31話 恐怖を超えるもの
※
(どういうことだ……!)
水蓮寺綾音の姿を見て、ぬらりひょんはひどく狼狽していた。
(妖術を解除された? ……バカな、アレはそういう類のものじゃない!)
綾音に仕掛けた術は、一度発動してしまえば術者であるぬらりひょんですら解除不能な代物である。脱出するには術者本人を殺害する他なく、自力で抜け出す方法は現状見つかっていない。
(よもや脱出方法を見つけたとでもいうのか。……いや、やはり不可能だ。この娘にそんな才も力もない)
であれば何故、とぬらりひょんは再び思案する。
「……まさか」
そして、とある可能性に辿り着く。本来ならあり得ないが、それを可能にしてしまえそうな人物に一人だけ心当たりがあった。
「死してなお、僕の邪魔をするか……っ!」
ここにはいない、かつて自分の手で抹殺した女の姿を思い出して歯噛みする。
「……何を喚いている」
そんなぬらりひょんに綾音が冷血に言って、輝きを取り戻した霊刀を構える。
「覚悟しろ」
言葉はそれだけだった。
綾音は瞬きののちに、ぬらりひょんとの距離を詰め、袈裟斬りの形で刀を振るった。
「な……っ!」
その一刀を、ぬらりひょんは背後に必要以上に大きく跳んで回避した。
綾音の勢いは止まらず、さらに強く地面を蹴って、ぬらりひょんに襲いかかる。
「イキがるな!」
迎撃のため、ぬらりひょんが光弾を放つ。しかし、それを綾音は豆腐を斬るみたいに軽く真っ二つにすると、そのまま自らの間合いに入れ、下から上に刀を振るった。
咄嗟にぬらりひょんは身を捻って回避しようとするが、間に合わず、肩を刀が斬り裂いた。そこから、鮮血が噴き出る。
「ぐっ! ――図に、乗りすぎだ!!」
怒りを発露して、綾音の腹に蹴りを放り込み、その細い身体を吹っ飛ばした。
すぐさま綾音は起き上がり、ぬらりひょんを見据える。その瞳から光が消えることはなく、そんな彼女の姿は、彼を激昂させるには充分だった。
「ふざけるのも大概にしろ! あの女に何を言われたかは知らないが、君如きが僕に本気で勝てると思っているのか! 思い上がりも甚だしい! 君はどこまで行ってもただの怖がりな小娘だ! 身の程を弁えろ!」
ここまで至っても、綾音に対するぬらりひょんの評価は変わらなかった。
もし、目の前に立っているのが水蓮寺楓か黒瀬誠だったならば、ぬらりひょんは納得しただろう。この二人に限らず、かつて消してきた主人公候補の誰かであったならば、ぬらりひょんは潔く現実を受け入れただろう。
しかし、水蓮寺綾音はそうじゃない。とても主人公の器ではなく、精々がヒーローに助けられる一話限りのヒロインといったところだ。
それが、何をどう勘違いしたのか自分の前に立っている。その事実が、ぬらりひょんにはたまらなく許せなかった。
怨敵からの侮蔑に等しい罵倒。普段の綾音なら、怒り心頭に達していただろう。しかし、今日は違った。
「ええ、そうね。私は臆病者よ」
潔く認める。
「今だって、正直怖い。家族を、お姉ちゃんを殺したお前が恐ろしくてたまらない。――でもね」
綾音は大きく深呼吸すると、
「ここでお前を逃したら、また私たちのような目に遭う人たちが出てくる。……そんなの許せない。――だから、どんなに怖くたって私はお前に立ち向かうんだ! もう誰も傷つけさせはしない!」
高らかに宣言して、刀を突きつける。
「それが思い上がりだと何故分からない!? 人間という生き物は、誕生した瞬間から成せる者と成せない者に振り分けられ、その在り方は生涯決して変わらないものだ! そして、君は後者だ!」
「だったら、そうじゃないことを私が証明するだけよ!」
「この分からず屋が……! ああ、もう結構だ!!」
これ以上、この小娘に調子づかせてはならない。そう決断し、誠のトドメ用に残していた妖力をぬらりひょんは解放した。――すると、誠との戦闘で発生した瓦礫たちが浮き上がった。
サイコキネシス。否、妖魔が使うならばポルターガイストが順当だろう。どちらにしても、これが今のぬらりひょんの残存妖力で最も効率よく綾音を殺害できる妖術だった。
ぬらりひょんが腕を振るって指示を出すと、瓦礫たちが綾音に特攻を仕掛けた。
同時に、綾音も動いた。
超高速で飛んでくる瓦礫たちは、さながら散弾銃のようである。それでも、本来の綾音なら潜り抜けるのは難しくない速度であったが、彼女は彼女で本調子ではない。
数発避けたところで、小型の瓦礫が綾音の胸に命中した。その一撃を皮切りに、太もも、額、脇腹と次々と被弾していく。
「ガッ……ハ」
そして、トドメと言わんばかりに他よりも高速で放たれた瓦礫が腹にクリーヒットすると、綾音は倒れ伏した。
「ざまぁないな。どれだけ吠えようとこれが現実だ。君に何かを変える力はない」
そんな女をぬらりひょんは嘲笑った。
