僕にセーターを編んでくれる女の子の知り合いなんかいない

八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)

あれって編めるものなのだろうか?

 そもそもタイトルとしてはどうかと思う。

 時代は令和の御代なのだから、手編みセーターを着る機会だってめっきり減ったし、それにセーターと聞けば昭和時代の香りが漂う気持ちになるのは、若さゆえなのか、それも……。

 そんなことをふと考えてしまうほど、僕の頭は熱を上げて目の前にいる彼女の姿から目を離すことができなかった。


「どう、編んでみたの、 気に入ってくれるかな? 」

「中々……うん、すごい……」


 目から鱗が落ちるとはこの事なのかもしれない。それはセーターであってセーターでなく、ただただ、僕を激しく刺激したことだけは確かだった。



 そもそものことの初めは十一月に入ってすぐのことだ。

 小坂部高校の夕暮れ、山の上に校舎があることもあって、金閣寺の夕暮れと相違ないほどに金色に輝いていた。教室は目を開けることすら眩しく、廊下はところどころに陰影を強めて、リノリウムの床に横断歩道を敷いているようだ。


「ねぇ、ちょっと取って! 」


 ぼんやりとその横断歩道を眺めていると、先の方から声が聞こえてきて、ついで小さな玉のようなものが、ころんころん、と足元へ糸を伴いがなら転がくる。


 金色に輝く毛糸の玉だった。


 それに手を伸ばして柔らかな感触を握る、久方ぶりに糸の柔らかさと少しちくちくとした毛感触に祖母が作ってくれた手袋の感触を思い出して頬が緩む。


「それ、糸巻きしながら持ってきてくれない! 」

「はぁ……、いぃ! 」


 手にしたままで顔を上げて返事が詰まる。

 廊下の端にいても誰だかわかるほどのシルエット、編んでいる途中であろう何かを手にしたままで、その吊り目気味の視線と言う名の金色の眼光を放っていて、やがて金色に染まる姿は戦女神とでも言うべきだろうか。

 女子柔道部元主将、三年生で引退して受験勉強に励んでいると宣っていた江子先輩だった。


「今持ってきますね」

「その声、光太郎!? 」

「はい、そうですよ! 」


 きっと僕の姿は輝きを失ったドアの影にいるからか、先輩からは誰だか判別がつかなかったらしい。

 毛糸の球を優しく手にして、その垂れ下がった糸を摘んで柔らかさを失わなように、巻きのとおりに糸を玉へ這わせてゆく。


「あ、そうそう、光太郎、絵画展の優秀賞おめでと」

「ありがとうございます」


 今日、発表された全国高校生絵画コンクールで、僕の書いた作品が最優秀賞を受賞したのだ。夏休みまでを潰し、毎日、毎日、命を削って絵の具へ溶け込ませるようにして、今までの拙さの残る技術を惜しみなくつ注ぎ込んで、描き終わった直後に熱を出して三日ほど寝込んでしまうほどに集中した作品は全国大会まで突き進んで、一等は逃したものの、優秀賞まで勝ち進んでその栄誉を手にした。

 誰かに染まった勝ち進むという言い方もどうかと思うけれど……。


 絵画名は『戦女神』、画家は高村光太郎、モデルは吉謙江子女子柔道部主将。


 題材を探し回って何にも決まらず、何事にも苛々を抱えながら学校の色々なところを覗き、まるで徘徊を厭わない老人のように彷徨いながら探す日々、そんな中で出会ったのが、江子先輩だった。

 武道場の前を通りかかった時にバシンっという激しく畳を打つ音が聞こえて、思考が思わず途切れ、引っ張られるように視線が音が聞こえてきた窓から覗き込み、そして息を呑んだ。

