どうやら私は、四番目の婚約者

ねこまんまときみどりのことり

第1話

「花は散るから、命を燃やして美しく咲き誇る。僕の好きな詩文の一節なんだ」


 こんな陳腐な台詞が似合う、美しい顔の男は私の婚約者。


 騎士団の副団長で、名前はランディス・グレイ。

 金髪碧眼の高身長で、おまけに声も渋い。


 何処だか伯爵の息子だ。


 世間の噂では、“悲恋の王子様プリンス”らしい。

 身分的にも王子様プリンスって、可笑しいだろうに。


 彼の婚約は私で4人目。

 みんな婚約して、1年以内に亡くなっている。




◇◇◇

 最初の婚約者は、ブレナ・マーレン子爵令嬢。


 彼女は幼い時から体が弱く、学園にも社交界にも出たことはない。


 親同士が纏めた政略結婚相手。


 彼女は心臓が悪く、マーレン子爵は一度断っていた。

 けれど、グレイの父親が強く望んだことで整った婚約。


 彼女の家の庭には冷たい風から家を守るように、家の四方が木々に囲まれていた。外出できない彼女の目の保養の為に、季節の花が常に植えられた空間だ。


 ランディスは毎日のように、庭に咲いていない花束を彼女に届け励ました。


「僕の為に、元気になって」と。


 最初は距離を置いていた彼女も、次第に心を許していく。


「貴方の為に、元気になりたいわ」

「ああ、そうなることを祈っているよ」


 髪を掬いキスを落とすランディス

 頬を赤くし彼を見つめるブレナは、恋する乙女だ。


 だがそれも、彼女の死で幕を閉じる。

 葬儀の際、彼は家族より号泣していた。


「ああ、ブレナ。元気になると約束したのに………」


 膝を突き顔を覆うランディス。

 周囲は憐憫の情を催し涙を流す。

 葬儀は厳かに終了した。



 二番目の婚約者は、ヒミロ・ユキファー男爵令嬢。

 彼女は活動的で、乗馬が得意な恋多き女性。


 彼女も親同士で決まった政略結婚相手。

 二人で出掛けたり乗馬をしたりと、普通の婚約者だった。


「貴方は私に不満はないのかしら? 家格も低いし貞淑でもないわ。いくら親が望むからって」


 眉目秀麗で優秀な、エスコートも完璧なランディス


 どう考えても優良物件だ。

 何故自分と?素直に思う。


 彼は笑って、何でもないように言う。


「僕は父に従うよ。きっと君は、父が認める才能のある人だと思うから。君は、僕が嫌いなの?」


 美しい顔が目を細め、彼女を見つめた。

 すると彼女は、横に首を振る。


「不満なんてないわ。ありがとう、答えてくれて」


 満足そうに微笑むヒミロ。


 そんな彼女も、数か月後に死を迎えた。

 落馬によって。


 婚約前に付き合っていた男が、鞍の固定紐が切れるように細工をしたらしい。その男は、直後に泣きながら自首したそうだ。


「彼女と将来を誓っていた。婚約なんて破棄すると言っていたのに。ああ、なのに俺と別れると言うから。うああっ」


 葬儀の際、ランディスは号泣していた。


「ああ、ヒミロ。君まで………」


 顔を覆うランディスは、またしても婚約者を亡くした。悲壮感漂う葬儀は、彼に同情が集まり終了した。




 三番目の婚約者は、レイチャム・ロマンド伯爵令嬢。


 彼女は勉強家で、刺繍が得意な大人しい女性。

 彼女も親同士で決まった政略結婚相手。


 もっぱらお互いの家を訪れてお茶をしたり、観劇に出掛けた。

 周囲から見ても、落ち着いた雰囲気の婚約者だった。


「貴方は、私といて退屈じゃないのかしら? 貴方ならもっと高位の女性との結婚も望めるはずなのに」


 端から見れば完璧な男。


 社交界でも大変人気がある人だと聞く。

 政略とは言え、私で良いのだろうか?


