第2話


 「おうハルヤ、花見行こーぜ」

 転職間近の残業中、コンビニの袋をいっぱいにして只野が誘ってきた。

 時計を見るともう午後八時。引き継ぎだなんだと正直そんな暇はないのだが、只野の誘いなので二つ返事で行くと答えた。

 コンビニ袋には只野さん用の缶ビール、そしてハルヤ用の缶ジュース。あとはおつまみやお菓子がいくつか入っていた。

 「ペットボトルじゃなくて缶なんですね」

 「花見感出ていいだろ?」

 只野がにやりと口角を上げる。

 あたりは真っ暗だが、桜でぼんやりと明るい。

 なんだか不思議な空間に来てしまったみたいだ。まるで、世界に只野とふたりだけのような。

 「ハルヤ、」

 珍しく只野が言い淀む。

 「はい」

 返事をしつつ、ハルヤはオレンジジュースを一口飲んだ。オレンジ、というより、オレンジ味の甘い液体、という感じがする。

 「俺、はさ、ハルヤが入ってきた時、またちょっと浮いたやつが来たなーと思って、でもなんかくじけてほしくなくてさ、いっちょフォローしてやるかって意気込んで」

 ええ、悪口?いや、当時の本心か。

 その直球さにハルヤは小さく笑う。

 「でもなんかどんどん覚えていって、まめに顧客へ連絡とったり、メモして情報覚えたり、苦手な接待や飲み会にも参加したり、例えば俺は気付けないような、セクハラジジイの横は絶対キープして女性社員座らせなかったり、パワハラおっさんが怒鳴ろうとした瞬間話変えながら小さなクッキーあげたり、さりげなくやっているようで実は表情はものすごく緊張していたり」

 「いじめられていた経験が役に立ちましたね」

 「……そんな苦しい記憶はいらない。ハルヤの根の性格だよ」

 只野の瞳が少し揺れる。

 苦みを感じ取ったその優しい表情に、ハルヤは小さく微笑んだ。

 もちろんいじめは嫌な記憶だ。クラス全員から無視された時の体温を失う感覚は今でも覚えている。

 僕は誰からも見えていないのか?と半狂乱になった。ぼんやりと混乱したまま下校し、近所のおばあちゃんに「あらおかえりなさい、もう帰りの時間なのねえ」と声をかけてもらって、心底ほっとした。


 「ハルヤ」

 真正面から肩を掴まれ、少し驚く。

 楽しいことは大きく笑い、感動したり悲しいことには大きく泣き、いつも口を大きく開けている印象の只野が、真っ直ぐに唇を結んでいる。

 「俺は……ハルヤが……その、ハルヤが……好き、だ」

 ……驚いて目を丸くする。

 口を開いた瞬間、只野は間髪入れず続けた。

 「あーーいやごめん、ごめんってなんだよな、でも嘘とかじゃないんだ。けどいきなりさ、こんなこと言われたら困るよな、男だし。けど会えなくなる前に言おうと思って、言い逃げってかっこわるいよな、ほんとださい、俺かっこわる、ごめんほんと、いやいや酔っぱらいの戯れ事だと思ってさ、ははは、まあ飲もうや、いやハルヤはジュースか、この後の俺のこと無視してもらっていいからうん、」

 一気に話し、一気に缶ビールを飲む。

 ハルヤはぽかんと只野を見つめた。

 「……いや、新幹線で二時間のくらいの距離なんで、全然会えますけど」

 は、は、は、と無理に笑顔で固まった只野に、ハルヤがそう答える。

 ……みるみるうちに、その微妙な表情が人間らしさを取り戻していった。

 「え」

 「いや確かに毎日は難しいですけど……あと、連絡先知ってるんで電話もメッセージもできますし」

 「……そっか」

 納得したように、小さく只野がつぶやいた。

 「そっか、俺、なんかテンパって、待ってそうだよな。そっか。うわ恥ずかし、」

 「あと、それノンアルコールビールですよね」

 ハルヤが右手の缶ビールを指差す。

 ずっと気づいていた。ぱっと見普通の缶ビールだが、しっかり「ノンアルコール」と書いてある。

 「酔っぱらったふり、もう通じないですよ」

 にっと笑って只野を見つめる。

 おかしいと思ったのだ。いつも行く居酒屋ではなく、自分たちで買い出しに行くわけでもなく、すでに用意された飲み物たち。

 いつもビールを飲む只野が、ばれずにノンアルコールを選びたかったからだろう。

 観念したように只野は肩を落とした。

 「……すまん。本当に酔っぱらったら、やっぱりいてくれとか嫌だとか泣きわめきそうだったし、けど、もし伝えて気持ち悪がられたらもう生きていけないと思ったから、酔っぱらってたって言えるように逃げのノンアルコールを用意したんだけど、そりゃよく見たらわかるよな……」

 確かにかっこいいか悪いかでいうと悪い。

 でもそんな只野が等身大で人間らしく、愛おしさを感じた。


 「僕も好きですよ、只野さんのこと」

 すっと立ち上がり、オレンジジュースを一気飲みする。口の中に甘さが広がった。

 「は、?それは、えっと、どの好き……俺の好きは、人間としての好きじゃなくて、あ、いや人間としても好きだけど、愛のほうで……」

 小っ恥ずかしいことをぺらぺら言ってる自覚はきっとこの男にはないのだろう。

 なんだかハルヤも恥ずかしくなり、もう一度ベンチに座った。


 「僕も愛してるって言ってるんすよ!」


 今度はハルヤが只野を正面から見つめて、真っ直ぐと伝える。

 只野の目が一瞬大きく見開き、直後、ふにゃりとゆるんだ表情をした。

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愛してるって言ってるんすよ しお しいろ @shio_shiiro

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