 白色の柔道着に黒帯、ショートボブの髪を揺らし、玉のような汗を滴らせながら、真剣な顔から相手を思いやる優しい笑みに変わる瞬間を目にする。


 モヤのかかっていた心のキャンバスが、あっという間に描き上がった。


 この人を描こう、そう心に決まる。

 苛立ちに掻き乱されていた荒海のように荒んでいた心も気持ちも、全てが凪いだ海のようになり、突き抜けるほどの青空が広がった。そこにイーゼル置かれて一瞬にして書き上がったキャンバスの絵が立てかけられている。

 僕はその前で立ち止って眺め続けながら、ぼんやりとした足取りで美術室へと帰り着くと、スケッチブックを開いてデッサンを繰り返した。けれど、描いても描いても絵には近づくことができなかった。

 手に持ち巻いてる毛糸の球が転がり解けて小さくなってゆくような、そんな感覚かもしれない。

 どうにもならなくなった僕は美術講師に熱弁を振るうかのように、どうしたら良いかを相談し、寡黙な生徒の豹変と鬼神のごとき口調だったと後日に宣ったが、その言葉に適切なアドバイスの手伝いをしてくれた。


「先輩を題材に描きたいんです、どうか、お願いできますでしょうか?」

「講師の先生から聞いてる、いいよ、そんなに真剣なら構わないよ」


 美術講師がお膳立てしてくれた昼休みの職員室で、柔道部の顧問と江子先輩の前で頭を下げて練習風景スケッチさせて欲しいと頼み込む、意外だったのは先輩が簡単に受け入れてくれたことだったけれど、それがあいつの良いところなんだよと顧問の先生が口にしたのを聞いて真面目な人なんだなと言うことが理解できた。


 それから二週間ほど美術部室ではなく武道場の一角へと通い詰めた。

 ひょろっとした根暗そうな生徒がスケッチブックと鉛筆が沢山入ったボックスを持ち込んで、ひたすら模写を繰り返す日々、顧問の先生から連絡をされているとはいえ、最初は女子部員も男子部員も不審がっていたし、ちょっかいを出そうとしてきた奴もいたけれど、それはすぐになりを潜めた。


 武道を学び尊ぶ者は真摯な者を嘲笑わない。


 ひたすらに描き続けた僕の視線は相当なものであったらしい。

 後々、仲の良くなった部員たちから、先輩を追う目が血走って今にも殺してしまいそうなほどの、恐ろしいものだったと教えてくれて、先輩も笑いながらソレを否定しなかった。


「ねぇ、ちょっと見せて」

「ええ、どうぞ」


 汗まみれで隣にドンっと腰を下ろした江子先輩が、水を飲みながらスケッチブックを開いてはソレに視線を落としてゆくなか、しばらくすると、数枚に一度、手が止まっては、何かをぶつぶつと口にしながら去ってゆく、それが数回ほど続き、乱取りでの動きに格段の変化が見えた。きっと、それは小さな小さな変化だったけれど、とても、とても、筆が流れるようなほどに綺麗な動きになっていたと思う。


 毛糸の玉を巻きながら先輩へと歩いてゆく。

 そうして数冊のスケッチブックが一杯になると、僕はお礼を言ってキャンバズに向かった。解けて小さくなってしまった毛糸玉は糸をしっかりと巻き直して、最初の頃よりも格段に大きく柔らかくなっていた。

 毎日、毎日、遅くまでずっとキャンバスに取り憑かれたように向かい、そして鉛筆を、筆を、絵の具を、意思を、走らせては描く。


 毛糸を筆で編むように、ただ、ひたすらに、ひたすらに、描いては編んでゆく。


 江子先輩も練習後に美術室に寄るようになっていた。

 スケッチブックを勝手に手にしては何かを研究するようにぶつぶつと口にしては、時より見にきてほしいとお願いをされる事もあった。その度に、休憩時間のようにスケッチブックを手にしては江子先輩を書き、先輩はそれをじっと見ては動きを変えてゆく。