 彼は寂しそうに微笑んだ。


「僕は父に従うよ。それに僕は、既に2回も婚約が白紙に戻っている訳ありだ。君の方が嫌じゃないか不安だよ」

「そんな、私は嫌じゃない。貴方と婚約ができて嬉しいです」


 告白のような自分の言葉に、頬を染めたレイチャムは俯いた。


「ありがとう。君に感謝するよ」



 はにかんだ笑顔を彼女に向けた彼は、少年のようだった。

 そんな彼女は2か月後、川に浮かんでいる所を発見された。

 彼女が家に残した手紙には、自分には好きな相手がいるのでランディスとは結婚できないと書かれていた。


 葬儀は密葬で、家族だけで弔われた。


「レイチャム。何で言ってくれなかったんだ」

「ランディスと仲良くしていたと思っていたのに」


 家族は嘆き悲しんだ。

 彼女に悩んでいる様子はなかったから。


 ランディスは葬儀には呼ばれず、遠くから彼女の冥福を祈った。

 彼は、またしても婚約者を亡くしたのだ。




 2年が経ち、彼は四回目の婚約をした。

 私こと平民の商家の娘である、メルト・サキラーバと。


 出会いはランディスが、私の家の武器店に訪れたことからだ。

 彼は所狭しと剣や鎧の並ぶ店で、ある物を見つめ長考していた。


 店番をしていた私は、声を掛けた。


「そのナイフにご興味がおありのようですね。持って見ますか?」


 そのナイフは沈みかけた下弦の月のような曲線で、黒光りしている切れ物だった。柄つかの部分も真っ黒で、闇夜では見えないくらいの。


 彼は僅かに驚き、こちらを見た。


「ああ、済みません。とても美しい曲線に見入っていました。触っても良いのですか? 嬉しいです」


 そう言って無邪気に喜び、そのナイフを握りしめて眺めていた。

 彼はそれを購入し帰っていく。


 それから、ランディスは時々店に来たが、いつも私が店にいる訳ではない。


 交代で店番をする女性店員達は、ランディスが素敵だの、良い声だのと黄色い声をあげていた。


 それでも購入するのは、メルトからだけだった。


 暫くして私の家に、ランディスの家から婚約の打診が来た。

 特に親しく話したこともなく、平民と婚約するメリット利点等ないように思えた。


 ただランディスは、メルトのことが気に入ったと言う。


 何より彼に落ち度はなくても、既に3回の婚約解消が成されている。


 また何かあるのでは?と心配する貴族からは、彼は嫌厭されている。訳あり令嬢の親等からの打診はあるも、さすがにそれは彼の両親が断っていた。



 彼はもう、結婚しなくて良いと思っていて、爵位は弟妹に任せ自分は騎士として生きようとしていたらしい。


 そんな時に私と出会い、好感を持ったと伝えてくれた。

 婚約は彼の気持ち等介入しない筈なのに、何故か彼の父親からも身分は気にせず、是非婚約して欲しいと言われた。


 商売人の私達から見れば、縁起が悪いにも程がある物件ランディス

 唯でさえ、普段から験を担いでいる家だと言うのに。


 もし私が長く彼と付き合えれば、今までの不名誉な“悲恋の王子様プリンス”を返上でき、婚約を解消した後、良家の娘を娶るつもりなのだろう。


 私が死んでも “ああ、やはり” と思われるだけで、平民等の命は軽く扱われる。


 それに貴族からの婚約申し込みでは、こちらからは断れない。


 そしてすぐに、私達は婚約者になっていた。


「僕は12歳の時から戦場に身を置いていた。僕の母は、幼い時に亡くなって、今の母とは血の繋がりがない。弟妹は義母の子供なんだ」


 彼ランディスは私メルトの経営する喫茶店で、チーズケーキと紅茶を注文した。私達は特に何処に行くということもなく、こうして喫茶店で時々話をするのだ。店の2階には個室があるので、聞かれたくないことがあればそこに移動している。


(彼は特に、私に何も求めない。私のことを聞きもしない)


 私は頷きながら、彼の話を黙って聞く。

 淡々と話す彼の姿は、なんだか懺悔のようにも聞こえる。


いつも通り1階の店で、窓から見える歩行者を見ながら彼の話を聞く。


 今日の彼は顔色が悪く、途中から体を震わせていた。

 私は2階の喫茶店奥にある、スタッフルームに彼を案内した。

 彼は遠慮して大丈夫だと言うが、私は手を引いて2階に連れていった。


 その部屋は入って中央に大きなテーブルと、二人がけの対となるソファーが置かれていた。書類仕事をする机が右壁についており、逆の壁には仮眠用のベッドがあった。


 彼のジャケットを脱がせ、横になるように促す。

 最初は躊躇っていた彼も、お礼を言ってベッドに潜り込んだ。


「無理して来ることないんですよ。体を大事にしてください」


 呆れて話す私に、疲れた顔をした彼は呟く。


「ああ。ありがとう、メルト。でも僕は、今止まる訳にはいかないんだ。もうすぐ、念願が叶いそう……なんだ………」


 そう言った後、彼は意識を手放し眠りに就いていた。


 世間の噂では、眉目秀麗、優秀で完璧な男の彼。


 でも私から見れば、自己管理の出来ない常に何かに怯えている子供だった。彼は25歳で、私は19歳。年齢的には彼が上だが、繕った表面の中身はお粗末に思えた。


(生き急いでいるのか、危険な立場にいるのか? 私は貴方を信用している訳じゃないのに、貴方はわりと心を許しているんでしょうね)


