【ローカル線お仕事短編小説】潮風線の奇跡 ~障害を超えて走る彼女の物語~(約29,000字)

藍埜佑(あいのたすく)

【ローカル線お仕事短編小説】潮風線の奇跡 ~障害を超えて走る彼女の物語~(約29,000字)

## 第一章:始発駅の猫と夢の始まり


 朝焼けが海面を紅く染める頃、瀬戸内海の小さな漁港に寄り添うように佇む「波見」駅。木造の古い駅舎には、すでに一人の少女の姿があった。篠田百合子、17歳。彼女は生まれつき左足に障害があり、特製の支援器具を装着して歩いていた。その支援器具は「風雅」という地元の町工場の職人・稲垣雄三が百合子のために特別に設計したもので、木と金属が美しく調和した芸術品のようでもあった。黒檀の木に銀色の金属パーツがあしらわれ、波模様の彫刻が施されている。


 冬から春へと移ろう季節、百合子は薄手のパステルブルーのコートを羽織り、首元には母が編んだクリーム色のカシミアのマフラーを巻いていた。左の膝下までのセミロングスカートは、特注の深い海の色のものだった。彼女はいつも右側に重心をかけて歩くため、靴も右足と左足で微妙に高さと形が異なっていた。左足用の靴は特殊な構造になっており、膝から下の不自由さをカバーするために、歩行時の衝撃を吸収するジェル素材が内蔵されていた。


「おはよう、ミケ駅長。今日も素敵な朝ね」


 波見駅の猫駅長ミケは、三毛猫の風格ある老猫で、明治時代から残る駅舎の朱色の木製ベンチでいつも日向ぼっこをしていた。彼は百合子が声をかけると、ゆっくりと琥珀色の目を開け、「にゃーおん」と伸びをしながら応えた。


 駅のホームに立つと、潮の香りが風に乗って漂ってくる。波見駅は海岸線に沿って走る「潮風線」の始発駅だった。1930年代に開通したこの路線は、かつて地域の物流と人々の暮らしを支え、今も変わらず細々と営業を続けていた。


 百合子は小さい頃から電車が大好きだった。特に、この瀬戸内海沿いを走る「潮風線」は、彼女の心の拠り所だった。キハ40系という1970年代から活躍するディーゼルカーが主力の古い車両たち。エメラルドグリーンの車体は、瀬戸内海の海と空に溶け込むように設計されていた。都会の高速列車とは違い、キハ40系の最高速度は時速95キロだが、この路線では安全のため65キロが上限だった。ゆっくりと海岸線や山間の集落を繋ぐこのローカル線には、人々の生活と温かさがしみこんでいた。


「いつか、この鉄路の上を走る電車を、私が運転するんだ」


 駅のベンチに座り、百合子はキハ40の特徴的なエンジン音を聞きながら呟いた。彼女の褐色の瞳には、朝日と希望が映っていた。彼女は幼い頃から、その夢を持ち続けていた。しかし、障害を持つ彼女に対して、周囲の反応は冷ややかだった。


「無理だよ、足の不自由な人が運転士になれるわけないじゃん」


「危ないよ、もしもの時に対応できないでしょ」


 そんな言葉に何度も傷ついたが、百合子の決意は揺るがなかった。小学校では、クラスメイトが遊びに誘ってくれない日々が続いた。運動会では、特別ルールで走ることを提案されたが、それは彼女にとって屈辱でしかなかった。中学校では、体育の授業で見学席に座らされることが多く、その孤独な時間に彼女は窓から見える潮風線の列車を眺めるのが唯一の慰めだった。


 補装具を装着する手間と苦労も大きかった。朝は通常より30分早く起き、母の手を借りて装着する。湿気の多い日は金属部分が錆びやすくなるため、こまめに手入れが必要だった。痛みを伴う日もあった。成長期には体のサイズに合わせて何度も調整が必要で、その度に稲垣さんの工房に通った。


 彼女が通う高校では、クラスメイトたちの多くは都会への進学や就職を夢見ていた。しかし彼女は違った。この海と山に囲まれた故郷と、人々の暮らしを繋ぐ潮風線こそが、彼女の生きる場所だと信じていた。


 高校の進路相談の日、担任の森下里佳子先生は彼女の夢を聞いて驚いた顔をした。森下先生は40代半ばの、鮮やかなフューシャピンクのリップを愛用する情熱的な数学教師だった。髪をきつく後ろで束ね、いつも淡いグレーのスーツを着こなしていた。最初は戸惑いの表情を見せたが、すぐに優しい笑顔で「可能性を探ってみよう」と言ってくれた。それから先生は熱心に鉄道会社に問い合わせ、障害者採用の門戸が少しずつ開かれていることを知った。


「百合子さん、チャンスはあるよ。でも、それは誰も踏み入れたことのない道になるかもしれない。大変な道のりになるけど、あなたならきっと」


 その言葉を胸に、百合子は猛勉強を始めた。工学、物理学、安全管理、鉄道の歴史、そして彼女の障害に対応した特別な運転技術。地元の図書館に通い詰め、週末には隣町の鉄道OBが開いている勉強会にも参加した。


 彼女の熱意に動かされた元運転士の井上誠也さんは、退役したキハ40系のマスコンハンドル(運転操作装置)を譲ってくれた。濃い茶色の革で巻かれ、長年の使用で艶のある手触りになった操作装置は、百合子にとって宝物となった。彼女は毎晩、それを握りしめて運転をイメージするトレーニングを欠かさなかった。


 そして高校卒業後、彼女は地元の「瀬戸内海鉄道」に応募した。採用面接の日、彼女は母が大切に取っておいた着物の帯から作った花柄のスカーフを首に巻き、勇気を振り絞って本社ビルに足を踏み入れた。スカーフには瀬戸内海を象徴する波模様と、淡いピンクの桜の花びらが散りばめられており、これが彼女のお守りとなった。


## 第二章:試練と出会い


「篠田さん、君の志は立派だが……」


 鉄道会社の人事部長・岸本智一の言葉には迷いがあった。岸本は禿げ上がった頭と四角い顎が特徴的な、会社勤めで40年のベテランだった。常に濃紺のスーツに白いワイシャツ、そして鉄道をイメージした青と赤のストライプネクタイを身に着けていた。人事部長の後ろの窓からは、瀬戸内海の穏やかな波が見えた。


 面接室は1980年代の雰囲気そのままに、茶色の木目調のテーブルと深緑色の椅子が並んでいた。壁には歴代の社長の写真と、開業当時の潮風線の写真が飾られていた。窓から差し込む海からの光が、百合子の左足の特製補装具を照らしていた。


 百合子は真っ直ぐに岸本の目を見つめ、「私にできないことがあるのなら、それを教えてください。そして、それを克服する方法を一緒に考えさせてください。この潮風線は私の命です」と、声に強い決意を滲ませた。彼女は当日、ネイビーブルーのスーツに身を包み、髪をきちんとまとめ上げていた。


 彼女の足の状態について、質問は容赦なく続いた。


「長時間の立ち仕事は可能なのか?」

「緊急時に素早く移動できるのか?」

「運転席での操作に支障はないのか?」


 一つ一つの質問に、百合子は冷静に、具体的な対策とともに答えた。彼女は事前に考えられるあらゆる課題に対する解決策を用意していた。


「私の障害は確かに制約になりますが、それを補う工夫があります。例えば、補装具の調整で足の機能を最大化することや、上半身の筋力を強化することで対応できます。また、緊急時の動作はシミュレーションを繰り返し訓練することで身につけられると考えています」


 その言葉に、面接席の隅で黙って聞いていた技術部長の田中正治が、思わず前のめりになった。髭を蓄えた田中は定年間近の、潮風線を40年以上支えてきたベテランだった。その厳しい表情の下には、若い世代への期待が隠されていた。いつも油のしみた作業着を着ている彼だが、今日は特別に茶色の古いスーツを着ていた。


「岸本さん、彼女を預かりたい」


 田中の渋い声が会議室に響いた。


「うちの路線は高齢化で人手不足なんだ。それに、彼女のような情熱は久しぶりに見た」


 百合子の真摯な姿勢と田中の後押しで、面接官たちは彼女に試験的な機会を与えることを決めた。条件は厳しかった――通常より長い研修期間、より厳しい実技試験、そして彼女の障害に対応した運転装置の開発協力。


 研修初日、百合子は早朝から潮風線の車両基地に向かった。築50年以上という古い建物の中には、エメラルドグリーンのキハ40系ディーゼルカーが3両、朝もやの中で眠っていた。彼女はその日、機能性を重視した作業着の上に、紺色のエプロンと赤い腕章を身につけていた。父親から受け継いだ古い懐中時計は、彼女のポケットにいつもあった。


「これが私たちの宝物だ」


 と田中は誇らしげに言った。


「キハ41形、47形、48形の3両編成。エンジンはDMF15HSA型、出力は315馬力。最高速度は95km/hだが、うちの路線では安全のため65km/hが上限さ」


 その日から、百合子の過酷な研修が始まった。朝は車両の点検から。エンジンオイルの確認、燃料タンクの残量チェック、ブレーキシューの摩耗具合までを確認する。キハ40系の内部構造は1977年の製造以来、基本設計はほとんど変わっていない。シンプルで頑丈だが、故障箇所を見つけるには経験と勘が必要だった。


