第4話 すずらんの約束

翌朝、いつものように

「いってきます」

と部屋のドアを開け、写真の未知に

「頑張ってるよ、お母さんも」と付け加えた。

会社に着くと、ゴールデンウィークのシフトアンケートが取られていた。

「桜井さんは3日だけでいいの?未知くん帰ってくるんじゃない?」

所長が声をかけてくれた。

「あっ、そうですね。息子に聞いてみます。お返事明日でも大丈夫ですか?」

と私は尋ねた。

「いいよ、未知くんも1人暮らしに疲れてる頃じゃない?たまにはお母さんのご飯食べに帰ってきたらいいよ。また明日教えてくれたらいいよ」

そう所長は言ってくれた。

所長は2人暮らしだった私と未知のことをいつも気にかけてくれていた。

行事ごとは必ず休みを取らせてくれ、急病の時もすぐに行ってやりなさいと言ってくれる優しい人だった。

私はこの所長だったからこの仕事を今も続けられているのだと思う。

そして、未知に寂しい思いもそれほどさせずに済んだのだと感謝している。


お昼休みに未知にメッセージを送った。

ゴールデンウィークはどうしますか?バイト忙しそう?3日は帰ってくる?

淡々と要件だけを伝えた。

1人で頑張ってるという未知にこれ以上言葉をかけると負担になると思ったからだ。

家に帰り夕飯を済ましお風呂に入る。

昨日の未知の言葉が頭で再生される。

「俺1人で頑張ってるよ」

泣き虫で甘えん坊だったあの子が頑張っている。また目の奥が痛くなった。

お風呂から出てリビングへ行くと、テーブルの上のスマホがピカピカと光っていた。見てみると未知からのメッセージが来ていた。

3日帰るよ。

バイトの店長に聞いたら、せっかく帰るなら5日まで休んでいいよって。

だから、3日はいつもみたいにお父さんに会いに行こう。3人にでご飯食べよう。

そう書いてあった。

未知が帰ってくる。未知に会える。自分でも笑顔になっているのがわかる。

うん。わかった。気をつけて帰ってきてね。

嬉しさを隠しながら返信のメッセージを打った。

翌朝所長に

「3日から5日までお休みお願いします。息子が帰ってくることになりました。」

そう伝えてると、所長は

「未知くんも桜井さんも頑張り過ぎちゃダメだよ」

休みの許可ではなく、この心遣いに胸がじーんとなった。


あと何日寝れば未知に会えるかな。待ちきれない気持ちで、キャビネットの上にあるカレンダーに手を伸ばした。

日にちを数えながら、翌月へと紙をめくる。

5月3日にはすでにハートマークがついている。

カレンダーにハートマークはつけるのは夫とのデートの約束をした時の印だった。

夫は必ず約束は守る人で、待ち合わせ場所に行くといつも先にきて私を待ってた。少し早めに行っても待ってるから、いつしか聞いたことがある。

「もしかして、何時間も前から待ってるの?」

って、彼は笑いながら

「まさか。まぁ、でも早めにはきてるかな。早く会いたいし」

と言った。

程なく結婚し、子どもにもすぐ恵まれた。

大きくなるお腹をさすりながら彼はうれしそうに

「僕は、君とこの子を守るよ。」

と言った。

私へのプロポーズの言葉にこの子が足されていて、この人と結婚してよかったと思ったものだ。

彼からは、子どもを産む私に1つのお願いされたことがある。それは、

「この子を1人ぼっちだけにはせないでほしい」ということだった。

今ならわかる。彼が待ち合わせに早くきていた理由も。

きっと、私を1人ぼっちで待たせたくなかったんだよね。そうでしょ?

カレンダーの横に置かれた写真に写る夫に向かって話しかけた。青のランドセルを大事に抱える未知と笑顔の夫と私。最後に撮った3人の笑顔の写真だった。

「でも、今度は早く行きすぎだよ。待ちくたびれてるでしょ。あなたとの約束は守るから。私が行くまで待っててね。」

翌朝、早く目が覚めた私は未知の部屋の窓を開けた。

春の風が部屋の中を舞うように入ってきた。

彼と未知が私の周りを鬼ごっこしていた時の笑い声が遠くに聞こえた。

あと数日で私の宝物に会える。

毎日の仕事もいつも以上にスムーズにでき、なぜか所長も嬉しそうにしているように見えた。


5月3日の朝。

10時くらいに駅に着くよ。

未知からメッセージが届く。

わかった。駅前で待ってるね。

スマホを片手に連絡を待っていた私は即返信をした。


最寄駅の1つ先にあるターミナル駅へ向かった。

「おはようございます。桜井ですけど、できてますか?」

店先には誰もいない。

仕切りカーテンの向こうから声が聞こえた。

「はーい、少しお待ちください。」

そう言ったあと、両手に花束を持った女の人がカーテンを頭で押し開けるように出てきた。

「おはようございます。今年のすずらんも甘くていい香りがしますよ」

そう言って、両手のすずらんを私に見せた。

顔を近づけると白い可愛い花からは少し甘い匂いがした。

「あれ?今日はお一人?お子さんは?」

しょっちう花屋に通う常連ではない客だが、毎年5月3日にすずらんを買いに来る人だと記憶されているのだろう。

「あっ、子どもは今年から大学で今帰ってきてる途中なんですよ」と返事した。

「ありがとうございました。」

お互いに挨拶し、今年の恒例行事も終わった。

すずらんの花束を赤ちゃんを抱くように抱える。

あの頃、未知を抱っこしていた時のようにすずらんに目をやる。そこには私に向かって笑いかける未知がいた。

未知にもあなたにも早く会いたい。

待っててね。駅に向かう私は飛び跳ねるように軽やかに歩いた。

通りの角を曲がると、駅の入り口にあなたそっくりの未知が待っていた。未知は私を見つけると笑顔で大きく手を振った。


私も未知も1人ぼっちなんかじゃない。

あなたの大きな愛に包まれているから。

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つつまれたもの @cholymelan

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