 彼の状況は粗方掴んだ。どうして父親に従って、婚約を繰り返しているのかもね。


 彼にはいつも護衛とは思えない、男の尾行がついてきていた。


 夜の帳が下りつつある頃、街灯に映し出されたその男は気配を完全に消し、常に彼ランディスの口元を見ていたようだ。


 私が尾行の気配をはっきり確認できたのは数日前。


 気を緩めていた尾行者の、気配と姿を初めて見ることができた。一度姿を確認すれば、どんなに気配を消そうとも存在は解るものだ。当たりをつけられるからね。


 私に何かしら突出したものがなければ、兄弟姉妹がわんさかいる商会で、伊達に何件も商会を任されてはいない。気配を探れるのは、いわゆる第六感のお陰。でもその勘の良さで今まで何とかうまくいっている。侮れないものだ。


 だから私はランディスが話している時、尾行の位置を確認し、植木等で彼が見えないように細工をしていた。隠密行動なのか、さすがにこの店に入ってくることはなかった尾行者。


 寝返りをうつランディスの長い金髪がシーツに流れ、いつも詰襟で隠れた首が目に入る。そこには紐で絞められたような茶色の痕を覗かせた。


(あれは縄で絞められた痕? 誰かに? まさか自分で?)


 彼は、12歳から戦場で戦っていたと言った。


 でも待って、彼は長男よ。

 後継ぎなら、普通は限界まで家で囲うはず。


 ………もし、後を継がせる気がないとしたら?

 家族に疎まれているとしたら?




 彼は戦争の活躍が評価され、騎士団の副団長に登り詰めた。

 25歳なら大出世よね、だって貴族の子息なら激戦区になんて行かないわ。でも手柄を得るなら、危険地帯で戦わなければ早々出世なんてできない筈。


 騎士団は実力主義だから、実力のない高位貴族になんて従わないと聞くもの。だから彼は信頼と実力を、自力で勝ち取ったのね。


 それにしては、彼の婚約者は訳あり令嬢ばかりだわ。

 強い後ろ盾なく、爵位を継がせるには不利な人ばかり。

 確かにみんな性格は良いだろうけど、それだけじゃ駄目な筈。


 彼だって弟妹がいるから、爵位はいらないと言っていた。


 ………何これ気持ち悪い。

 じゃあ彼は、最初から捨て駒ってこと。


 ああ、繋がったわ。


 最初から彼のことを排除する気だったのに、予想外に彼は活躍し生き残った。そして騎士団の副団長にまでなった。


 そんな彼が家を継がないのは、世間が許さない。


 だから初めからケチが付くように、若しくは彼に瑕疵が付くようにしたかった。でも、どの令嬢も彼に好意は抱いても、嫌いにはならなかった。彼にしてもそうだ。愛そうとしていたんだ。


 結局相手の有責で、婚約解消になっただけ。

 ただ3回も相手が死んで婚約解消したのは、確かな醜聞にはなった。


 それでも彼を後継にしない理由は弱い。

 ランディスの家族は、何か仕掛けてくるかもしれない。


 彼の寝ているうちに、勝手な推理が立ち上がっていく。

 全ては妄想に過ぎない。

 けれど、自分の勘が警告していた。


『危険なのは、彼の家族』だと。


 ベッドサイドの丸椅子に腰掛けて閉眼していたメルトは、ランディスに声を掛けられて体を震わせた。


「あの、メルト」

「はい! あ、ランディス、起きたのね。少し顔色が良いわ」


「………ありがとうメルト。聡明な君のことだから、きっと色々考えてたよね。婚約の意味とかも」


 ランディスは熟慮して話している筈、ならば私も覚悟して聞く必要があるだろう。


「ええ、色々考えたわ。首の痕も見えてしまったし。貴方は今の両親に疎まれているけど、騎士団副団長を邪険にできないから、瑕疵者に仕立てたいと言う感じかしら? 違う?」

「ああ、だいたい当たってるよ。現実はもっと酷いけどね。聞いてくれる?」


「ええ、話して」


 二人は覚悟を決めた顔をした。

 それは、胸くそ最悪の連続だった。


 彼と母のカルミラは、物心ついた時には父ダニエールから邪険にされていた。


 伯爵家当主のダニエールには侯爵位を持つ兄がいる。その苛烈な兄マルスは弟を溺愛しており、弟の要求を叶え続けた。


 ランディス達に味方したのを知られれば、良くて退職、悪ければ打ち据えられて追い出されたり、散々な目に合わされる。


 自然と使用人達は、距離を開けるようになった。


 それでもカルミラの実家からついてきたメイド達は、彼らに尽くしていたけれど。


 でもある日突然、いなくなった彼女達。


 翌日遺体で発見され、身体中に無数の打撲と襲われた形跡があったことを新聞で知った。


(きっとダニエールがやったのだ。何と酷いことをするのだろう。メイドの2人は16歳と17歳で、1人は今年嫁に行く筈だったのに。確認しなければ!)