 研修では、百合子は自分の障害と向き合う新たな壁にぶつかった。車両の狭い通路や階段の多い研修施設は、彼女の移動を困難にした。特に雨の日には、滑りやすい床が彼女の動きをさらに制限した。しかし、彼女は泣き言を言わず、必要な場所には早めに移動し、困難な場所での作業は事前に対策を立てた。


 座学では、路線の勾配や曲線、そして特に注意すべき踏切や崖沿いの区間について暗記するまで繰り返し学んだ。潮風線は全長90.3kmの路線に28の駅があり、そのうち10駅は無人駅。各駅の発着時刻、待避線の有無、信号機の位置、すべてを頭に入れる必要があった。


「潮風線のキハ40は、特に海岸線の急カーブでブレーキを踏むタイミングが難しい。長年の塩害で線路が少し歪んでいるからね」


 と田中は教えてくれた。


 彼女の足の状態では長時間の立ち続けは困難だったが、彼女はそれを補う上半身の筋力と、独自の工夫で乗り切った。膝の位置に特別なサポートクッションを置き、長時間でも運転席に座っていられるよう自分で改良した。そのクッションはメモリーフォーム素材で作られ、百合子の体形に合わせて形状を保持した。表面は摩擦を減らすシルクのような滑らかな生地で覆われていた。


 研修生寮で出会った山田健太は、隣町出身の19歳。最初は百合子に懐疑的だった。「本当にできるのか?」という目で見ていた。スポーツ刈りの短髪に日焼けした肌、鉄道への情熱を隠しきれない明るい性格の青年だった。父親も祖父も鉄道マンという家系で、彼にとって運転士になることは宿命のようなものだった。


 最初の頃、健太は百合子を避けるように行動していた。共同の訓練でも、彼女と組むことを遠慮していた。それは単なる偏見ではなく、彼女の障害が原因で自分に迷惑がかかるのではないかという漠然とした不安からだった。


 しかし、百合子の真摯な姿勢と不屈の精神に、彼は次第に心を開いていった。彼女が黙々と勉強し、周囲の冷たい視線にも屈せず、むしろ一番に課題をこなしていく姿に、彼は驚きと尊敬を抱くようになった。


 ある夜、寮の共同キッチンで百合子が夕食の準備をしていると、健太が入ってきた。彼女は白いエプロンを身につけ、頬に小さな小麦粉の跡をつけながら、慣れた手つきで料理を作っていた。


「何作ってるんだ?いい匂いがする」


「お母さんの郷土料理。いわしの梅煮よ。ご飯にぴったり」


「へえ、いいなあ。俺なんか、いつもコンビニ弁当だよ」


 健太は寮生活の食事に飽き飽きしていた様子だった。百合子は思わず笑みを浮かべ、「よかったら一緒にどう?」と声をかけた。


 それから二人は食事を共にするようになった。健太は百合子の料理の腕前に舌を巻き、百合子は健太から鉄道の専門知識を教わった。特に彼は機械に強く、キハ40系の微妙なエンジン音の違いや、効率的な運転テクニックを教えてくれた。


 寮での生活は百合子にとって新たな挑戦でもあった。共同の洗面所や浴室の使用は、彼女にとって時間と労力を要するものだった。彼女は他の研修生たちに迷惑をかけまいと、早朝や夜遅くに入浴することが多かった。また、手すりのない階段の上り下りも一苦労だった。しかし、彼女はそれを愚痴ることなく、むしろ日常のトレーニングと捉えていた。


 その親交を通じて、健太の考えは変わっていった。彼は徐々に百合子の障害を特別視することをやめ、彼女の人間性と能力に目を向けるようになった。


「篠田、俺ももう分かったよ。お前は間違いなく、俺たちよりも優れた運転士になる。その執念、半端ないもん」


 彼の言葉に、百合子は照れながらも心強さを感じた。


 研修6ヶ月目のある雨の日、実技訓練中に百合子の補助器具が故障した。車両基地から5km離れた場所で、彼女は一時的に動けなくなった。しかし、冷静に無線で状況を報告し、適切な対処法を指示。安全に訓練車両を停止させ、乗客役の研修生全員を無事に避難させた。


 彼女の補助器具は急な雨で電子制御部分に水が侵入し、ロックがかかってしまったのだった。普段なら稲垣さんに修理してもらえるが、そこは遠く離れた研修地。百合子は冷静に自分でできる応急処置を行い、最低限の機能を回復させた。その間も、乗客役の研修生たちの安全確保を最優先し、指示を出し続けた。


 指導員の松本は、彼女の冷静な判断に深く感銘を受けた。


「あなたの障害は、むしろ強みになるかもしれませんね。危機管理能力が非常に高い。いつもより多くの可能性を考慮している」


 その言葉は百合子の自信となった。彼女は自分の弱点を知っているからこそ、常に最悪の事態を想定し、対策を練る習慣があった。それが危機管理能力として評価されたことに、彼女は新たな可能性を感じた。


 一年間の厳しい研修を経て、百合子は最後の試験に臨んだ。潮風線の全区間を実際に運転する実地試験だ。この日のために、技術部は彼女の障害に対応した特別な運転席を開発していた。通常のマスコンハンドル(アクセルとブレーキを操作するレバー)を改良し、彼女の筋力でも容易に操作できるよう軽量化。さらに、足での操作が必要な非常ブレーキも、彼女が使いやすいよう配置を変更していた。


 特別設計された運転席には、百合子の体型に合わせた調整機能が追加され、長時間の運転でも疲労が少なくなるよう工夫されていた。座席のクッション素材は体圧を分散するメディカルグレードのものを使用し、背もたれの角度も細かく調整できるようになっていた。


「大丈夫、篠田さん。君ならできる」


 田中の励ましを胸に、百合子は運転席に座った。朝露に濡れたレールが朝日に輝き、まるで彼女の前途を照らすかのようだった。


 試験官たちは厳しい表情で彼女の一挙手一投足を見つめていた。特に緊急停止や異常時の対応には細心の注意を払って観察していた。しかし、百合子の操作は的確で、むしろ彼女の障害が原因で生じると予測されていた問題はどこにも見られなかった。


 試験は厳しいものだったが、百合子は見事に合格。潮風線の見習い運転士となった。その日、瀬戸内海鉄道の歴史に新たな1ページが加わった。


 合格通知を受け取った百合子は、泣きながら田中に深々と頭を下げた。


「ありがとうございます、田中さん。絶対に期待に応えます」


「篠田さん、君が切り開いた道は、これからの多くの人の希望になるよ」


 田中はそう言って、初めて彼女に笑顔を見せた。その瞬間、百合子は自分の挑戦が自分だけのものではなく、同じような境遇にある多くの人々のためのものでもあることを実感した。


## 第三章:初めての乗務と秘境駅の客


 初めての正式乗務の日、百合子は夜明け前から起きていた。どうしても眠れなかったのだ。窓から見える東の空がほんのりと明るくなる中、彼女は制服のボタンを一つひとつ丁寧にはめていった。


 紺色のジャケットは体にしっかりとフィットし、スカートは膝丈で動きやすく仕立てられていた。襟元には赤いラインが入り、肩には瀬戸内海鉄道の刺繍入りワッペンがついていた。鮮やかな赤のネクタイと銀色の徽章が、制服に締まりを与えていた。


 彼女は念入りに髪をブラッシングし、シンプルなポニーテールにまとめた。メイクは控えめに、ただ唇には薄いピンク色のリップを塗った。身だしなみを整えた後、彼女は慎重に左足の補装具を装着した。今日のために特別に磨き上げた金属部分が、朝の光を受けて輝いていた。


 鏡の前に立った時、彼女の目には涙が光った。


「お父さん、見ていてね」


 百合子の父・篠田哲也は、彼女が中学生の時に亡くなっていた。元々潮風線で車掌をしていた父親の影響で、彼女は鉄道を愛するようになったのだ。父は温厚で笑顔の絶えない人物だったが、鉄道に関しては妥協を許さない厳しさを持っていた。「鉄道は人の命を預かる仕事だ」と、彼はよく言っていた。


 波見駅に着くと、まだ薄暗い朝もやの中に、潮風線のキハ40系がその姿を現していた。朝露に濡れた車体が、まるで彼女を歓迎するかのように光っていた。ホームには数人の早朝の通勤客と、ミケ駅長の姿があった。


「よし、点検開始」


 彼女は一人、車両の周りを歩き始めた。まずは外観。車体に傷や異常がないか、連結器の状態は良好か。次に足回り。車輪の摩耗具合、空気ブレーキの配管に漏れはないか。最後に運転席。計器類の状態、無線機の通信状況、そして非常装置の動作確認まで、すべてをマニュアル通りにチェックしていく。


 点検を終えると、百合子は早朝の静けさの中で深呼吸した。潮の香りと、どこからか漂ってくる梅の花の甘い香り。これから彼女が守っていく風景だった。


 始発は午前5時50分発。波見駅から「海月」という終着駅までの片道90.3km、途中28の駅に停車する。朝の最初の列車は、通勤・通学の人々でいっぱいになることが予想された。


