第11話 罠

 入り口付近には内部を照らすライトがあったものの、数メートル進んだところで、それが途絶えてしまった。


「わたしは見えますが、7代目が見えないのは困りますね……」


 暗視スコープに視界を切り替えたモフモフさんの目が赤く光る。

 今、モフモフさんは僕の輪郭を正確に捉え、見えているに違いない。

 でも、やっぱりモフモフさんもロボットなんだと思わされる瞬間だ。なぜか、少し気持ちが落ち込むのかわからない。でもこれは昔からだ。自分と、モフモフさんは全くちがうモノなんだ、と、突きつけられている気がするからかもしれない。


 僕は気持ちを切り替え、狭いダクトのなか、リュックを胸の前に移動させる。

 ほぼ明かりがないため、あちこちぶつけながら、どうにか手元にリュックを掴むことができた。


「暗いだけなのに、結構難易度あがるんだね」

「視界はちゃんと物との距離を教えてくれますからねぇ」

「これで、中、見えるかな」


 リュックの口を開けて見せるると、モフモフさんは手探りすることなく、中から一つ、取り出した。


「ヘッドライトが入ってます。このリュックは防災用なのでしょう。さすが7代目、ちゃんとしたリュックを選ばれたんですね」


 モフモフさんは嬉しそうにふわふわの手で僕のおでこにヘッドライトを取り付けてくれた。

 キツすぎず、緩すぎず、慎重に取り付けてくれたモフモフさんのふわふわの手は、僕のおでこをそっとなでて、思わずふふふと笑ってしまう。


「……はい。これで見えますね」


 頭の先のライトはかなり明るい。

 でも、見たいところを照らすのに、少しコツがいる。


「思ったところに照らすの、けっこう難しいかも」

「7代目なら、すぐ慣れます」


 気を取り直して、意気揚々と移動を開始した僕らだけれど、ただでさえ狭いダクトは、湿気と金属の錆びた匂いでむせ返るような息苦しさがある。

 進むごとに汗が背中を伝い、シャツが肌にべったりと張りついて気持ちが悪い。さらに、空気は重く、身体の芯まで蒸されていくのがわかる。


「はぁ……暑いね……」

「狭いですしね」

『あまりデカい声、出さないように』


 ハチの声に、僕の声は自然と小さくなる。隣を進むモフモフさんの声は、それ以上にくぐもって聞こえる。

 ダクトが内部から、ロボットの巡回通路の付近へと近づいたことによる。

 この狭さでは、声の反響すら警戒対象になり得る。ただ、まだ壁を隔ててある。大きな音さえ立てなければ問題ないはずだ。


『今、3分の1、ぐらいかなぁ……あ、5分の1ぐらいかも』


 呑気なハチの声が耳たぶから聞こえてきた。

 少しムッとした僕は、了解、とも、わかったとも言わず、無言で進んでいく。


 ダクトの中は、真っ直ぐに見えて、地味に起伏がある。小さな段差や微妙な傾斜、数センチ単位の横揺れ。目では捉えきれないのに、体感では確実に体力を奪う。

 膝と肘を床に滑らせ、布一枚に体重を預けるようにして進むタオル滑走法は、モフモフさんの案だ。音を立てずに移動するには最適だったが、汗と埃で布がどんどん重くなり、ズリズリと擦れるたびに滑りが悪くなっている。


「7代目、水分、ちゃんと取ってくださいね」

「うん、ありがと……」


 リュックの背中側にファスナーがあり、そこから手を入れ、ボトルを取り出した。指に当たった感触でだけど、フルで入った水は残り2本。

 僕はそこから飲みかけのペットボトルを引き抜き、水を口に含んだ。ぬるい水は、口の中に広がると、金属と埃を感じさせる。無理やり飲み込めば、喉がきしむほどだ。だからといってタオルを当てたり、マスクをすれば、呼吸困難になりそうなぐらいに暑い。もう、我慢するしかないだけに、呼吸がため息になってしまう。


