあ今度の週末は町に行ってみるか」
「うん」
「ハサミでどうするんだ?」
「シェリルさんがカットモデルになってくれるそうなので」
ジョンとポールの視線が、シェリルに集まった。
「モデルがいいから、きっといい宣伝になると思うのよ」
きゅんと口角を上げて言い切ると、さざなみのように笑いが広がる。
「新しい仕事って、そういうことか」
異世界にはわからないことが多いけれど、エイミーは決めたのだ。
新しいことにチャレンジしていく、と。
「いいんじゃないか」
気持ちよさそうに目を細めるジョンに、エイミーも小さく頷く。
ざぁっと音を立てて草を撫でていく風は、なだらかな平原にわずかな起伏があることを気づかせてくれる。
緑色の絨毯は、ずっと遠くまで続いている。
“DOG” 異世界転生トリマー 佐海美佳 @mikasa_sea
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