 発車5分前、彼女は運転席に座った。改良されたマスコンハンドルを握る手には、うっすらと汗が滲んでいた。


「篠田さん、大丈夫?」


 車掌の大森重蔵さんが心配そうに声をかけた。大森は50代後半の温和な表情の男性で、灰色がかった口ひげをたくわえていた。彼は百合子の父とも親しかった人物だった。


「はい!頑張ります」


「無理しないでね。あなたが来てくれて、本当に助かってるんだから」


 定刻ちょうどに、彼女はハンドルを前方に倒した。キハ40のエンジン音が少し高くなり、車両がゆっくりと動き始める。


「本日は潮風線をご利用いただき、ありがとうございます。運転士の篠田です」


 車内放送で自己紹介をした時、彼女の声は少し震えていた。しかし、その真摯さが乗客の心を温かくした。緊張で硬くなっていた顔も、少しずつ和らいでいく。


 最初の急カーブでは、少しブレーキのタイミングが遅れて、車体が揺れた。「すみません」と心の中でつぶやきながら、彼女は次のカーブに向けて集中力を高めた。彼女の足にかかる負担は相当なもので、長時間同じ姿勢でブレーキペダルに足を置いておくことは、健常者以上に疲労を感じた。しかし、それを表情に出すことなく、彼女は前を向き続けた。


 2つ目の駅「岬の見える丘」では、地元の高校生たちが10人ほど乗り込んできた。紺色の制服に身を包んだ彼らは、最初、珍しい女性運転士に興味津々の様子だったが、すぐに普段通りの会話に戻っていった。それが何より自然なことだと、百合子は思った。


 朝日が完全に昇り、車窓からは輝く海面と遠くに連なる島々の景色が見えてきた。瀬戸内海特有の穏やかな波と、朝の光に照らされた小さな漁船の姿。百合子はハンドルを握りながら、この景色を守るために自分はここにいるのだと感じた。


 一日の運行を無事に終え、翌日から徐々に彼女は乗客との交流を深めていった。毎朝同じ時間に乗る高校生たち、定年後に趣味の釣りに行く寺本克彦老夫婦、地元の市場に野菜を売りに行く農家の田口美代子さん一家。


「篠田さん、今日もよろしくね!」


「運転、安定してるよ。いつも気持ちいい」


「篠田ちゃん、この梨、取れたてよ。休憩時間に食べてね」


 そんな言葉やちょっとした差し入れが、彼女の大きな支えとなった。朝の通勤客は時間に正確な運行を、観光客は美しい車窓の風景案内を、高齢者は優しい発車と停車を、それぞれ彼女に求めた。百合子はそのすべての期待に応えようと努力した。


 だが、すべての乗客が彼女に好意的だったわけではない。時には、彼女の障害を不安そうに見つめる乗客もいた。あるビジネスマンは、彼女が運転しているのを知ると、「安全なのか」と車掌に尋ねた。別の老婦人は、「女性の運転士なんて」と小声でつぶやいた。


 そんな言葉を耳にするたびに、百合子は胸が痛んだ。しかし、彼女は決して反論せず、ただ自分の仕事を完璧にこなすことで応えることにした。時間の経過とともに、そうした不安の声は徐々に減っていった。


 潮風線の魅力は、四季折々の自然との一体感にあった。春には桜並木の下をくぐり抜け、初夏には青々とした田園風景の中を走る。夏には入道雲を背景に海岸線をなぞり、秋には紅葉した山々の懐に飛び込んでいく。冬には時に雪化粧した静かな港町を結んだ。


 百合子はその美しさを日々の運転で体感していた。特に好きだったのは、日の出と日没の時間帯。瀬戸内海に落ちる夕日が車窓を赤く染める時間は、この仕事を選んで本当に良かったと思う瞬間だった。


 運転を始めて3ヶ月目、彼女は「鹿の踊り場」という秘境駅で、毎週木曜日に降りる謎の男性に気づいた。スーツ姿で、大きなリュックと三脚を背負っている。黒縁の眼鏡をかけ、常に手入れの行き届いた短髪の、40代半ばほどの男性だった。彼のスーツは高級なものではないが、いつも清潔で丁寧に着こなされていた。左手の薬指に結婚指輪の跡らしきものが見える。


 鹿の踊り場駅は、海に面した断崖絶壁の上にある無人駅。周囲に民家は一軒もなく、年間利用客は数えるほど。駅は古い木造の小さな待合室があるだけで、切符も自動販売機も無い。下車する乗客があれば停車し、なければ通過する「臨時停車駅」だった。そんな駅に、彼は必ず降りていく。


 毎週木曜日、この男性は必ず「藤の花」駅から乗車し、鹿の踊り場駅で下車した。彼の表情は常に穏やかだが、どこか寂しさを感じさせた。リュックからはカメラの三脚が覗いており、プロか上級アマチュアの写真家であることが窺えた。


 ある木曜日、その男性が途中の「藤の花」駅で列車に乗り込んできた時、百合子は勇気を出して声をかけた。


「いつも鹿の踊り場で降りられますね」


 三脚を持ち上げようとしていた男性は少し驚いたような顔をしたが、柔らかい笑顔を見せた。


「運転士さん、いつもありがとうございます」


「いえ、こちらこそ」


「実は……」


 彼は少し言葉を詰まらせた後、続けた。


「あそこは亡くなった妻との思い出の場所なんです。結婚前、プロポーズをした場所で……あそこから見える海と空の境目は世界で一番美しい。私たちはよくピクニックをしていました。今は、その場所で彼女の好きだった風景写真を撮っています」


 その深い想いに、百合子は言葉を失った。男性の目には、懐かしさと悲しみが混ざり合っていた。


「私の妻は、この列車が大好きだったんです。『海と山と空と、人の優しさが一つになった列車』って言ってました」


 それから、彼――中村洋介さんは百合子に写真を見せてくれるようになった。プロカメラマンである彼の撮る美しい風景写真は、潮風線の車窓から見える景色を、まるで違う世界のように写していた。朝もやの中を走る列車、夕暮れの海に映る車両の影、紅葉のトンネルをくぐり抜けるキハ40の姿。どれも息をのむような美しさだった。


 中村さんの写真機材は、プロ仕様の一眼レフカメラに、何本もの交換レンズが収められたカメラバッグ。三脚は炭素繊維でできた軽量かつ堅牢なもので、風の強い崖上での撮影にも耐えられるよう設計されていた。彼は常に天候や光の変化に敏感で、「今日は雲の形が素晴らしい」「夕方の光が特別きれいだ」と、一般人が気づかない微妙な違いを感じ取っていた。


「篠田さんの運転、とても優しいですね。揺れが少なくて、車窓の景色を楽しめます。特に日の入り前の光の変化を撮影するとき、列車の揺れが少ないと本当に助かります」


 その言葉に、百合子は心から嬉しさを感じた。誰かの人生のほんの一部に、自分が関わることができる――そんな幸せを感じる瞬間だった。


 中村さんとの会話を通じて、百合子は鉄道の持つ意味について新たな気づきを得た。それは単なる交通手段ではなく、人々の思い出や人生の一部なのだ。彼女は改めて、自分の仕事の重要性を実感した。


 そして彼女自身も、この潮風線の思い出の一部になっていることを知った。彼女の運転する列車が、誰かの大切な時間を運び、誰かの記憶に残る風景の一部になる。それは彼女にとって、何物にも代えがたい喜びだった。


## 第四章:四季を走る


 春、桜の季節になると、潮風線は観光客で賑わった。「花見列車」という特別ダイヤが組まれ、桜のトンネルをくぐり抜ける区間では徐行運転となる。百合子は車内放送で見どころを案内するようになり、彼女の温かな声と詳しい地元の知識は、乗客に好評だった。


 春の桜シーズンには、百合子は少し特別な制服のアレンジをした。通常の紺色の制服の襟元に、小さな桜のブローチを付けたのだ。それは母が彼女のために手作りしたもので、淡いピンク色のシルク生地で作られた繊細な桜の花の形をしていた。乗客たちは細やかな季節感のある装いに、温かな微笑みを向けた。


「間もなく右手に見えてくるのは、樹齢300年と言われる『夫婦桜』です。昔、別れ別れになった恋人同士が、50年後にこの場所で再会し、二本の桜を植えたと言われています」


 そんな案内を聞きながら、乗客は車窓に見入った。桜吹雪の中を走る列車は、まるで夢の中にいるような感覚を乗客に与えた。


 春は潮風線沿いに咲く花々の季節でもあった。桜が散った後は藤の花が咲き誇り、初夏には菜の花畑が黄色い絨毯のように広がった。百合子はそれぞれの見頃に合わせて車内放送を変え、乗客がもっとも美しい瞬間を見逃さないよう心がけた。


 ある日、小さな女の子が彼女の運転席をのぞき込んできた。運転席と客室の間には通常、施錠された扉があるが、この日は車掌の大森さんが清掃のために少しだけ開けていた隙に、好奇心旺盛な女の子が顔を覗かせたのだ。


 その女の子は6歳くらいで、赤いリボンのついた白いワンピース姿だった。大きな瞳と愛らしい笑顔が印象的で、髪は二つに分けてツインテールにしていた。少し恥ずかしそうに運転席を覗き込む姿は、まるで童話の挿絵のようだった。


