青春とはなんぞや仮

みなと劉

第1話

了解しました。それでは、第1話の冒頭から8000文字のライト文芸・青春・恋愛・ハートフルな小説を書き始めます。タイトルや登場人物については、本文で自然に描写していきます。



---


春が嫌いだった。


理由はいくつかある。花粉が飛ぶから、眠くなるから、空気がぼんやりしているから。だけどたぶん一番の理由は、春になると世界が勝手に何かを始めたがるからだ。入学式、新生活、出会いと別れ。人が浮き足立つその空気が、どうしても苦手だった。


そんなことを考えながら、俺――桐谷悠真(きりたに・ゆうま)は、駅前のコンビニで買った紙パックのアイスコーヒーを片手に、校門の前に立っていた。高校二年目の春。去年より少しだけ長くなった制服のズボンの裾を風が揺らす。隣のクラスに移った友人たちの名前が掲示されるのを横目に、俺は自分のクラスの位置を探した。


「2年C組…っと」


あった。名簿の最後に自分の名前を見つける。特に感慨はない。席替えと変わらない、ただのクラス替えだ。ため息混じりに歩き出そうとしたその時、背中にぶつかってきた誰かの勢いで、俺は一歩前によろけた。


「わ、ごめんなさい!」


振り返ると、そこには見知らぬ女の子がいた。明るい茶髪を肩のあたりで結んだポニーテール、制服のリボンが少しだけ歪んでいる。少し小柄で、頬がうっすら赤い。


「大丈夫?」


「あ、大丈夫です!ほんとにすみません、急いでて…」


「そっか。気をつけてね」


そう言ってその子は、慌てて掲示板の前に駆け寄っていった。お互いの名前も知らないままのすれ違い。それでも、ほんの一瞬だけ、胸の奥がちくりとした。


(春って、こんな感じだっけな)


教室に入ると、すでに数人が席を確保していた。窓際の一番後ろ――去年と同じ席が空いている。迷わずそこへ向かい、鞄を置く。居場所が決まると、少しだけ安心する。


「よぉ、桐谷!」


声をかけてきたのは中谷。中学からの付き合いで、気さくで要領が良くて、でもたまに抜けてるヤツだ。


「また同じクラスか。奇跡だな」


「お前の奇跡のハードル低すぎない?」


「まあいいじゃん。知ってる顔がいるだけマシだよ」


たしかにその通りだ。クラス替えは一種の博打だ。孤立するリスクを考えたら、知り合いがいるのはありがたい。


「そういや、今年から転校生いるらしいぞ」


「へぇ。どこの?」


「関東のほうかららしいけど、詳しくは知らん。でもさっき廊下で見かけたけど、めっちゃ可愛いかった」


「またそれかよ」


「いやいや、ホントだって。桐谷も見たら絶対びっくりするって」


そんな他愛のない話をしているうちに、チャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。


「静かにー。はい、おはよう。今日から二年生だ。気持ちを切り替えていこうな」


冴えないスーツに、寝癖が少し残っている中年の男性。名前はたしか…田代先生。去年もどこかのクラスを受け持っていたのを見かけた覚えがある。


「さて、今日は早速だけど転校生を紹介するぞ」


どこかの誰かの予想通りに、先生がそう告げる。そしてドアの外に向かって合図をすると、入ってきたのは――


「あっ」


声にならない息が漏れた。


そこに立っていたのは、朝ぶつかったあの子だった。


「はじめまして。今日からこの学校に通うことになりました、七瀬 澪(ななせ・みお)です。よろしくお願いします」


緊張した面持ちで一礼した彼女は、朝よりも少し落ち着いた表情で、でもどこかぎこちなく立っていた。教室がざわつくのがわかった。そりゃそうだ、これだけの美少女がいきなり現れたら、無理もない。


(七瀬…澪、か)


「席は…桐谷の隣が空いてるな。七瀬、そこに座れ」


「はい」


彼女は静かに頷き、俺の隣の席に歩いてきた。席につくと、一瞬だけ俺と目が合った。あの朝の、あの瞬間が、再生される。


「…さっきは、ごめんね」


小さな声で、彼女が言った。


「ううん。こっちこそ、びっくりしただけだし」


「……ありがとう」


彼女は少しだけ笑った。


それだけの会話。でもその瞬間、教室の空気が、少しだけ柔らかくなったような気がした。


(春って、悪くないかもしれない)


