第11話 見に行きたいところ

 ――数日後。

 授業の合間の十分休憩。

 窓際の席で、本を広げながらも、ぼんやりと外を眺めている女子生徒がいた。おっとりと、物静かな印象を受ける子だ。

「ねぇ、本田さん」

 わたしは思い切って声をかける。

 本田さんは顔を上げてわたしを見た。

「あ、涼風さん……」

「なに見てるの?」

「え?あぁ……これ」

 指さす先は、空いた窓の縁にとまった二羽のスズメ。

「これって、スズメ?」

「そう。かわいいなぁって」

 スズメを驚かせないように、近づきすぎず、でもじっくりと観察している。

 その様子にほほ笑ましくなって、わたしは本田さんに気づかれないよう、静かに笑った。

「鳥が好きなんだね、本田さんは。その小説も、鳥がたくさん出てくるでしょ?」

 わたしは机に広げられた本を指さす。

「知ってるの?」

 本田さんは目を丸くして、ようやくわたしの目をしっかりと見た。

「わたしも読んだことあるんだ」

「え、ほんと?わたし、この作家さん好きなの」

 本田さんは目を輝かせ、勢い込んで言った。

「わたしも好き。世界観が素敵だと思う。わたしが、本にのめり込んだきっかけの作家さんなんだよね。読みやすくて、なにより情景がとってもきれい」

「うわぁ、おんなじこと思ってくれる人がいたなんて!涼風さんは、どのシリーズが好き?」

 わたしはとなりの空いた椅子に座ると、話を続けた。

    *

 放課後、わたしは小さな花束を片手に、市内の東山病院に来ていた。

 二〇五号室の扉を開ける。四つあるベッドのうち、二つは空いていて、一つのベッドには小学生くらいの少女が、もう一つのベッドには、ショートボブの女の子が眠っていた。

 わたしはショートボブの女の子のそばに行くと、その子の様子を見て、ほっと息をついた。

 胸が上下してる。今日も、息をしてる。

「……どんな夢を見てるんですか?わたしは……それが楽しい夢でも、そろそろ目が覚めてほしいと思ってますよ。明莉先輩」

 そう、眠っているのは、明莉先輩だ。病気が悪化して、それからずっと眠ったままの。

 わたしたちはみんな、大きな勘違いをしていたんだ。

 クラスメイトも、お父さんも、お母さんも、朔夜先輩も。

 明莉先輩が消えたあの日、違和感を覚えたわたしは、バスケットボールを片付けていた桃花ちゃんに話を聞きに行った。

 ――桃花ちゃん、二年五組の女子生徒が今年の四月に死んだって、言ってたよね?

 ――え?うん。

 ――その話、だれから聞いたの。

 息巻くわたしに、桃花ちゃんは戸惑いながらも話してくれた。

 同じバスケ部の、岡崎という女の先輩が話してくれたと。

 わたしはその人に話を聞いた。

 ――桃花に言ったうわさの内容?たしかに言ったわね、そんなこと。

 ――なんて言ったんですか?

 ――わたしは違うクラスだけど、二年五組の女子生徒が死んだってうわさ。

 

 その後、二年五組の生徒をやっとの思いで探しだし、話を聞いた。

 ――あぁ、夏川さん?重い病気らしいね。

 ――死んだんじゃないんですか?

 ――違うわよ。クラスの子たちでお見舞いに行くもの。でも、夏川さんのこと、もともと嫌いだった他クラスのだれかが『死んだ』、なんて言いふらし始めたんだよ。

 ――夏川先輩の机の上に、花瓶が置かれてたのを見ました。じゃあ、なんで置かれてたんですか?

 ――あぁ、それね。夏川さん、一番後ろの窓際の席でしょ?あの席のちょうど後ろに、花瓶を置いた棚があるの。棚を雑巾掛けしたりするときに、花瓶をどかすんだけど、そのとき、夏川さんの机の上に置くんだよね。夏川さんはいないし、ちょうどいいところにあるからってみんな。悪いことしてるよね、やめなきゃ。

 その話を聞いたとき、そんな単純なことだったのかと、拍子抜けしつつ、安堵した。

 ――なんだ、わたし、しょっちゅう明莉の席に花があるから、てっきり……。

 朔夜先輩は、うれしそうに笑っていた。

 ――そもそも、なんで先輩が勘違いするんですか。明莉先輩が、生き霊として、あの美術室にいたこと。真っ先に気づくはずなんじゃないですか?

 ――うーん、わたし、ずっと明莉の顔を見に、病院へ行っていたの。でも突然、いつものベッドに明莉はいなくて、そのころから、明莉は死んだっていううわさが流れ始めて……。本当は、たぶん、症状が悪化して部屋を移動されたんだと思うんだけど……お父さんもお母さんも家にいないことの方が多くなって、帰ってきたと思ったら泣いていたりしたから。まぁそれも、病院へお見舞いに行ってたんだろうけどね。完全にうわさにかき乱されたわ。

 そう言って、先輩は笑っていた。

 だれかが言い出したうわさは、どんどんといびつに歪み、元の形とは全くの別物になった。わたしが聞いた話も、人から聞いた、ただのうわさの一つだった。

 お父さんだってたしかに言っていた。病死したのは『夏川』じゃなくて、『夏野』だと。これも、ただのうわさだったんだ。

 ――そう、みんな、うわさに騙されていただけ。真実を深く知ろうとせずに、表示されていた情報だけを鵜呑みにした、ただ、それだけ。

 わたしは買ってきた花を花瓶に生け、ことりと棚に置くと、窓際に丸椅子を引っ張ってきて座った。

 窓の外、空は晴れかけていて、スズメが飛んでいる。

「先輩、わたし今日、勇気を出して、自分からクラスメイトに話しかけました」

 そして、明莉先輩の手を握る。その手は温かかった。ちゃんと、生きている――……。

「先輩、わたしに言いましたよね、友だちを作る努力を怠らないって。……わたしはずっと、話しかけてもらうのを待っていただけだったんです。自分から何一つ行動してない。やっと気づいたんです……先輩のおかげなんですよ」

 先輩の腕に刺さったチューブが痛々しくて、見ていてひどく辛い。

 泣きそうになるのを、必死にこらえた。

「……颯太くんからの手紙も、預かってるんですよ……?」

 そう、これも、後から聞いた話。

 颯太くんが待っていた女の子の友だちは、明莉先輩だった。

 

 ――昔、明莉が颯太くんのこと、楽しそうに話してたの、思い出したわ。あのときはただ『友だちの男の子』としか聞いていなかったから、すぐにその子が颯太くんだって気づけなかったけど。……明莉があの公園へ行けなくなったのは……たぶん、からかわれることが増えたからだと思う。

 先輩はか細い声で、語り続けた。

 ――容姿についてからかわれて、人に見られることが怖くなって、明莉が家から出なくなったときが、一時期あったの。

 ――そうだったんですか……。

 でも、颯太くんはなにも知らずに、死んでしまった。

 そんな会話を思い出していたとき、視界に黒い影が映った。顔を上げると、朔夜先輩が立っていて。

「先輩、いつからいたんですか」

「今来たばかりよ」

 そう言って、ベッドの端に直接座る。

 窓から入ってくる風に髪がなびいても、先輩は髪を抑えようとはしない。

 ……先輩は、たぶん、颯太くんと一緒なんだ。

 わたしは思う。

 颯太くんが本心では、家族を成仏させたいと願っていたように。先輩も、本心では、明莉先輩を成仏させたいと願っていた。

 なぜなら、わたしがまだ明莉先輩と出会う前。屋上で、早くミサンガを作らなきゃと焦っていたとき。

 ――わたし、成仏させたいゆうれいがたくさんいるの。でも、成仏させることができるのは涼風さんだけだから……手伝ってほしいの。

 その『たくさんのゆうれい』の中には、明莉先輩のことも含まれていたんじゃないか。

「……美術部に、入ったのよね。晴海は」

 先輩の声にはっとなって、思考を中断した。

 先輩はひどく悲しげに、明莉先輩を見つめていた。でも、その手を握ろうとはしない。

「先輩、知ってますか?」

「なに?」

「絵って、どれだけうまくても、好きじゃないなら続けられないんです。絵に、全部気持ちが出ちゃうから。……この言葉、とある先輩からの請け売りなんですけど、聞いたとき、すごく救われました。わたし、絵は好きだけど、下手だから……描きたいけど、あきらめていて。でも、その言葉を聞いた今なら、とっても素敵な絵を描ける気がするんです。完成したら、先輩にも、明莉先輩にも、見せてあげます。そしたら、明莉先輩も楽しみすぎて、飛び起きますよ」

 言って、にこりと笑ってみせた。

 先輩はぽかんとわたしを見ると、ぷすっと噴き出し、そして、ついには声に出して笑いだした。

 え、あんまり悲しそうに明莉先輩を見てたから、励ますつもりで言ったのに。なにかおかしなこと言った?

 やっと落ち着いた先輩は、涙をぬぐって言った。

「晴海はやさしいね」

 先輩はそこで、右の手をひらひらさせる。

「なんだかわかった気がするわ。暴走したゆうれいを成仏させるために、なんで背中に手を当てるのか」

「え!教えてください!」

「憎しみに染まり切った心を、寄り添い手を当てることで、溶かしてあげられる。あなたはそんな温かい心の持ち主だから」

 そう言うと、先輩は視線を明莉先輩に戻した。

「わたしにはできないわけね。手は冷たいし、なにより……心も冷たい」

「なんで……」

「わたしは高嶺の花なんですって。みんな、遠巻きにわたしを見ていた。そんな毎日を過ごしていたら、他人に対して心を閉ざしてしまったの」

 わたしにも、その気持ちはわかる。

 遠巻きに見られる視線、どうでもよくなって、あきらめてしまう心。先輩のとは状況が違うかもしれないけど、その視線は知ってるから。

 でも……。

 わたしは先輩の手を掴むと、明莉先輩の手の上へ乗せた。そして、その二人の手の上からさらにわたしがぎゅっと両手で握る。

「……わたしも、先輩のこと、高嶺の花だと思ってました。みんなと同じです」

 そう、それも、表示された情報だけを鵜呑みにした結果。けど、今は違う。

 わたしはくすっと笑ってみせた。

「朔夜先輩は意外と木登りが得意だし、よく笑うし、おちゃめな人ですよね。高嶺の花のイメージとは程遠いです。言うなれば……ほかの人と変わらない、月並みのゆうれいさん、ですね。あ、褒め言葉ですよ?」

「ふふっ、なによそれ、月並みって……あはは」

 先輩は無邪気に笑った。

 先輩の手は、冷たいはずなのに、暖かく感じる。

 それは、先輩の心の温度。

「ミサンガは完成したけど、わたし、この世界のゆうれいを、みんな成仏させてあげたいです。ついてきてくださいね、朔夜先輩も」

「わかってるわ。晴海は、まずはじめにどこへ連れて行ってくれるの?」

「そうですねぇ……」

 ――明日も明後日も、明々後日も……わたしはいろんな話をして、それがどんなに拙くても、先輩は温かく笑ってくれるんだろう。

 風が夏を連れてきたのか、少し暑いくらいの風が、ふわりと窓の外から入り込んできた。

 そのとき、ピクリと明莉先輩の手が動いた。

 わたしは先輩と顔を見合わす。

 うれしくて、二人、笑みをこぼした。

「……さぁ、みんなで、海を見に行きましょう」

 真っ青な空の下、晴れ渡る海を。

 わたしの言葉に、朔夜先輩は泣きそうに、でも、無邪気に笑った。

 朔夜先輩と、明莉先輩の手を、強く握りしめる。

 親友の二人と、見に行きたいところがたくさんある。

 その願いが叶う日は、もう、すぐそこ。


 完結

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晴海と月並みゆうれいさん 入夏千草 @himira

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