「お姉さん、足、大丈夫?」


 率直な子供の質問に、車内が一瞬静まり返った。女の子の母親らしき女性が慌てた表情で娘を引き戻そうとしたが、百合子は優しく微笑んだ。


「うん、大丈夫だよ。この特別な装置があれば、電車を運転できるんだ。夢を諦めなければ、きっと道は開けるよ」


 その言葉は、車内にいた多くの人の心に響いた。子供の母親は恥ずかしそうに謝ったが、百合子は「いいんですよ、子供の好奇心は大切です」と笑顔で答えた。


 それから、その女の子・萌(もえ)ちゃんは、百合子の大ファンになった。萌ちゃん一家は月に一度、潮風線に乗って祖父母の家に遊びに行くのが習慣だったが、必ず百合子の運転する列車を選ぶようになった。萌ちゃんは毎回、百合子のために描いた絵をプレゼントした。それは稚拙ながらも、色鮮やかな列車と笑顔の百合子が描かれていた。


「篠田さん、萌が『大きくなったら、篠田さんみたいな運転士になる』って言ってるんですよ」


 と萌ちゃんの母が嬉しそうに教えてくれた時、百合子の胸は温かさでいっぱいになった。彼女は自分が誰かの目標になる日が来るとは思ってもみなかった。


 夏になると海水浴客でいっぱいになり、ビーチバッグや浮き輪を持った明るい服装の人々が列車を埋め尽くした。夏季限定の「海水浴列車」では、車内にシャワーブースが設置され、砂を落としてから帰宅できるサービスが好評だった。百合子は夏の間、首元に小さな貝殻のネックレスを着けていた。それは萌ちゃんからのプレゼントで、彼女が浜辺で拾った小さな白い貝殻を紐に通したシンプルなものだったが、百合子にとっては何よりも大切な宝物だった。


 秋には紅葉狩り、冬には雪見温泉を楽しむ人々。四季折々の乗客との交流を通じて、百合子は多くのことを学んだ。


 地元の老人会の皆さんは、彼女のことを「ミラクル・ドライバー」と呼び、遠足で彼女の運転する列車を指名して利用するようになった。老人会の会長・松岡さんは80代の温厚な男性で、いつも茶色のツイードのジャケットに帽子姿が特徴的だった。彼が先頭に立って「百合子ちゃんの列車で行こう」と声をかけると、老人会のメンバーたちはにこやかに集まってきた。


「篠田さんの運転は優しくて安心できるんだよ」


 と老人会の会長・松岡さんは言った。


「私たちみたいな年寄りには、急発進急停車がないのがありがたいんだ」


 そんな声を聞くたびに、百合子は自分の選んだ道が間違っていなかったことを実感した。


 彼女の存在は少しずつ地域の話題になり、地元の新聞に「潮風線の障害を持つ女性運転士」として小さな記事が掲載された。そのシンプルな記事は、彼女の日常を淡々と伝えるだけのものだったが、それが思わぬ反響を呼んだ。その記事を読んだ同じ障害を持つ子供たちから手紙が届くようになった。


「篠田さんみたいに、僕も夢を諦めないで頑張ります」


「私も足が不自由ですが、いつか看護師になりたいです」


 百合子はそんな手紙一つひとつに丁寧に返事を書いた。自分の存在が誰かの支えになれるなんて、考えたこともなかったからだ。時には学校へ招かれて、子供たちに自分の経験を話すこともあった。そんな時、彼女はいつも自分の補装具を見せながら、「これは私の大切なパートナー」と説明した。障害を隠すのではなく、オープンに受け入れる姿勢に、子供たちは真剣な眼差しで聞き入った。


 潮風線での一年を通じて、百合子は鉄道が運ぶのは人だけではないことを学んだ。それは季節であり、思い出であり、そして何より、人々の生活そのものだった。彼女の心には、この線路が結ぶさまざまな風景と人々の表情が刻まれていった。


 一年が過ぎ、春がまた巡ってきた。百合子の運転技術はさらに洗練され、彼女の名前は地域で広く知られるようになっていた。「篠田さんの列車」は、安心と信頼の象徴として人々に親しまれるようになった。


## 第五章:試練と成長


 運転士として2年が経ったある日、百合子は重大な試練に直面した。


 列車が山間部を走行中、突然線路上に倒木を発見した。台風の翌日で、強風が残っていた。空は鉛色に曇り、時折強い雨が斜めに降りつけていた。視界は悪く、線路脇の木々が風にしなる様子が、窓の外にぼんやりと見えた。


 突然、彼女の鋭い目が前方の異変を捉えた――線路上に大きな木が倒れていたのだ。瞬時の判断が求められる緊迫した状況。百合子は即座に緊急ブレーキをかけるとともに、冷静に車掌に対応を指示。車内放送で乗客に状況を説明し、パニックを防いだ。列車は倒木の数メートル手前で無事に停止した。


 彼女が着ていた制服は、緊急ブレーキの強い衝撃で濡れた窓に押しつけられ、肩の部分がすっかり濡れていた。しかし、彼女はそんなことも気にせず、乗客の安全確保に奔走した。


「皆様、大変申し訳ありませんが、前方に倒木があり、このまま進行することができません。ご心配には及びませんので、しばらくお待ちください」


 アナウンスは穏やかな声で行われたが、その背後には緊張感があった。車内には約50名の乗客がおり、その中には高齢者や子供も含まれていた。パニックにならないよう、百合子は繰り返し状況説明と安心の言葉をかけた。


 車掌の大森さんと協力して乗客の安全を確保した後、百合子自身が補助器具を使いながら現場確認に向かった。雨と風の中、彼女は慎重に列車から降り、倒木の状況を確認した。補装具が濡れて滑りやすくなり、移動はより困難になっていたが、彼女は弱音を吐かなかった。


 倒木は小さな松の木で、完全に線路を塞いでいた。直径は20センチほどで、先端部分は折れて線路脇に散乱していた。根っこは浅く、雨で緩んだ土から引き抜かれた形で倒れていた。


「篠田、無理するな!」


 車掌無線で連絡を受けた駅員の心配をよそに、彼女は倒木の状況を詳細に本社に伝え、駅から作業員が到着するまでの間、乗客の不安を和らげるために車内を回った。


「大丈夫ですか?お年寄りの方、お子さんはいませんか?」


 彼女の冷静な対応に、乗客たちも徐々に落ち着きを取り戻していった。ある老婦人が震えているのを見て、百合子は自分のコートを脱いで老婦人に掛けた。彼女自身は濡れた制服のまま、乗客のケアを続けた。


 作業員が到着したのは30分後だった。彼らは素早く倒木を撤去し、線路の安全確認を行った。その間、百合子は本社と連絡を取り続け、後続列車の運行調整にも協力した。


 列車が再び動き出した時、車内からは自然と拍手が起こった。百合子は照れくさそうに運転席に戻り、残りの行程を無事に運行した。


 この事態への対応が評価され、彼女は若手運転士のリーダーに抜擢された。会社側も、彼女のような社員がいることを誇りに思うようになっていた。彼女の経験と知識は、新たな運転士たちの指導に生かされるようになった。


 若手運転士たちへの研修では、百合子は自分の経験を惜しみなく共有した。特に緊急時の対応については、彼女の実体験に基づく具体的なアドバイスが貴重だった。


「障害があっても、それを理解し、適切に対応すれば、限界は自分で決めるものです。大切なのは、自分の弱さを知り、それを補う方法を考えること。そして、何より大切なのは、乗客の安全を第一に考えることです」


 彼女の言葉は、多くの研修生の心に響いた。中には、彼女のように障害を抱えた若い研修生もいた。聴覚に障害を持つ青年・河野祐介は、百合子を特に尊敬していた。河野は両耳の聴力が60%ほど失われており、補聴器を使用していた。彼は口話を読む能力に長け、明るく社交的な性格で周囲からも好かれていた。


「篠田さんが道を切り開いてくれたから、僕たちも挑戦できるんです」


 百合子は彼のために、視覚的な合図で無線通信の内容を理解できるシステムの開発に協力した。それは無線の音声を文字に変換して表示する小さなデバイスで、緊急時の円滑なコミュニケーションを可能にした。シンプルな技術だったが、河野のような聴覚障害を持つ職員にとって、仕事の可能性を広げる重要な一歩となった。


 鉄道という世界が、少しずつ多様性を受け入れる場所になっていくのを感じた。河野のような若手が増えるにつれ、会社内の雰囲気も変わってきた。バリアフリー設計の導入や、さまざまな身体条件に対応した訓練方法の開発が進められるようになった。


 百合子は自分の役割が、単に列車を運転することだけではないことを実感していた。彼女は変化の触媒となり、古い慣習にとらわれない新しい鉄道の未来を創る一員となっていた。


 時には、彼女の取り組みに対する抵抗や批判もあった。一部の古参社員は「伝統的なやり方」を変えることに難色を示した。また、障害者を積極的に採用することに対する懸念の声も少なからずあった。


 しかし、百合子は決して争うことはなかった。彼女は自分と河野のような若手の成果を静かに示し続けた。結果を出し、安全性を高め、乗客の満足度を向上させることで、批判的な声も次第に弱まっていった。


 運転士としての3年目を終える頃、百合子は自分の成長を実感していた。技術面では一人前の運転士として認められ、指導者としての役割も担うようになった。しかし、彼女の挑戦はまだ終わっていなかった。


 彼女の心には新たな目標が芽生えていた。もっと深く鉄道を知りたい、そしてもっと多くの人々に可能性を示したい。そんな思いが、彼女を次の挑戦へと駆り立てていた。


## 第六章:整備士への道


 運転士として5年目を迎えた百合子は、新たな挑戦を決意した。電車の機械にも詳しくなりたいと思い、整備士の資格取得を目指し始めた。


「篠田さん、それは大変ですよ。運転と整備、両方をこなすなんて」


 先輩たちは心配した。整備士の仕事は、運転士以上に身体的負担が大きいと思われていた。特に彼女のような障害を持つ人には、難しい挑戦だと考えられた。重い部品の持ち上げや、狭い場所での作業が多く、体力と俊敏さが求められる職種だった。