そんな風に思えたのは、きっと初めてだった。


昼休みが始まった瞬間、俺の机の上に中谷が乗り出してきた。


「おいおいおい、桐谷。どういうことだよ。なんでお前の隣なんだよ」


「知らんって。担任の采配だろ」


「しかも、さっき話してただろ?お前、知り合いだったのか?」


「いや、さっき駅でぶつかっただけ」


「なにそのラブコメじみた遭遇。マンガかよ!」


やかましいやつだ。こっちはまだ混乱が収まってないってのに、こうして騒がれると余計に意識してしまう。


ちら、と隣を見ると、七瀬さん――澪は、お弁当を開いていた。小さな白いお弁当箱に、色とりどりのおかず。どれも丁寧に詰められていて、なんだか家庭的な雰囲気が漂っていた。


「桐谷くんは、お弁当じゃないんだね」


話しかけられて、思わず背筋が伸びる。


「え、あ、うん。コンビニで買ったパンだけど、まだ食べてない」


「そっか。駅の近くの?」


「うん、ローソンのところ」


「私もさっきそこでお茶買ったよ。偶然だね」


会話が、少しずつ自然になっていく。初対面の緊張感は残っているけれど、それでも彼女の声は柔らかくて、話していると心が落ち着いた。


「転校、ってことは、前はどこだったの?」


「神奈川の高校。父の仕事の都合で引っ越してきたの」


「へえ…。じゃあ、こっちには友達とか、まだ?」


「…うん。いない。だから、ちょっと不安だったけど」


彼女はそう言って、うっすら笑った。


「でも、さっき、助けてくれて嬉しかったよ。ありがとう」


「ああ、いや、助けたってほどじゃ…」


「ううん。ああいう時、声をかけてくれる人って、案外少ないんだよ」


目を伏せながら、ぽつりとこぼす。たぶん、それは彼女の過去に関わることだ。簡単に立ち入っちゃいけない気がして、俺は何も言わずにパンの袋を開けた。


「そのパン、美味しそう」


「メロンパン、好きなんだ。カリカリしてて」


「私も好き。外がサクサクのやつがいいよね」


なんでもない会話。でも、その一言一言が、心に染みる。これが、誰かと心を通わせるってことなのかもしれない。中谷が「ラブコメかよ」と茶化す気持ちも、少しだけ分かってきた。


***


放課後、教室に残っていた俺は、プリントをまとめていた。新しい教科書も配られて、クラスの空気はすっかり緩んでいる。隣を見ると、澪はまだ机に座ってノートを眺めていた。


「何か困ってる?」


そう声をかけると、彼女は少し困ったような顔で笑った。


「新しい教科書、まだどこに何があるか全然わからなくて」


「あー、そっか。去年のとこ、ざっと説明しようか?」


「…いいの?ごめんね、迷惑じゃなければ」


「全然」


それから俺は、去年の授業で使った部分や、テストに出そうな箇所をざっくり説明した。彼女は真剣に頷きながらメモをとる。そんな姿に、なんだかこちらまで背筋が伸びるような気がした。


「ありがとう。わかりやすかった」


「よかった。たぶん先生も、去年の範囲に重ねて授業すると思うから」


「桐谷くんって、優しいんだね」


急にそう言われて、動揺する。


「え?いや、別に普通だって」


「でも、普通って案外できないんだよ。私、そういうの、よく知ってるから」


その言葉に、どこか影を感じた。


「…神奈川の学校で、何かあった?」


言ってから、少し後悔した。余計な詮索だったかもしれない。でも彼女は、少し黙ったあと、小さく頷いた。


「うん。ちょっとだけ、ね」


「もし話したくなったら、いつでも言って」


「……うん。ありがとう」


その時、廊下から中谷の叫び声が聞こえてきた。


「おーい、桐谷ー!寄り道して帰ろうぜー!」


俺は窓の外を見る。少し赤みがかった夕日が、校庭をオレンジ色に染めていた。


「じゃ、また明日な」


「うん。…明日も、隣、よろしくね」


その言葉が、少しだけ胸に刺さった。


彼女の笑顔は、どこか儚げで、でも強くて――。

俺はその瞬間、ほんの少しだけ春が好きになった。


***


その日を境に、俺たちは自然と話すようになった。


授業中、ノートを見せ合ったり、休み時間にささやかな会話をしたり。放課後には、一緒に帰ることも増えていった。彼女は少しずつクラスに馴染んでいったが、どこか「距離を置いている」ような一面もあった。


