第39話:さよなら、またいつか
別れは終わりではなく、新たな始まりの扉である。
時に距離は、心の糸をより強く紡ぐことがある。
選択の日が訪れた。夕陽が神域の森を赤く染める中、キャンプの全員が選択の祭壇へと向かっていた。神代遼は先頭に立ち、小さな光の欠片さえも見逃すまいと周囲を見渡していた。
昨日の夜、彼は仲間たちに第三の選択肢について語った。神域と現世を完全に分けるのではなく、限られた条件の下で行き来できる道を作る案。皆の表情には驚きと共に希望が灯り、長い議論の末、新しい選択への支持が集まっていた。
「神代、本当にできるのかな?」
エリオットが不安げに尋ねた。
「やってみるしかないさ」
遼は微笑みながら答えた。彼の腕輪は今日、いつになく明るく輝いていた。
神域の中心に差し掛かると、驚くべき光景が広がっていた。選択の祭壇は一層輝きを増し、その周囲には幾重もの光の環が浮かんでいる。祭壇の上には、アフロネアとユーノスが既に姿を現していた。
「来たわね、遼」
アフロネアの声には、柔らかな期待が込められていた。
「皆さん、選択の時が来ました」
ユーノスが告げる。彼の周りには、金色の光が溢れていた。
「神の使いたちよ、前へ」
遼とセリアが祭壇に進み出る。生徒たちは円形に広がり、息を呑んで見守っていた。
「あなたたちの答えは?」
アフロネアの問いかけに、二人は目を合わせ、頷いた。
「私たちは第三の選択を望みます」
セリアの声が澄んだ空気に響く。
「神域と現世を分けるのではなく、橋を架けることを」
遼が続けた。
「皆の想いを守るため、過去も未来も両方を大切にするために」
二人の宣言に、神々は静かに頷いた。
「皆さんも、それを望みますか?」
ユーノスの問いかけに、生徒たちは一斉に声を上げた。
「はい!」
その声は森に響き渡り、祭壇の光を一層強めた。
「では、始めましょう」
アフロネアは腕を広げ、祭壇に手を置いた。ユーノスも同じく祭壇に触れ、二柱の神から神秘的な光が放たれ始める。
「遼、セリア、あなたたちの力を」
神々の呼びかけに、二人は前に進み、祭壇を挟んで互いに向き合った。遼は腕輪を掲げ、セリアは祈りを捧げるように手を組む。
「全ての心に、道は開かれる」
二人の声が重なった瞬間、驚くべき現象が起きた。祭壇が光に包まれ、その中心から一筋の光線が天に向かって伸びていく。青と虹の光が交錯し、やがて美しい光の柱となって神域の天井を突き抜けた。
「神域と現世の間に、扉が開かれる」
アフロネアの宣言に、祭壇上の二つの模型が融合し始めた。島と都市が重なり合い、新たな形を作り出していく。それは橋のような形状で、二つの世界を繋ぐ象徴的な姿だった。
「しかし、全てには条件がある」
ユーノスが厳かに言った。
「扉が開かれるのは、星々が最も輝く夜だけ。星祭りの時だけ」
「そして」
アフロネアが続けた。
「神域から現世への移動は自由だが、現世から神域への帰還は、心に余白を持つ者だけが可能となる」
「心の余白?」
遼が問うと、アフロネアは微笑んだ。
「フラグを見守る力を持つ者だけがね」
その言葉に、遼の胸に温かいものが広がった。
祭壇からの光が頂点に達し、空に大きな渦が形成された。渦は徐々に広がり、その内側には懐かしい風景が見えた。彼らの故郷の街、学校、そして家族の待つ場所。
「扉が開きました」
セリアの声には、達成感が込められていた。
「皆さん、穏やかに通過してください」
一人また一人と、生徒たちは光の渦に近づき、故郷への帰路についていく。それぞれの表情には、安堵と共に未来への期待があった。
「遼」
フローラが近づいてきた。彼女の緑の瞳には、決意が宿っていた。
「わたし、森に戻ります。自分の故郷の森に」
「そうか」
「でも、星祭りの夜には、必ずここに戻ってきます」
彼女の言葉には、揺るぎない約束があった。
「待ってるよ」
遼の言葉に、彼女は満面の笑みを浮かべた。
レオンとラティアも近づいてきた。二人は手を繋ぎ、晴れやかな表情をしていた。
「神代、素晴らしい選択だったぞ」
レオンの声には、友への尊敬が込められていた。
「私たちも、星祭りの夜にはまた会えるわね」
ラティアの言葉に、遼は頷いた。
次々と仲間たちが渦に入り、故郷へと戻っていく。最後に残ったのは、遼、セリア、そしてエリオットだった。
「神代、俺も行くよ。弟が待ってるから」
エリオットは照れくさそうに笑った。
「ありがとな、すべてに」
「またな」
彼もまた、光の渦へと消えていった。
やがて、神域に残ったのは遼とセリアだけとなった。
「セリアは?」
「私は……」
