縁側からみたもの

笹谷ゆきじ

祖母の言い付け

これはよく祖母に聞かされた話だ。


「片足だけの鳥を見たらすぐ親鳥に返しんさい。頭がおかしゅうなるけぇね。」


祖母は必ず口を酸っぱくして言った。

友達の家に行く時や、虫取りに野へ遊びに行く時、野良仕事を手伝いに行く時でさえ、そうだった。


私の地元は、黒々とした山と青々しい水田と川に囲まれた高原地帯にある集落で、その手の言い伝えなんかは、お年寄りや役場の人がよく知っていた。

なので、祖母から聞いた話を知っているか、訊いてみたこともあったが、皆一様に「知らない」と答えるばかりであった。


祖母は余所の土地から嫁いだ人だった。

だからきっと、自分の故郷の言い伝えを話していたのだろう。

──私は子どもなりに、そういう仮説を立てた。


ある五月、土曜日の昼下がりだった。

私は午前中だけの授業を終え、帰宅して昼食を食べたあと、縁側に寝そべって宿題をしていた。


「──いけんっ!」


突然、通りかかった祖母が叫んだ。


私は驚いた。

縁側に寝そべって宿題をするという、行儀の悪さを咎められたのだろうと思った。


──が、次の瞬間、祖母は強い力で私の手を引いたかと思うと、私を抱き寄せた。

この痩せた腕から、一体どうしてそんな力が入るのか、不思議なくらい強かった。


「──鳥がおるゥっ、片足の鳥がおるッ、……見ちゃいけん、いけん……!」


思わず目をやった先に、鳥の姿はなかった。

けれど──花壇の端で、小さな何かがもぞもぞと動いていた。


それは、手のひらに収まる程の、靴用ブラシであった。


父が使っているそれとは見た目こそ異なるものの、確かにそれは、靴用のブラシだった。


ブラシの刷毛の部分を足のようにして、カタ…コト…と左右に揺れながら、花壇の石垣を登ろうとしている。

赤ん坊のよちよち歩きや、つかまり立ちを思わせるような、たどたどしい動きで。


靴用ブラシの向かおうとしている先には、さらに大きな、青色の靴洗い用のブラシがいた。


私は何を思ったか、祖母の腕をすり抜け縁側から庭へ降り、ブラシたちがいるところへ近寄った。


背後で、祖母が悲鳴を上げるのが聞こえた。


私は靴ブラシをひょいと持ち上げ、“親鳥”と思しき青色の靴洗い用ブラシのもとへと、近付けてやった。

それらはどこか安心したように、仲良くトコトコと庭を出て、田んぼの畦道へと消えた。


後ろを振り返ると、縁側では、祖母がへたり込んでいた。

ただ、「よかった……よかったぁ……」と、何度も呟きながら。



数年後、大学生となった私は帰省の折、それとなく祖母にその時の話を覚えているか訊いてみた。

だが、祖母は「ほぁ、そがぁな話したかいねぇ。はぁ歳じゃけぇ忘れたぁや。」と笑うばかりであった。


結局、あれはなんだったのだろう。

もちろん、この話は誰にも話していない。

話せば笑われるか、あるいは脳検査や精神科の受診を勧められるくらいが関の山だろう。


ただ、社会人となった今でも、靴用のブラシを見ると何故だか身体が強ばり、買おうという気になれないのである。

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縁側からみたもの 笹谷ゆきじ @lily294

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