中谷は相変わらず「告白のタイミングはいつだ」とか騒いでいたけれど、俺にそんな勇気はなかった。


ただ、彼女の隣にいる時間が、少しでも長く続いてほしい。そんなことばかり、考えていた。


ある日の昼休み。彼女がふいに言った。


「ねえ、桐谷くん」


「ん?」


「この前、言ってくれたよね。“話したくなったらいつでも言って”って」


「ああ」


「…そろそろ、話してもいいかな」


彼女は、静かにそう言った。春の陽射しが、カーテン越しに差し込んでいた。小さな決意が、そこにはあった。


「そろそろ、話してもいいかな」


澪の言葉に、俺は自然と姿勢を正していた。


教室のざわめきは、昼休みの賑わいのままだ。誰かの笑い声や、机を動かす音、購買のパンの話――それらすべてが、遠くに感じられた。


「うん。無理にじゃなくていいからな」


俺がそう言うと、澪は小さく頷いて、少し間を置いてから口を開いた。


「前の学校で…ちょっと、いろいろあって。人間関係とか、うまくいかなくて」


「……」


「仲がよかった子と、ある日、些細なことで意見が食い違って…気づいたら、距離を置かれてて。気まずいまま時間が過ぎて、気づいたら…噂とか、勝手に広まってて」


「……」


「私、自分でも、どうしてこうなったのか、わからなくて。気がついたら…誰にも話しかけられなくなってたの」


ゆっくり、慎重に言葉を選ぶように。感情をこらえるように話すその姿を、俺は黙って見守った。


「一人になるのって、思ってたより怖いんだよね」


「……」


「教室にいるのに、誰にも見えてないみたいで。声をかけようとしても、無視されたり、冷たくされたり。最初は気のせいだと思ってたけど、だんだん、それが“普通”になっていって」


俺は、何も言えなかった。どんな言葉を返せばいいか、正解なんてわからなかった。


ただ、ひとつ思ったのは――


「……それでも、こうして話してくれて、ありがとう」


その言葉は、自分でも驚くくらい、すっと口から出ていた。


澪が、ぽかんとした顔をして、それからふっと微笑んだ。


「……こっちの学校、来てよかったな」


その笑顔は、ほんの少しだけ、救われたような光を帯びていた。


***


四月の終わり。暖かい風が吹く日が続く。


桜の花びらはすっかり散って、新緑が枝を包み始めていた。


その日も、俺と澪は一緒に下校していた。彼女の歩調はいつも俺とぴったりで、無言でも気まずさはなかった。


「ねえ、桐谷くん」


「ん?」


「一緒に帰ってくれるの、嬉しい。…なんか、安心するんだ」


「それは、俺も。こういうの、初めてだけどさ」


「“こういうの”?」


「……なんていうか、友達以上かどうかもわかんないけど。でも、話すのが楽しみになるような、そんな感じ」


言ってから、自分で少し照れくさくなった。が、澪は頬を赤らめながら、うつむいて歩いた。


「私も、そんな感じ。…毎日、学校に来るのが、ちょっとだけ楽しみになった」


その言葉だけで、今日一日が報われたような気がした。


***


ゴールデンウィークが近づき、クラスの空気は浮き足立ってきた。


「桐谷、どっか出かけんの? 中谷とさ、映画でも行くか?」


「お前はいつも急だな。いや、特に予定ないけど…」


「じゃ、ダブルデートとかどうだ?なあなあ、澪ちゃんも誘って!」


中谷の無邪気な提案に、思わずむせそうになった。


「いや、ダブルって…相手いないだろ」


「そこは努力だろ。俺は澪ちゃんの友達の田村さんにアタックしてみようと思ってんだ」


「お前、早いな…」


正直、中谷のこういう行動力には少し憧れていた。


その日の昼、澪と一緒に食べていると、彼女がふいに言った。


「ゴールデンウィーク、もし暇だったら、一緒に出かけない?」


パンをかじりかけていた俺の手が止まる。


「え? う、うん、暇。全然暇」


「よかった。…美術館に行きたいなって思ってて。静かで落ち着いた場所が好きなの」


「あ、俺も。そういうとこ、結構好き」


「ほんと? じゃあ、決まりだね」


彼女の笑顔は、どこか照れていて――それは、春の柔らかな光そのものだった。


***


美術館デート当日。


待ち合わせ場所に現れた澪は、制服とは違う雰囲気で、カーディガンとスカートのシンプルな私服を身にまとっていた。落ち着いた色合いの服が、彼女の透明感を引き立てていた。