しかし、
綾音はボロボロの身体に鞭打って、立ち上がった。
「いい加減にしないか!」
再度、ポルターガイストで瓦礫を放つ。
もはや綾音にこれを躱わす余力はなく、まともに瓦礫が直撃し、ゴロゴロ転がっていく。
それでも、
「まだ……、まだ」
綾音は立ち上がる。
「しつこいぞ!」
もう一度、――綾音は立ち上がる。
「さっさと!」
さらにもう一度。――綾音は立ち上がる。
「死ね!」
今度こそもう一度。――だが、
「なっ!?」
ぬらりひょんは小さな瓦礫一つ持ち上げることができなかった。
「バカな……! クソっ!」
完全なる妖力切れ。自身の妖力の残量を見誤った。原因は明白。水蓮寺綾音があまりにしぶとかったこと。彼女の存在を否定しようと意固地になってしまったこと。どちらも、平時の彼ならばあり得ないミスだ。
動揺するぬらりひょんに、綾音はゆっくりと一歩ずつ近づいていく。
「何故だ! 何故立ち上がれる! 何故歩みを止めない! 何が君をそこまで突き動かす!」
ぬらりひょんは恐怖を司ってきた。だからこそ分かる。
水蓮寺綾音は依然としてぬらりひょんを恐れている。足はすくみ、声は震え、心臓は激しく脈打っている。
なのに、瞳から光は消えず、今にも泣き出してしまいそうな恐怖に蝕まれながらも、彼女はぬらりひょんの元へ一歩ずつ確実に近づいてくる。その原動力がぬらりひょんには皆目見当もつかなかった。
「ああ、そうか」
口を開いたのは、二人の戦闘を静観していた誠だった。青年は探し物を発見した時のような笑顔で言った。
「これが勇気か」
恐怖を押し除ける彼女の原動力の正体を。
「勇気……? 勇気だと? ……はは、何をバカな」
ぬらりひょんが渇いた笑みを浮かべる。
「そんなものはありはしない。弱き人間が恐怖から逃れるために作り出したただの幻想だ」
否定する。
これまでにも、勇気という単語を使ってぬらりひょんに立ち向かってきた者たちはいた。しかし、蓋を開ければ、その全てがいとも容易く膝を折った。結局、どれだけ言葉で取り繕おうとも、恐怖に勝る勇気など存在しなかったのだ。
だから、水蓮寺綾音も同じはずだ。同じでなくてはならない。――なのに、彼女は屈しない。身体はボロ雑巾のくせに、瞳だけが真っ直ぐぬらりひょんを見据えている。
「認めない! そんなもの認めてなるものか!」
全身から鬼気を発して、ぬらりひょんは拳を握る。
相手は死に体。妖術が使えないなら、直接殴り殺してしまえばいい。そう考えて、ぬらりひょんは駆けた。いくら妖力が尽きたと言っても、彼は妖魔。形は人と同じでも、そもそもの身体能力がかけ離れている。
砲弾のような勢いで距離を縮め、綾音の顔面目掛けて拳を振るった。
(来た)
と、綾音は思った。
(これがラストチャンス)
ぬらりひょんが自ら接近してくるというまたともない好機。これを逃せばもう勝ち目がない。というか、今度こそ殺される。だから、何がなんでもやるしかない。
しかし、そんな心に反して、体は限界を唱えていた。
視界が霞んでいる。耳もよく聞こえない。一歩足を動かすたびに、体のどこかしらから血が噴き出し、骨がギシギシ唄っている。もはや痛くないところを探す方が難しい。少しでも気を抜けば、簡単に意識が飛んでいってしまいそうだ。
(今だけでいい)
そんな満身創痍の肉体に綾音は、
(動け!!)
強く訴え、無理やり体を動かす。
「ウゥァアアアアアアアアアアアアアア!!」
大声で痛みを騙し、目一杯の力で刀を握る。
――そしてそのまま振り下ろし、綾音を殴ろうと迫り来るぬらりひょんの腕を断ち斬った。
綾音の顔面を壊すはずだったぬらりひょんの腕が宙を舞って、ボトリと地面に落ちた。
ぬらりひょんは最初、何が起きたのから理解していない様子だった。しかし、何百年連れ添った腕が所定の位置になく、代わりに血が生えているのを見て、
「グウァアアアアアアアアアアアアアア!!」
傷口を押さえながら絶叫し、フラフラと後ろによろけた。
「これで」
この隙を逃さず、綾音は居合斬りのような構えをとった。
「――終わりだ」
刀に残った霊力を全て注ぎ込む。主人の心に呼応するように、霊刀が夜の帷を砕くがごとく強く光輝いた。
「ま、待て!? 止めろ!」
ぬらりひょんが必死で制止を求めて来る。
されど、聞く耳など持つはずもなく、綾音は刀を振るった。
「報いを受けろ!」
その技は、音無流八つの技の一つにして、当時十歳の水蓮寺楓に編み出しされた最新にして最強の技。彼女を『天剣』と言わしめた理由の一つで、この技をもって大妖魔・大嶽丸を討ち取ったことからこう名づけられた。
「鬼神狩り!」
横一閃の斬撃が、ぬらりひょんの肉体を両断した。
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