 しかし、百合子の決意は固かった。


「私は電車の全てを知りたいんです。そうすれば、もっと安全で快適な運行ができると思うんです。それに、キハ40系は古い車両です。私たちが守っていかないと」


 彼女の本音は、愛する潮風線をもっと長く走らせたいということだった。老朽化したキハ40系を守り、命を吹き込み続けるために、彼女は整備の技術を身につけたかったのだ。


 整備士を目指すにあたり、百合子は自分の服装にも変化をつけた。運転士の制服から作業用のつなぎへ。濃紺の作業着は、彼女の体型に合わせて特注されたもので、左足の補装具に合わせて左側の裾が少し広くなっていた。髪は作業中の安全のため、常に後ろでしっかりとまとめられ、時には赤いバンダナで覆われていた。


 夜間の技術学校に通い、昼間は運転士の仕事。厳しいスケジュールの中、彼女は一歩一歩、整備の知識と技術を身につけていった。特に、ディーゼルエンジンの構造や、車輪とレールの接触メカニズム、ブレーキシステムの詳細な理解に力を入れた。


 彼女が通った技術学校は、町の中心から少し離れた工業地帯にあった。昭和初期に建てられた赤レンガの建物で、内部は最新の設備が整えられていた。放課後、彼女はしばしば遅くまで実習室に残り、エンジン模型や整備工具の扱いを練習した。


「篠田さん、こんな遅くまで」


 ある夜、車両基地で勉強していた彼女に、定年間近のベテラン整備士・村上敏明さんが声をかけた。村上は70代に差し掛かる老整備士で、白髪まじりの短髪と日焼けした顔に、無数の小じわが刻まれていた。彼の手は長年の作業で固く、指の関節は太く変形していたが、その手の動きは若者にも劣らない正確さを保っていた。


「村上さん、まだ分からないことがたくさんあって……」


 村上さんは笑いながら彼女の横に座った。彼の作業着からは、機械油と古い木材の香りがした。


「私の父は、この路線が開通した時の整備士だったんだ。戦後の混乱期に、物資もなく苦労したって言ってた。でも、『列車は人々の命を繋ぐものだ』って、誇りを持って働いてたよ」


 村上さんの目は遠くを見つめ、過去の記憶を辿るように穏やかな光を宿していた。彼が取り出した古い写真には、若かりし日の彼の父親が、今とほとんど変わらないキハ40系の前で微笑む姿が写っていた。写真は茶色く変色し、端は少し破れていたが、そこに写る誇らしげな表情は鮮明だった。


 その夜、村上さんは彼女に、マニュアルには載っていない古いキハ40系の「癖」を教えてくれた。特定の音で判断する故障の兆候、長年の経験で培った触診の技、天候や気温による調整の微妙な変化まで。


「ほら、このエンジン音を聞いてごらん。正常な時はスーッという吸気音の後に、カタンと一度鋭い音がする。でもね、調子が悪くなると、カタカタと二度鳴るんだ。これはピストンリングの摩耗のサインさ」


 村上さんは耳を澄まして聞くことの大切さを教えた。触診の技術も同様だった。


「機械は触れば語りかけてくる。この振動の違い、感じるかい?」


 百合子の手を取り、エンジンの異なる部分に当てながら村上さんは説明した。彼女は驚くほど繊細な触覚を持っており、微妙な振動の違いを素早く感じ取った。


「これは教科書じゃ学べないことだからね。あなたに受け継いでほしいんだ」


 その言葉に、百合子は深く頭を下げた。彼女は技術だけでなく、潮風線の歴史と魂も受け継いでいるのだと感じた。


 技術学校に通いながら、彼女は週末には整備の研修も受けた。膝をついての作業は彼女には困難だったが、専用の作業台を作ってもらうことで克服。身体の不自由さを補うために、独自の工具や作業方法を開発していった。


 彼女のために特別に設計された作業台は、高さを自由に調整でき、必要に応じて角度も変えられる優れものだった。表面は滑り止め加工が施され、周囲には工具を固定できるマグネットバーが取り付けられていた。さらに、彼女専用の工具セットは、握りやすく軽量な素材で作られ、長時間の作業でも疲れにくいように設計されていた。


 整備士としての修行は、運転士になる以上に体力的にきつかった。長時間同じ姿勢でいることの痛み、重い部品を扱う際の身体的負担、そして何より、彼女の障害が原因で「できない」と思われることへの精神的プレッシャー。時には痛みで眠れない夜もあったが、彼女は弱音を吐かず、黙々と前に進み続けた。


 ある日の深夜、彼女が整備場で研修中に、翌日の始発に使用予定の車両にトラブルが発見された。電気系統の不具合で、メーター類が正常に動作しない状態だった。ベテラン整備士も頭を抱える中、百合子は自分の運転経験から、異常の原因を突き止めた。


「このブレーキの反応、通常と違います。運転していると、このタイミングで微妙な振動があるんです。それに、このメーターの針の動き方が不自然です。私が運転していた時にも、似たような症状がありました」


 彼女は直感的に配線を辿り、接続部分の緩みを発見。長年の振動で接触不良を起こしていたのだ。彼女の指摘は的確で、問題は素早く解決された。


 百合子の手は、整備の仕事で次第に荒れていった。かつてはなめらかだった手の平は、今や作業による小さな傷と油の染みで覆われていた。爪は常に短く切りそろえられ、指先は工具を握る形にわずかに変形し始めていた。しかし、彼女はそれを誇りに思っていた。それは彼女の努力と成長の証だった。


「篠田さんの感覚は鋭いね。運転士と整備士、両方の視点があるからこそ気づけることもあるんだな」


 と整備主任が感心した。


 その日から、運転士と整備士の連携の重要性が会社内で見直されるきっかけとなった。百合子は新たに「運転整備連携プロジェクト」のリーダーに任命され、両部門の橋渡し役となった。このプロジェクトでは、彼女は特製のチェックリストを開発し、運転士が日常点検で使用できる簡易マニュアルを作成した。また、整備士が運転席に同乗して実際の運行中の挙動を確認する制度も彼女の提案で導入された。


 2年の勉強と実践の末、彼女はついに整備士の資格を取得。瀬戸内海鉄道初の「運転士兼整備士」となった。彼女の成功は、地方ローカル線の人手不足を解決する新たなモデルケースとなり、全国の鉄道会社からも注目を集めるようになった。


 資格取得の日、会社は小さな祝賀会を開いてくれた。そこで岸本人事部長は、かつての自分の迷いを正直に告白した。


「篠田さん、正直に言うと、最初は不安だったんだ。あなたに任せて大丈夫かって。でも今は心から誇りに思う。あなたは私たちに新しい可能性を教えてくれた」


 百合子は微笑んで答えた。「私にチャンスをくださった皆さんのおかげです。特に田中さん、村上さん、そして…もうここにはいませんが、父のおかげです」


 整備士としての仕事は、運転士とはまた違った充実感をもたらした。列車のメンテナンスを通じて、彼女はキハ40系の一台一台に個性があることを知った。製造番号が近くても、何十年もの使用で、それぞれが独自の「クセ」を持つようになっていた。彼女はそれを「列車の魂」と呼び、大切に向き合った。


 キハ40系を徹底的に学ぶうちに、百合子はこの車両の設計の素晴らしさに改めて感動した。当時の技術者たちが込めた工夫と熱意、そして何よりも、乗客の安全を最優先に考えた設計思想。彼女はこの遺産を守り、次の世代に伝えることを自分の使命と考えるようになった。


 同時に、時代の変化にも対応する必要があった。経年劣化した部品の交換や、現代の安全基準に適合させるための改修。彼女は「伝統を守りながら革新する」という難しいバランスを取る努力を続けた。


 村上さんが退職する日、彼は自分の大切な工具セットを百合子に譲った。「これからは君に託す」と言って。その工具箱には、彼の父親の時代から受け継がれてきた特別な道具も含まれていた。磨き込まれた木の持ち手と、年季の入った鋼のコンビネーションレンチは、潮風線の歴史そのものだった。


 その瞬間、百合子は世代を超えた継承の重みを感じた。彼女の挑戦は、単に自分の夢を叶えることだけではなく、この地域の大切な伝統を守ることでもあったのだ。


## 第七章:海月駅の猫と満ちる愛


 百合子が運転士・整備士として8年目を迎えた頃、潮風線は「日本で最も愛される路線」として全国的な鉄道ファン誌で特集され、表彰された。その中心にいたのは、彼女だった。


「百合子さんの存在が、この路線に命を吹き込んでいる」


 と、特集記事は彼女を絶賛した。記事のグラビアページには、彼女が運転席で微笑む姿や、整備作業に集中する真剣な表情が大きく掲載されていた。写真からは彼女の温かな人柄と熱意が伝わってくるような仕上がりだった。


