暴力少女と僕

宮塚恵一

straight punch without hesitation

 東雲晶しののめあきらは殴った。

 晶に相対していた男の鼻柱、ド真中に彼女の握り拳が命中する。ゴツンという乾いた音と共に男は重心を崩してそのまま後頭部を地面に打ち付けた。男が倒れたのを見て間髪入れずに晶は男の腹の上に飛び乗る。


「うげっ」


 男は苦悶の声を溢した。その鼻からはだらだらと血が流れている。多分あれ、骨折れてるんじゃないかな、と呑気なことを思いつつ、いきなりのことで反応ができなかった僕は遅れて晶の腕を掴んだ。


「邪魔しないで九条君」


 晶は僕が掴んだのと反対側の拳を振り上げて、男の鼻柱をまた殴った。周りの通行人もちらほらと、何事かとこちらを気にしだした。スマホのカメラを向けているのもいる。やめとけって、そういうの一番嫌がるぞこいつ、と僕は溜息をつく。カメラを撮っている通行人に晶が気付かないことを祈り、今度は男の襟を片手で掴み出した晶に、僕は叫んだ。


「ラーメン食べに行くんだろ!」


 俺がそう言って晶の腕を引っ張ると、晶はハッとした顔を僕に向けた。


「忘れてた」


 晶はパッと男から手を放す。ガツンと男の後頭部が再度地面にぶつかる鈍い音がしたのを聞いて、僕は目を細めた。晶はニコニコと笑顔で立ち上がると、今殴った男のことなど忘れたように、僕の腕を掴み返して歩き出す。


「さ、行こ」



👊


 僕が晶に初めて殴られたのは三歳の時だ。家が隣同士で、その日初めて母と一緒に晶の家を訪れた。晶の家で、彼女は一人おもちゃで遊んでいた。そんな彼女を横目に、晶が遊んでいたのとは別のおもちゃを僕が何気なしに横から手に取った瞬間だ。

 ものすごい勢いで僕は頬を殴られた。何が起こったのか理解することもできず、痛みに泣き出した僕の顔を、晶は蹴り飛ばした。そこまで来てようやく親が止めに入ったが、晶はそれでも暴れるのを止めず、僕は母親に抱きかかえられ、逃げるような形で東雲家から外に出た。それから何年かの間、晶と顔を合わせることはなかった。考えてみれば、当たり前の話ではある。

 次に殴られたのは、小学校に入学してすぐの頃だ。休み時間にトイレに行った帰り、廊下を走る同学年の男子に「廊下は走っちゃダメだよ」と声をかける女子がいて、それが晶だった。声をかけられた方の男子が「うっせえな、ブス」と言ってすぐ、晶は自身の前を通り過ぎる男子の襟首を掴んだ。その様子を見て、僕の頭の中に三歳の記憶がフラッシュバックした。目の前にいる女の子が、かつて自分を殴った女の子だということに気付いた僕は、今にも男子に殴り掛かりそうだった晶の腕を咄嗟に掴んだ。男子はそれで晶から解放されたが、よせば良いのに「何すんだよ!」と晶に食ってかかった。このままだとこの男子が殴られると、晶の腕を引っ張って彼女を阻止しようとしたが、無駄だった。晶はくるりと振り向くと、僕の腹を殴った。痛みに膝をつく僕をよそに、晶は反対側にいた男子の胸を蹴り飛ばして地面に背中をつけると、躊躇なく鼻柱を殴る。廊下に男子の泣き声が響き、そこでようやく近くを通った先生が晶を止めに入った。

 子どものネットワークというのは意外に強固だ。その日から、もしかしたらそれよりも前から、晶は段々と誰からも距離を置かれるようになった。先生も何とか晶と他の子を仲良くできないか苦心していたが晶と仲良くしようという子はいなかった。実際、晶が完全にみんなから距離を取られるようになるまで、あの日殴られた男子の二の舞になって殴られた人数は少なくとも片手で数えるには足りなかった。それも男女関係なくである。トイレの入り口を塞いでいた上級生の女子に殴りかかったという話も聞いた。

 何て恐ろしい女の子なんだと、僕も他の子同様に晶には近付かないようにしていたが、ある日の下校時間、僕は昇降口で一人外を見て立っている晶を見かけた。その日は雨が降っていたのだが、どうも傘を忘れたらしく、次々に帰る他の子をチラチラと見ながら、晶はムスッとした顔だった。しかし暴力女子、晶の噂を知っているみんなは彼女に近付こうともしない。そんな彼女を見て、僕は哀れに思った。それに困っている人がいたら見過ごしちゃいけないってお母さんも先生もよく言っている。


「ねえ、使う?」


 僕はおそるおそる、自分の持っている傘を晶の方に差し出すようにして、彼女に話しかけた。晶のムスッとした表情が解けて、ぱぁっと笑顔になる。

 その顔を見て、僕は思わずドキリとしたのを、今でも覚えている。


「いいの?」


 晶はニコニコと笑顔のまま僕を見つめた。てっきり、傘を引ったくられるように奪われるものと思っていた僕は困惑した。


「え、と。使わないの?」


 僕の問い掛けに晶は不思議そうに首を傾げて言った。


「一緒に入らないと濡れちゃうよ?」



🦶


 僕にピッタリとくっ付いて相合傘で帰る晶の姿は、みんなを驚かせたらしい。僕は、あの暴力女を手懐けたとクラスメイトからは一目置かれるようになった。晶も登下校に僕の姿を見つけると近づいてくるようになった。先生からもとして彼女が問題を起こしそうな時には僕が呼ばれるようになった。あの日、彼女の笑顔を見た僕は、それも嫌なことばかりではなかった。そんな関係が、高校生になってもずっと続いている。

 それでも彼女の暴力が止むわけではない。さっきみたいに外を歩いていて、急に彼女がその拳を振るうことも珍しいことではなかった。近所に美味しいラーメン屋ができたことを学校で小耳に挟んだらしい晶は、放課後に問答無用で僕を連れ出しに来たので、晶が僕の前で誰かに暴力を振るわないよう祈りながら店に向かっていて、あれである。歩きスマホをして肩をぶつけてきた男目掛けて、昔から変わらないストレートをお見舞いしたというわけだ。


「それは良いんだけどさ──」


 僕の目の前にはゾロゾロと男達が並んでいる。

 あの後お店で食べたお目当てのラーメンは、晶の口にあったらしく、替え玉までおかわりをして存分に楽しんでいた。そして家まで一緒に帰り、学校の課題を済ませて塾に向かう途中で、絡まれた。


「お前、あの女のツレだな」


 よく見れば男の群れの中に昼間、晶に殴られて鼻のひしゃげた男がいる。御礼参りというわけだ。それも晶本人ではなく、その隣にいた気弱そうな男子の方をまずは狙って。


「この町にもまだお前らみたいな馬鹿いるんだな」

「あ?」


 僕は地面を蹴った。晶にやられて、また負傷するのはこいつも可哀想だな、とも思うが、そういう躊躇いはグッと飲み込む。僕は走る勢いのまま男の顎を蹴り上げる。ざわざわと後ろの男達の動揺が見えるが、構わない。二人目三人目にもおなじように蹴りを入れていく。


「よく誤解されるんだ」


 晶のとばっちりがこうして僕の方に向かうのは、珍しいことじゃない。それに彼女は僕であろうとムカつくことがあれば平気で拳をぶつけてくる。中学に入ってからだけでも、僕は晶に二度骨折させられている。そんな彼女の隣にいる為に、僕が何もしないわけないだろう。


「ぐっ……!」


 何人蹴り上げたか数えちゃいないが、最後の一人が地面に伏せた。僕は大きく息をついて、塾に向かう。


「九条くん」

「あ」


 路地を一角曲がったところに、晶がいた。晶の周りには、流血した男達が倒れている。こっちにも来てたのか。まだ根性ある奴らではあったらしい。しかし失敗したな。晶に喧嘩をふっかけたら、死んでもおかしくないくらいに痛みつけられる。こっちにいるのは三人だから、まだ被害を抑えられたけど、まあ。


「救急車くらい呼んでやるか」


 うち一人の腕があらぬ方向に曲がっているのを見て思わず顔を歪めながら、僕はスマホを取り出した。僕は晶とは違う。暴力に躊躇もするし、未だに血には慣れない。


「晶はどうしてここに?」

「九条くんをストーカーする不届者がいたから」


 晶はそう言って、ニッコリと笑う。全く、その笑顔を見ると、絆されてしまう。僕も失笑して小さく息を吐くと、晶と隣り合って、路地を後にした。

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暴力少女と僕 宮塚恵一 @miyaduka3rd

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