第14話 本当の彼氏
「誰に助けを求めたんだい、めぐみ」
男はめぐみのスマホを拾って尋ねる。
めぐみは黙って男を睨みつけていた。
携帯の画面には純一宛のメールが書きかけのまま送信されている。理解できないめぐみの行動に首をかしげるが、すぐに興味の対象から外れた。
「まあいい。早いところ始末してここを去るとするか」
男はめぐみのスマホを便器の水の中に投げ込む。一瞬光を放ったスマホは内部に入り込んだ水によってショートし沈黙した。
男の手には今は抜き身のサバイバルナイフが握られている。その目標はもちろんめぐみだ。
「残念だよ、めぐみ。君は知らないだろうが、俺は駅前のレンタル屋で見ていたときから、君の事が気になって仕方なかったんだ。それだというに、やっと俺のものになった君をこの手で殺さなくてはいけない。
あの時、君に現場を見られたときは正直あせったよ、俺のことに気がついたんじゃないかってひやひやもんだったんだ。
その後、あの店で君に声をかけて、俺のことに気づかなかったときは、このままいい付き合いができるんじゃないかと、ちょっとだけ、いやかなり本気で期待していたんだよ」
男が一歩一歩近づく。
「あなたが名乗っている、樋口 純一という人……彼はどうしたの」
めぐみは立ち上がることもできず、そのまま後ずさりながら言った。
「ああ、あの男は山の中で撃ち殺したよ。そういえばまだ死体も見つかってないみたいだね、今頃白骨化しているんじゃないか」
純一が死んでいる。だとすると、めぐみがメールのやり取をはじめたころには、この時間の純一はすでに存在していなかったことになる。
3ヶ月の時を隔ててのデートや、メールの内容がめぐみの頭の中で蘇える。もう現実の彼に会うことはかなわない。
二人をつないでいたスマホも、もう壊されてしまった。過去の純一に命の危険を知らせる術はない。過去を変えることはできないのだ。
そしておそらく、私の未来も……無い。
「なかなか楽しい四ヶ月だったよ。じゃあな」
男は懐に隠していたナイフを取り出し振り上げる。
その時、けたたましいパトカーのサイレンの音が鳴り響いた。
「なに、警察だと?」
男はカーテンを開けて、あわてて窓から外を見た。闇に包まれた仙台の街はいつもと変わることなく人が行きかっている。どこにも赤い光は見えない。しかし確かにサイレンだけは途切れることなく男の耳に響き続けている。
「なんだ、いったいどうなっている」
男は気づいた。けたたましく鳴り響く正体。それは男が身につけていた純一のスマートフォンだった。
電話を開くとそこにはスケジュールアラームがセットされていた。スケジュールは事前に予定を入れておくことで、その時間を知らせる音楽を自由に設定し、コメントを表示できる機能だ。
今その機能は持ち主が変わっても変わることなく定められた役割を果たしていた。
スケジュールのメッセージ欄には『お前は捕まる』の文字が現れている。
「な、なんだこれは、あの男いつの間に、こんなこと」
あわてる男の手の中で、携帯は新たなメッセージを写す。
『ぼくは知っている。お前は銀行強盗で人殺しだ』
「なんなんだこれは!こんなことする時間は無かったはず、なんでだ!」
男は怯えて携帯を投げ捨てる。それでも純一の携帯はサイレンを響かせたまま、次々にメッセージを表示した。
めぐみからのメールの着信時間から犯行時刻を判断した純一は、事件に出会う前にスケジュールをセットしてあった。
男がメッセージに気を取られた瞬間、隙が生まれた。めぐみはその時を逃さず、部屋を駆け出していた。スマホに気を取られていた男は出足が遅れた。
男が振り返ったとき、すでにめぐみは、はだしのままで玄関を飛び出していた。
「このアマ、逃がすものか」
怒りに震える男は、ナイフを構えたままめぐみを追って玄関を飛び出す。
マンションの廊下に出るとめぐみは通りかかりの見知らぬ男たちに助けを求めていた。
「なんだあんたらは」
男は持ったナイフを突きつけて叫ぶ。
「驚いたな、ホントに女性が襲われているとはね」
二人の男がめぐみをかくまうように、自分たちの後ろへ迎え入れた。
「邪魔するな、その女は俺の女なんだ。こっちに渡してもらおうか」
男の言葉に怯えることもなく、男たちは懐から取り出した警察手帳を開いて見せた。男の顔にあせりの色が浮かんだ。
「ある筋から情報があってね、君を殺人未遂、および銃刀法違反の現行犯で逮捕するよ」
素早く男の背後に回った一人の刑事が、男の手からサバイバルナイフを奪った。そして、かわりに銀色に光る手錠がはめられた。
「な、何で刑事がここに、いったい、誰が、」
その問いに刑事が静かに答える。
「樋口 純一、といったら、わかるだろう」
「バカな、あいつは確かに俺が」
「『俺が』どうしたって、その件についても近々逮捕状が出るだろう。あとは署の方で聞こうか」
男は応援に駆けつけた警官に連れられパトカーへと連れられていく。
めぐみが呆然とする中、制服姿の警官たちが次々にあつまり、いままでめぐみと男が過ごしていた部屋に入り現場の調査を始めた。
何がどうなったのか、わけがわからなかった。純一が警官を連れてきてくれた。いったい何時の間に?
