32話 きっと誰もが

 

 ※


 ぬらりひょんの上半身と下半身が別れ、それぞれ逆方向に倒れたのを綾音は確認する。


「……はあ、……はあ」


 渋谷の天辺には、綾音の吐息の音だけが響いていた。


「勝った……。勝ったんだ、私」


 まるで実感がなく漠然と呟く綾音だったが、徐々に現実を受け入れ始める。


「やったよ、お姉ちゃん。見ててくれた?」


 目尻に涙を浮かべながら、潤んだ声でこの世にもういない姉に問う。


 最後の一撃に『鬼神狩り』を選択したのは半ば無意識だった。

『鬼神狩り』は刀剣が輝く程の霊力を込め、それを音速を超えた速さで抜刀するというシンプルな技だが、霊力の収束と抜刀を並行して行うのは見た目以上に難しく、綾音も完璧にできたことは数える程度で、おおよそ実践で使い物になるレベルではなかった。しかし、今回に限っては、どうしてか失敗する気がせず、事実、今までにない完成度で披露できた。


(お姉ちゃんが助けてくれたのかな)


 そんな風に考える。楓ならおかしくないな、と冗談めかして考えてしまったのが失敗だったのだろう。フッと全身から力が抜けた。


(やば)


 元々、疲労困憊の半死半生なのを気力だけで支えていたのだ。それが安心して気を抜いたらこうなる。

 綾音の体が背中から落ちていく。


「おっとと」


 その身体を誰かに支えられた。顔を上げると、誠が立っていた。


「動けたんですね……」

「綾音さんが闘ってる間にちょっと回復しました!」


 綾音が尋ねると、ケロッと誠が答えた。彼は彼で重症なので、そんなわけないのだが、ちっともその片鱗を見せない。


「いや〜、最高にカッコよかったっスよ! 流石っス!」


 それどころか、キラキラと街中でハリウッドスターを見つけたように瞳を輝かせる。そんな平常運転の後輩に、綾音は呆れてしまう。


「私はトドメを刺しただけです。あそこまでぬらりひょんを追い込んだ貴方の方がすごいですよ」


 ため息混じりに伝える。実際、今日の功績を割合にしたら、九対一で誠の方がすごい。綾音は漁夫の利を掻っ攫ったに過ぎない。しかし、当の誠は「えー、そうっスかねー?」とおどけた口調で言う。


「あっ、じゃあ、二人の共同作業ってことにしましょう!」

「……それ、他の人の前で絶対に言わないでくださいね」


 余計な誤解を招きかねない。言うにしても、もっと表現を変えろと綾音は天然な後輩に釘を刺す。

 そんなやり取りをしていたら、急激に瞼が重くなってきたのを綾音は感じた。肉体だけでなく、脳にも限界が来たのだ。


「あれ? 綾音さん、おねむですか?」

「言い方……! さっきといい、もしかしてわざとやって……ます…………か」


 なんとか言い切って、綾音はそのまま落ちていった。





「ホントに寝ちゃった。――まぁ、当然か」


 頑張ってたもんなぁ、と自分の胸を枕代わりにして気絶した先輩に、誠はそんな感想を漏らした。


「なんにしても、とりあえず病院かな」


 このまま放っておくわけにはいかない。最悪、自分は構わないが、綾音だけは助かるようにしなければ。そう考えて、誠が動き出そうとした時だった。


「何故……だ」


 地面を這うように声が聞こえた。見ると、上半身だけとなったぬらりひょんが片肘を使って起きあがろうとしていた。しかし、無駄な足掻きなのは明白で、少しずつその肉体は塵となっていた。


「何故、こんなことが……、違う、認めない。絶対に」


 残された僅かな時間で、ぬらりひょんがうわ言のように口にする。


「しつこいっスよ。貴方は俺に勝って、水蓮寺さんに負けたんです」


 そんな彼に、淡々と誠が現実を突きつける。グッ、とぬらりひょんは歯噛みした。


「君になら分かる……! 君はこの世界の主人公の一人なのだから! だが、その娘は違う! ただの路傍の石モブだ! そんなものに僕が負けるはずがない!!」

「またそれっスか? やっぱ、よく分かんないですけど〜、人は自分の人生の主人公っていうのとも違うんですよね? うーん悩ましいなぁ」


 ぬらりひょんの疑問に答えるため、誠はしばらく逡巡したが、唐突に「あ、じゃあきっと」と口を開いた。


「人は誰でも主人公になれるんですよ」


「……はっ?」


 ぬらりひょんがポカンと口を開けて、大きく瞠目した。そんな妖魔を尻目に誠は続ける。


「うん、絶対そうだ。どんな人も、主人公になれる素質を秘めてるんですよ。それが開花するかしないかだけで」


 うんうん、と一人で勝手に納得する誠。それに対してぬらりひょんは、


「………………はは」


 疲れ果てた笑みを作った。


「そうか……、誰でもか……。道理で、殺しても殺しても湧いて出てくるはずだ」


 そして、どこかスッキリした様子で、


「全く、度し難いな。君たち人間という生き物は」


 ――まるで糸が切れたように倒れて、そのまま塵となって消えていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る