 カルミラはダニエールに問いただす。

 メイドのことは貴方の指示かと。


「言うことを聞かん無能はこの家にいらん。お前も出て行くなら行け。但しランディスは置いていけよ。もしもの時に代理スペアにするから。きっと俺の愛する女がいくらでも産んでくれるだろうから、すぐにお役御免だろうがな。ははははっ」


 悪びれもせず、醜悪に笑い答える。

 だからカルミラは、ランディスを置いて離婚などできなかったのだ。


 ただ誰かに相談したくても、手紙は検閲が入り自分への面会もダニエールや使用人が断ってしまう。

 精神的に追い詰められていく中、吐血して寝ついてしまったカルミラ。


 彼女は自分の知識から、毒を盛られたと判断した。

 食事は嫁いでから自室でしている。

 誰が入れたかは解らないが、指示はダニエールだろう。


 そこで診察に来た医師に大金を握らせ、自分の血液を3本採取し3か所に送るよう依頼した。もう医師を信じるしか道はなかった。医師もこの家の非道を知っていた。それに彼女の症状は明らかに毒のものだ。


 この家の体面の為に、形だけ呼ばれた力ない町の医師。


 すぐにでも騎士団や彼女の親に連絡したいが、そうすれば自分だけでなく家族もどんな目にあうか。それを知っていて、尚かつお抱え医師に何らかの責が行かないようにの処遇だ。


 カルミラは医師を責めない。

 ただ残されるランディスを頼むと言っただけだ。


 医師は、鎮痛剤と解熱薬を渡してそこを去った。


 その後に明らかな動きがないことで、その医師は見逃されたようだ。

 医師の家族はその地を去り、彼女の血液は手紙と共に送られた。

 永続的に凝固しない薬が入っているので、鑑定には問題ない筈だ。



 カルミラはランディスに小銭を渡し、食べ物は街で買うように指示した。ここでの食事は手をつけないようにと。

 食べれば母のように血を吐き、苦しくなると教えた。


 毒薬は高いので、毎食に入れている可能性は低い。

 けれど夫の兄が協力すれば、何があるか解らない。


 彼女は家から持参したお金の半分を、医師に頼みランディス名義で貯金してもらった。そして半分をベッドの下に隠していた。


 食事を運ぶ以外に来ないメイドだが、彼女は誰も信じていなかった。だがランディスを守る為に、それは正しい判断だった。


 この家に嫁いだのは、完全なる政略。

 力のない侯爵家でダニエールの兄に逆らうことができず、両親も兄弟も泣く泣くカルミラを家格の理由だけで奪われた。


 嫁いだ後も想像通りの惨状だった。


 そのことを予想した家族は、荷物に隠し資金を持たせたのだ。


 結局彼女は死ぬまで、ランディスが井戸から汲む水と買ってきたパン、薬だけを口にした。看病は10歳を少し越えたランディスだけが行った。


 口にできないことをノートに書いて彼に伝え、衰弱し字が書けなくなってからは耳元で囁いた。


 毒で弱った内臓は徐々に弱り、吐血して2週間でこの世を去ったカルミラ。


 葬儀だけはさすが侯爵夫人と言う、大々的なものだった。


 カルミラの両親はランディスの引き取りを要求したが、体面の為に固辞するダニエール。


 本当は既に、この世にいない筈の子供ランディスだったのに。

 ダニエールの思惑では、事故にあって死んだ息子の後を追い自殺。または、精神を病んだカルミラが無理心中。そんなシナリオだった。


 だがカルミラが先に毒で血を吐き、ランディスに食事を止めさせた。毒はオムレツに入っていて、デザートの桃を先に食べていたランディスは被害に合わなかった。皮肉にも速効性の毒だったので、食したカルミラにすぐに症状が現れ回避できたのだ。


