悲しいワルツ
増田朋美
悲しいワルツ
まだ初夏というのには早すぎると思われる季節に、早くも夏日と呼ばれる日がやってきて、みんな困っている日々が続いていた。その日、製鉄所に、杉ちゃんの着物仲間である、田沼ジャックさんが、息子の武史くんを連れてやってきた。
「どうしたんですか?こんなときにわざわざ来るなんて。」
水穂さんがとりあえず武史くんの相手をすることになり、ジャックさんはとりあえず応接室で話をすることになった。とりあえず杉ちゃんにお茶を出してもらって、ジョチさんはそう答えた。
「いや、それがですね。武史の同級生が何でも亡くなったとかで、武史が立ち直れないようでして。」
ジャックさんは申し訳無さそうに言った。
「はあ、それはなにか事故にあったとか?それとも、病気で亡くなったとか?」
杉ちゃんがそうきくと、
「表向きは先生がそういうことにしたようなんですけど。」
ジャックさんは話し始めた。
「でも、実際は、そうではなかったようなんです。」
水穂さんの部屋では、いつものようにピアノを弾いて聞かせていた水穂さんが、何も口を開かない武史くんに驚いていた。
「武史くんどうしたの?随分元気がないじゃない。」
水穂さんが優しく武史くんに言うと、
「おじさんは僕の言う事わかってくれる?」
と、武史くんは言った。
「わかってくれるって何が?」
水穂さんが聞き返すと、
「あのね、正男くんは殺されたの。」
武史くんは言った。
「正男くんって誰?」
水穂さんが聞くと、
「クラスメイトの佐藤正男くん。」
と、武史くんは言った。その言葉を聞いて水穂さんは、いつの日か報道で、六歳の男の子が死亡したというニュースをやっていたことを思い出した。
「その子は、武史くんの同級生だったの?」
「ウン。学校の先生は、正男くんはインフルエンザが悪くなったからだって言ってたけど、僕、正男くんといっしょに、温泉に出かけたときに、見たんだよ。正男くんの体にあざがあったの。でも、学校の先生は、それを言っても信じてくれなくて。」
一方、応接室では、ジャックさんが同じことを話していた。
「そうですか。でも、子供さんの言うことですし、武史くんのような子は、べらぼうにウソを付くことはないと思います。それでその正男くんという子どもの親御さんはどうされているのですか?」
ジョチさんがそう言うと、
「はい。警察が話を聞いたらしいのですが、正男くんがほんとうに殺害されたのかは定かではないそうで、そのままで居るようです。」
ジャックさんは正直に答えた。
「じゃあ、正男くんの死因なんかは?」
「ええ、その当時学校では、インフルエンザが流行していたので、その一例とは言われていたそうです。確かに、正男くんが熱を出して死亡したということはわかっているんですけど、武史の話では、正男くんは熱を出したのに、何時間も放置されていたそうです。」
杉ちゃんがそう言うと、ジャックさんは言った。
「そうですか。そこから判断すると、正男くんの親御さんが、本当に故意に正男くんを殺害しようと言う意思があったかが鍵になりますね。」
ジョチさんは、なるほどという顔をした。
「それでは、事件として扱えるかどうか、それもわからないと言うことですね。多分武史くんのことですから、事実としてあったことだと思います。」
「そうですね。僕も武史がどうしたら立ち直ってくれるかどうかよくわからないんです。それで困ってしまって。」
ジャックさんは、どうしようと言う顔をした。
「まあ確かに、お辛いとは思いますけれども、今回は、時間が経つのを待つしかないのかもしれません。親友がなくなるというのは、本当に小さな子どもさんには辛いと思いますから。死んだ人々は帰ってこない以上、生き残った人々はなにが分かればいい?なんていう詩もございます。」
「そうだねえ。まず、そんな悠長に詩を諳んじている暇はないだろうよ。それよりも、正男くんのつらい気持ちを和らげてあげることじゃないかな。」
ジョチさんと杉ちゃんは、相次いでそういうことを言うと、
「僕自身も武史にどういったらいいのかよくわからないんですよ。本当に武史は、正男くんが殺されたと思い込んでいるようですし。どうしたら良かったのかなあ。」
ジャックさんは、つらそうに言った。
「まあ、とりあえず、時間が経つのを待つしかないんじゃないかなあ。」
杉ちゃんがでかい声でいうと、水穂さんの部屋から、ショパンのワルツ7番が聞こえてきた。多分水穂さんが、弾いているのだろうなと思われるのであるが、重い短調の曲である。