 この記事がきっかけで、潮風線は鉄道ファンの間で人気のスポットとなった。休日には、彼女の運転する列車を撮影するために全国から鉄道ファンが集まるようになった。


 終着駅「海月」には、白猫の「シロ駅長」がいた。波見駅のミケと同様、地元の人々に愛される存在だった。15年以上も駅に住み着いている老猫で、波見駅のミケとは親戚関係だと噂されていた。純白の毛並みに、左目の上だけ黒い斑点があるのが特徴的だった。彼はいつも駅の待合室の窓辺に座り、訪れる人々を物憂げな目で眺めていた。


 百合子はシロが好きな猫缶を常に持ち歩き、終着駅に着くたびに彼に会いに行った。シロは他の人にはあまり懐かないが、百合子には特別な親愛感を示していた。彼女が駅に到着すると、シロはゆっくりと立ち上がり、尻尾を高く上げて歩み寄ってくるのだった。


「シロ駅長、今日も一日お疲れ様。お客さんをたくさん迎えましたか?」


 シロは百合子の膝に飛び乗り、喉を鳴らした。その姿は駅のポスターにもなり、「二匹の猫駅長と女性運転士」は、潮風線の新たな名物となっていた。


 海月駅は小さな漁村に位置し、かつては漁業で栄えていたが、過疎化が進み、今では観光客がたまに訪れる程度だった。駅舎は昭和初期の木造建築で、潮風で色あせた壁と赤茶色の屋根が特徴的だった。ホームには古い木製ベンチがあり、そこに座ると海が一望できた。


 しかし、百合子の存在と猫駅長の人気で、週末には「猫に会いに行く」ツアーが組まれるほどになった。地元の商店街も少しずつ活気を取り戻していった。空き店舗だった場所に、若者が経営するカフェやクラフトショップがオープンし始めたのだ。


「篠田さんは、うちの町の救世主だよ」


 と海月駅前の食堂「なぎさ亭」のおばあちゃん・松浦ふみ子さんは言った。彼女は80代の小柄な女性で、50年以上この食堂を営んできた。いつも白い割烹着を身につけ、髪は伝統的な日本の主婦のように後ろでまとめていた。


「あの子が来るようになってから、町に若い人が戻ってきたんだ」


 実際、海月の町には変化の兆しが見えていた。観光客の増加に伴い、古い民家を改装したゲストハウスがオープンし、地元の水産加工品を扱う店も売上を伸ばしていた。地元の高校生たちも、卒業後すぐに都会へ出ていくだけでなく、地元で新しいビジネスを始める選択肢も考えるようになってきていた。


 ある日、百合子が海月駅で休憩していると、かつての謎の乗客・中村洋介さんが現れた。彼は今や有名な風景写真家になっていた。妻との思い出の場所で撮り続けた写真が評価され、全国的な写真コンテストで入賞したのがきっかけだった。彼の撮る瀬戸内海の景色は、多くの人々の心を打つ力を持っていた。


「篠田さん、あなたのおかげで、私は前に進むことができました」


 彼は一冊のフォトブックを差し出した。『潮風線――光と影の鉄路』と題されたその本には、潮風線の四季折々の美しい風景と、百合子の運転する列車の姿が収められていた。表紙は、夕暮れの海辺を走るキハ40の姿。窓からは百合子の横顔が小さく写っていた。


 本は上質な厚手の紙を使用し、写真の色調は温かみのある自然な印象だった。一枚一枚の写真には、中村さんの妻への思いと、潮風線への敬愛が込められていた。特に印象的だったのは、「光の記憶」と題された一連の写真で、朝日や夕日に照らされた列車の姿が幻想的に捉えられていた。


「出版社から話があって。これから全国の鉄道風景を撮影する旅に出ます。でも、始まりは常にここ、潮風線です。あなたが私に教えてくれたのは、過去を大切にしながらも、前に進む勇気でした」


 百合子の目には、涙が浮かんだ。彼女は言葉を失ったまま、ただ本のページをめくり続けた。そこには、彼女が日々見ている風景が、驚くほど美しく写し出されていた。


「これ……素晴らしいです」


「あなたが運転する列車だからこそ、撮れた写真です」


 翌週、中村さんの写真展が地元で開催され、多くの乗客や同僚が訪れた。会場には、百合子が運転する列車と、その車窓から見える風景の写真が並んだ。そこで彼女は、自分がどれだけ多くの人々の人生に関わってきたかを実感した。


 展示会場は海月駅近くの古い倉庫を改装した空間で、高い天井と広々とした内装が写真の魅力を引き立てていた。壁は白く塗られ、床は磨かれた古材がそのまま使われていた。窓からは海が見え、自然光が柔らかく会場を照らしていた。


 会場の片隅には「潮風線の人々」というコーナーがあり、日々の乗客たちの笑顔が写真におさめられていた。高校生たち、農家の方々、釣り人、観光客……そして、その中には彼女の姿もあった。運転席で真剣な表情を浮かべる彼女、車掌と笑顔で話す彼女、猫駅長を撫でる彼女。


「これが私の人生なんだ」


 と百合子は思った。彼女の夢は、単に運転士になることではなく、人々と風景をつなぐ存在になることだったのだと気づいた。


 写真展の最終日、意外な来場者があった。かつて彼女を面接で採用した岸本人事部長だった。すでに定年退職していた彼は、杖をつきながら会場を訪れた。退職後は穏やかな表情になり、かつての厳しさは影を潜めていた。髪はすっかり白くなり、背も少し丸くなっていたが、目の奥に光る鋭さは健在だった。


「篠田さん、あの時、あなたを採用して本当に良かった。私の鉄道人生で最高の決断でした」


 その言葉に、百合子は深く頭を下げた。彼女の挑戦は、多くの人の勇気と支えがあってこそ成し遂げられたものだった。


 岸本さんとの再会は、彼女に自分の歩みを振り返る機会を与えた。最初の面接から8年。その間に彼女は多くの壁にぶつかり、それを乗り越えてきた。障害を理由に諦めずに挑戦し続けることの価値を、彼女は身をもって示してきたのだ。


 その晩、百合子は終電後の空っぽの海月駅に一人座り、シロを膝に乗せながら星空を見上げた。駅のホームから見える夜空は、都会の光に汚染されておらず、満天の星が輝いていた。


「お父さん、見ていますか?私、ここまで来ました」


 彼女の心には感謝と充実感があふれていた。そして同時に、これからの時代に潮風線をどう守っていくかという新たな使命感も芽生えていた。


## 第八章:新たな出発


 10年目を迎えた百合子は、ついに「潮風線」の主任運転士兼整備主任に昇進した。彼女の経験と知識、そして人柄が認められての抜擢だった。


 昇進に伴い、彼女の制服にも変化があった。肩章には金色の二本線が追加され、胸元にはシルバーの鉄道車輪のブローチが輝いていた。それは会社から贈られた特別なもので、潮風線のシンボルマークが繊細に彫り込まれていた。彼女はいつもの赤いネクタイを外し、代わりに母から譲り受けた真珠のネックレスを首元につけていた。


 就任式の日、波見駅には大勢の人が集まった。地元の子供たちや、毎日彼女の列車に乗る常連客、そして彼女が指導してきた後輩たち。駅前広場には横断幕が掲げられ、「おめでとう篠田さん!」という文字が風になびいていた。


 中には彼女の障害について不安視する声もあったが、それを上回る支持と信頼が彼女を押し上げた。彼女自身も10年間の実績で、自分の価値を証明してきた自負があった。


「百合子さんの電車が一番好き!」


「いつも安心して乗れるよ」


「先輩のおかげで、私も夢を追いかける勇気をもらいました」


 そんな声に囲まれ、百合子は思った。自分の障害は確かに彼女の人生に多くの困難をもたらした。しかし、それは同時に、彼女に独自の視点と強さを与えてくれた。障害があるからこそ、安全への配慮が人一倍強く、乗客の立場に立った運行を心がけることができた。また、困難を乗り越える経験が、彼女のリーダーシップの基盤となっていた。


「私は、この潮風線と、ここに集う全ての人々に育てられました」


 小さな駅の広場で行われた就任式で、彼女はそう話し始めた。生まれ育った海辺の小さな町で、皆の前に立つ彼女の姿は、太陽の光を浴びて輝いていた。


「障害というものは、決して『できないこと』を意味するのではなく、『違うやり方で取り組むこと』を教えてくれるものです。私は生まれつき足が不自由ですが、それゆえに他の感覚が鋭くなり、列車の小さな異変にも気づけるようになりました。これは私の強みです」


 彼女のスピーチは短かったが、そこには深い感謝の気持ちが込められていた。彼女の言葉は、障害を持つ子供たちやその親たちの心に強く響いた。彼女のような存在が地域社会で活躍する姿は、多くの人々に希望を与えていた。


「そして何より、私を支えてくれた皆さんの存在こそが、私の最大の財産です。父の遺志を継いで始まった私の旅は、今、皆さんとともに新たな章を迎えています。これからも、この美しい潮風線を、共に守っていきましょう」


 会場からは大きな拍手が湧き起こった。特に感慨深そうだったのは、田中技術部長と村上さんだった。彼らの目には誇りと感動の涙が光っていた。


 就任後、百合子は障害を持つ若者たちのための特別研修プログラムを立ち上げた。「限界を決めるのは自分自身」という彼女の信念を、次の世代に伝えるためだった。このプログラムでは、単に技術を教えるだけでなく、それぞれの障害に応じた工夫や対応策を一緒に考え、鉄道業界で活躍するための道筋を示した。