 オムレツも桃も、ランディスの好物だった。

 彼は生涯それを口にできなくなった。



 母の姿を見たランディスは、極度の驚愕で震えが止まらない。

 そんな彼をカルミラは抱きしめて、こう言うのだ。


「母は大丈夫です、犬死になんかしないから……。

でもランディス、これからお前は心を強くして、一人で生きていく必要があるわ。母はもう長くは生きられない。自分で信じられる者を探しなさい。

………見誤れば死ぬだけよ」


 できるかと問われても、彼には解らない。

 では共に死ぬかと言われれば、死はとてつもなく恐ろしく思える。



「生きたい」


 呟くように言えば、涙を溢れさせたカルミラは彼を強く強く抱き締めた。



「母も貴方に生きて欲しい。………こんな場所に産んでしまいごめんなさい。でもここを出たら、きっと楽しいこともあるわ。だから、生きていてね………」


 自分勝手な言い分だった。

 無理矢理、子供に選択させたのだ。


 でも生きたいと言う我が子を、共に逝かせられない。

 生きていくことは大変なことだ。


 それでも彼は、明るい場所を一度も見ていない。

 死ぬのはもっと後で良い。


 そう思いながら、気絶していたカルミラ。

 その後、数週間で衰弱し死に至るのだ。



 カルミラの葬儀を終えても、ランディスの扱いは同様だった。

 殺す予定の子には教育を与えず、朝晩食事だけを運ぶメイド。




 さすがに母が病死した直後に、息子ランディスが毒で死ねば不審がられる。病死と言っても、葬儀では元気な姿を見せていたのだから。


 ほとぼりが覚めるまで放置すると決めたダニエール。


 ランディスはもう、伯爵家の食事に手はつけていない。

 朝晩の食事は袋に纏め、土に埋めた。

 万が一にも、毒入りの可能性がある食べ物だ。


 野良犬にさえ与えることはできない。



 そんな日々が1年以上続き、隣国と開戦となったある日。

 当主の代わりに、ランディスが戦地に送られることになった。


 彼が望むはずないのだが、ダニエールは言う。


「息子はどうしても国の為に働きたいと言うので、我が家門からはランディス・グレイを送ります」


 平民でもないのに、普通15歳にも満たない次期当主が参戦することはない。だがダニエールの兄、マッカネン侯爵までも後押しするのだ。


「気概のある立派な嫡男だ。望みを聞いて欲しい」 


 それに断れる者はいない。

 彼の妻は降嫁した王妹だ。

 発言力も財力もあるのだから。


 そうして送られた戦地。


 最初は恐ろしく腰も引けていたが、カルミラの親族が守りについた。そこで剣技を学び、信じられる者もできた。

 お互いを慈しみ、背中を預けられる者達を。


 もう母がいない、寂しい閉塞したあの部屋から出て、やっと息ができた。


 初めての学びに頭角を現すランディスは、気づけば敵をなぎ倒し英雄視されていた。だが彼はそんなことは望んではいない。


 ただみんなと生き残る為に、懸命に生きただけだ。



◇◇◇

 さすがのダニエールも、戦地にまで殺し屋を派遣しなかった。


 幼い子供が生き残れるとは思わない。

 勝手に野垂れ死ぬだろうと。


 その間にダニエールは再婚し、男女の双子も産まれた。

 愛すべき妻は、キャサリン・ゴーン元子爵令嬢だ。


 彼女は、自分の子が当主になると信じていた。

 先妻カルミラがいる時から続く仲の、全てを知る人物の一人だ。


 そのように思って子供達を教育してきたのに、戦争が勝利で終結し英雄として先妻の子ランディスが戻ってきた。彼とて帰りたくはなかったが、家の体面の為に避けられなかったのだ。




◇◇◇

 ランディスは離籍を申し出たが、家門の為に名誉ある英雄を手放せないダニエール

 英雄と縁を切れば旨みを逃すどころか、誹謗されかねない。

 どんなにランディスが否定しても、醜聞は避けられないだろう。


 ランディスは騎士団の寮で過ごし家には寄り付かなかったが、パーティーや誕生会等で招かれれば断れなくなった。何度か断った後に、騎士団の方へ「息子がパーティーにも来れない程、酷使しているのか?」と、クレームが入ったからだ。