彼女は一度ユーノスを見上げ、それから遼に向き直った。
「神域と現世の橋の守り手となります。ユーノス様と共に」
その決断には、使命感と共に彼女自身の選択が込められていた。
「そうか」
「神代さんは?」
「僕は……」
遼は腕輪を見つめた。青い光は、今までで最も明るく輝いていた。
「いったん戻る。でも、また来るよ」
「待っています」
セリアは微笑み、遼に一礼した。
祭壇の上では、二柱の神がまだ儀式を続けていた。遼は祭壇に近づき、アフロネアを見上げた。
「アフロネア」
「遼」
女神の声には、これまでにない柔らかさがあった。
「あなたの提案は、予想外だったわ。でも、素晴らしかった」
「君がいなければ実現しなかった。ありがとう」
彼の感謝に、女神は少し照れたように視線を逸らした。
「いつでも呼んでくれてもいいのよ」
「え?」
「その腕輪があれば、いつでも私を呼べるわ。特に困ったことがあれば」
彼女の提案には、これからも彼を見守りたいという気持ちが垣間見えた。
「考えておくよ」
温かな笑いが交わされた後、遼も光の渦に向かった。振り返ると、アフロネアとユーノスが見守り、セリアが手を振っていた。
「さよなら……また会おう」
その言葉と共に、彼は光に包まれた。
***
目が覚めると、遼は見慣れた自室のベッドに横たわっていた。朝日が窓から差し込み、かつての日常を照らしている。
「夢だったのか……?」
そう思った瞬間、左腕に視線を落とした。そこには小さな青い腕輪が、かすかに光を放っていた。夢ではない。あの全ては確かに起きたことだった。
「おはよう、アフロネア」
囁きかけると、腕輪が僅かに輝いた。直接の返事はなかったが、その反応だけで十分だった。
窓の外を見れば、いつもの街並み。しかし遼の目には、以前とは違って見えた。どこかの角に、フラグの青い光が見えるような気がする。
「これが……フラグを見守る力」
彼は微笑んだ。もはや彼の使命は「折る」のではなく「見守る」こと。それは束縛ではなく、自由への道標だった。
朝食を終え、校門に向かう途中、遼は懐かしい風景に目を細めた。神域での出来事は、彼の内側に確かな変化をもたらしていた。以前の彼なら見過ごしていたであろう瞬間の美しさに、今の彼は気づくことができる。
校門の前で足を止めると、見慣れた声が彼を呼んだ。
「神代!」
振り返ると、レオンが手を振っていた。その隣にはラティアの姿も。二人の指には、木の枝で作られた指輪が光っていた。
「覚えてるんだな、君たちも」
「もちろんさ」
「あの経験は、忘れられるはずがないわ」
三人は互いに微笑み合い、共有された記憶の絆を確かめ合った。
教室に入ると、エリオットが元気に手を振った。周囲の生徒たちも皆、神域での記憶を持ったまま日常を過ごしている。しかし不思議なことに、神域に行かなかった人々にとっては、彼らがほんの数日間学校を休んでいただけのように感じられていた。
時間の流れが、現世と神域で異なっていたのだろう。
授業が始まる直前、教室の窓際に視線を向けると、一輪の花が窓辺に置かれていた。その種は神域には見られないもの。しかし、その美しさは神域の花々を思い起こさせた。
「フローラ……」
彼女の名を呟くと、花が風に揺れた。いつか再会する日まで、彼女は自分の森で、彼は自分の世界で、それぞれの時を紡いでいく。
放課後、遼は屋上に一人佇んでいた。夕日が街を赤く染め、どこか神域の夕暮れを思わせる。
「星祭りまで、あとどれくらいかな」
つぶやきは風に消えていった。
彼の周りには、様々な色のフラグが見える。赤い恋慕、青い友情、紫の憧れ——。しかしもはや、それらを折る必要はない。見守り、時に導き、そして自由な選択を尊重する。それが彼の新たな役割だった。
夕暮れの空を見上げると、一瞬だけ、銀色の髪をした女性の幻影が映ったような気がした。すぐに消えたそれは、遠い神域からの挨拶なのか、単なる夕日の幻なのか。
「またね、アフロネア」
腕輪が温かく脈打ち、彼の言葉が届いたことを示していた。
神域での冒険は終わった。しかし、新たな冒険はまだ始まったばかり。フラグを見守る青年と、恋愛を司る女神の物語は、これからも続いていく。
星々が輝く夜には、再び彼らは出会うだろう。それまでの間、遼は自分の道を、アフロネアは神としての道を歩み続ける。
距離があっても、心は繋がっている。それが、二人が選んだ第三の道だった。
<終>
恋愛フラグを折るだけの簡単なお仕事です。 折口詠人 @oeight
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