いつも通りの朝、憂鬱。

深山



昔から朝が大の苦手だった。


シャッターの閉まった真っ暗な部屋の中、けたたましく耳元で鳴るスマホのアラームを、「停止」できたのかスヌーズなのか分からないまま必死に音を止めて時間を確認する。7時ちょうどのアラームだったらしい。家を出なければならない時刻まではあと30分ほど。今日はいつもより早めに、5回目のアラームが私を起こしてくれたようだった。夜更かししたわけでもないのに、アラームは私を起こすことが難しいらしい。この怠惰な体は毎日の睡眠を8時間以上欲している。


起きたくないという気持ちは感じなかったフリをして、柔らかな羽毛布団をうまいこと二つ折りになるように勢いよく足下に蹴る。布団よりもずっと冷えた空気が体を包み込むが、寒いなどと思う前にその勢いのまま布団から降りる。急に起き上がったからか、頭からさぁっと血が下がって暗い部屋がさらに暗くなった。体に乗っているだけの、ぐわんと回る頭を揺さぶって、全身が訴えかける重苦しい眠気と怠さにどうにか耐えながらリビングの明かりをつける。


ロボットがシステムに入力された指示を疑うことなく遂行するように、朝の時間は何も考えてはならない。むしろ、睡眠時間を限界まで確保しているので、寒いだとか、眠いだとか、今日の仕事も行きたくないだとか、そんなことを考えている時間はない。

ケトルに水を入れお湯を沸かし、その間にマグカップと水筒へインスタントコーヒーの粉を入れる。マグカップには、ティースプーン1匙。水筒には2匙が私好みの濃さになりやすい。6枚切りの食パンに、冷蔵庫から取り出したばかりで薄いプラスチックがスムーズに剥がれやすくなったスライスチーズを乗せて、魚グリルにいれる。トースター代わりに使う魚焼きグリルは、タイマーがないので焦がすこともしばしばであるが仕方ない。今日の運勢を占うような気持ちで魚焼きグリルに火をつけた。


ケトルと魚焼きグリルが仕事をしている間に、「朝に支度ができるわけないのだから」と悪い意味で自分を信じ、寝る前に概ね準備を整えた仕事鞄をリビングへ引っ張り出す。コートも引っ張り出そうとして、今日の天気が分からないことに気がついた。防音効果の高い窓とシャッターが閉まっているが、外からは何も聞こえないのでおそらく強い雨ではないだろう、と予測していつもの裏地がボアになっているコートを出す。棚から50枚入りの不織布マスクの箱を取り、1枚引きだして、忘れないようにコートと一緒に仕事鞄の脇へ置いた。


心地よい温もりでまとわりつく寝巻きを身体から引き離しながら、先ほどまで一生懸命に話していたのは夢の中の相手だったのかと恨めしく思う。なぜ夢の中まで必死に人の顔色を伺って、一生懸命にならなければならないのか。なぜ夢の中まで何かに追われて焦らなければならないのか。どうせなら幸せな夢だけみていたい。眠りが浅いために睡眠時間が長くなってしまうのではないかと根拠のない持論を頭の中で論じながら、職場指定のユニフォームの上にニットセーターを着て、冬用の裏地がついたズボンを履く。

ケトルの中のお湯がゴボゴボと大きな音に変わり、やがて少し静かになったところでスイッチが切れた。そろそろ魚焼きグリルは食パンを焦がしているかもしれない。


着替え終えたところで慌てて魚焼きグリルを開けると、やや焦げ色の耳に狐色のパンと、中心に乗ったチーズが程よく膨らんで焦げていた。今日のトーストは少し焦げ気味であったものの、美味しそうな匂いと見た目にできたと少し嬉しくなる。まぁ悪くないタイミングだったと火を止めた。真っ黒こげになって、流しで焦げをそぎ落とす時間がないだけ、かなりマシで成功だと思えた。


魚焼きグリルは開けたまま、ケトルのお湯をマグカップと水筒に注ぐ。あまりお湯を入れすぎると猫舌の私はいつまでも飲むことができないので3分の2くらいの位置で留めておく。そして本当は水筒に牛乳を入れることはいけないことだと分かりつつも、カフェオレにしたいがために牛乳も注ぐ。コーヒーの黒い波が、注がれる白い牛乳で中和されていく様子を見るのが好きだ。ブラックコーヒーも好きではあるが、アメリカンのような薄さが良い。マグカップに注がれたカフェオレを少し啜って、今日のコーヒーはやや濃かったかも知れないと思った。