 その後は騎士団に迷惑がかからないように、最低限の付き合いを続けた。

 出された食事は、基本飲み物だけを選んだ。口に入れたと見せかけ、袖口に隠した布に含ませた。

 不自然に思われないように時々口に含ませもするが、隙を見てそれも袖に吐き出す。

 何度か繰り返し布が湿り出せば、洗面所に行き交換しうがいを行う。

 どうしても食べばければならない時は、ナプキンの下に布を仕込み口を拭うタイミングで、包んで纏めた。


 気づかれぬように、一瞬も気が抜けない。

 まるで戦地にいるような感覚だった。



 ただ5歳になる異母弟妹は僕を英雄視し、キラキラとした瞳で接してくる。

 義母より「野蛮で残忍」とでも言われているだろうに。


 僕の方からは難癖をつけられぬように、極力接触を避け続けてはいたが。



 そんな時に、婚約の話が出てきた。

 彼らが持ってくるのは、どこの家も婿が欲しい娘だけの家だ。家格もそれ程高くない貴族家の。


 嫡男のランディスだが、後に恋愛だと言えば世間は納得すると言うダニエール


 解放してくれるなら、何処にでも行くつもりだった。


 だけど父が選んだのは、体が弱いと言うブレナ・マーレン子爵令嬢だった。


 彼女は戦場の仲間に聞いた、毒による拷問方法の症状に似ていた。

 主治医は彼女の父親の弟アメイジエで、グレイ伯爵家の専属主治医だった。


 もしかしたら、カルミラと同じ毒かもしれない。

 心臓の薬は、毒にもなるからだ。



 僕が英雄として凱旋したことは、その後多くの全国民が知るところになっていた。


 そんなある日のこと。

 騎士団の僕宛に、カルミラを診察してくれた町医師から荷物が届く。

 手紙も同封されていて、僕の無事を喜ぶ内容と母から受けた依頼の報告書だった。

 ある商会に依頼して、あの時の毒物の解毒薬を作り、それを量産して瓶いっぱいに詰めてくれていた。


 「軍に勤める貴方だから、今後の戦地で役立てて欲しい。そして償いの気持ちです」と記されていた。



 依頼料金は、薬を商会が特許を取ることで相殺されたそうだ。

 どうやら、治験では得られない情報を得られたという。


 採血の1つはその商会に提供し、分析されてなくなった。

 後2つは、医師が保管しているらしい。


 最初は母の死後、生家のチャタレー侯爵に送るように言われていた。だが血液を送るだけでは却って危険に晒すと思い、自分で保持していたと。


 いや血液だけだとしても、その医師ルーベンスが証言すれば良いだけだったが、当時その勇気がなく送れなかったとも書かれていた。


 だからランディスが成人した今、決めて欲しいそうだ。

 今ならば子も手は離れ、未練はないからと。


 遠くにいる家族は見つからないから、ルーベンスが王都で証言すると言う。暗殺されても悔いはないと。


 僕は迷ったが、平穏なチャタレー侯爵に、今さら渦中に落とす真似は避けたいと思った。


 その代わりに、ブレナ・マーレン子爵令嬢の血液を鑑定してもらうことにした。彼女には知り合いに貴女と似た患者がいる医師だからと説明すれば、納得してルーベンスから採血させてくれた。このことは、主治医のアメイジエに失礼になるからと、内緒にしてもらうことにした。


 その後あの商会に連絡し、彼女の薬も作ってもらった。


 カルミラの毒と同じ成分が血液から出たので、解毒剤を薄くした薬らしい(高濃度の薬はかなり肝臓に負担がかかるので、かえって良くないそうだ)。既に長期に毒を内服しており、治癒までは難しいが維持はできるそう。


 送られてきた手紙と薬を、彼女ブレナと両親に見てもらった。


 信じられない顔をしていたが、思えば弟のアメイジエが主治医になってから状況が悪化したそうだ。

 腕が良い医師と言われていたので、疑っていなかったけれど。


 病が酷いのだと思い込んでいた。

 何より弟を疑えなかったと泣く、マーレン子爵。


「ランディス君。君を信じます」


 げっそりと落胆したマーレン子爵は、僕に頭をさげた。

 みんな泣き崩れ、どうしたらいいのかと混乱していた。




「まずはアメイジエ医師の薬を止めて、ルーベンス医師の薬を呑んでみましょう」


 そう言って、言葉をかけたのだ。


 2週間程すると、浮腫むくみが取れて体が軽くなったそう。彼女の愛らしい顔がますます輝き、みんなとても喜んだ。


 僕も嬉しくて飛び上がりそうだった。


 アメイジエ医師の診察の時だけは、ベッドで横になり怠そうに演じてもらった。彼は満足して去っていく。

 彼はブレナが弱っているのを見れば、満足なんだろう。

 もう碌な診察もしない。

 却って脈拍等見られなくて助かるけれど。


 そのうちに僕は、こっそり騎士団に彼女を連れ出した。彼女が寝たきりではないと証人を増やすために。


 みんなが彼女を知れば、心臓が悪くて急死したなんて思われないだろうから。



 でも彼女が元気になったことを知るアメイジエは、突然押し掛けてきたそうだ。


「ちゃんと薬は飲んでいるか?」と。


 怒りにも似た形相だったらしい。


 それを見て、彼女の両親は言うのだ。


「ああ。薬を飲んでいるよ。ご苦労様」と。


 アメイジエがジタンダを踏んだのは、言うまでもない。


 そこでマーレン子爵は、アメイジエを主治医から解雇したのだ。



 彼女の体は少しは良くなったが、もう既に衰弱は進み長くは生きられないそうだ。それでも彼女は、僕に会えたから幸せ者だと言う。たくさん話して、観劇やクラシックコンサートに行き、こんな時間が永遠に続けば良いと思っていた。



