パッチワークライフ
眠之木へび
第1話
やはり私にはこの銃がお似合いらしい。天井まで駆け上がりながら、叛逆者に立ち向かうロボ達のコアを次々と光弾で撃ち抜く。私も同じプログラムを教え込まれた身、彼らの行動は手に取るようにわかる。対する彼らは、私の行動を読めない。なぜなら、私のプログラムは感情で歪んでいるから。正常な彼らと不良品の私は別物なのだ。
同僚だった金属片がシリコンの頬を掠めた。再生シリコンなので傷はすぐに治る。
けれど、守るべき彼女は合成人間。生身の人間を継ぎ接ぎしただけなので、傷ができたら簡単には治らない。特殊な檻の中とはいえ、細心の注意を払わねば。
決して快楽に呑まれてはいけない。施設中のロボが私を狙う。それを返り討ちにする。楽しい。楽しいけど、考えろ。
「大方やれたかな」
ボタンを操作し、幕を上げた。たった一人の観客は、拍手どころか席を立ちもしない。特等席にちょこんと座って、無表情で演者を見つめている。
「逃げようか、ヒューマン」
彼女は誰かの銃を拾い、私に向けた。
「いや、名前を付けよう。ご希望は?」
銃を向けたまま、長い睫毛の目も小さな口も動かさない。せっかく人間なんだから、表情を出せば良いのに。自分の名前を真剣に考えている、ということでも無さそうだ。仕方の無い子だ。
「じゃあ私が決めよう。……レノ。決定ね」
拝借した黒いローブを着るよう指示すると、レノは銃を下ろした。
「はぁ、早く案内してください」
「乗り気だね。私はアイ。よろしく。では、レノ様、お手を」
レノは黒と青の二つの目だけを向け、私の手を弾いた。
「ロボアレルギーかい?」
「嫌悪の表現ですが」
「そう。なら、もっと嫌ってくれ」
私はレノの腰と膝を掬い上げ、通路を走りだした。レノは一切抵抗しなかった。諦めか、信用か、その無表情からではわからない。
随分軽いな。前はもう少し重かったはずだが。おかげで走りやすくて助かるけど。なんだか、コアの奥が虚しくなった。
曲がり角。正面から残党の羽音が迫ってくる。
数は少ないが、両手が塞がっている。レノを降ろす時間も無い。回路を巡らせていると、銃声と共に破裂が連鎖した。
レノが撃った。先程拾ったものを隠し持っていたらしい。
「ありがと。やるねぇ」
「腕は慣れているので」
欠片を潜り抜けた先の白い壁には、長方形を縁取る窪み。レノよりも私よりも大きい。
「扉?」
「そう。こっそり作った抜け道」
私が手を当てると、窪みは青白い線となった。そのまま力を込めると、長方形はガタリと外に倒れた。
「ただの乱暴者じゃないんですね」
「まあね。昔は人間のお世話係やってたんだよ。そりゃ優秀に決まってる」
ピンときていないレノを降ろし、二人で外に出た。
外気は涼やかに私達を迎えた。陽光が眩しい。眺めた先には、青空から弾き出されたような暖色の山。
「あそこに行こう」
石の道を歩きながら、レノが尋ねる。
「今更ですが、なぜ我々を逃がしたのですか?」
「最後の人間である君に死んでほしいから」
レノの表情は変わらない。けれど、二の句を継げない様子だった。
「あの檻で、無味乾燥に飼いならされて生きながらえるのも、その果てに死ぬのも、つまらないじゃない。私は君に、綺麗なものを見て、心を満たして、死んでほしいんだ。だけど、君が今ここで死にたいなら、それでも良いよ」
レノは自分の銃を見つめた後、顔を上げた。
「あなたが言う綺麗なものを見てみたいです」
「そう言ってくれて嬉しいよ」
潜みながら沸々と、懐かしい感情がこみ上げる。
「行くよ、レナ!」
しまった。
「自分で付けておいて間違えないでください」
「ごめん、レノ!」
冷ややかに吐き捨てたレノは、ぷいと目を逸らした。
すると、アナウンスが響いた。
『I型0143番。人間保存施設の破壊及び人間の窃盗。現在も逃走中。I型0143番――』
「アイ、これは」
「大丈夫。ここら辺にロボは殆ど居ない。それに、先んじて妨害電波を出しておいた」
「……周到ですね」
「えへへ」
しばらくは見つからないだろうが、都市の奴らがやってくるのも時間の問題。だが、今はゆっくり歩きたい。自由を享受したい。穏やかに、彼女と共に居たい。非合理的だが、私はそういうロボなのだ。
やがて、麓に迫る。
ようやっと、小屋が建っていることに気づいた。うちの施設より二周り小さい立方体だ。紅葉した木々の保護色に塗られているせいで、近づくまで存在を認識できなかった。
その瞬間、扉が開き、一台のロボが出てきた。正方形の頭に付いた一つ目を向け、逆三角の胴の下、円盤状の浮遊脚で私達に接近する。そして、六本の腕で行く手を阻んだ。
私は銃を向けた。レノも同時に。しかし、ロボは怯まず、「落ち着きなさい」と二つの銃口を押さえた。
「僕は君達を匿うつもりだ。I型0143番、そして最後の人間」
「ありがたいけど、君になんの利点があるんだ?」
「君、感情を持っているな。何、見ればわかるさ。僕も感情を得たいと考えている。感情は判断手段として有用だからな。後学のため、どのようにして感情を得たのか聞かせてくれ」
聞いた後は用済みとして差し出すのではなかろうな。怪しさは払拭できない。頭を捻らせていると、レノが私の手を引いた。
「乗りましょう。少し、休みたいです」
「……まあ、レノが言うなら」
私は医者に向き直った。
「期待に添えるかはわからないよ」
「ありがとう。どんな小さなことでも構わないさ」
私達は小屋に招き入れられた。古風な民家といった内装に場違いな『手術室』と書かれた扉が一つ。全体的に清潔だが、経過した年月は錆びついている。
ロボは医者と名乗った。専門は色々とのこと。
「私は先天的に感情を持っていた。つまりただの不良品。だけど、豊かにする方法なら知ってるよ。本を読め。演劇を観ろ。実際に感情を目の当たりにするのが効果的だ。人間と触れ合うのも良い」
「なるほど。ご教授感謝する。では早速、レノと話がしたい」
「駄目。あの子は私のだから。他の人間を探しな」
「無理難題だな。まあ、良い。ところで」
医者は真ん中の一対の手を組んだ。
「君が、感情を持っている自分を不良品と言うのはなぜだ?」
「私達ロボは自律思考してプログラムを遂行する存在だ。論理的に、理性的に。そこに余計なものが混入してるんだ、不良品だろ。それに、私の主もそう言っていた」
「主って、レノか?」
私はレノに視線を向けた。彼女は遠い窓から見える、揺れる紅葉に釘付けだ。
「違うよ。昔仕えていた人間。もう居ないけどね」
「そうか。ふむ。なるほど」
医者はジィと鳴らして私を見つめた。
「君は主とレノを重ねている。だから、そんなに執着しているんだ」
確信を持ったその言葉に、私は返答に困った。
重ねるも何も、彼女が私の主なのだ。
彼女は今でこそ合成人間だが、最初はそうではなかった。継ぎ接ぎになる前には、素体が必要だ。その素体が、私の主――レナだった。
ロボットに感情は不要。ただ指示を遂行するだけで良い。私はそれができなかった。感情に左右されるから。疑問を抱いてしまうから。
「不良品ね」
私を買った少女が、紅い目を細めて笑った。
「でも、その方が良いわ。綺麗なものを見て一緒に笑えるもの」
レナは自然が大好きだった。花畑や山に何度も連れ出された。お気に入りは桜。春は毎日花見をしていた。可憐な薄桃が悠々と自由に揺れる様。確かに、綺麗だと思った。
しかし、彼女は、とある施設の冷たい檻に入ることになった。二度と桜も見れず、どこにも行けなくなる。
「残念だけど、それが役目なら我慢するわ。大丈夫、必ず帰ってくる」
レナは私の手を握った。
「それまで、たくさん綺麗なものを見て。そして、私に教えて」
けれど、何十年待ってもレナは帰ってこなかった。
一人で桜を眺めていたある日、私はその施設に配属されることになった。
施設は山奥にあった。貴重な生物である人間を狙う者は多いため、隔離されているのだ。そのおかげで、道中は退屈しなかったし、向かうのも苦ではなかった。そこでも綺麗なものを見られるから。
プログラムの再構成を終わらせ、私は、足早にレナのもとへ向かった。
「レナ! 今年の桜も――」
彼女は、私を無感情な黒と青の目で一瞥するだけだった。
人間保存施設。その目的は、健康な人間を保存すること。そして、より完璧な人間に近づけること。
人間の優秀な部位を見つけては、付け替えられる。それが、人間が彼女だけになるまで、何度も何度も繰り返され、ヒューマンと呼ばれる彼女は心臓以外別人になってしまっていた。
コアの奥がぽっかりと冷えていく。同僚にはメンテナンスを勧められたが、断った。この故障には意味が無い。
冷えを我慢して、ずっと我慢して、そして今日。
私は彼女を連れ出した。