魚焼きグリルからお皿にトーストを移し、台所の1番下の引き出しにあるハチミツを取り出す。最近はチーズトーストにハチミツをかけることにハマっている。ほんのり甘いハチミツと、程よく焼けたチーズの相性が最高に良いと思うのだ。

ハチミツのキャップを取り外し、トーストにくるくるとかけていく。あまり多すぎても垂れてしまえばもったいない。気持ち少なめで、ハチミツをしまった。


水筒の蓋をキツく閉めて脇に挟み、トーストのお皿とマグカップを持ってテーブルに着く。水筒は忘れないうちに仕事鞄に入れた。ここまで時間にして5分、時間としては問題ないだろう。これから更に5分から10分で朝食を済ませ、残りの15分でお手洗いと身支度を整えれば予定の時刻に家を出ることができるはずだ。


早く食べることができるように二つ折りにしたトーストを齧りながら、スマホに連絡が来ていないかと電源をつける。ここまでアラームのスヌーズがなかったということは、今朝の私はうまく「停止」ができたらしい。覚醒しきっていない頭では、「停止」もスヌーズも区別がつかない。


スマホに来ていた友人からのメッセージは、来月お休みを合わせてぜひランチに行こうというお誘いだった。遠く離れた地で働いている友人が、来月私の住む近くに用事があって来るらしい。忙しい中、予定を調整してくれること、年齢を重ねても連絡を取ってくれる友人がいることが、とても嬉しく有難く思う。

朝の時間では返信は難しいと判断して、メッセージの1番上にピン留めしておく。今日の昼食のときに返信をゆっくり考えよう。前回会えたのは1年ほど前だったか、久しぶりに会える喜びが身体を揺らす。


そのほか、通知が来ていたメッセージを確認すると、毎朝送られるよう設定したニュースが嫌でも目に入る。昨日もネットを騒がせていた社会保険料の負担増について、国会の問答を取り上げている記事が一番の見出しのようだった。

今の給料でも厚生年金や医療保険などが大きく引かれていると感じるのに、このままの制度で行けば40歳で介護保険料の支払いが始まって、より多くの保険料が少ない給料から引かれることになるのだろう。結局のところ働き続けて支払い続ける日常なのかと思うとため息が出る。人々の寿命が延びて、みんなが介護保険や医療保険を使えば使うほど、月々の保険料が高くなる。全員が健康に気を付けて、介護予防、疾病予防に努めることが一番ではあるが、人口比率という暴力はそんな甘くはないだろう。高齢者が増え、子どもが減って、いずれは支援者のいない国になるのだろうか。

ニュースのついでに思い出すことができれば、今日の天気や交通情報も見ることができる日もあるのだが、今日はいつも通り頭が回っていなかった。


残り数口となったトーストを片手に、いつもより少しだけ濃くなったカフェオレを飲む。温度はちょうどよくできたと思う。ティースプーン1匙のインスタントコーヒーの粉が少し多かったのかもしれない。そういえば、全く気が付かなかったものの先日外出先で購入したばかりのティースプーンを使った気がする。もしかすると今までのものよりも少し大きいのか、あるいは横に広い形なのかも知れない。


空になったお皿とマグカップを見て、ぼーっとしている間に予定の時刻よりも1分過ぎていることに気がついた。慌ててお皿とマグカップを流しに入れ、洗う時に汚れが落ちやすいよう水を入れながら、今日の夜に帰ってくる自分に洗い物を託すことにした。


上手にメイクできた顔をコピー&ペーストできたら、どれだけ楽かと思う。

毎朝顔を洗って、化粧水を押し込んで、クリームで蓋をして、最低限「外に出ることができる余所行きの顔」を作っていく。どうせマスクをするのだからと、リップを塗るのはしばらく前にやめてしまった。日焼け止めと、下地は紫外線対策に塗ることにしているが、ファンデーションは時間があれば少しだけ。アイブロウはパウダーで描き、なんやかんや前髪でごまかす作戦を取っている。


キラキラしたカラフルなアイシャドウは見るのも可愛くて大好きだ。プライベートではグリッダーをアイメイクの最後に塗ることにハマっている。自分の顔が、ほんの少しだけ輝きを増したように思えて、ほんの少しだけ自分自身を好きになれる瞬間だと思える。

