脳髄沸騰屋たち
しゅげんじゃ
二の舞 ―― 煮え滾る脳髄
不可視の障壁は打ち破られ、とたんにヤツの念波が脳髄を掴んでくる。痺れる衝撃が頭蓋を走った。だが――と、
望むところだ。これこそが俺たちの流儀。俺たち
念波を念波で掴み返す。敵の念波を這うように、思念を飛ばして相手の脳髄を手繰り寄せる。
周囲は夜陰に沈んでいた。敵の姿は見えない。それでも羅洞にはわかっていた。ヤツもきっと、笑っている。要人暗殺なんて
ヤツの脳髄に達した念波を、さらに大脳皮質へと浸透させていく。銀河にも似た
その記憶を、煮沸する。
煮沸された記憶が相手にとって重要であればあるほど、対象の脳髄は煮えくり返り、破壊されていく。
だから、
羅洞が暗殺のターゲット――政財界の大物、
報復で脳を沸騰させられる。それは脳髄沸騰屋にとってもっとも不名誉であるとともに、もっともありきたりな最期だった。羅洞の師匠も兄弟子も、そうやって死んでいった。だから羅洞は肝に銘じていた――俺は、師匠たちの二の舞なんて絶対に演じない。
ふいに師匠のしかめツラが脳裏に浮かんだ。師匠は常々こう言っていた。
羅洞、お前は天才だ。だが根が優しい。それは、この仕事では致命的だ――。
何を言ってやがる。
その瞬間、師匠の記憶が歪み、ボコボコと泡立ちながら沸騰した。マズい――羅洞は顔をしかめた。敵の記憶を煮沸しようとして、逆にカウンターを食らっているのだ。記憶の強制浮上。それは攻撃の兆しだった。
はは、けっこうやるじゃん――羅洞の目からポタリ、血が流れ、羅洞は舌を伸ばしてそれを舐めた。目には目を。歯には歯を。カウンターにはカウンターを。稲妻のように念波を
羅洞の真の狙いは脳の投射繊維の先にある。記憶の中枢たる海馬だ。
「ラーちゃん」
それは記憶の奥底から浮かびあがったかのような、懐かしい少女の呼び声だった。真昼の道すがら、羅洞少年は立ち止まって振り返る。そこには声の主が立っている。春の風そよぐ木漏れ日のなか、髪を押さえて微笑む少女――。
「……
少年時代の己の呟きを聞きながら、羅洞は戸惑っていた。これはヤツの記憶なのか? それとも俺の記憶……? 次々と情景が浮かんでは消えていく。まるで真夏の夜、熱にうかされながら見る夢のように。あるいは、昏い海の底から静かに、いくつもの泡が浮かんでくるかのように。
街中に設置された拡声器から、勇ましい演説が聞こえてくる。
旗振る人びと。流れる軍歌。出征する男たち。
あぁ、これは過去だ。俺の――いや、本当にそうなのか?
やがて空を覆ったのは爆撃ドローンの群れだった。
燃えあがる街。
父と母はいなくなった。
炎の向こう。苦しげに揺らぐ影が見える。少女の叫びが聞こえてきた。「助けて、ラーちゃん!」
あぁ、助けることができなかった。救うことができなかった。
ごめんなさい。
たった独りになってしまった。
ごめんなさい、ごめんなさい。
もう誰もいない――もう、誰もいない――。
焼かれた街を彷徨う。あてどもなく、延々と。
やがて施設に収容され、そうして羅洞は青年になっていく。
「被検体三百四号。今日から君は念波能力者――ブレインボイラーだ」
羅洞は頭を抱えた。脳が熱を帯びて煮え立っていくのを感じる。だがこれは――どうしてこれは――。羅洞にはわかっていた。入り交じっているのだ。俺の記憶。ヤツの記憶。その両方が。そうなのだとわかる。だからそれゆえに、それなのに、なぜ、どうして。
鼻から血が溢れていく。目からは血が滴っている。羅洞はたたらを踏みながら、懐から携帯を取りだした。震える手でライトを灯し、ヤツへと向けてかざす。その照らす先に、女が見えた。
「ラーちゃん……」
女は泣いていた。顔半分はケロイドに覆われ、その上を、血が入りまじった涙がゆっくりと伝い、落ちていく。
なんだ、生きていたのか。
次の瞬間、羅洞の脳髄は煮え滾った。ありとあらゆる記憶が蒸発し、消えていく。だが、どうでもよかった。羅洞にとっては唯一、いま、この瞬間だけがすべてだった。
白く、世界が輝いて見えた。
羅洞はその輝きに包まれて――脳髄の沸騰がもたらす、最期の光景。
すべてが白く漂白されて見える世界のなかで、羅洞は――はッ。俺も結局、二の舞じゃないか――そんなことを考えながら、心の底から満足げに、ただ静かな笑みを浮かべていた。
(了)
脳髄沸騰屋たち しゅげんじゃ @shugenja
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます