紫煙

malin

紫煙

紫煙立ち上る秋の夕暮れ。今、街の上空を覆い尽くすような橙色の空に一筋の煙が上った。しかし、その煙は宙をゆらゆらりと舞ったのち、どこか向こうへと姿を消した。


そのあとに残ったのは苦く、喉が焼け付くような感覚だけ。故に、私はこの煙草という嗜好品を美味しいと思ったことはない。


だが、私はこの嗜好品を手放せずにいる。もしかしたら、いわゆるニコチン中毒というやつなのかもしれない。気が付けば煙草の箱の中身も20本から9本にまでに減っていた。


私はテーブルの上の灰皿に吸い殻の死体を積み上げ、その手で机上にある煙草の箱とライターに手を伸ばした。


慣れた動きで煙草を取り、火をつけ、吸い、煙を吐く。吐いた煙の行き先は決まっている。しかし、決まっているはずなのに揺らぐ様子がどこか昔の自分に似ていて、無意識に重ねてしまっていた。


私は優秀で勤勉な学生であった。だされた課題は期限通りに提出し、授業では積極的に手を挙げていたから先生たちからの評価は良く、真面目な生徒だという認識を持たれていた。私もそれを疑ってはいなかったし、それすらもはや当たり前であるとさえ思っていた。


このまま東京で有名な医療大学に行って、医者になるんだと思ってた。だって、親にも先生にも優秀なんだからと言われてその道を勧められたし、私も自分の力には自信があったから。


でも、受けてみたら違った。落ちた。

頭が真っ白になって、一瞬足に力が入らなくなって倒れた。けど、それでも落ちたことを糧にしようとして浪人した。受かる為に文字通り死ぬ気で努力した。また、落ちた。理由は勉強漬けの日々で積もった疲労からの集中力の低下だった。


そこから自分の中の何かが揺らぎ始めた。自分の生きてる意味に疑問を持つようになり、前のようになにかに対して努力するのが難しくなった。努力は報われないとしか思えなくなったからだ。


今は後悔と人生に対する絶望をずるずると背負いながら、親からお金を借りてワンルームを借りている。かなり綺麗で住みやすい賃貸だった。部屋の右角には買ってもらったベッドがあり、中央にテーブルを置いただけだがそれだけでも充分だ。


そろそろ煙草がなくなる。最後の一本に火をつけて肺に入れるように吸い込む。口から煙を吐き、それを何度も繰り返す。


煙草を吸い終わり、それを灰皿に入れると私は立ち上がって朝に天井に吊るした縄へ首を通すために近くにあった椅子にのった。


「疲れたな…」


最後に親にさよならでも言えばよかったかな、と思いながらも縄に首を通して足元の椅子を蹴飛ばした。それと同時に足に走る痛みを掻き消すためかのように首を絞める力が強くなり、息もできなくなって、だんだんと苦しくなっていく。


両方の足をじたばたさせて、本能が苦しみから逃れようと首の縄に手を伸ばした。なのに、突然激しく動いていた足が動かなくなり、首元に伸ばした手がだらんと垂れる。


部屋に残され、火が消えていなかった煙草からは一筋の煙が上がっていた。

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紫煙 malin @konpeitou014

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