「君がめぐみさんだね」
男にて情をかけた刑事が優しく話しかける。
「は、はい……純一は」
「大丈夫。幸い近くを通った通行人が銃声を聞いて警察に通報があったんでね、彼も発見が早かったから何とか命は取り留めたよ。残念ながらまだ意識は戻っていないがね」
刑事はめぐみを落ち着かせるように優しい言葉で続ける。
「使われた銃が、銀行強盗で使われたものと同じだったため警察で彼を保護していたんだ。うわごとで『めぐみがあぶない』『十一月四日に彼女が襲われる』って予言じみた言葉を発するものだから、一応彼の自宅を監視しようということになっていたんだ。所持品が何もなかったからね、彼の身元が判明したのもつい先日だったんだよ。まさか本当に強盗犯がいるとは思わなかったがね。ところで、君は彼とどういう関係なんだい?」
刑事は不思議そうにめぐみを見つめている。緊張した体がほぐれていくと同時に、めぐみは、今自分がやらなくてはいけないことを感じていた。
「刑事さん、純一は、純一はどこにいるんですか、私は彼に会わなくてはいけないんです」
「さっきも言った通り、まだ病院で眠ったまま、まだ意識が戻っていないよ。それに君には少し事情聴取に付き合ってもらわなければいけない。大丈夫、そのあとすぐに彼の病院に連れてってあげるよ」
めぐみは刑事の背広をつかんだまま懇願する。
「お願いします。今すぐに会いたいんです!」
「そういうわけにもな……」
そこに部屋の中を捜索していた警官が優しいメロディを奏でるスマートフォンを持って、めぐみたちのいる廊下に出てきた。
「どうしたんだ」
邪魔するなという視線を向ける刑事に、その警官は手に持った携帯を開いて見せた。
「これ、部屋の中で拾ったんですが、多分そこの彼女に向けたメッセージじゃないかと思うんです」
めぐみは刑事の制止を振り払い、スマホを掴み取り、画面に見入った。
それは男が奪って使用していた純一のスマートフォンだ。純一がスケジュールアラームでサイレンを鳴らし、メッセージを残してくれたおかげでめぐみは男のもとから逃げ出すことができた。
そして今、スケジュールは三か月前の本当の純一から新たなメッセージを映し出していた。
『めぐみへ
めぐみが無事にこのメッセージを読んでいることを切に願う。でも、これを読んでいるということは、ぼくはもう君のそばには居れなくなっているんだね。三ヵ月後の君と現実に出会うことができないのが残念でたまらない。この曲だろ、二人でデートしたときに一位だった曲、ちょうど今日発売だったんだ。ホントは二人で聞きたかったな。
めぐみの無事を心から願う。さようなら』
スマートフォンはやさしい旋律をリピートし続けている。彼はどんな気持ちでこの文章を書いたのだろう。
「刑事さん、私やっぱりいかなくちゃ。お話ならあとでいくらでもします。あの男のことも、純一と私のことも。私たちの不思議な体験も、だから……」
刑事は少し悩み、そして黙ってめぐみを連れてパトカーに向かった。
仙台の街は月明かりに照らされ、めぐみたちの行き先を照らした。病院に向かう車の中、めぐみは純一の携帯電話を握り締めて彼の無事を祈った。
*
車は仙台の駅を少し外れた大学病院の構内に入った。
すでに診療時間も終わっている病院は静まり返っている。刑事に連れられめぐみは病院にはいった。宿直の看護婦に事情を説明し、特別に病室に案内してもらった。
扉には面会謝絶の札が下がる。警備に当たっていた警官が敬礼をして、めぐみを室内に案内した。
めぐみは真っ白なベッドに横たわる男の顔を見下ろす。
本物の純一はレンタルビデオ店で見覚えのある顔だった。かっこいいとはいえないが、愛嬌のあるやや幼い雰囲気の残る顔をしている。しかし今は頬もこけ、腕から伸びる点滴の管が痛々しかった。
「まったく、いつまで寝ている気なの、あなたのおかげで私はこうして無事だったって言うのに」
ベッドの脇にしゃがみこみ、痩せこけた純一の体をゆする。「早く起きて、私たちの時はつながったのよ。もう文字だけじゃない、会話もできる、触れ合うこともできる。こんな風に……」
めぐみはそういうと、命を懸けて自分を守ってくれた、三ヶ月前の彼氏にそっと口付けを交わした。乾いた純一の唇に命を吹き込むかのように、めぐみは唇を重ね続けた。
「おい……、眠り姫にキスするのは王子の役目だろ……」
めぐみの下でくぐもった声が聞こえる。見下ろすとそこには苦しそうにしながらもやさしく微笑む純一の顔があった。
やっと出会えた、本当の彼氏にめぐみは涙を拭いて満面の笑みを返した。
終わり
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