ただ、仕事の身だしなみに関しては、目立ちたくないという気持ちが第一に勝る。

自分のメイクで、身だしなみで、誰かの不快センサーに引っかかってしまったらと思うと、アイメイクすらできなくなってしまう。

どこからか、「そんなメイクで仕事に来たの?」「あのメイクはちょっとね…」と声が聞こえて来そうで怖いのだ。誰かに言われたわけでもないのに、存在しない誰かに怯えてメイクもヘアアレンジもできなくなってしまう。私には、こういう臆病な部分が確かに存在していると自覚している。


前髪の寝癖は頑固なもので、顔を洗うついでに濡らしてドライヤーで乾かしながら整えなければ直らない。誰かに何か言われるのも面倒だと、染める気のない黒髪を後ろでポニーテールに結けば、私のいつものスタイルが完成する。

メイクと同じように髪を染めることにもパーマをかけることにも興味はあるものの、心の中では、誰かに何かを言われるのではないか、仕事にそぐわない身だしなみになってしまうのではないかと怯えている。その臆病な自分に気が付かないふりをして、「皮膚へのダメージや手入れの手間を考えると、このままで良いでしょう」と自分に言い聞かせるのだ。


世の中の女性たちはメイクにもヘアアレンジにもネイルにも時間と手間をかけて、丁寧に自分を魅せているというのに、自分はいつまでも思春期の檻に閉じこもっているだけのように思えて仕方がない。

最低限の身だしなみを整えてはいるつもりで、プライベートでは好きにメイクやファッションを楽しんでいるつもりで、自分ではそう思うものの、見た目も心も大人になり切れていない自分がいるようですごく苦しくなる時がある。

「見た目が何だというのか、各個人の好きにすればよい」と思うし、他人に対しては本当にその人の個性なのだと受け入れることができる。しかし、自分自身のこととなると途端に臆病になる、というのは生物学的に何か欠陥があるのではないかと思わざるを得ない。


いつも通りの身支度を終えて、リビングに戻れば予定時刻より2分ほどオーバーした時計が目に入る。コートを羽織りながらマスクをポケットに入れて、空いた手で仕事鞄を掴んで玄関へ小走りに向かう。途中でリビングの電気を消すことを忘れない。真っ暗になる部屋の中で代わりに玄関の電気を付けて、履き慣れたスキーカーに足を突っ込みながら、コートのボタンを閉じて仕事鞄から玄関の鍵を取り出す。


玄関の電気を消すとほぼ同時に玄関の鍵を開けて、自分の体の幅ほどに開けた玄関の扉から身を滑らせる。急いで扉を閉めて鍵をかけ、ドアノブを引いて鍵がかかっていることを確認する。

マンションの内廊下を小走りで駆ける。朝は誰にも会いたくない。誰かと会って挨拶をするだけでも自分のエネルギーが消費されているのを感じる。つまるところ、私は人間社会に上手く溶け込むように頑張ろうとするスイッチが朝の時点ではまだ動かないのだと思う。


エントランスに到着し、押し慣れたオートロックの解除ボタンを押す。ガチャンと音が鳴って解除された、やや重ための扉に体重をかけて押し開く。ひんやりとした空気といつもより薄暗い道路の水玉模様、そして街の埃を洗い流す匂いがして、今しがた静かに雨が降り始めたことを知った。


傘を取りに戻る時間はなく、折り畳み傘で対応できるくらいの雨だと強引に判断して、雨の中を駅に向かって走り出す。予定よりも2分遅れということは、2つ目の交差点まで走ればいつもの電車に間に合うはずだ。

学生以来、全く運動していない身体を無理に引きずるように動かして走るものの、冷たい空気を送り込まれる肺が苦しくなる。大きく息を吸って、止めて、吐き出しながら2つ目の交差点に差し掛かる。早歩きに切り替えながら、ちらりとスマホを見ると電車には間に合いそうな時刻だった。息を落ち着けながら、早歩きを続ける。無意識に肺なのか気管なのか痛む胸を押さえていた。気持ちだけが急ぎ、コートは思ったよりも濡れていた。


駅の階段下、どこかの政党の議員がビラ配りをしている。のぼり旗も無ければ自己紹介もなく、誰なのかは全く分からない。佇まいと雰囲気から、議員だろうと思わせるその人は「おはよう」と「いってらっしゃい」を交互に繰り返している。時折、駅の階段へ吸い込まれる知り合いに、他の人へ向けたものとは違う笑顔を見せながら挨拶しているようだった。寒い中朝からご苦労様という気持ちと、一体誰なのかという気持ちが半々になる。とはいえ挨拶を返すことで面倒なことになるのも避けたいので、足早に階段へ向かう。