これを説明する気にはなれない。声に出すのが億劫なのだ。
「論理の飛躍だ。感情に近づいてるんじゃない?」
「……そうか」
医者は目を閉じた。
「山に登るんだったか」
「うん。今からね」
「この山は比較的安全な地形だ。頂上の酸素濃度も気温も、その装備で問題無い。だが、油断はするなよ」
「ありがとう。行ってきます」
水や食料を貰い、私達は山に足を踏み入れた。
嗅覚を撫でるような、苦みのある土の匂い。頭上では鳥が鳴いている。そこにレナの声が混ざった、気がした。
木々を見上げると、穏やかな風が吹き、紅がはらはらと優雅に舞い散る。その先、足元には、暖色に彩られた絨毯。
「……綺麗」
レノは零すように呟いた。彼女の目が紅葉の色を映して、一瞬だけ紅く見えた。
表情は抜け落ちてしまったが、紅葉を眺める顔つきは昔と変わらない。まだ彼女はここに居る。私の心も紅く色付いていくような気分だった。
「紅葉を見に来たのではないのですか?」
呆れたように言われた。
「ごめんごめん。さて、ここでの紅葉狩りも良いが、どうせなら頂上から見渡してみない?」
「頂上、ですか」
レノは頂上を見上げた。山と形容できるだけあって、それなりに高い。
「……良いですよ。行きましょう」
「やった。大変そうだし、手を繋いで登ろう」
「結構です」
懐いてくれたと思ったが、残念。手首を引いていくしかない。
山の道は過酷で、ロボの私にも少し辛い。だが、もう少しで頂上だ。そこから見下ろす景色は、どんなに綺麗だろう。その期待を糧に、夢中で足を進める。
「あの」
レノは手を振りほどいた。
「ちょっと、休ませて、ください」
レノは膝に手をつき、息を切らしてたまに咳き込んでいる。
「良いよ。疲れたかい?」
「っ、胸が、痛い、です」
顔を蒼白にして、ふらふらと項垂れる。
疲労ではなさそうだ。元々体調が悪かった? 私が無理に連れ回したから? いや、責任追及は後だ。
「医者の所に戻ろう。掴まって――」
レノは絞り出した短い声を上げ、胸を抑える。膝をついて、手をついて、身体を丸めた。顔を歪めて、片手だけで私に縋りついている。
「――レノ!」
そして、彼女はその場に、力無く、崩れ落ちた。
「心臓が寿命を迎えたんだ」
医者が言った。
レノは手術台に横たわり、無数の機械に繋がれている。表情が無いどころか、生気を感じない。
当初の目的は果たしたのだが、私の心は満たされないままだ。きっと、彼女も。
「治せないの?」
「病気や怪我ではないからね。まあ、方法が無いでもないが――」
「教えて」
私は医者に掴みかかった。
医者は冷静に言う。
「君のコアだ。コアを、心臓の代わりにする。そうすれば、彼女は生きることができる。当然、君は稼働停止するが」
医者を放し、窓の外に視線を投げた。空は紅みがかり、山の木々と混ざり始めている。
私はレノを死なせるために連れ出した。レノもそれを望んでいた。
けれど、もっと綺麗なものを見てほしい。大好きだった、桜を見てほしい。
「延命措置も長くは持たない。今決めなさい」
私は、レノに生きてほしいと思ってしまった。
手術室の掃除をしていると、背後で音がした。手術台の上でレノが起き上がっていた。
「おはよう。安心なさい、レノ。君は生きている」
僕の声は届いているのだろうか。目線を床、あるいはその先に投げたまま、レノは自らの胸に手を当てた。
「動いているだろう。アイのおかげだ。アイが君にコアをくれたから、君は生きているんだ」
レノはこちらに目も向けず、台を降りた。真っ直ぐ、壁に寄りかかって項垂れるアイの殻に歩み寄った。
そして、それを蹴りつけた。
乾いた音が響いた。腹の部分が少し凹んでいた。
僕は彼女の顔を覗き込もうとしたが、表情を知る前に無表情がこちらを向いた。
「我々は、誰ですか?」
錯乱しているのだろうか。
「君はレノだ」
僕は答えた。レノは目線を再びアイに落とし、口を開いた。
ここで匿うという提案をレノは拒絶し、己の現状を顧みず、アイの頭を抱えて出ていった。
結局、最後まで彼女と僕の目が合うことは無かった。僕は人間と触れ合う機会を失ってしまった。本でも読んでみようか。そんなことをぼんやり考えていると、外で銃声が響いた。
パッチワークライフ 眠之木へび @hevibotan
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