第43話:『雷神』の介入

 ロビーの空気が、張り詰めた糸のように緊張していた。

 俺と鳴海迅の間で火花が散り、周囲の冒険者たちは巻き添えを恐れて蜘蛛の子を散らすように距離を取る。

 鳴海の全身から放たれる魔力圧は凄まじく、近くの観葉植物が帯電して枯れるほどだ。これがSランク冒険者――人類の頂点に立つ者の一人、『雷神』の威圧感か。


「ここでの戦闘行為は禁止されています!」


 雫が間に割って入り、毅然と叫んだ。彼女の手はレイピアの柄にかかっているが、Sランク相手に勝算がないことは彼女自身が一番よく分かっているはずだ。それでも引かない姿勢に、俺は少しだけ感心した。


「ギルド協定第13条、ロビー内での私闘は双方の資格停止処分に当たります! オーディンの隊長ともあろう方が、ルールをお忘れですか!」


「……チッ、小賢しい女だ」


 鳴海は舌打ちし、俺の腕から手を離した。放たれていた雷光が霧散する。

 だが、その殺気は消えていない。


「いいだろう。ここでは見逃してやる。……だが、勘違いするなよ。この話は終わっちゃいない」


 彼は俺を指差し、獰猛な笑みを浮かべた。


「正式に決闘を申し込む。場所は第3訓練場。明日の正午だ。もし俺が勝ったら、火竜の素材と権利、全てを置いていけ」


「俺が勝ったら?」


「ハッ! 貴様が俺に? 夢を見るのもいい加減にしろ」


 鳴海は嘲笑したが、俺の視線を受けて目を細めた。


「……いいだろう。万が一、貴様が勝てば、今後オーディンは一切の手出しをしないと誓おう。俺の名にかけてな」


「分かった。受けて立つ」


 俺の即答に、周囲がざわめいた。BランクがSランクに喧嘩を売ったのだ。正気の沙汰ではないと思われて当然だ。

 鳴海は満足げに頷き、部下を引き連れて去っていった。


「……日向さん、本気ですか!?」


 鳴海の姿が見えなくなるなり、雫が詰め寄ってきた。


「相手はSランクですよ!? しかも『雷神』鳴海迅……近接戦闘においては国内最強と謳われる化け物です! 雷属性の身体強化による超高速移動と、触れるだけで相手を炭化させる雷撃。勝てる見込みなんて……!」


「あるさ」


 俺は平然と答えた。


「奴は強い。魔力量も身体能力も、俺より上だ。まともにやり合えば3秒で負ける」


「なっ……! じゃあ、なんで受けたんですか!」


「『まともに』やり合えば、な」


 俺は腰の『黒炎の牙』を軽く叩いた。

 そして、リュックの中にある源三の「おまけ」を思い出した。


「勝算はある。……それに、ちょうど新しい装備のテストをしたかったところだ」


◇ ◇ ◇


 その夜、俺はアイアンルート本部の黒崎の部屋にいた。

 黒崎は苦い顔でコーヒーを啜っていた。


「……鳴海め。強引な手を使ってきたな」


 彼は溜息交じりに言った。


「オーディンは以前から火竜の資源を狙っていた。だが、第35層の攻略難度が高すぎて手が出せなかったんだ。そこへ君が横から掻っ攫ったとなれば、メンツも利益も丸潰れだ。黙っているわけがない」


「政治的な解決は無理か?」


「無理だ。向こうはSランクの看板を背負って喧嘩を売ってきた。これを断れば、アイアンルートは『Sランクの挑戦から逃げた腰抜けギルド』として笑い者になる。……受けるしかない」


 黒崎は真剣な眼差しで俺を見た。


「君の装備が強化されたことは聞いている。だが、鳴海は格が違うぞ。彼の雷速は音速に近い。目視すら困難だ」


「問題ない」


 俺はリュックから、源三が作ってくれた予備の装備を取り出した。

 見た目はただの黒いインナースーツだが、表面には微細な金属繊維が編み込まれている。


「こいつには、『対雷撃用アース機構』が組み込んである。雷を受けた瞬間、そのエネルギーを地面に逃がす仕組みだ。直撃してもダメージは最小限に抑えられる」


「……なるほど。装備で耐える算段か。だが、速さはどうする?」


「速さには、予測で対抗する」


 俺は自分の目を指差した。


「奴が速いといっても、動く前には必ず予兆がある。魔力の流れ、筋肉の収縮、視線の動き。それらを読めば、先回りできる」


 異世界での死闘の数々が、俺にその「眼」を授けてくれた。音速の剣撃だろうが、見えない矢だろうが、俺は全て「視て」きた。


「……君の自信がハッタリでないことを祈るよ」


 黒崎は苦笑いし、端末を操作した。


「いいだろう。明日の決闘、公式に認可する。審判は私が務めよう。……派手にやってくれ。オーディンの鼻をへし折る絶好の機会だ」


◇ ◇ ◇


 翌日の正午。

 第3訓練場は、異様な熱気に包まれていた。

 Bランクの新人『沈黙の剣』と、Sランクの古豪『雷神』の決闘。その噂は一晩で駆け巡り、観客席は冒険者たちで埋め尽くされていた。賭けの胴元まで現れ、当然ながら鳴海の勝利に大金が賭けられている。


