33話 今日も今日とて
※
あの戦争から一ヶ月が過ぎた。
「黒瀬誠! ただいま戻りました!」
マイナス課妖魔鎮圧係の室内で、誠が係長席に座る橋渡にビシッと敬礼した。
「久しぶり。怪我はもういいのかい?」
「はい! バッチリです!」
橋渡に問われ、誠は力こぶを作って健常さをアピールする。普通なら二ヶ月以上安静にしなければならない大怪我だったが、常人と比べて霊力使いは回復力が高く、特に誠はそれが顕著で、医者もビックリの速度で退院してみせた。
「そう、良かった。……あの時はすまなかったね。すぐ行くって言ったのに、行けなくて。思いの外、下の敵に手こずってしまった……」
「ん、まぁ、しょうがないですよ。結果的に俺と水蓮寺さんでなんとかなりましたし」
落ち込んだ様子の橋渡には対照的に、誠は特に気に留めた様子もなく言う。
「むしろ、ありがとうございました。あの後、結局気絶しちゃった俺たちを病院まで運んでくれたのは橋渡さんたちだって聞きましたので」
「ホント、展望デッキの上で血まみれで倒れてる君たちを見た時は肝が冷えたよ」
その時の様子を思い出したのか、橋渡の顔が若干白くなる。そんな上司に、「いやー、ご心配おかけしました」と誠は軽く言う。
「礼を言うのはこっちの方だよ。よくぞ、たった二人でぬらりひょんを斃してくれた。お陰でこちらの被害も最小限で済んだ」
「あ、それで思い出した。まだ詳しく聞いてないんですけど、結局戦争はどうなったんです?ざっくり、勝ったとだけ耳にしてますけど」
うん? と橋渡は一度噛み砕いて、
「ああ、勝ったよ。そもそもがこっちの方が優勢だったのもあるけど、ぬらりひょんが負けたのを知った後は、もう統率もへったくれもない状況なってね。殲滅は難しくなかった。と言っても、幾つか取り逃したのもいるけどね。それでも、ぬらりひょんという絶対的リーダーを失った奴らに組織を再興させる力はない。『百鬼連盟』は壊滅さ」
「ふむふむ、そこは思惑通りになったんですね」
「へっ? それどういう意味?」
「気にしないでください。もう終わった話です」
誠の意味深な発言に訝しむ橋渡だったが、「ま、いいか」と、深くは突っ込んでこなかった。
「それより、復帰早々申し訳ないけど、仕事を頼めるかな?」
「はい、勿論! ――で、どんな内容ですか?」
「まぁ、色々あるんだけどね。特に『百鬼連盟』が潰れたのを知った野良の妖魔たちが、ここぞとばかりに各地で暴れていてね。その対処に追われてるんだ。渋谷の後処理もまだ残ってるし、この一ヶ月ろくに家に帰れてなくてさ。もうヤになっちゃうよ」
げっそりとした様子で橋渡が項垂れる。
「成程……。でも、『百鬼連盟』が潰れて逆に忙しくなるって変な話ですね」
「……まぁ、人間だろうと妖魔だろうと大きい組織が潰れれば多少なりと混乱は起きるということさ。それは君も知ってるだろ?」
「あ、そう言えばそうでしたね!」
誠が暴力団の組の一つを潰した時も、治安は改善されるどころか抑止力を失ったチンピラが日夜暴れ回ってメチャクチャ荒れたと聞いたので、きっとそういうものなのだろう。
「覚悟していたことではあるけど、今日まで一人で回してたからね。正直、猫の手も借りたい状況さ」
「あれ、綾音さんは? まだ入院中ですか?」
「いや、ちょっと前に退院したと聞いてるよ」
「? じゃあ、どうしていないんですか?」
誠が訊くと、橋渡は何故か神妙な顔をした。
「それなんだけど」
焦らすように一拍置いて、
「――綾音はもう来ないかもしれない」
「はい?」
突然の発表に、誠が瞳をぱちくりさせる。
「なんでですか? あ、もしかして後遺症か何か残っちゃいました?」
結構な大怪我だったからあり得ない話ではない、と誠は思うが、橋渡は「いいや」と被りを振った。
