第26話 街角の攻防
市街地の道路を走り抜けながら、俺たちは赤く発光する柱――ダンジョンの場所を目指していた。
けれど、たどり着くことすらできなかった。
「来るぞ!」
森下さんの怒鳴り声が飛ぶ。
交差点の向こう、コンビニの裏手からゴブリンが飛び出してきた。
鋭い爪を構え、俺たちを目がけて突っ込んでくる。
森下さんが即座に踏み込み、バールを振るう。
乾いた音と共に、1体が地に伏す。
「終わりじゃないぞ、構えろ!」
その言葉と同時に、さらに数体。ビルの陰、駐車場のフェンス越し、曲がり角の隙間――市街地の至る場所から、ゴブリンたちが現れる。
昨日まではテレビやネットでしか見なかった“異常事態”が、今まさに俺の目の前で現実として進行していた。
俺たちは、進むことができなかった。
空を見上げると、雑居ビルの合間に赤い光の柱が見える。
まっすぐ空へと貫くそれは、遠いようでいて、すぐそこまで迫っているような錯覚を覚える。
俺たちはまだダンジョンの位置にすら近づいていないのに、すでにモンスターの群れに飲まれつつある。
「多すぎる……」
思わずこぼれた言葉は、森下さんにも聞こえていたようで、
「これじゃ進軍もできねぇ。まるで侵略部隊だ」
そう呟いた声には、疲労と焦りが滲んでいた。
その時、足元に異様な気配。
アスファルトの亀裂から、ぬるりと半透明の物体が這い出してくる。赤黒いコアのようなものが内部で脈打ち、音もなく地面を這っていた。
「……スライム……?」
そう呟くと、森下さんが即座にバールを振り下ろす。
だが、潰れてもなお残骸が動き、再び形を成そうとする。
「見た目に騙されんな。潰しても終わらねぇ!」
さらに2体、3体と這い出してくる。
加えて、別の方向からゴブリンの群れ。
次から次へと押し寄せてきて、まるで包囲網の中にいるかのようだった。
森下さんの呼吸が荒くなるのがわかった。肩で息し、所々血が滲んでいる。
俺はポーチの中の唯一のポーションに手をかける。
唯一の一本。MPも残っていない。次は作れない。使うタイミングを誤れば、命取りになる。
その瞬間だった。
ゴブリンの1体が、森下さんの死角から襲いかかった。
「っ……!」
迷っている暇はなかった。
俺は走った。
走りながら、迫るゴブリンに包丁を構えた勢いのまま突き刺す。
刃先が腹部に食い込み、手応えと同時に鈍い呻き声が漏れた。
ゴブリンはその場で痙攣し、崩れ落ちる。
俺は息を切らしながら、包丁を引き抜くとすぐにポーチへ手を伸ばした。
ポーションを握った手を突き出しながら、叫んだ。
「これ、飲んでください!」
差し出された瓶を見て、森下さんの眉がひそむ。
「なんだこれ……?」
「噂の……ポーションです!」
その言葉に、森下さんはわずかに目を見開いた。
「あの……GODとかいう……?」
「はい!」
一瞬の沈黙ののち、森下さんは瓶を受け取り、ためらいながらも口をつける。
数秒後――
「……ああ、マジか。すげぇな、これ……助かった」
その目に再び力が戻るのを、俺は確かに見た。
それでも状況は変わらない。
敵は減らず、包囲はより強固になり、じりじりと押される。
後退するたびに視界が狭まっていく。
車の陰に、ゴブリン。
自販機の裏から、スライム。
俺たちは完全に“足止め”されていた。
ポーションはもうない。
でも、森下さんの背中は、まだ倒れていない。
――だから俺も、立っていられる。
その時だった。
――「グオォォォ!」
大きな咆哮が聞こえた瞬間、森下さんの動きが一瞬止まった。
「……やばいのが、奥にいるな。今井、少し引くぞ」
「了解です!」
判断は早かった。俺たちは一旦後退しながら、左右から迫るゴブリンの群れを捌く。
その最中、俺の目の前に飛び込んできた1体に、握っていた包丁を思い切り突き出した。勢いのまま腹部に刺さり、ゴブリンが痙攣するように倒れ込む。
その瞬間――
《レベルアップしました》
言葉ではない。直接、脳内に響く感覚だった。
だが確認する暇などなかった。
「今井、こっちだ!」
「行きます!」
俺は脳裏の通知を無視し、森下さんの後を追ってさらに後退した。戦いはまだ終わらない。
すぐ近くで、空気を裂くような咆哮が響いた。
――「グオォォォオォオオッ!!」
耳の奥がキーンと鳴る。反射的に身をすくめた俺の背筋を、音の衝撃が這い上がっていく。
地鳴りのような咆哮が市街地に響き渡った。空気が震え、遠くの建物の窓ガラスがわずかに揺れる。
パチンコ店の向こう、崩れた歩道の影から、巨体が姿を現す。
2メートルを優に超える異形。
肩幅は人間の倍以上。
黒く硬質な皮膚。
棍棒というよりも鉄柱のような武器。
「……上位種か」
森下さんの声が低く沈む。
それに呼応するように、周囲にいたゴブリンたちが一斉に吠えた。
群れに秩序が生まれた瞬間だった。
威圧、圧力、そして殺意。普通のゴブリンとはまるで違う。
俺の背筋に、初めて“死”の影がよぎった。
それでも――
森下さんは、バールを握り直して呟いた。
「逃がしてくれそうにないな…」
俺はうなずいた。
逃げ場はない。退路もない。
ここが、俺たちの踏ん張りどころ。
そしてきっと、この戦いが――本当の地獄の始まりなのだと思った。
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神の宣告で世界にダンジョンが現れた――なのに俺のジョブは“商人”!? くろろ @kurouria
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