珈琲一杯の再会

boly

第1話 珈琲一杯の再会


 久しぶり。

 こんなふうに向かい合ってコーヒーを飲むなんてどれぐらいぶりだろう。

「髪、伸びたな」

「あ、うん。……似合わねえかな」と右手で耳の上をかきながら照れくさそうに笑う。

 出会った頃、俺たちは制服を着ていた。高2の教室で、原井と原沢(俺の苗字だ)で前後の席になった。原井はサッカー部で、日焼けした首の後ろの髪はいつも、シャツの襟につかないぐらいの長さにきちんと切り揃えられていた。俺はいつも、教卓に立つ先生を原井の背中越しに見ていたけれど、そのうち原井の背中や首や半袖の季節にはシャツから伸びた腕ばかりを見るようになっていった。机に突っ伏すと、いつもより原井の背中が近くにある。一番後ろの席なのをいいことに、俺は原井の背中の匂いを何度も腹いっぱいに吸い込んだ。

 それまでも、「いいな」と思う相手は自分と同じ男だった。ただ、原井は「いいな」に留めておくことができそうにないことはわかっていた。

 好きだって自覚すると、まともに目が見れなくなるんだって初めて知った。

 騒がしい教室でも、好きなヤツの声はすぐにわかるんだなってことも。


 友達だったら、ずっと今のままでいられる。授業中に後ろから思いきり髪を引っ張って、「っ痛ったぁ!」と叫んだ原井が先生に叱られるなんて遊びもできる。もしも「好きだ」なんて言ったら、拒絶されて、距離を置かれるに違いない。だから、原井への気持ちはきちんと蓋をして俺の心の中だけに置いておかなければならない。

 そう思っていた。

 それなのに。

 高3のある日、俺は告白された。

 大学受験に向け、志望校を決める時期が近づいた日の放課後、原井に呼び止められた。3年はクラスが離れたけど、廊下や移動教室で原井を見かけると飛びかかったり、羽交締めにされたり俺たちはフツーに友達でいることができていた。


「卒業してから言おうと思ってたんだけど、おれたぶん原沢と同じ大学受けるから。だから……」

 俺は精一杯平静を装って「だから?」と首を傾げた。原井の教室で、俺はちゃっかり原井の席に座って話を聞いていた。原井は一つ前の席に後ろ向きに座り、日焼けした顔を見たことないぐらい真っ赤に染めていた。机に視線を落としたまま「うん」と小さく頷いてキッと顔を上げると、真っ直ぐに俺を見て言った。

「だからさ、おれ、原沢が好きでさ」

 そう言うと、すぐさま原井は机に視線を戻した。そうしてくれて助かった。だって、見せられないだろ?その時の俺の顔なんて。

 後になってこの時の話をするたびに原井が、「だーっ、なんであの時のおれ俯いてんだよ!原沢の顔見とくんだった」と悔しがってたっけ。「でも、あの時は心臓が止まるかと思ったんだよ。恥ずかしいとか照れるとかのレベルじゃなかった」と言ってたこと、まだ忘れてないな。


「原井、ちゃんと卒業できんの?いっときバイトにハマってただろ」

「ああ、なんとか巻き返した。原沢は変わらず安泰だな。あれから、……」

 そこまで言って、きまり悪そうに喫茶店の窓の方に顔を向けた。

 大学2年の冬に俺たちは終わった。もうすぐ2年が経つ。

 高校の時も原井はそこそこ女子に人気があったが、大学になると本格的にモテ出した。原井が答えないから、いつも一緒にいる俺に「原井くんのバイト先ってどこ?」「休みはいつ?」と聞いてくる子は2人や3人どころじゃなかった。

「『俺の彼氏は超モテるんだぜ』って浮かれててくれよ」と原井が言って、初めのうちは「んだよ!言ってろよ」と笑っていたけれど、俺が原井を信じきれなかったんだよな。


 風邪ひいたって聞いてバイトの帰りに原井のアパートに寄ったら、鍵が開いてて知らない女の子が原井のベッドのそばで看病してた。俺のことを原井の兄弟だと思ったらしく「一緒にバイトしてるナントカです」ってペこんと頭を下げて、その後もお粥を作るだの濡れたタオルで体を拭くだの甲斐甲斐しく世話をしてた。原井んとこに泊まるつもりだったけど、帰ろうと思って外に出たら雨が降ってきた。傘なんて持ってなかったけど、雨に濡れたまま家まで歩いた。

 なんか、辛いなって。俺、なんかもうダメだなって心の中でつぶやいたら、涙が出てきて止まらなかった。

 元気になってから原井は、「たしかに好きだって言われた。でも『おれは付き合ってる人がいるから』って言ったんだ」と話してくれた。今の俺だったら、原井のその言葉を信じれたのかもしれない。


「あれから」って「変わらず」っていうのは、その時からってことだよな。

「もう一杯コーヒー飲むか?」と声をかけると、原井は俺の方に顔を向け、それから左手首に目をやった。

「いいや。おれ、そろそろバイトだ」

 原井は立ち上がり、デニムのポケットから小銭を取り出してテーブルに置く。じゃあまたと口から出そうになって、俺たちにまたこの次はないのだと気づく。原井も同じようなことを考えていたのだろう。真っ直ぐに俺を見ると薄く形のいい唇をきゅっと噛んで右手を上げ、じゃと短く言って背を向け出口に向かった。


 もしも神様がいるなら、一度でいいから原井に触れたい。その願いが叶ったら俺はどんな運命だって受け入れる──高2の俺はそう願った。眠れない夜に何度も何度も胸を行き来する熱い想いを、そう願うことでやり過ごしていた。

 神様は願いを叶えてくれましたね。一度だけじゃなく俺は何度も原井に触れた。好きな人に、好きだと言ってもらえる幸せを知れた。

 原井がテーブルに置いた硬貨は財布に入れ、俺も席を立った。





 了

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