 アリーナの中央で、俺と鳴海は対峙した。

 鳴海は軽装のレザーアーマーに、両手には雷を帯びたナックルダスターを装着している。全身から放たれる青い雷光が、バチバチと音を立てて空気を焦がしていた。


「逃げずに来たことは褒めてやる」


 鳴海は余裕の笑みを浮かべていた。


「だが、後悔する時間は与えんぞ。瞬きする間に終わらせてやる」


「お喋りはそのくらいにしておけ」


 俺は『黒炎の牙』を抜き、右腕のパイルバンカーのロックを解除した。左手にはワイヤーアンカーを構える。

 新しいコートの下には、あのアーススーツを着込んである。


「始めようか」


 審判役の黒崎が手を挙げた。


「双方、準備はいいか! ――始めッ!」


 合図と同時に、鳴海の姿が消えた。

 いや、消えたのではない。超高速移動だ。

 雷鳴のような音と共に、俺の背後に回り込んでいる。


「遅いッ!」


 鳴海の拳が、俺の後頭部めがけて振り下ろされる。

 観客たちが悲鳴を上げた。


 だが、その拳が当たる寸前、俺は半身をずらして回避していた。

 鳴海の拳は空を切り、地面に巨大なクレーターを作った。


「なっ……!?」


 鳴海の目に驚愕が走る。

 俺はすかさず反撃に出た。ショートソードを下から切り上げる。

 鳴海はバックステップで躱したが、頬に薄い血筋が走った。


「……避けた? 俺の雷速を?」


「速いな。だが、直線的すぎる」


 俺は静かに告げた。

 彼の動きは、魔力で身体機能をブーストしている分、制御が大雑把だ。予備動作が大きく、次の軌道が読みやすい。

 これなら、異世界の「迅雷の獣人」の方が余程厄介だった。


「舐めるなよ、小僧ォッ!」


 鳴海が激昂し、雷の出力を上げた。

 全身が青白い光球のようになり、四方八方からジグザグ軌道で俺に襲いかかる。

 目にも止まらぬ連続攻撃。


 だが、俺は最小限の動きで、その全てを捌いていった。

 スーツのアース機能が働き、掠った雷撃のダメージを地面へと逃がす。足元のアスファルトが溶けていくが、俺の身体には届かない。


「なぜだ! なぜ当たらない!」


 鳴海の攻撃が粗雑になっていく。焦りだ。自分の絶対的な武器である「速度」が通じないことへの恐怖。


 今だ。


 俺は鳴海が大振りの右フックを放った瞬間、その懐に飛び込んだ。

 左手のワイヤーを射出し、彼が踏ん張った軸足を絡め取る。

 バランスを崩した鳴海の胴体が、がら空きになった。


「終わりだ」


 俺は右腕のパイルバンカーを、彼の腹に突きつけた。

 殺しはしない。寸止めだ。

 だが、その殺気だけで、彼の心臓を止めるには十分だった。


 魔力を込める。杭が駆動し、轟音を上げる。

 鳴海の顔が青ざめ、目が見開かれる。

 死の恐怖。


「――そこまでッ!!」


 黒崎の声が響き渡った。

 俺は指をトリガーから離し、パイルバンカーを引いた。


 静寂。

 数秒の後、観客席から爆発的な歓声が沸き起こった。

 Sランク『雷神』が、Bランクの新人に完封された瞬間だった。


 鳴海はその場にへたり込み、震える手で自分の腹を押さえていた。


「……ば、馬鹿な……俺が……」


「速さだけが強さじゃない。いい勉強になったな」


 俺は彼を見下ろして言った。

 そして、観客席で見守っていた雫の方へ歩き出した。

 彼女は、まるで自分のことのように誇らしげな笑顔で、俺に手を振っていた。


 障害は排除した。

 装備のテストも上々だ。

 これで、いよいよ深層へ行ける。


 俺は空を見上げた。

 そこには、どこまでも青い空が広がっていたが、俺が見ているのはその先――地下深く眠る、深淵の闇だった。

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