「待たせた?」


「いや、今来たとこ」


ベタすぎる言葉しか出てこなかったけれど、澪はくすっと笑って、「ふふ、ありがと」と返してくれた。


美術館の中は、静かで、ひんやりしていて。館内の絵画や展示を見ながら、自然と話も弾んだ。


「この絵、ちょっと切ないけど、綺麗だね」


「色の使い方がすごい。…なんか、思い出って感じがする」


「うん。…誰かを想って描いたのかな」


何気ない感想のやりとりが、心に優しく響いた。会話のリズムが合うのが、こんなにも居心地いいことだとは思わなかった。


出口付近のベンチに並んで座ると、澪がそっとつぶやいた。


「私ね、こうして普通に“誰かと一緒に過ごす”っていうこと…ほんと、久しぶりなの」


「……そうなんだ」


「前の学校では、誰かと並んで絵を見て、“綺麗だね”って言うだけの時間さえ、持てなかった」


俺は返す言葉を探したが、うまく見つからなかった。ただ――


「じゃあ、これからは、そういう時間を一緒に作っていこう」


気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


彼女が小さく目を見開いて、それから頷いた。


「うん。……それ、すごく嬉しい」


***


帰り道。


日は傾き、少しだけ肌寒くなっていた。並んで歩く道のりに、沈黙はなかった。


「今日、来てよかった」


「俺も。…楽しかった」


「また、どこか行けたらいいな」


「もちろん」


言葉を交わすたびに、少しずつ距離が近づいていくのを感じた。


そして、家の前まで送ると、彼女は立ち止まり、こちらを見た。


「ねえ、桐谷くん」


「ん?」


「私ね、ちゃんと前を向いていこうって、今日決めたの」


「……」


「だから、これからも、そばにいてくれると嬉しい」


その瞬間、胸がぎゅっと締め付けられた。


「……いるよ。ずっと」


その言葉に、彼女の目が潤んだように見えたのは、気のせいじゃなかったと思う。


春の夕暮れ。

心の奥で、何かが静かに芽吹いたような気がした。


数日が過ぎ、ゴールデンウィークも終わった。


連休明けの教室は、いつもより少しだけ眠たそうな空気が流れていたけど、俺はどこか気持ちが軽かった。

それは、あの美術館の一日が、確かに今も心に残っているからだ。


「おはよう、桐谷くん」


教室に入ると、いつもの席で、澪が優しく微笑んでいた。


彼女の声を聞くだけで、何でもない朝が少しだけ特別に思える。

そんな感覚が、最近の俺の中に根付いてきていた。


「おはよう、澪」


自然と名前で呼ぶようになったのは、美術館での帰り道のせいだと思う。


澪も特に嫌がる様子はなく、それどころか、名前を呼ぶと少しだけ嬉しそうに目を細める。


「今日、放課後……少しだけ寄り道、しない?」


「いいよ。どこ行く?」


「駅前の本屋さん、ちょっと覗いてみたいなって。最近、小説にハマってて」


「へえ、どんなやつ?」


「うーん、日常の中に小さな奇跡が起きるような話。……なんか、今の自分に、ちょっと似てるなって思ったりして」


「それ、俺も読んでみたいかも」


「ほんと? じゃあ、オススメ、教えてあげるね」


そんな会話をしていると、周囲からひそひそと声が聞こえてくる。


――「あの二人、やっぱ付き合ってるんじゃない?」


――「澪ちゃん、前よりずっと表情明るいよね」


そんな噂が耳に入っても、もう慌てることはなかった。


澪の隣で過ごす時間が、誰にどう見られていようと、自分にとってはかけがえのないものだとわかっていたから。


***


駅前の本屋。


平日の夕方、通勤客や学生で賑わっているその一角で、俺たちは静かに文庫コーナーを見て回っていた。


「これ、最近すごく人気みたい。ちょっと不器用な男の子と、素直になれない女の子の話なんだけど……」


「その説明だけで、ちょっと興味出てきたな」


「ふふ。じゃあ、貸してあげる。家にあるから」


「いいのか?」


「うん。桐谷くんなら、感想くれそうだし」


