第44話:深淵への門出

 『雷神』鳴海迅との決闘から数日が過ぎた。

 あの敗北が響いたのか、巨大ギルド『オーディン』からの干渉はぴたりと止まった。鳴海自身も、完敗を認めたのか、あるいは俺という存在に恐怖したのか、あれ以来姿を見せていない。

 俺と水瀬雫は、その静かな時間を、深層への最終準備に費やした。


 消耗品の補充、装備の微調整、そして何より、深層という未知の環境への心理的な準備。

 兄・水瀬蒼真が遺した手記には、深層の恐ろしさが断片的に記されていた。

 『物理法則の歪み』『機械種と呼ばれる異形の敵』『星を喰らう者』。

 どれ一つとっても、これまでのダンジョン常識が通用しない世界であることを示唆していた。


「……怖くはないか?」


 出発前夜、俺は団地の一室で、手入れを終えた『黒炎の牙』を眺めながら雫に聞いた。彼女は俺の部屋で、明日の携行食料のパッキングを手伝ってくれていた。


「怖いです」


 雫は手を止め、素直に答えた。


「Aランクになってから、恐怖を感じることは少なくなりました。でも、今回は違います。未知への恐怖と、そして……兄の最期を知ることへの恐怖が」


 彼女は兄のスカーフをぎゅっと握りしめた。


「でも、それ以上に……知りたいんです。兄が見た景色を。そして、貴方が目指す場所を」


 彼女の瞳に迷いはなかった。出会った頃の、規則とデータに縛られていた彼女はもういない。そこには、一人の探求者として、そして俺の背中を預けるに足る相棒としての強さがあった。


 俺は小さく頷いた。


「なら、行こう。俺が道を切り拓く。お前は背中を守れ」


「はい。……私の背中も、お願いしますね」


 俺たちは静かに微笑み合った。

 異世界から帰還して数ヶ月。孤独だった俺の隣には今、確かな温もりがある。


◇ ◇ ◇


 翌朝。

 俺たちは誰にも見送られることなく、第35層「灼熱のクレーター」へと降り立った。

 火竜の亡骸はすでに風化し始めていたが、その威圧感は未だに残っていた。

 俺たちはその脇を抜け、クレーターの最深部にある、あの巨大な石の扉の前に立った。


 『深淵への回廊』。


 扉に手を触れると、ひやりとした冷気が伝わってきた。

 この扉の向こうには、俺の目的である「星鋼石」が眠っている。折れた聖剣を直し、過去の誓いを果たすための最後の鍵。

 だが、今の俺の心にあるのは、過去への執着だけではなかった。


「……開けるぞ」


 俺は雫と視線を交わし、二人同時に扉を押し開いた。


 ゴゴゴゴゴゴ……。

 地響きと共に、数千年の時を経て扉が開かれる。

 その先には、底知れぬ闇が広がっていた。吸い込まれそうなほどの、純粋な闇。


「……行こう」


 俺は一歩、踏み出した。

 雫も続く。

 俺たちが扉の中に入ると、背後で再び扉が閉ざされた。

 重い音が響き渡り、退路は完全に断たれた。これより先は、後戻りできない一方通行の旅だ。


 闇の中を進むと、やがて視界が歪み始めた。

 上下左右の感覚が曖昧になり、重力が不規則に変化する。

 これが、手記にあった『重力歪曲』か。

 俺たちは互いの腰をワイヤーで繋ぎ、離れないように慎重に進んだ。


 やがて、闇の向こう側に、微かな光が見え始めた。

 出口だ。

 俺たちは速度を上げ、その光の中へと飛び込んだ。


 視界が一気に開けた。

 眼前に広がっていたのは、信じられない光景だった。


 そこは、宇宙だった。


 いや、正確には宇宙空間のような、星々が瞬く漆黒の空間。

 その中を、大小様々な岩塊や、古代の建造物の残骸が、天の川のように流れている。

 重力は極端に弱く、どこまでも飛んでいけそうな浮遊感。


「これが……深層……?」


 雫が呆然と呟いた。その瞳に、無数の星々が映り込んでいる。

 俺は浮遊する岩の一つに着地し、広大な虚空を見渡した。

 遠くの方で、金属的な光沢を持つ何かが動いたのが見えた。『機械種』。おそらく、この階層の守護者たちだ。さらにその奥には、ひと際強く輝く蒼い光が見える。あれこそが、星鋼石の鉱脈かもしれない。


 俺は腰の『黒炎の牙』を抜き放った。

 源三が鍛えた最強の剣。刀身が宇宙の闇の中で赤く輝き、まるで道標のように脈動する。


 ふと、胸の奥で何かが腑に落ちた感覚があった。

 五年前、俺は日常を奪われ、異世界へ放り出された。

 そして今、俺は再び日常を捨て、この未知の世界へと足を踏み入れている。

 だが、あの時とは決定的に違うことが一つある。


 今回は、自分の意志で選んだ道だということだ。

 そして、隣には信じられる仲間がいる。


「……世界が変わったな」


 俺の言葉に、雫がレイピアを抜き、俺の隣に並んだ。


「ええ。でも、やることは変わりません」


 彼女は凛とした声で言った。


「貴方が切り拓き、私が支える。そうでしょう?」


「ああ、その通りだ」


 俺はニヤリと笑った。

 ここからは、俺たちの知る常識は通用しない。過去の英雄譚も、ギルドの攻略本も役に立たない。

 だが、それがどうした。

 俺たちは、いつだって道なき道を歩いてきた。


「行くぞ、雫。この深淵の果てまで」


「はい、蓮さん!」


 俺たちは地を蹴った。

 重力から解き放たれ、星々の海へと飛び出す。

 二つの影が、無限に広がる闇の中、光り輝く場所を目指して加速していく。


 帰還者・日向蓮の物語は、ここで一つの終わりを迎える。

 ここから先は、ただの冒険者たちの、誰も知らない新たな神話の始まりだ。


 俺たちの旅は、まだ始まったばかりなのだから。




----------

【あとがき】


最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


異世界帰りの蓮と、相棒となった雫。二人の物語は、深層という未知なる世界への旅立ちをもって、一つの区切りを迎えました。


扉の向こう側、星の海で彼らを待ち受ける「深層編」の構想も、実は少しずつ膨らんでいます。

もし皆様からの熱い応援や★評価、感想などがたくさん集まれば、また彼らの旅の続きを描く日が来るかもしれません。


その時まで、彼らの冒険に思いを馳せていただければ幸いです。

ここまでお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。

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【改版】ただいま、ダンジョン資源国家。元・異世界冒険者、今日もマイペースに無双する りおまる @fc2kgo

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