「武史は、落ち込んで居るんでしょうね。あんな重い音楽を弾かせるなんて。それでは、立ち直れなかったらどうしよう。」
「いやあ、大丈夫だよ。人間、どうしようもないこともあるじゃないか。ただ時間の経つのを待つしかないっていうか、そういうときもあるよ。」
落ち込んでいるジャックさんに、杉ちゃんがそういったのであるが、
「でも、正男くんのことは、事件として扱ってもらわないと、大人として、子どもに恥ずかしい一面を見せることになると思いますから、そのあたりはちゃんと調べないとだめでしょうね。ちょっと、警察に連絡してみて、調査してみる必要があると思います。」
とジョチさんが言った。ジョチさんは、スマートフォンを出して、警察署へ電話をかけてみた。
「もしもし。あの、佐藤正男くんという男の子が死亡したという事件をご存知ありませんか?」
そう言って、ジョチさんはいくつか言葉を交わした。その間に、ワルツ7番が、杉ちゃんたちに聞こえてくる。
「ああそうですか。わかりました。それでは、正男くんのことは事件として起訴はしなかったわけですね。」
と、ジョチさんはまた何か交わして、電話を切った。
「一応、正男くんの事件というか、正男くんの死因は、高熱による衰弱だったそうです。まず、正男くんが死亡したときのことを聞いてみましたが、お母様から、正男くんがぐったりしていると消防署に通報があり、救急隊員が到着したときは、もう心臓は停止していたということです。確かに、インフルエンザには罹患していたそうですが、その治療薬を飲ませるとか、そういうことはなかったようです。」
「それでは、お母様は今どうされているんでしょう?」
ジャックさんが聞くと、
「ええ。正男くんが死亡してから、精神状態が不安定になったそうで、今現在影浦医院に入院しているそうですよ。」
と、ジョチさんは答えた。
「そうなんだねえ。じゃあ、ちょっと会ってみる?ま、面会は無理だと思うけど、話を聞くことはできるかもよ。」
杉ちゃんがそう言うので、みんなそうすることにした。武史くんのことは、水穂さんが見ているからといったので、杉ちゃんとジョチさん、そしてジャックさんの3人は影浦医院に向かった。
影浦医院に到着すると、ジョチさんから連絡を受けた影浦千代吉先生が出迎えてくれた。
「本当は、患者さんに面会に来てくれる人がいてくれたほうがいいんです。誰もあいに来てくれないのでは、本当に捨てられてしまうのではないかと思いますからね。」
影浦先生は、医者らしく言った。
「正男くんのお母さん、つまるところ、佐藤優香さんですが、僕達医療関係者にも、弁護士の先生にも話をしてくれないのです。事件のことも何も話してくれないので、僕らも困り果てておりました。」
「そうですか。それで正男くんのお母さんは、武史が正男くんと仲が良かったことは覚えてくれているのでしょうか?」
と、ジャックさんが聞くと、
「はい。それは覚えてくて入れているみたいですよ。武史くんという子が、よく遊びに来てくれたことは覚えているようです。ですが、順序立てて話すとか、そういうことが、まだできないので、そのあたりを話すのは、難しいのかな。」
と、影浦先生は言った。
「それで、どちらの部屋にいらっしゃるんですか?」
ジョチさんが言うと、
「はい、こちらにおります。面会の間は鍵をかけておきますので、脱走のおそれはないと思います。」
と、影浦先生は個室の前で止まった。そこは外から鍵をかけられるようになっている部屋だった。影浦先生は部屋のドアを叩いて、
「失礼いたします。正男くんのクラスメイトの田沼武史くんのお父さんが見えられました。」
そういうと、なんだか変な声ではえいというような返事が聞こえてきた。影浦先生が、開けますよと言ってドアを開けると、ベッドに座り込んでいる、佐藤優香さんという女性の顔が見えた。
「佐藤優香さんですね。息子さんの佐藤正男くんのお父さんが見えられました。何でも武史くんが、とても悲しい思いをしているので、それでお話にこさせてもらったそうです。」
影浦先生が声をかけると、
「武史くんが、来てくれたんですか?」
と優香さんは言うのである。
「違うよ。武史くんのお父さんだよ。」
杉ちゃんが言うと、
「武史くんは、うちの正男のこと。」
と、優香さんは言うのであるが、それ以上のことはいえなかったようで、涙をこぼして泣き出してしまった。
「優香さん。正男くんは一人ぼっちで、可哀想な子どもだとおっしゃっていましたが、そうではなかったようですね。武史くんという友達がちゃんといたではありませんか。」