そう言って微笑む彼女の横顔は、どこか誇らしげで、俺も自然と笑みがこぼれた。


文庫本を一冊ずつ手に取りながら、静かな時間が流れていく。


こういう穏やかなひとときが、どれほど澪にとって大切なのか――それを思うと、胸の奥が温かくなる。


「ありがとうね、今日も付き合ってくれて」


「俺のほうこそ。澪と一緒だと、本のことも新しく感じるよ」


「……“澪”って呼ばれるの、まだちょっとだけ照れるけど、嬉しい」


「じゃあ、やめたほうがいい?」


「ううん。もっと、呼んでほしい」


そう言った彼女は、ほんの少し耳まで赤くなっていて、それが妙に愛おしかった。


***


帰り道。


夕暮れに照らされた道を歩きながら、ふと澪が立ち止まった。


「ねえ、桐谷くん。……もう少し、だけ、遠回りしない?」


「いいよ」


近くの川沿いの遊歩道を選んで、歩く。


風が少し涼しくなっていて、春から初夏への移ろいを感じさせた。


「このあいだ、美術館で言ったでしょ。“前を向こうって決めた”って」


「うん、覚えてる」


「それからね、毎日ちょっとずつだけど、変われてる気がするんだ」


「……澪は、すごいよ」


「すごくなんてないよ。ほんとは、まだ怖いこともいっぱいあるし。過去のこと、思い出してしまうときもあるし。でも……」


言葉を区切って、少しだけ足を止めた彼女が、俺の方を見た。


「でもね、今は、ちゃんと自分のことを好きになれそうなの。少しずつでも」


「……」


「それは、桐谷くんがそばにいてくれたからだよ」


その言葉は、思っていた以上に重くて、温かくて――胸の奥に、じんわりと広がった。


「俺も、澪がいてくれて、変われたんだと思う」


「変われた?」


「前の俺は、誰かに踏み込むの、ちょっと怖かったんだ。深入りしたら、面倒なことになるんじゃないかって。だから、ほどほどの距離感でしか人と接してこなかった」


「……」


「でも、澪と話すようになってから、それが変わった。もっと、知りたいって思えるようになった」


澪は、ほんの少し目を見開いてから、ふっと笑った。


「それ、すごく嬉しい」


川面に反射した街灯の光が、彼女の髪に揺れていた。


その姿があまりに綺麗で、俺はふいに口を開いた。


「……なあ、澪」


「ん?」


「もし、これからもっといろんなことを一緒に経験して、笑って、時には悩んで……そうやって積み重ねていけたら、すごくいいなって思ってる」


「……それって」


「まだ、うまく言えないけど……俺、澪のこと、もっと知りたい。もっと一緒にいたい。――たぶん、それって、好きってことなんだと思う」


言った瞬間、自分の鼓動がうるさいくらいに響いていた。


澪は驚いたように、でも、逃げることなく俺を見つめ返してくれて――そして、ゆっくりと、言葉を返してくれた。


「うん。私も……そう思ってた」


その返事だけで、すべてが報われた気がした。


澪がそっと笑う。

その笑顔は、あの頃のどんな笑顔よりも強く、優しかった。


「じゃあ、これからは…もっとたくさん、一緒に過ごしていこうね」


「うん。喜びも、不安も、寂しさも、全部、分け合っていこう」


二人で歩いた遊歩道。


その足音が、これからの未来へと続いている気がした――確かな、春の終わりの日だった。


空を見上げると、群青色に染まりはじめた空に、ぽつりと一番星が輝いていた。


この瞬間を、澪と一緒に見られたことが、何より嬉しかった。


「……今日の空、きれいだね」


「うん。明日も、晴れるといいな」


その言葉に、澪が小さくうなずいた。


――こんな何気ない時間が、何より愛おしい。


それが、今の俺の素直な気持ちだった。


(第1話・終)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春とはなんぞや仮 みなと劉 @minatoryu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る