 モフモフさんは、四つ足の姿勢で進み続けている。ようは、普通の猫と同じように歩いているのだが、その背中の駆動部が静かに唸っているのが聞こえだした。

 モフモフさんの小さな肩越しに、かすかに見える十字のマークが滲んでいて、それは冷却効率が落ちてきている意味だ。

 だけど、僕はモフモフさんにその状況をどう聞けばいいかわからない。いや、怖いんだ。

 まだまだ順調の合図なのか、問題が近いのか……

 僕は少しのきっかけが欲しくて僕はモフモフさんに話しかけた。


「……けっこう進んだ気がする。どう、モフさん」


 問いかけに、モフモフさんは足を止めて耳の裏のセンサーに触れた。マップの確認をするためだ。


「……ようやく、ラボの入り口あたり、ぐらいでしょうか。ここから壁が薄くなります」

『音に気をつけて。……ヤツら、常に聞いてるぞ』


 通信機からハチの声が入る。

 僕はモフモフさんの状態を確認できないまま、僕は呼吸をひとつ整える。

 そのときだった。


 ——ヒュウウウウ……ッ。


 耳鳴りのように小さな、しかし確実に人工的な羽音が近づいてくる。ダクトの壁がわずかに揺れ、空気の粒がざわつくのがわかる。


 ──ドローンだ。


 僕とモフモフさんは咄嗟にその場で身を伏せた。ライトを切り、息を潜める。

 ダクトのすぐそばの巡回だが、何に反応するのか全く読めない。ダクトに隙間があるかもしれない上、音に対してどんな攻撃をしてくるのかもわからない。

 僕はモフモフさんの背を抑えながら、音が近づくのを聞いていた。

 ダクトに侵入し、巡回ないかと僕の手がじっとり汗をかき始める。モフモフさんの心音といえるモーターも激しく揺れている。


『……異常ナシ、異常ナシ!』


 機械音声の報告は一瞬安堵を僕らに与えてくれるが、油断はできない。

 薄く唇を開き、そっと呼吸を繰りかえす。鼓動が首の裏で脈打っている気がする。

 ドローンがダクトの薄い鉄越しに旋回、やがて、ゆっくりと羽音が通り過ぎていった。


「……よし」

「いきましょう、7代目」


 僕たちは再び前進を始めるが、モフモフさんがしっかりとふわふわの足で細かに探知をしてくれている。手を置くポイントや、進み方などもそうだ。

 モフモフさんの動作を頼りに、右手へ分岐し、下り坂に差しかかったとき、モフモフさんが振り返った。


「……滑るように進んでください。鉄板が浮いています。音が出やすいです」


 僕は身体をなるだけ床に這わせ、膝を持ち上げないように僕は進む。

 ダクトの素材が変わっているのだ。

 湾曲しているダクトのため、少しでも重心をかけすぎれば、鉄が歪んで音を立ててしまう。


「……モフさん、匂い、変わったね」


 化学薬品と、微かな電気焼けの匂い。

 間違いない、ラボの空調とつながっている。


「……ここが、ラボの中央?」

「ええ、間違いありま」


 ぴたりと止まった。モフモフさんの肩が細かく震え出したかと思うと、毛皮越しにある背中の冷却板が赤く明滅している。

 つんざくような、ハチの叫びが耳に届いた。


『モフの冷却システム、低下してるぞ!』

「……やばい!」


 モフモフさんの人工筋肉の駆動音が不規則になっていく。目の奥の光が揺れ、焦点を失っているのがわかる。

 僕はとっさにリュックに詰め込んだ。これで断熱も多少はしてくれるはずだ。


『モフが再起動準備に入ってる!』

「ここで!?」

「……ななな、7代目、おおおお置い……逃げ……」

「できるわけないでしょ!」

「おおおお……囮に、なりま……!」

『モフ、起動停止! 温度上昇! どうにかそっから移動しろ! ドローン、向かってる!』


 頭のライトを左右に揺らして見つけた先は、分岐が3つ。


「ハチ、どこに行けばいい!」

『あーーー! 右の縦ダクト、すぐ下に逃げて! 今しかないっ!』


 僕はリュックを前に抱えて、モフモフさんの体をぎゅっと抱きしめる。

 固く重くなったモフモフさんをリュック越しに感じながら、ダクトへ飛び込んだ。

 縦に伸びている、ということは、下に落ちるダクトでもある。


「……マジかよぉ……!」


 重力が身体を引き込んでいく。

 だが、すぐに斜めに伸びるダクトに尻から着地した。


「……うぉっ! ……ええぁ!」


 着地したにもかかわらず、さらに下へと身体が滑り出した。

 ヘッドライトが照らす一部の光景は何の役にも立たない。僕は目をぎっちり瞑って、モフモフさんを抱きしめる。

 全身がぶつかる音を聞きながら、落ちていく感覚を頼るしかできない。


 いきなり、振動が起こった。

 何か、ぶつかった……?


 ──ギャインッ!!


 小さいが爆発音だ。

 尾骶骨から背骨に響く振動を感じながら、規模の大きさ的に、ドローンの攻撃で間違いない。

 だが予想と違った。

 僕らを外したのだと思っていたのに、左肩をこすりながら落ちていた鉄板が剥がれてしまった。


 ダクトの崩壊だ。


 さらに裂けるように足元の板が破れ、散っていく。

 すぐに視界が反転、僕の体は硬い床へ落下した。


「……がっ! ……ぁ」


 背中から落ちた僕は、息を整えるので精一杯だ。

 それほどの高さではなかったのが幸いだが、呼吸が一瞬止まった。

 死ぬかと思った!

 静かに呼吸を繰り返しながら、僕は腕を伸ばす。


「……うっ……よ、し……」


 大丈夫。骨は折れてない。

 打撲程度だ。全身だけど……


 なんとか手に力を込め、転がったリュックのかけ紐を手探りでつかむと、それを引き摺り寄せていく。


「……モフ、さん……」


 全身の痛みをこらえ、モフさんが入ったリュックを抱え直す。

 寝転がったまま、リュックの口を開けて覗き込むと、中にすっぽり丸まっているモフモフさんがいる。熱い体のまま、微動だにしない。起動停止状態だ。

 だけど、ぴくぴくと脈を打つように耳が揺れている。

 それは再起動の準備をしている合図でもある。

 大丈夫。生きてる。

 ほっと一息つく間もなく、ドローンの羽音が響きだした。

 取れかけたヘッドライトを遠くに放り投げ、リュックを抱えてどうにか崩れた机の影に移動する。


 じっと息を潜めながら辺りを見渡した。

 意外に明るい室内に安堵したが、すぐに僕は、現状に絶望する。


 高い天井に、コンクリートの床。

 視界の奥には操作卓と冷却ポッドの列が並び、ドローンが5機、そして、小さなロボットを食べて大きく育った、あのブラックが、ぎょろぎょろとレンズを四方に向けて、僕らの姿を探している──


 間違いない。

 僕らは、ダクトから通り越さなければならなかった、あのラボの中にいるんだ。


 僕はリュックの中のモフモフさんの手を握る。

 握り返してこないモフモフさんの手だけれど、しっとりと温かい。



『──よく考えて、偉いな、優羽は』



 祖父の声がする。

 ……よく考えろ、僕。

 考えるんだ。


 もう、進むしかない。

 逃げ道は、どこにもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

“回路”のウワサは僕を呼ぶ yolu(ヨル) @yolu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