 研修プログラムでは、特殊な工具の開発や作業環境の改善など、ハード面の整備も進められた。百合子自身の経験から生まれたアイデアが多く取り入れられ、障害者にとっても働きやすい職場環境が整えられていった。この取り組みは全国の鉄道会社からも注目され、他社からの視察も増えていった。


 車両整備にも彼女の工夫が導入され、キハ40系の老朽化対策と長寿命化計画が進んだ。彼女の提案で始まった「列車保存修復基金」には、地元企業や鉄道ファンから多くの寄付が集まった。彼女は古い車両を単に修理するだけでなく、その歴史的価値を保存しながら現代の安全基準に適合させるという難しいバランスを取る努力を続けた。


 古い部品が手に入らない場合は、地元の町工場と協力して復刻製造を行い、オリジナルの設計図を元に忠実に再現した。また、定期的に「キハ40系保存活動報告会」を開催し、寄付者やファンに整備の進捗状況を報告することで、透明性の高い運営を心がけた。


 一方で、百合子は新たな課題にも直面していた。過疎化による利用者減少、若い世代の鉄道離れ、そして老朽化する設備の維持費の増大。しかし、彼女はそれらを前向きに捉えていた。


「潮風線のこれからの挑戦は、単に存続することではなく、この地域の未来と共に歩むことです」


 彼女の提案で、列車内での地域活性化イベントが始まった。地元の学校の子供たちによる車内コンサート、移動式の農産物直売会、車窓の景色を描く写生列車など。潮風線は単なる交通手段を超え、地域文化の発信地になっていった。


 特に好評だったのは、「走る教室」と名付けられた企画だった。列車の一両を教室に見立て、地元の歴史や自然、伝統工芸などについて学ぶイベントを定期的に開催。子供から大人まで幅広い層が参加し、教育と観光を融合させた新しい試みとして注目された。


 波見駅と海月駅の猫駅長たちも、いつものように乗客を見守っている。ミケはすっかり老猫になったが、いまだに百合子が運転する最初の列車に乗り込むのを見送る日課を欠かさない。そしてシロは、海月駅の窓辺で、帰ってくる彼女を待ち続ける。


 両駅の猫たちは今や全国的に有名になり、「猫駅長に会いに行く」ツアーも定期的に催行されるようになった。それに合わせて、地元では猫をモチーフにした土産物も増え、新たな観光資源として地域経済に貢献していた。


 百合子の活動は地域を超えて、全国の鉄道業界にも影響を与えるようになっていた。彼女は時折、講演会やセミナーに招かれ、地方鉄道の活性化や多様性のある職場づくりについて語った。その姿勢は多くの人々に勇気と希望を与え、彼女は「潮風線の奇跡」として広く知られるようになっていた。


 ある春の日、百合子は運転席から見える桜並木を眺めながら思った。

「お父さん、見ていますか?私は今、幸せです」


 彼女の心には、これまでの道のりへの感謝と、これからの未来への期待が満ちていた。彼女が10年前に抱いた夢は、今や現実となり、さらに大きな広がりを見せていた。


 潮風線は今日も、愛に満ちた人々の物語を乗せて、海辺の小さな駅から走り出す。そして百合子の手で動く車輪は、無限の可能性へと続く光の線路を、これからも走り続けるだろう。


 彼女の人生は、挑戦と成長の物語であり続ける。障害は彼女の人生に制限をもたらしたかもしれないが、同時に、彼女に独自の強さと視点、そして他者への深い共感をも与えてくれた。それは彼女の宝物であり、これからも彼女を、そして彼女が大切にする人々を、光の線路の上へと導いていくだろう。


 百合子が主任に就任して2年目の春、潮風線は開業90周年を迎えた。会社は記念イベントとして、「潮風線90年の歩み展」を企画。これまでの歴史を振り返るとともに、未来への展望を示す一大イベントとなった。


 展示会場は波見駅の隣に新設された「潮風線記念館」。明治時代の駅舎を模した建物で、内部には路線の歴史や車両の模型、歴代の制服や切符、そして多くの写真が展示されていた。そこには百合子の父の写真もあり、彼女は思わず目頭を熱くした。


 記念行事では特別列車の運行も行われ、そのドライバーに選ばれたのはもちろん百合子だった。彼女は特別仕様の制服に身を包み、思い入れたっぷりに列車を走らせた。この日のために、彼女は特に念入りに補装具を手入れし、金属部分を磨き上げていた。


 特別制服は通常の紺色よりも少し濃い色合いで、金の飾り紐と特製の記念バッジが胸元に光っていた。スカートは通常より少し長めで、華やかさの中にも品格が感じられるデザインだった。


 車内には地元の子供たちによる合唱団が乗り込み、各駅に停車するたびに歌を披露するという趣向だった。百年近い歴史を持つこの路線が、次の世代へと引き継がれていくことを象徴するかのような光景だった。


 合唱団の子供たちの中には、萌ちゃんの姿もあった。彼女はすっかり成長し、今や地元の中学生。百合子のように運転士になることを夢見て、鉄道クラブに所属していた。


「篠田さん、私も絶対に運転士になります!」


 萌ちゃんの目には、かつての百合子と同じ情熱が宿っていた。彼女の声は、次の世代からの約束のように響いた。百合子は優しく頷きながら、萌ちゃんの肩に手を置いた。


「あなたならきっとできるわ。あたし、待ってるから」


 記念行事のハイライトは、田中元技術部長による特別講演だった。すでに定年退職していた田中さんは、杖をつきながらも力強く登壇し、潮風線の過去と未来について語った。


「私が最も誇りに思うのは、篠田百合子のような若者に出会えたことです。彼女は私たちに、可能性とは自分で決めるものだということを教えてくれました」


 聴衆の中には、百合子が指導してきた若い運転士たちや、彼女の特別研修プログラムを受講した障害を持つ研修生たちの姿もあった。彼らの表情には、彼女への尊敬と未来への希望が表れていた。


 講演の後、百合子は壇上に呼ばれ、これからの潮風線のビジョンについて語った。彼女の話は現実的でありながらも希望に満ちていた。過疎地域の交通を守ることの重要性、地域の魅力を発信する鉄道の役割、そして何より、すべての人に開かれた交通機関であり続けることの大切さ。


「潮風線は単なる鉄道ではありません。それは私たちの生活、思い出、そして未来をつなぐ光の線路なのです」


 彼女がそう結んだとき、会場からは大きな拍手が起こった。


 記念行事の後、百合子は新たなプロジェクトを立ち上げた。それは「バリアフリー潮風線計画」。彼女自身の経験から、障害のある人々が利用しやすい鉄道を目指す取り組みだった。


 このプロジェクトでは、駅舎のバリアフリー化だけでなく、車両自体のバリアフリー設計や、障害の種類に合わせた利用ガイドの作成など、多角的なアプローチが取られた。


 特に彼女が力を入れたのは、「心のバリアフリー」と名付けた乗務員教育だった。身体的なバリアフリー化だけでなく、乗務員の接遇や心構えを見直し、すべての乗客が心地よく利用できる環境づくりを目指した。


 この取り組みはメディアでも取り上げられ、全国の鉄道会社の参考事例となった。さらに、国際的なバリアフリー交通会議に招かれ、彼女の活動は国境を越えて評価されるようになった。


 会議では彼女は自分の経験を包み隠さず語った。障害を持つ女性が男性中心の業界で直面した困難、乗客からの偏見、そして時には差別的な態度にさらされた経験。しかし同時に、多くの人々の支えや励ましがあったこと、そして何より、彼女自身の不屈の精神が道を切り開いてきたことも強調した。


 彼女の講演は多くの参加者に感銘を与え、特に発展途上国の代表者たちからは、自国の交通インフラにバリアフリーの概念を取り入れる上での具体的なアドバイスを求められた。百合子は自分の経験が国際的な変化の一助になることに、大きな意義を感じていた。


 その年の夏、潮風線に新たな仲間が加わった。かつてない試みとして、電気自動車のバッテリー技術を応用した「ハイブリッドキハ」と呼ばれる新型車両の導入だった。環境に配慮し、従来のディーゼルエンジンと電気モーターを組み合わせたシステムは、燃費の向上と排気ガスの削減を実現した。


 百合子はこの新型車両の開発プロジェクトにも深く関わっており、設計段階からバリアフリー対応や運転のしやすさについて、現場の声を反映させていた。特に彼女の提案で導入された「アダプティブコントロール」は、運転士の身体状況に合わせて最適な運転環境を提供する画期的なシステムだった。


 新型車両は従来のキハ40系と連結して運行され、古い車両と新しい技術の共存という潮風線のポリシーを象徴していた。その姿は、伝統を守りながらも革新を続ける百合子自身の姿勢とも重なり合っていた。


 彼女の取り組みは次第に若い世代にも影響を与え始めた。彼女の研修プログラムを卒業した若者たちが、地元の高校や中学で講演を行うようになり、「篠田イズム」とも呼ばれる彼女の理念は広く浸透していった。


「限界を決めるのは自分自身」「違いは弱みではなく、個性であり強み」「一人では無理でも、みんなで力を合わせれば可能になる」


 そうした言葉は若者たちの間で共有され、潮風線は単なる交通機関ではなく、地域の誇りと希望の象徴となっていった。


 ある日、百合子が潮風線の将来計画を練っていると、思いがけない訪問者があった。全国鉄道事業連合会の理事長・工藤英三郎だった。彼は業界の重鎮で、全国の鉄道政策に大きな影響力を持つ人物だった。