 だけど、そんな時間は突然奪われた。


 アメイジエが突然マーレン子爵邸に乗り込み、毒薬をブレナに注射したのだ。


 彼は兄であるマーレン子爵を憎んでいた。


 ただ先に産まれただけで、貴族と平民へと隔てられたことが妬ましくて。彼はブレナを殺して、自分の子を後継にしようと画策したのだ。


 …………それこそ、十年以上前から。



 すぐにアメイジエは取り抑えられ、騎士団に連行されていく。医師が呼ばれ僕も駆けつけた。


 僕は解毒剤を彼女に飲ませた。


 けれど朦朧とした意識のまま、彼女は3日後に儚くなった。

 僕は却って彼女の寿命を縮めたようで、苦しくて苦しくて涙が止まらない。


 でも彼女の両親は、「ブレナは幸せだった。貴方がいなければ、この部屋で動けず惨めに死んでいた。ありがとう」と言ってくれた。


 そう言われると、ますます嗚咽が止まらない。


 泣いててはいけない。

 頑張った彼女に笑われるのに。


 でもでも…………。


「うっ、ぐすっ。置いていかないで、ブレア、ブレアぁ、はぁあ、ふぐっ、あぐっ」


 彼女の両親も堪えきれず、みんなで抱き合ったまま泣いて動けなかった。


 こうして僕の初恋は幕を閉じた。





 二番目の婚約者は、ヒミロ・ユキファー男爵令嬢。

 彼女は活動的で、乗馬が得意な恋多き女性。


 彼女の家は新興貴族。

 商売で成り上がった成金と言われている。


 元々13歳まで平民だったこともあり、彼女は今まで普通に恋愛をしていた。貴族になる前の恋人とは、喧嘩ばかりで別れていたようだ。当然、婚約者なんていなかった。


 けれどダニエールは投資させたり援助をさせる気で、婚約を結ばせた。


 ユキファー男爵家に取っても旨みのある話だ。

 婚約はすぐに整った。


 ランディスは固辞したが、母の生家チャタレー侯爵に圧力をかけると脅された。静かに暮らす祖父母に迷惑をかけたくなくて、しぶしぶ応じることになった。



 初めて会った日、ランディスは正直な気持ちをヒミロに伝えた。

 前回の婚約についての話と、自分がまだブレアを愛していることを。それを彼女は、静かに聞いてくれたのだ。


「別に忘れなくて良いよ。結婚したらずっと一緒なんだからさ。私もよく分からないまま貴族になったし、これ政略結婚が普通だって聞くし。それならこんなに綺麗な英雄が夫なんて、箔がつくしさ。まずは友達になろうよ」


