金色のかんむり

「大丈夫? エマ」


 僕は車の助手席でグッタリと座っているエマに向かって声をかける。


「あ……えっと……大丈夫……です」


 必死に笑顔を作りながらそう答えるエマに、僕は優しくポンポンと頭を叩いた。


「無理しなくていいよ。ハンバーガー店はやっぱり流石にまだ早かった」


「で……でも。ご主人様、お好きなんですよね。ハンバーガーのお店。だから……平気です」


 僕は優しく微笑みながら首を振る。


「そうだね、確かに好きだよ。でもそれは君に辛い思いをさせてまで食べたいものじゃない。まだ、この世界に完全に慣れてないんだろ? それを察してやれなかったのは反省する、ゴメン」


 七月の良く晴れた水曜日の昼下がり。

 僕とエマは海に行こうと車を走らせていた。


 その車内で、僕が某ハンバーガーチェーン店の新作の照り焼きチキンバーガーが美味しそうだ、と言った所エマがニッコリと笑って「じゃあ行きましょう! 大丈夫です、この世界にも大分慣れましたから」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにしたのだ。


 だが、入ってみるとエマは落ち着かない様子でキョロキョロし初め、やがて店内の照明やBGMの刺激が辛くなったのか顔面蒼白になり出したので、急いで店を出て車で休んでもらっている。


「元の世界と現代は刺激も全然違う。まして、君にとって常識外の景色ばかりだ、いくら君が優秀な魔法使いでも無理したら脳の方が参ってしまうよ」


「すいま……せん」


「ちょっとづつ慣れていこう。いや、慣れなかった物があってもいい。僕が手助けするから」


 エマは顔をクシャッと歪めると頭を少し下げた。


「お言葉に……甘えます。本当はちょっと……辛かったです」


「だろ? 早く郊外に出よう。今から行く海は穴場で静かなんだ。しかも平日だから人もいない。どこかコンビニでお昼を買ってくるよ。そしたら海で一緒に食べよう」


「えっと……こんびに?」


「あ、ゴメン。コンビニは……えっと……雑貨屋かな」


「あ、雑貨屋さんなら知ってます。何でも売ってるお店ですね」


 エマがようやく楽しそうな笑顔を見せてくれたので、僕も嬉しくなってうんうんと頷いた。

 やがて、空の景色はそれまでのゴミゴミした電線と建物の密集した狭い物から、広い青空と大きな入道雲が覆う物になった。


 冷房の風があまり得意ではないエマのために窓を開けているが、そこから優しい爽やかな風が入ってくる。


「車って……凄いですね。どんな軍馬よりも早く、そして疲れない。こんなフカフカの椅子も……こんなのきっと帝国の玉座でもなければ無理ですよ」


「それは褒めすぎだろう。そこまで凄くないって」


「いえ、そんな事無いです。ご主人様はご自分がどれだけ極上の物に囲まれてるか知らないのですか? 私はこの世界に住む方々が皆、王侯貴族のように感じてます」


 そんなものだろうか。

 そう思っていると、先の方にコンビニの看板が見えたので車を駐車場に入れた。


「どうする? ここで待ってる? 無理しなくていいよ」


「私も……行きます」


 彼女は何かを決心したような……そして何かを期待するような目で言った。

 さすがエルフの王宮魔道士。

 好奇心は飛び抜けてるな。


 エマの元々居た世界を思うと、この世界など異世界どころじゃない。

 僕からすれば数千年先の世界のような物だろう。

 根本的な常識さえも揺らぎかねないほどの文明の違い。


 本来正気を失ってもおかしくないのに、何だかんだ言ってここまで徐々に適応してきている。さすがにショッピングモールやパソコン、ロックやポップスなどの音楽は無理だ。

 あとテレビも。

 他にも色々と彼女に過剰な負担をかける物はあるが、それでも彼女の適応力や理解力は尋常では無い。

 僕が逆の立場ならとっくに頭がおかしくなっている。

 だからこそ、出来るだけ彼女に配慮してやりたい。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


「大丈夫か? もうちょっとゆっくりしてから出ようか……これ、飲める?」


 僕が倒した助手席のシートに寝転がりグッタリしているエマに向かって、某オレンジジュースのペットボトルを出しながら言う。

 店内に入って、周囲をキョロキョロ見回したエマは目のやり場がないとでも言わんばかりに視線を頻繁に動かして、そのうちその場に座り込んでしまったのだ。


「すいま……せん。また……お恥ずかしい……」


「恥ずかしくないだろ。君はよく頑張ってる。言ったろ? 無理に慣れなくていいよ。君には今居る世界で幸せだと思って欲しいんだ」


「私……幸せです」


「なら良かった。起きれそうか? これ飲んだら少しは落ち着くかも。オレンジジュ……ああ、オレンジは分かるかい? それの絞り汁だ」


「あ……それ……分かります」


 ポツリポツリと言いながら身体を起こしたエマは、僕からペットボトルを受け取るとゆっくりと飲み……急に全身をビクッと強ばらせると、口を付けたまま目を見開いて僕を見た。


「どうした! 大丈夫か?」


「ご主人様……これ……ええっ!? 何ですか、この甘露は! オレンジだけど、こんな天上の雫のような甘さは……神です!」


 そ……そんなに?

 彼女のあまりの挙動不審ぶりに焦ってしまったが、何はともあれ喜んでくれたなら良かった。そう思っていると、彼女は懐から結構膨らんでいる皮の袋を取り出し、中から何やら小銭のような物を取りだし……って、これ……プラチナ!?


 澄み渡った白金、とでも言うのだろうか。

 吸い込まれそうな白の光は目を奪われてしまう。


「ご主人様、この甘露はおいくらでしょうか? こんな白金貨ごときではとても足りないとは思いますが……二十枚ほどあればよろしいですか?」


「いやいや! 全然だよ! 全然!」


「……全然? そうですよね、失礼しました。では、足りないとは思いますがこの袋ごとお受け取り……」


「いや! そうじゃ無くて、こんなジュースくらいタダみたいな物なんだって」


「へ? た……だ?」


「そうなんだよ。こんな貴重な物、受け取れない。君も元の世界に帰ったら必要だろ? 先立つもの。だから、大事に取っとくんだ。後、これは絶対に人前で見せちゃいけない。襲われるよ。えっと……盗賊みたいなのに」


「お気遣い……感謝……いたします。……これが……ただ? ここは神の世界?」


 いやまあ、正確にはお金はかかってるんだけど……

 後でキッチリと説明しとかないと。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 そんなこんなで車内でペットボトルのジュースについて色々話している内に目的の場所に着いた。


 新舞子マリンパーク。

 名古屋に隣接する知多市の海水浴場で、長さ400メートルの人工海浜は休日になると家族連れやウインドサーフィンをする若者や中高年の男女で賑わうが、平日は人もまばらで穏やかな静寂が包む場所となる。


 ずっとエマには酷すぎるほどの刺激を与え続けているか、そうでなければアパートの狭い部屋の中で本を読むだけ。

 これからは彼女に負担の軽い場所を見つけて連れて行ってやりたい。


 気に入ってくれるか不安だったが、エマは車を降りると堤防まで歩き目を閉じると潮騒をじっと聞いていた。


「……ホッとする」


「本格的な海じゃなくて申し訳ないけど……どうかな?」


「ううん……ご主人様、私本当に幸せです」


「なら良かったけど……でも、意外だね。エルフって森の種族ってイメージがあったけど」


「はい。それは間違いではありません。私のいるエルドア国も森に囲まれています。ですが、海も好きです。海は生物の故郷ですので。もちろん住むことはできませんが、こうして一時を楽しむことであればむしろ、好ましく思います」


 そう言うとエマは堤防を越えて、人工海浜を歩き出したので僕も後に続く。

 今日は週の中日なのも幸いしたのだろう。

 周囲に人はおらず遠くにウインドサーフィンをする人影が二人ほど見えているだけで、他は僕とエマだけだ。


 エマは今まで見たことも無いような眩しそうな笑顔で波打ち際を歩く。

 その内、彼女の方から歌声が聞こえた。

 それはケルト音楽のような懐かしく素朴で、だけど美しいメロディだった。

 波の音と大きな……空を包むような雲。

 そして彼女の歌声。

 それらは僕の中のどこか張り詰めていた心もほぐしていくように思えた。


(ねえ、パパ。海の上に光のわっか! たくさん、たくさん! ねえ、ビックリした? ビックリした?)


 美也の言葉が脳裏に浮かぶ。

 そしてそれに返事をする自分の声も。

 電話をしながら片手間に話す自分の無機質な声。


(ああ……良かったな。ビックリしたよ……は!? お前さ、何でそんな説明したんだよ! それじゃ先方に足下見られるだろうが! もういいよ、もういい! 今からそっち行くから)


(ねえ……あなた。お仕事大事なのは分かるけど、もう……一時間だけで良いから。美也も本当に楽しみにしてたの)


(だから、お前と美也でタクシーで帰ればいいと言ってる。僕は仕事がある。タクシー代はカードで払っていいから。ほら……)


(違うの! 美也はあなたと久しぶりに来れたのが楽しみ……)


(久々って……覚えてるのか? 短期記憶、ますます酷くなってるんだろ? お前から適当に説明すればあの子も信じるよ)


(なに……それ? あの子は確かに障害がある。でも……あなたを……大好きなの)


(だから……僕も愛してるって言ってるだろ! だからお前らのために仕事をする必要がある。とにかくもう行く。お前に任せた)


 ……そう言って車に乗ろうとした時、美也の泣き声が聞こえた。

 僕は聞こえないふりをした。


 昨日の事のように鮮明に浮かぶ記憶に、僕は苦笑いを浮かべて首を振った。

 そうだよな……美也、京子。

 僕を許すはず無いよな。

 大丈夫。

 たっぷりと思い出させると良い。

 そして僕を罪の意識でボロボロにするといい……

 僕は逃げないから。


「ご主人様」


 突然耳元に聞こえた声に僕はハッと我に返った。

 するとニコニコと笑っているエマの顔がすぐ近くにあったので、思わずドキリとした。


「あ……どうした? 何か面白そうな物でも……え……」


 言いかけた僕の声は途中で止まった。

 エマの両手の間に手のひらくらいの水の玉が浮かんでいたのだ。

 これは……


「はい、魔法です。この世界に来てから魔力もすっかり無くなっちゃってて……この程度ですが。でも、初めてご主人をビックリさせてあげられました」


「僕……を」


「はい。私、ご主人に会えて沢山のビックリする事を教えて頂きました。それは大変だな……と思うこともあるけど、すっごく幸せなことも多いです。ビックリって幸せになる入り口ですから。だからご主人の事も少しでもビックリさせたかったんです」


 ビックリ……

 幸せに……


 彼女の言葉とあの時の美也の言った(ビックリした?)が重なったような気がした。

 そして、気がつくと僕は泣いていた。


 美也……お前は……あの時、僕と幸せに……なりたかったのか?


「ご主人様? どうされました……すいません、変なことしちゃって……」


「違う……違うよ……有り難う……嬉しいんだ」


 僕は半分本当で半分嘘をついた。

 そんな自分を覆い隠したくて、手で顔を覆った。

 でも涙は収まらない。


「あ……あの! ご主人様! これ……見てください」


 エマの声に顔を上げると、突然さっきの水の玉が目の前で弾けた!

 そして……水が霧のようになって勢いよく僕の顔にかかる。

 ビックリしてあっけにとられていると、エマが心配そうにのぞき込む。


「えっと……楽しかった……ですか?」


 その泣きそうな顔を見ていると、不思議と可笑しくなって僕は笑顔になった。


「そうだね、楽しかった……よ!」


 僕はそう言うと、両手に着いた水をエマの顔に塗りつけた。


「ええっ!? ご主人様……ちょっと!」


 そう言って笑っているエマを見ている内に、僕は嬉しさと悲しさがまた膨らんだ。

 美也……お前もこうしたかったのか?

 本当に……ゴメンな、ダメなパパで。


 もうちょっと……今度こそは、いいパパになれるのにな……


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とても広い世界の君と僕 京野 薫 @kkyono

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