影浦先生がそう言うと、
「はあ、正男くんが可哀想な子供さんだと言っていたのか。」
と杉ちゃんが言った。
「だから、正男くんがいなくなって良かったと言っていましたけれど、あなたが言っていることは間違いだったんですよ。そういうわけですから、もう正男くんはいなくなったほうがいいだなんて言うのは、辞めましょうね。」
影浦先生ができるだけ優しくそう言うと、優香さんは、申し訳無さそうにハイと言った。
「実は、佐藤優香さんは、いわゆる特定妊婦とされていたようで、正男くんが生まれる前から、色々行政から注意を受けていたということでした。正男くんが生まれたあとも、児童相談所がなんとが介入したようですが、小学校に入って、それも終了してしまったそうです。」
「そうなんですか。」
とジョチさんが言った。
「それで。正男くんが小学校に上がってから、正男くんのことを疎ましく思うようになったんですか?」
「はい。だって正男はとても体が弱かったし、勉強をいくら教えてもできないし。幼児のころは、正男のことを、見てくれる人がいたけど、それもなくなってしまって。」
優香さんは泣きながらそう答えたのであった。
「本当に正男くんのことを可愛いとか、思えなかったんですか?」
と、ジャックさんが聞いた。
「思えませんでした。だって、あたしがいくら教えても、勉強ができないし、体も弱くて、こんな人間で小学生をやっていけるのかわからなかったんです。だから、もういなくなったほうがいいのではないかと。」
「そうですか。でも、正男くんは、少なくともうちの武史にとっては大事な親友で、その子が亡くなったということで、武史はえらく落ち込んでしまっているんですけどね。」
と、ジャックさんは、ちょっと腹を立ててというか、そんな気持ちになっていってしまった。
「そういうわけですから、正男くんをこの時点で失ってしまうのは、ほんとうに武史は悲しいと思います。武史は、正男くんのことを、勉強ができないとか、体が弱いと言ったことはありませんでした。武史は、正男くんに、一生懸命勉強を教えて、それがとても嬉しかったと言っています。」
「ほらあ、正男くんは何の役にもたたない子どもじゃなかったじゃないか。お前さんの勘違いにも程があるよ。」
杉ちゃんに言われて、優香さんはやっと
「そうだったんですね。」
と言ってくれた。
「やっと、正男くんのことを、わかってくれましたか。こんな事件を起こす前に、正男くんが、武史くんにとって大事な存在だったということを知ってくれたら、最悪の事態は免れたかもしれないですね。」
と、影浦先生が言った。優香さんは、小さな声で、
「ごめんなさい。」
とだけ言ってくれたのであった。
「ごめんなさいで済む問題じゃないんですけど、少なくとも正男くんは大事な人だったということはわかってほしかったな。もう二度とこんなことしないって、頭の中に叩き込んでおいてほしいなあ。」
と杉ちゃんが言うと、ジョチさんのスマートフォンがなった。
「はい、曾我でございます。ああ、水穂さんどうしたんですか。ええ、こちらはまだ、正男くんのお母さんと話をしています。ああそうですか。それでは、武史くんの希望を叶えてあげてください。武史くんは癒やしが必要だと言うのはわかりますから。じゃあ、よろしくお願いしますね。」
「どうしたのジョチさん。」
杉ちゃんが心配そうに聞くと、
「ええ、水穂さんからです。何でも武史くんが泣き止まないので、天童先生に癒やしを頼むそうです。」
と、ジョチさんは答えた。
「はあ、それはどういうことだ?」
杉ちゃんが聞くと、
「まあ、僕達には、できないこともあります。天童先生のような人でないとだめなこともありますよ。」
ジョチさんはすぐに言ったのであった。
杉ちゃんたちがそんなことを話している間、水穂さんに以来を受けた天童あさ子先生が、製鉄所に到着した。
「こんにちは。武史くん一体どうしたの?」
天童先生は優しく彼に言った。
「なんでも、同級生が亡くなったとかで、気持ちが落ち込んだままなんだそうです。」
水穂さんがそう言うと、
「ああそうですか。最近この依頼が多いのですが、武史くんもその一人なのでしょう
では、悲観療法をやってみましょうか。なくなったお友達と話を指せるという治療法です。」
と天童先生は言った。そして武史くんに長座布団の上に横になってもらうように指示を出し、武史くんがその通りにすると、
「では武史くん、目を閉じてください。そうして、自分の足先をイメージしてください。」