 なんて照れながら言うから、ランディスも気持ちが楽になった。彼女は活動的で男同士のように馬に乗り、狩りで駆け回った。暫くぶりで、何も考えなくなるぐらい楽しかった。


 でもダニエールが不当な援助金を打診するせいで、ユキファー男爵は焦りだした。


「こんなにむしり取られたら、商会が潰れてしまう」


 どうやら目論見よりも、利益が下回っているようだ。

 そして婚約の白紙を求めようとした時、ヒミロが死んだ。


 鞍に細工した元の恋人は、手紙を握りしめて騎士団に提出したが、鑑定すると別人の書いたものだった。彼は酷く憔悴していた。


「ああ、俺は何てことを。騙されたからと言っても、こんなことを」


 彼は嘘の手紙で、まだヒミロの心が自分にあると信じていた。


 別れてからも愛していたので、憤ったのだ。


 裏切られたことが嘘だったことで、恨みの代わりに罪の意識だけがもたげる心。

 彼は正気をうしなった。




 三番目の婚約者は、レイチャム・ロマンド伯爵令嬢。彼女は勉強家で、刺繍が得意な大人しい女性。


 ランディスはもう婚約したくなかった。

 でもダニエールに囁かれる。


「ユキファー男爵の有責の婚約解消だ。どれくらい慰謝料を搾り取ろうか? でもお前がもう一度婚約すれば、慰謝料は取らないと約束するぞ。どうする?」


 もう虚しいだけだった。


 ただダニエールは容赦がない。

 断ればきっと男爵家は破産するだろう。

 心を軽くしてくれた、ヒミロの家族が苦しむのは見たくない。


 そうして婚約を受け入れたのだ。



 彼女レイチャムは僕を評価してくれたけど、ただ戦争で運良く評価されただけの空っぽの男だ。嫌われてもしょうがない。


 でも彼女レイチャムが、不快にならない関係にはなりたいと思った。


 カルミラが好きだった詩集や物語は、偶然にも彼女も好きでよく話にのぼった。懐かしくなって僕が微笑むと、彼女も笑ってくれた。


 それからは、自分の好きな詩集の部分をノートに書いて送りあっていた。恋と言うより文通相手のようだった。


 ある時、彼女が僕の母やブレナの話をした。


 伯爵家が婚約者の家を調べるのは良くあることだ。

 特に共同事業を結んだロマンド伯爵だもの、優秀な調査員を雇ったのだろう。


 彼女から言われたことに息を呑んだ。

 危険な予感がしたから。


 いつもダニエールが不利になると、相手が死んでしまう。


 僕はノートに、走り書きした。


『以前の婚約は、父が有責になりそうだと相手が死んでいた。君も気を付けて。スパイがいるかもしれない』



 彼女は一瞬目を見開いたが、すぐに表情を消し紅茶はいかがと声をかけてくれた。


 僕は頷いて応じる。


 そして数日後、彼女は息がない状態で川で発見されたのだ。






 騎士団で証拠品の確認をする。

 殺害に繋がったヒミロの元恋人への手紙は、偽物だった。

 誰かが彼を唆したのだ。


 レイチャムの遺書。

 これも僕と、好きな詩や文脈を書くノートに書かれていたものだ。


 遺書がノートの切れはしなんて可笑しいだろ?

 伯爵令嬢なのに。


 僕は騎士団に、彼女とのやり取りノートを見せた。

 信頼できる上司は目を見て頷き、まだ公にしないように伝えてくる。


「実は内密で調査を進めているんだ。場合によっては、お前の家なくなるかもしれないぞ。まあ、当事者に言うことじゃないがな。でもこのノートを見せるということは、良いんだな、それで」


 僕は頷く。

 そして僕の母の血液と、ブレナの予備の血液が残っていることも伝えた。


「必要な時は言ってください。医師の場所は明かせないが、血液も証言も約束してくれています」


 上司はありがとうと言って、その場を去っていく。


 僕は父の恐ろしさと、そんな血の流れる自分が嫌でその場にへたりこんだ。力が入らず、暫く動けなかった。



「その後に君との婚約が結ばれたんだ。メルト・サキラーバ。君と会ったのは偶然だよ。……僕は全てが暴かれたら、あのナイフで死のうと思っていたんだから」


 彼女は笑って “そうなのね ”と言う。


 だって上司に聞いたら、ダニエールに融資を持ちかけたのはサキラーバ商会だと聞いたから。

 てっきり僕は、ダニエールの方からだと思っていたんだ。


 そして何でも父の言うことを聞く兄のマッカネン侯爵は、代償にかなりの金銭を父に要求していると聞いた。実働以外の口止め料も入っているのだろう。


「僕は最近このことを知ったのだけど、君はずっと知っていたの?」


 艶やかな黒髪に赤目の彼女は、


「私も最近よ。父が巧妙に隠していたのよ。ほら、私だって調べられるからさ。最初はいけすかない奴だと警戒していたのよ、貴方のこと。でもなんか、子供みたいで肩透かし喰らったから。父に話を聞いて、納得したわ」と、ばつの悪い顔で頭を掻いた。


「貴方、死んでられないわよ。親はあれだけど、双子の弟妹育てるんでしょ。…………まあ、私も力貸すから、生きなよ。ねっ」


 普段と違い、頬を染めた彼女は微笑んでいた。


(いつも怖いけど、可愛いとこあるんだな)

 僕もつられて笑っていた。


 因みに彼女の兄が、僕の悩みを聞いてくれる上司だった。そして僕の元婚約者の家も、捜査に全面協力するらしい。



「家の家系は子沢山で、いろんな所に養子に行ってるのよ。私もたくさん産むからよろしくね」


 何でもないように、プロポーズ?されてしまったみたいだ。


「母さん、僕はまだそちらにいけないようです」


 満面に微笑むランディスは、メルトに微笑みを返した。

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どうやら私は、四番目の婚約者 ねこまんまときみどりのことり @sachi-go

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