 夏の最後の大会では江子先輩は準優勝まで勝ち進んで高校生部活の有終の美を飾り、会場でその姿を見届けてしばらくして僕も描いて編むのを終えたのだ。


 金色の光が消え始めて、夕焼け色の真紅へと染まり始める。

 手元の毛糸の玉は赤色に染まり、そして赤い糸を僕は手繰って巻いて巻いてを続けて先輩の元まで辿り着く。この糸と同じようだった。描いて編まれた絵の残りは、いつの間にか赤い糸になって、江子先輩と僕の小指を絡め取って結びつけた。


「ありがと、光太郎」

「どういたしまして」


 微笑む先輩が嬉しそうに笑い、そして唇に柔らかくて幸せな感触が触れる。

 江子先輩の細やかな趣味が毛糸の編み物だとは誰が想像できただろう、お揃いのセーターの話をされた時は、恥ずかしさのあまり断ってひどく顰蹙を買ってしまったから、もう、編んでくれる事はないだろう。


「もうしばらくしたら出来上がるの」

「マフラーですか?」

「まぁ、今度着てみせるからさ、それまで内緒」

「楽しみにしてます」

「本当に?」

「もちろん、きっと似合と思うし、楽しみに待ってますよ」

「そっか、じゃぁ、見たら殺してみせるから」

「殺す? 」

「そ、殺す」

「よく分かりませんけど、もちろん殺されます」

「うん」


 あれから暫くした今、目の前にソレを着た江子先輩がいる。

 ご両親とも仲良してもらっているけれど、たまたま出かけられるそうで、江子先輩からちょっと心細いしお泊まりに来ないと誘われてやってきたのだけど、まさか、こんな事になるなんて考えもしなかった。


 お風呂上がりの艶やかな肌、少し、湿った黒髪、そして薄らと上気した頬。


 そして、編み上がったであろうセーター。俗称、「童貞を〇〇するセーター」


 首から前掛けのように編まれて腰下まで隠れているけれど、背中から腰のあたりまでは透き通るほどの綺麗な肌が見えていてこちらにチラリと視線を向ける江子先輩の魅力を更に引き立てている。


「これぐらいしないと、手を出してこないでしょ、魅力なかったかな? 」

「そんなことはないよ、それに」

「それに? 」

「とっても綺麗だよ」

「本当かなぁ? 」


 少し前屈みになる江子先輩にさらに鼓動が跳ね上がる。

 あの部活の厳しい顔つきから一転して優しい乙女な顔つきが目の前にあって、甘露な言葉と仕草で布団の上でそっと僕を見つめている。


「寄ってこないじゃん」

「寄っていったら冷静で居られないと思う」

「冷静じゃなくていいんだけどな」

「でも、その」

「ここまでして恥を掻かせるの? それに誰にでもしないよ」

「それは知ってるし、わかってるよ」

「はい、どうぞ」


 両手が広げられて溶けてしまいそうなほどの微笑みが目の前に現れてしまえば、そのまま素直に江子を抱きしめる。柔らかな感触と熱を帯びた素肌、そして石鹸の柔らかな香りが鼻腔をくすぐる。


「大好き」

「うん、大好き」


 そのまま互いに見つめ合えば、そっと口付けを交わし、そして照明を消す。薄暗い空間で互いに熱を合わせながら夜を過ごしてゆく。

 翌朝、幸せそうに眠っている江子の顔を見つめながら、枕元の棚にあったシャーペンと小さなノートに幸せを模写してゆく。


 線が交差して編まれれば一枚の絵へとなった。


 厳しい一枚ではなく、幸せな一枚。


 ずっと続けていけたら良いなと思いながらメモとペンを戻し寝顔を眺める。


 僕にセーターを編んでくれる女の子の知り合いなんかいない。だけど、僕に童貞を〇〇セーターを編んでくれる魅力的な彼女はいる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕にセーターを編んでくれる女の子の知り合いなんかいない 八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子) @suzunokisuzunoki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