第3話



  ◇



 ……数十年後。


「……もうすぐ、お迎えかな」

 ベッドに横たわる妻が、力なくそう言った。……あの時の女子生徒は、宣言通り、一生俺に付き纏ってきた。俺が何度自殺を試みても、まるで事前に分かっているかのように阻止し続けた。そうやって、彼女として、妻として、俺の傍に居続けた。

「……どうかな? 私は、あなたの生きる理由になれた? 死なない理由になれた?」

「なれてねぇよ」

 だが悲しきかな、この長い歳月を経ても、俺の性根は変わらなかった。今でもさっさと死にたいと思っているし、妻が大往生している今思っていることも「ようやくこいつがいなくなるから自殺出来るな」という最低な内容だった。

「……今でも、そんなに首吊りたい?」

「当たり前だ。首吊りはこの世のあらゆる問題を解決できる、万能の解決法だからな」

「……ミレニアム懸賞問題とかも、解決できるの?」

「ああ、世界中の数学者が首を吊れば全部解決だ」

 ミレニアム懸賞問題とは、その名の通り懸賞金が懸けられた数学の問題だ。だが、それを解こうと躍起になっているのは数学者なので、世界中の数学者が死滅すれば必然的に問題はなくなる。つまり解決されるのだ。

「……じゃあ、少子高齢化問題も?」

「日本人全員が首を吊れば解決だな」

 俺たちが学生の頃から叫ばれ続けた少子高齢化問題は、未だに悪化の一途を辿っており、近いうちに日本という国が破綻しかねないとも言われている。だが、日本が滅べば問題も消滅する。つまりは解決だ。

「……じゃあ、地球温暖化問題も?」

「全人類が首を吊れば万事解決だ」

 地球温暖化も悪化し続け、異常気象は最早それが当たり前になるレベルだ。今も病室の外に出れば殺人級の熱波に見舞われる。そんな問題も、人類が絶滅すれば問題でなくなるし、悪化の原因も消滅するので一石二鳥だ。

「……ふふっ」

 そんな、我ながら最悪な受け答えに、妻は楽しそうに笑った。……こいつと過ごした数十年間で、この手のやり取りは数え切れないくらいには繰り返してきた。こいつにとっては、不謹慎さを咎めるよりも、安堵を覚えてしまうのかもしれない。

「……あなたと過ごした時間は楽しかったけど、あなたより先に死んじゃうのだけは心残りかな」

 だがそれも長くは続かず、妻は残念そうに呟いた。俺の自殺を食い止めるためだけに過ごした人生なのだから、俺が天寿を全うする前に死んでしまえば、それが叶わなくなるからだろう。

「安心しろ。どうせすぐに俺もあの世行きだ」

「……あの世、信じることにしたんだ」

「……あったらの話だ」

 あの世なんてないから死んでも後悔はしない、しようがないと、俺が言ったことを未だに覚えていたらしい。力なく微笑む妻に、俺は何とも言えない気持ちになる。

「……じゃあ、あったら。向こうでも、会えるかな?」

「まあ、俺がお前と同じ場所に行けるとは思えないが、期待しないで待ってればいいんじゃないか?」

 こうしている間にも、妻に残された時間はどんどん減っていってる。だが、これでいい。こんな馬鹿なやり取りこそが、俺たちの関係そのものなんだから。馬鹿みたいな理由で連れ添った夫婦の末路としては、この上なく完璧だ。

「……あったら、いいな。あの世」

「そうか」

 俺としては、死んだら無に還るほうが都合が良い。……だが、こいつはそうあって欲しくない。そんな気持ちが、少なからずあった。

「……また、あなたに会いたいな」

「そうか」

 他人がどうなろうが、俺にとっては知ったことではないはずなのに。何故かそう思ってしまう。……あまりにも長い時間を共に過ごしたせいで、変な愛着が湧いてしまったのか。

「……願わくば、また、あなたと」

 それが、最後の言葉となった。まるで寝落ちでもしたかのように意識を落とし、彼女はそのまま息を引き取った。



  ◇



「……ふぅ」

 妻の葬儀が終わり、俺は一息吐いていた。……あいつがいなくなった以上、もうこの世に留まる理由もないのだが、さすがに後始末もせずに死ぬのは憚られたので、葬式くらいはちゃんとやっておこうと思ったのだ。

「だが、これで全部終わりだ」

 厳密には四十九日を始めとした法事が残っているが、その辺りは子供たちが何とでもするだろう。……我ながら、最悪な父親だとは思うが、ここは最愛の妻に先立たれた哀れな男の末路ということで勘弁して貰うしかない。

「さて……首を吊ろうか」

 年老いたせいで体が言うことを聞かなくなっているし、異常気象のせいでまともな活動をするのも難しいが、それでも首を吊るくらいのことは出来るはずだ。……あいつと出会ったのも、首を吊ろうとしたときだった。なら、最後も首吊りであるべきだろう。

「ここでいいか……」

 近所の山に入り、手ごろな木を選んだ。ロープと足場は持参しているし、手早く準備を整える。あの時の反省を生かし、人気のない場所を選んだのだ。

「いよいよ、このクソッタレな世界とも、おさらば出来るな……」

 ロープを木に固定して、首に巻き付ける。後は足場から飛び降りれば、そのまま首が締まって死ねるだろう。

「まあ、悪くない人生であったが……」

 我が人生に一片の悔いなし。最後にそう言えればかっこよかったのだろうが、実際は一つだけあった。……妻を、こんな男に付き合わせたことだ。あいつは客観的に見て、とてもいい女だった。そんな彼女を、俺みたいなどうしようもない男に付き合わせて、人生を棒に振らせた。無論あいつが勝手にしたことではあるのだが、それでも、そのことを後悔せずにはいられない。さすがにそこまでは図太くはなれなかった。

「まあ、それも終わりだ」

 そんな後悔も、もうすぐ消えてなくなる。俺の人生が終わると同時に、意識も消えて、後悔だって消滅する。そのことを寂しく思う感傷が芽生えていることに我ながら意外に思いながら、俺は足場を蹴り飛ばすのだった。



  完

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首を吊ったら彼女が出来た。首は吊り得 マウンテンゴリラのマオ(MTGのマオ) @maomtg

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