「あの子は、十年前からずっと、家族を殺したぬらりひょんを倒すことだけを考えて生きてきた。マイナス課に入ったのもその為だ」
「はい、聞いてます」
「そっか。なら、分かるだろう。その悲願は果たされ、家族の仇を取れたんだ。……冷静に考えて、あの子がこの仕事を続ける理由はもうないんだ」
沈痛な面持ちな橋渡。昔から彼女のことを知っている手前、思うところがあるのだろう。そんな意気消沈する上司に誠は、
「んー、大丈夫なんじゃないですか」
「……なんで、そう思うんだい?」
「いや、別に根拠はないんですけどね。でも、水蓮寺さんならきっと問題ないですよ」
ただの勘なくせに、誠はやけに自信満々だった。
否定するのは容易かったのだろうが、橋渡はあえてそれをせず「そっか。そうだといいね」と微笑んだ。
その時だった。
まるで図ったようにドアが開いた。ガチャ、と音が鳴って、誰かが入ってくる。
綾音だった。
「ほら、言ったじゃないですか」
さも当然のように誠が言う。
綾音は、カツカツと靴を鳴らして二人の元へ近づいてくる。そこで誠が気付いた。
「あれ? 綾音さん髪切ったんですね」
誠が指摘する。と言うのも、彼女の長く美しい腰まで伸びていた黒髪が、バッサリと肩のくらいまで切り落とされていたのだ。
「ええ、気分転換に。……変ですか?」
「心配しなくても、水蓮寺さんなら丸坊主でも似合いますよ」
「…………そう、ありがとう」
きっと褒めているのだろうが、不思議とあまり嬉しくない表現に、綾音は複雑そうな顔をした。しかしそれも程々に、綾音は橋渡と向き合って、
「遅くなってすいません」
しずしずと頭を下げる。
「いいんだ、よく戻ってきてくれた。――でも、本当に問題ないのかい? ぬらりひょんはもういないんだよ……」
橋渡が尋ねる。復讐が果たされた今、マイナス課に留まる理由はあるのかと。
綾音は頭を上げた後、答えた。
「そう……ですね。正直、迷いました。もういいんじゃないかって。……でも、ぬらりひょんが消えても、妖魔そのものが消えたわけじゃありません。であればいつか、私のような目に遭う人がまた出てくるかもしれない。――私はそういう人たちを護れる存在になりたいんです」
それは、復讐に身を焦がしていた彼女の新しい目標で、そしてこっちこそが本来の彼女の性根だった。
「まさに警察官の本分ですね!」
「奇しくも、ですが」
誠が瞳を輝かせて、綾音がそれに苦笑する。
「そうか……。うん、了解。僕としても嬉しいよ。これからもよろしく」
「はい、よろしくお願いします」
「で、だ。さっき誠君には説明したけど、早速仕事に仕事に取り掛かってもらうから」
彼らは給金を貰って働く社会人である。なので、いつまでもしんみりはしていられなかった。
橋渡は、誠にしたのと同じ説明をする。
「分かりました、すぐに向かいます。――行きましょう誠」
「はーい。……って、今、俺の名前呼びました?」
「……呼んだからなんですか?」
「いや、何気に初めてじゃないですか? 名前呼び」
「でしたっけ?」
「絶対そうですよ! ――あ、じゃあ、俺も綾音さんって呼んでいいですか?」
「……別にいいですけど」
「やった!」
ハイテンションで誠が喜ぶ。
「たかが名前ぐらいで大袈裟ですね」
「いやいや、名前は大事じゃないですか。婆ちゃんも言ってましたよ。名前で呼び合うのは仲良しになる最初の一歩だ、って」
「それは否定しませんが……。はあ、もうなんでもいいです。いいから行きますよ」
「はい!」
かくして、ほんの少しだけ距離が縮まった二人は、そんなやり取りをしつつ、今日も今日とて現場に向かうのだった。
警視庁マイナス課 西沢陸 @yuukidokan
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