天童先生は誘導を始めた。
「それでは、大きな木があることをイメージしてみましょうか。その大きな木の下に居る人物は誰でしょうか?」
天童先生がそう言うと、
「ああ正男くん!正男くん!」
と、武史くんは言った。
「そうですね。そこに居るのは正男くんだね。それでは何か言いたいことはありますか、正男くんに、話をしてみよう。」
天童先生が言うと、
「正男くん、こないだはごめんね!僕は、正男くんに宿題を教えてと言われても、教えてあげられなかった。それは、正男くんのことが嫌いだったわけじゃないんだ。ただ、僕も先生に怒られてしまってつらい思いをしてしまっただけなんだ!」
と武史くんは、そう正男くんに訴えるように言った。
「武史くん、正男くんは、どんな顔をしているのかな?」
と天童先生が聞くと、
「ニコニコしています。」
と武史くんは答える。
「そうなんだ。それでは、大きな木の後ろにある、空はどんな空ですか?」
天童先生がそうきくと、
「爽やかな青空だよ。」
と武史くんは言った。
「そうか。じゃあ正男くんからプレゼントがあるそうです。武史くんそれを受け取ろう。」
天童先生が言うと、
「わかりました。」
と武史くんは言った。天童先生が何をもらったのか聞くと、武史くんは、紙と鉛筆をもらったと言った。
「そうなんだね。じゃあ武史くん。しばらく大きな木の下で、静かに寝てみようね。正男くんは、これからも武史くんのそばにいてくれるよ。」
と天童先生が言って、武史くんはやっと悲しい顔からにこやかな顔になった。しばらく、お休みしてもらって、天童先生は武史くんに、
「じゃあ、ゆっくり目を開けてみてください。」
と指示を出した。武史くんは、にこやかな顔で目を開けて、
「正男くんに会えた。」
と、にこやかに言った。
「ありがとうございます。正男くんに合わせていただけて、武史くんも喜んでいただけたことでしょう。」
水穂さんがそう言うと、
「いいえ、あたしはただ、癒やしの仕事をしている人間として、仕事をしているだけですよ。」
と、天童先生が言った。水穂さんは、かなり疲れているような顔をしていたが、
「良かった。武史くんが、楽になってくれて。」
と、一つため息を付いた。
「水穂さんお体は大丈夫ですか。武史くんのことばかり気にしてないで、たまにはご自身のことも心配してくださいね。」
と、天童先生が言うと、
「ええ。今のところは。」
と水穂さんは苦笑いした。
「そんなことないでしょ。おじさん。僕がそこで寝ていたときにも咳していたじゃない。」
と武史くんがいうので、水穂さんは思わず、
「武史くん。」
と言ったのであるが、それ以上は言わないことにした。
それと同時に、只今戻りましたという声がして、ジョチさんと杉ちゃん、そして、ジャックさんが戻ってきた。
「それで、正男くんのお母さんとは話をすることはできたんですか?」
水穂さんが、ジャックさんに聞くと、
「ええ。まあ、話はしたんですけど、正男くんのことを、本当に愛しているとは思えませんでした。何でも、特定妊婦として、正男くんが生まれる前から問題しされていたそうです。ですが、そういう制度があるのに、なぜ、そういう人物から正男くんが生まれてしまったのでしょうか。それが、なんか哀れでならないんですよ。」
と、ジャックさんはがっかりとしていった。
「しかし、不思議なことですね。特定妊婦とか、そういう女性を守る制度があるというのになんでもう少し、彼女を、大人にするように持っていくことはできなかったんですね。なんか不思議だなあと思います。」
ジョチさんは、腕組みをして、大きなため息を付いた。
「なんだか、もうちょっと、学校とか、そういうところで、子供さんのことを教えてあげるような機会があったらいいのにねえ。」
杉ちゃんがでかい声で言った。
「どうして、僕と正男くんは二度と会えなくなってしまったのだろう!なんで、僕はもう正男くんに勉強教えてあげることもできないんだろう!」
武史くんは子供らしく、そういったのであるが、
「そうだね武史くん。本当は、そういう制度とか、教育とか、そういうのを作ってあげて、みんなが幸せになれるようにしてあげたほうがいいよね。」
水穂さんがそう言うと、
「武史くんが、そういうことができるおとなになってほしいな。」
天童先生が、にこやかに言った。
悲しいワルツ 増田朋美 @masubuchi4996
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