「篠田さん、あなたの取り組みを実際に見てみたくて来ました。地方鉄道の活性化とバリアフリー化の両立は、全国の課題でもあります」


 工藤理事長は潮風線の現状視察と、百合子の話を直接聞くために来訪したのだった。彼は終日、彼女に同行し、駅や車両、そして何より地域の人々と鉄道の関係を丁寧に観察した。


 視察の最後、海月駅の夕暮れを背景に、工藤理事長は静かに語った。


「篠田さん、あなたがここで成し遂げたことは、全国モデルになり得ます。私は次期の全国鉄道会議で、あなたの事例を中心にした特別セッションを設けたいと思います」


 その言葉は、百合子の取り組みが単なる一地方線の成功事例にとどまらず、国全体の鉄道政策に影響を与える可能性を示唆していた。


 工藤理事長の訪問後、彼女のもとにはさらに多くの視察や取材が訪れるようになった。時には対応に追われて疲れることもあったが、彼女は自分の経験が誰かの役に立つのであれば、と惜しみなく時間を割いた。


 そんな多忙な日々の中でも、彼女は決して運転士としての本分を忘れなかった。週に数日は必ず自ら列車を運転し、乗客との触れ合いを大切にした。特に彼女が運転する日は、常連客の間で「百合子デー」と呼ばれ、多くの人が彼女の列車を選んで乗車した。


 全国鉄道会議の特別セッションは大成功を収め、百合子の理念と取り組みは全国の鉄道関係者に深い印象を残した。会議後、複数の地方鉄道から彼女に協力依頼が来るようになり、彼女は休日を利用して各地を訪れ、アドバイスを行った。


 忙しさが増す中、彼女の健康を心配する声も上がった。特に母親の篠田久美子は、娘の無理を心配していた。


「百合子、あなたも休まなきゃ。身体が一番大事なのよ」


 母の言葉に、彼女は少し考え込んだ。確かに、この数年間、彼女は休むことなく走り続けてきた。補装具による足への負担も年々増し、時には痛みで眠れない夜もあった。


 そんな折、彼女は一つの決断をした。次世代のリーダーを育てるための「潮風線アカデミー」の設立だった。それは彼女の知識と経験を組織的に次世代に伝えるための仕組みであり、同時に彼女自身の負担を減らすための方策でもあった。


 アカデミー設立にあたり、彼女は古い倉庫を改装して教室と実習場を設け、地元の学校と提携して定期的な講座を開くことにした。ここで彼女は講師として若い世代に直接語りかけるとともに、彼女の理念を理解し実践できるリーダーたちを育成していった。


 年々増加する来訪者に対応するため、海月駅の改装も行われた。古い駅舎の趣を残しながら、バリアフリー設備が充実し、観光案内所や地元産品の直売所も併設された。そしてもちろん、シロ駅長のための専用スペースも確保された。


 百合子が主任に就任して5年目、彼女の功績を称える声が高まり、ついに彼女は瀬戸内海鉄道の取締役に就任することとなった。それは障害を持つ女性が鉄道会社の役員になる、全国でも稀な事例だった。


 就任式で彼女は、初めて列車に乗った幼い日の思い出から語り始めた。


「私が小さかった頃、父に手を引かれて初めて潮風線に乗った日のことを、今でも鮮明に覚えています。窓の外を流れる景色、列車の揺れと音、そして何より、乗客と乗務員の間に流れる温かな空気。それが私の原点です」


 そして彼女は、これまで支えてくれた多くの人々への感謝を述べ、最後にこう結んだ。


「私は今でも、朝一番の列車を運転するとき、波見駅のホームでミケ駅長が見送ってくれる姿に心が温かくなります。そして終点の海月駅では、シロ駅長が待っていてくれる。彼らは単なる猫ではなく、この路線の歴史そのものであり、魂です。私たちは建物や線路、車両を守るだけでなく、そうした目に見えない大切なものも守っていきたいと思います」


 彼女の言葉は、潮風線に携わるすべての人々の心に深く響いた。


 取締役就任後も、彼女は定期的に運転士として列車を動かし続けた。経営の重責を担いながらも、彼女は現場を忘れず、乗客との直接の触れ合いを大切にしていた。


 そんなある春の日、彼女が運転する列車が波見駅を出発する直前、ホームの片隅でミケ駅長の姿が見当たらないことに気づいた。彼は20年以上、一度も彼女の出発を見逃したことがなかった。不安に駆られた彼女は、駅員に尋ねた。


「ミケ駅長は?」


 駅員は悲しそうな表情を浮かべ、静かに答えた。


「昨夜、眠るように…」


 百合子は言葉を失った。ミケは彼女の鉄道人生の始まりから見守ってくれた大切な存在だった。最近は年老いて動きが鈍くなっていたが、それでも彼女の列車が来ると必ず顔を出していた。


 その日、百合子は悲しみの中で列車を運転した。しかし、桜が満開の沿線の風景と、乗客の笑顔に次第に心が癒されていった。


 終点の海月駅に着いたとき、ホームにはいつものシロの姿があった。そして驚いたことに、彼の隣には小さな三毛猫の姿もあった。駅員によると、その子猫は数日前から駅に現れ、シロと一緒にいることが多いという。


「その子、ミケそっくりですね」


 百合子がつぶやくと、子猫は彼女に向かって鳴いた。まるで「よろしく」と言っているようだった。


 その夜、百合子は海月駅のホームに一人座り、星空を見上げた。


「ミケ、ありがとう。あなたは私の最初の応援者だったね」


 春風が彼女の頬を優しく撫でた。まるでミケが彼女に別れを告げているかのように。


 翌日、波見駅で行われたミケの追悼式には、多くの人々が集まった。老猫は地域の人々に愛されていたのだ。式の最後に、百合子は提案した。


「ミケ駅長の後任として、海月駅にいる子猫を迎えませんか?ミケの魂は、きっと彼女に受け継がれていると思うのです」


 皆が賛同し、子猫は「ミケ二世」として波見駅の新たな猫駅長に就任した。彼女はシロに育てられた半月余りで、すでに人懐っこい性格に育っていた。彼女の出自は不明だったが、ミケに似た三毛模様は、多くの人に親しみを与えた。


 ミケ二世の就任式は小さいながらも温かな行事となり、地元のメディアも取り上げた。百合子は彼女をそっと抱き上げ、「よろしくね、これからもずっと見守っていてね」と囁いた。


 時は流れ、百合子が潮風線に関わって20年目の秋、列車は変わらず潮風に乗って走り続けていた。彼女の髪にはうっすらと白いものが混じり始め、顔にも少しだけ年月の刻印が見えるようになっていた。しかし、彼女の眼差しの鋭さと優しさは、若い頃と変わらなかった。


 彼女の培った「バリアフリー潮風線」の理念は全国に広がり、いくつかの地方線では「篠田メソッド」と呼ばれる彼女の手法が導入されていた。


 彼女自身も全国での講演活動を続けながら、常に原点である潮風線に立ち返り、地域と共に歩む鉄道の在り方を模索し続けていた。


 そんなある日、彼女のもとに一人の若い女性が訪ねてきた。それは萌ちゃん、今や大学を卒業して鉄道会社に就職した彼女だった。


「篠田さん、私、やっと運転士になれました!あなたのような運転士になるのが私の夢だったんです」


 萌ちゃんの顔には、かつての百合子と同じ輝きがあった。彼女は百合子と同じ会社に入社し、現在は研修中だという。百合子の開いた道を、次の世代が着実に歩み始めていた。


 二人は波見駅の古いベンチに座り、夕日に照らされた海を眺めながら長い時間語り合った。萌ちゃんの不安や希望、そして彼女が抱く未来の鉄道への展望。その姿に、百合子は20年前の自分を重ね合わせた。


 会話の最後に、百合子は彼女の手を取ってこう言った。


「萌ちゃん、私が切り開いた道はまだ始まりに過ぎないの。これからはあなたたちが、さらに先へと進んでいくのよ。私はそれを見守るのが楽しみです」


 萌ちゃんは力強く頷き、彼女もまた新たな道を切り開く決意を新たにした。


 その夜、一人で運転席に座った百合子は、静かに過去を振り返った。幼い頃に抱いた鉄道への夢、周囲の偏見との闘い、そして多くの人々の支えがあったからこその今。


 彼女の人生の道のりは、まるで潮風線のレールのように、時に急カーブがあり、時に険しい山を越え、時に美しい海岸線を走り抜けてきた。そして今、彼女は次の世代に道を譲る準備を少しずつ始めていた。


 しかし、それは引退を意味するものではなかった。彼女はこれからも、潮風線と共に歩んでいく。その形は変わるかもしれないが、彼女の魂はいつまでもこの路線と共にあるだろう。


 窓から見える星空の下、彼女は心の中でつぶやいた。


「お父さん、見ていますか?私はこれからも、この光の線路を走り続けます」


 そして潮風線は今日も、人々の思いと共に、海と山を結ぶ道を進んでいく。百合子が握るハンドルは、過去と未来、そして無数の人々の心をつなぐ光の線路を、これからもずっと走り続けるだろう。


(おわり)

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【ローカル線お仕事短編小説】潮風線の奇跡 ~障害を超えて走る彼女の物語~(約29,000字) 藍埜佑(あいのたすく) @shirosagi_kurousagi

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