朝の挨拶は、好きではない。なるべくなら、返したくないとすら思う。中学生の頃に毎朝顔を合わせる工事現場の人に挨拶をしていたら、顔を覚えられ、毎朝嬉しそうに声をかけられて、そうして足を止めて世間話をしなくてはならなくなったことを思い出す。毎日の忙しく大変な仕事の中で楽しみにされていたことには申し訳なかったが、こっそりと通学路のルートを変えて、もうその人と会わないようにやり過ごした。工事現場の人にとっては世間話でも、私にとっては膨大なエネルギーを消費する気遣いのイベントになってしまっていた。


新人として社会に出た時もそうだった。通勤中、小学生を見送るご家族と道路で毎朝顔を合わせていた。まじまじと視線を感じるので何も言わない方が心苦しく感じ、軽く挨拶を交わすようになった。会釈程度の挨拶が繰り返された毎日のある日、とうとう話しかけられ、私の気持ちも途切れてしまった。

挨拶は人間関係の始まり。悪いことではないものの、つながり続けることが負担になるくらいなら、人間関係を始めたくはないのだ。結局、社会人になっても通勤ルートを変えることでそれ以上の関わりを拒んだ。中学生の頃も、社会人になっても、何も変わってはいない自分は、やはり子どものままなのかもしれない。


人と話すのは好きだし、人間も好きだと思える。仕事でもトラブルなく良好に働き続けることができているし、プライベートでも好きな人や大切な人とはつながり続けたいと思うので、そのために関係が続いていくよう努力をしてきたと思う。人間関係は双方の、ある程度の努力の上に成り立つものとも思う。

完璧主義な考え方でいるつもりはないものの、人と接するときの自分は100%の良い自分であらねばならないと考えていることに気づいていた。人と話すことは好きだし、面白い、と思っているのは本心であっても、それと同時に人とかかわることが怖くて引きこもりたくて仕方がないと感じる自分がいることも知っていた。


私にとっては、世の中のみんなが活発に動き出しているのに、自分のエネルギーが追いついていない朝の時間帯が1番辛い。


そういうことで、なるべく朝は人との関わりをなるべく避けて生きていきたいと思う。地域住民に挨拶をする議員には申し訳ないが、素通りさせていただくほか自分を守る手段を思いつくことができなかった。


駅の階段を登っていると毎回のように交通系電子マネーの残高が足りていたかと考え出すことが癖になっている。今日は先週にチャージしたばかりなので問題ないと思う。前を歩くサラリーマンがスマホを見始めたためか、歩くペースがぐっと遅くなる。チラッと後ろを見て、追い抜けるか確認するが朝の人の多さでは難しそうだった。

人の波に乗りながら改札を抜けて階段を駆け降りる人に続いてホームへ向かう。予定の電車がちょうど滑り込んできたようで、細かな雨を含んだ冷たい風が強く身体を吹き抜けていった。


降りる駅から考えると9両目の前から2つ目のドアまで行けると良いが、今日のタイミングでは途中まで行くので精一杯だろうと思いなおして足を止める。電車から降りてきた人の波に逆らうように進み、階段に近いドアから電車に乗り込むことにした。


車内は座席が埋まりまばらに人が立っている程度の混み具合であるものの、上り線のためこれから乗車する人が増えるのは間違いない。なるべく車両の中に進み、身長が低めの私でも吊り革に捕まることのできる位置に歩いていくと、まもなく発車する旨の車内アナウンスが流れ始めた。


今日も電車に間に合ってよかった。ここまで来ることができたら、後は職場に行って仕事して帰るだけだ。職場に行けば、エネルギーは嫌でも湧いてくる。同僚と話し、上司と話し、取引先と話し、地域の人とも話す。日本の未来について検討し、目的のために目標を持って行動する。人の役に立たない仕事はない、ということが私にとって、救いにも苦しみにもなっていた。私のエネルギーは誰かのために使われ続ける。


少しずつすり減って、やがて枯渇していく私を、また明日の憂鬱を迎えることができるように、許して、労わってあげられるようになりたい。

狐色に焼けたハチミツチーズトーストや、ふんわりと香る自分好みのカフェオレ、大好きな友人からのメッセージ、まぶたに光るグリッダーの輝き、そういう小さな好きを集めて、朝の自分のわずかな希望にする。


本当に、朝は苦手だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いつも通りの朝、憂鬱。 深山 @miyama9627

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画