レゾンデートル
豚骨
ストーリー
田中慎吾、三十五歳。
都内のオフィスビルに通う事務職。誰でもできるルーティンを繰り返すだけの毎日。
気づけば、昔夢見ていた「小説家」なんて肩書きは、いつの間にか忘れたふりをしていた。
恋人もいない。友人も、数えるほど。
生きる理由も、いつの間にか失くしていた。
そんなある日。
通勤途中の交差点で、ふと足を止めた瞬間、胸にぽっかりと穴が開いたような感覚に襲われた。
「——このまま、死んでも、誰も困らないんじゃないか」
そう思ってしまった。
衝動的だった。
だが、何かに導かれるように、田中は旅に出た。
目的はただ一つ。
「死ぬにふさわしい場所」を、探すために。
―――
新幹線を降り、ローカル線を乗り継ぎ、誰も知らないような町を歩く。
スマホの電源は切った。
地図も持たず、当てのない旅。
最初に訪れた山村では、一人の老人と出会った。
元は都内の一流企業に勤めていたが、定年退職後に山に移り住み、自給自足の生活を送っているという。
「意味なんてのはな、後からついてくるもんだ。
最初から探すもんじゃねぇよ」
そう言いながら、庭先で掘ったばかりの芋を蒸してくれた。
次に出会ったのは、町工場の近くで働くシングルマザー。
仕事帰り、子どもを保育園に迎えに行く途中の道すがら、偶然立ち話になった。
「私ね、毎日くたくただよ。でも、あの子の寝顔を見るとね、“生きてなきゃ”って思うの」
彼女の言葉に、田中はうまく返事ができなかった。
自分には守るものなんて、何ひとつない。
そして、ある公園で、スケッチブックに詩を書いている少女と出会う。
「おじさん、空ってさ、どんなに曇っても、上にはちゃんと青があるんだって」
彼女は病気と闘っていた。
それでも、未来に言葉を届けようとしていた。
田中は何度も、何度も、自分に問いかける。
「それでも、俺は死にたいのか?」
それでも、答えは出なかった。
旅の終わりに、田中はふと思い出す。
幼いころ、家族で訪れた海辺の町。
砂浜に寝転んで、潮風の中で笑っていた記憶。
その町にたどり着いた時、彼は一人の男と出会う。
毎日、同じ場所でシャッターを切る、無口なカメラマン。
「人間の人生にも、光と影がある。でもさ、カメラは光を捉えた瞬間にだけ“写真”になるんだよ」
その言葉が、胸に深く染みた。
ふと、幼いころに埋めたタイムカプセルのことを思い出す。
田中は防波堤の下を掘る。
中には、色あせた絵と一枚の手紙が残っていた。
「大人になったら、世界を旅したい。いろんな人に会って、いろんなことを書きたい。」
幼い自分が、そう願っていた。
心の中で何かが弾けた。
自分が忘れたかった過去ではなく、置き去りにしてきた未来がそこにあった。
都会に戻った田中は、小さなノートを開く。
旅で出会った人々、交わした言葉、自分の心の動きを、一文字ずつ書き出していく。
それはもう、“死に場所”ではなかった。
“生きる場所”を、もう一度探す旅の始まりだった。
彼は、書く。
世界がどれだけ残酷でも、美しくもあるということを。
自分が感じたことすべてを、言葉にして。
——田中慎吾、三十五歳。
あの日、死にたかった男は、
今、たしかに「生きている」。
レゾンデートル 豚骨 @tonkotsu_S
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます