「遥か遠くの月へ」

@kaitari_yondari

「遥か遠くの月へ」

5月の上旬。

日差しは柔らかく、それでいて少しだけ汗ばむような、初夏の匂いが空気に混じっていた。


図書委員の月影ユカリは、生徒への貸し出し業務の合間に、自分の世界へと没頭していた。読みふけっているのは天体学の本。月や星、そして未知の惑星たち──それらを初めて見つけた人々の話だ。


(この絵、好きなんだよね)

両手を挙げて歓声を上げる天文学者の挿絵。発見の瞬間に飛び上がって喜ぶその姿に、ユカリは何度見てもわくわくしてしまう。


「もし私が惑星を見つけたら、きっとこの人と同じように跳ね回って、くるくると踊っちゃうな……」

そんな妄想をふくらませていたそのとき――


「まったく、相変わらず空想少女だね、君は」


聞き覚えのない、けれどどこか懐かしい声がすぐ近くから聞こえた。

顔を上げるとそこには転校生の光村ハルカ。

この春に突然やってきた彼女は、すぐに教室に溶け込み、常に人に男女問わず囲まれている人気者。一方こちらは根暗女子話したことなんて一度もない。なのに、この馴れ馴れしい態度は一体…?


ユカリが眉をひそめて見つめると、ハルカはふうとため息をついた。


「たった数十年で忘れるとは、やはり君は薄情なやつだよ」


そう言って、彼女は手にしていた本をこちらへ放り投げてきた。慌ててキャッチしたユカリは、カバーにキズがついていないかを確かめて、ハルカに抗議の視線を向ける。


ハルカは無言のまま、”本を開け“とジェスチャーをしてきた。


訝しんだ顔のままページをめくると――


瞬間、強い光があふれ出す。

視界が真っ白になった次の瞬間、ユカリの中で過去の記憶を封印していた鍵が音を立てて崩れた。


そして──

崩れた記憶は宙に浮かび

まるでパズルのピースの様に埋まっていく。


「ハ、ハルカ……!? どうして、あなたが……こんなところに……」


言葉を絞り出すと、ハルカはやれやれといった様子で、またため息をついた。


「迎えに来たに決まってんだろ、君は私の婚約者なんだから」


気づけば左手の薬指に、金属の冷たい重みがあった。


――いや、違う。

“いつの間にか”じゃない。

ずっとそこにあったのに、

見えていなかっただけだ。


過去の記憶が、波のように押し寄せる。

遠い星、発見、別れ、そして……


「ごめんね……忘れてて。……一緒に帰ろう」


涙ぐみながら抱きつくと、ハルカは少し拗ねたような表情で頬をそっと差し出した。

ユカリは笑って、その頬に口付けた。


カチリ。

どこかで小さな音が鳴った。


図書室にいた人たちが一斉に動きを止める。

次の瞬間、ユカリ達の頭上に、柔らかな光が差し込んだ。まるでキャトルミューテーションのような、ふわりと包み込む光。


彼女の身体はゆっくりと、

その光の中へと消えていく。


再び、カチリ。


世界が動き出す。

動き出して人々は皆、誰もユカリとハルカのことを覚えていないかのように、日常へと戻っていった。


宇宙船の窓から、遠ざかっていく地球が見える。青く、美しく、静かに輝いていた。


「地球は気に入ったか?それならもう一度私と…」と、言いかけたハルカが言葉に詰まる


なぜなら地球を見るユカリの

目はあまりにも冷たかったからだ。18年。

擬態して過ごした人間としての時間。楽しいことも、たくさんあった。だけど…


ユカリはハルカの視線に気付けば冷たい目を

慌ててやめてハルカに顔向ければ

ほんの少し口角を上げ、目を伏せながら言った。


「地球は、遠くから見てるほうが綺麗」


──人間の欲望は、

彼女の気分を損ねるのに十分すぎた様だ。


「見つけた時は飛び回るほど

嬉しかったんだけどね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「遥か遠くの月へ」 @kaitari_yondari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