壊れる前の話。

krrot.

壊れる前の話。

「懐かしい話をしましょう」

そう言って、透子さんは子どもに絵本を読み聞かせるような優しい声音で、話し始めた。


 カトリック、全寮制、女子校。この三つが揃っている高校なんてそう珍しくない、と、私は思う。少なくとも私の近くではそんなでもなかった。あと、高校生活に飽き飽きしている女子高生も珍しくないわね。

 私も例外ではなくて、入学して三ヶ月しか経っていないのに既に女子校なんて来なければ良かったと心の底から後悔していた。そもそも男性が嫌いだからという理由から安易に女子校を選んだのがミスだったかな。いや、共学の高校に行って、毎日吐き気に耐えなければならないような状況よりはマシかもしれなかったけど。

私は敬虔なキリスト教徒ではないから、長時間お祈りをするのは苦痛だし、それほど真面目でもないから寮の厳しい決まりに息苦しさを感じてた。生徒は生徒で、イケメンだなんだともてはやされているか、お姉様と慕われているか、女子だなんて到底呼びたくないような品のない子達かのどれかが多くを占めていたわ。意味がわからない!それなりの高校に入ったのならばそれなりの知識を持とうとすればいいのに、どうして誰もそうしようとしないのでしょう?なんて、声には出せないから考えるだけ無駄だったのだけれど。

「面倒よねぇ……」

寮は基本的に二人で一部屋を使っていて、その相手も部屋の中にいなかったから、呟いてみた。まぁ、朝夕の点呼の時ぐらいしか部屋にはいないから、実質一人みたいなものだったけれど。理由は簡単ね。私が、いじめられていたから。内容はごくごく軽くて、せいぜい無視されるか、班を作る時にいれてもらえないくらいだったから、いじめと言えるのかも私にはわからなかったわ。少数だけど、話しかけてくれる子も確かにいたし。その子達からいじめられてかわいそうだなんだというような言葉をかけられて、初めていじめだったのかってわかったの。

そもそも、なぜいじめられ始めたかと言うと、特に私は何もしていないわ。私の容姿は普通ではなくて、これは自負ではなく事実。道を歩けば男女関係なく振り返ってしまうような、いわゆる美少女。それでその容姿が、漫画でよくあるように学校一の人気を誇る先輩の目に留まって、しかもこれまた小説でもよくあるようにその人が生徒会長を務めていて、入学して数日後、私は生徒会室に呼び出されたの。話の内容は、生徒会に入らないかということだったわね。よくもまあ入ったばかりの新入生を勧誘できたなと幻滅した私は丁重にお断りさせていただいたわ。本当よ?生徒会長も無理を言っていることを自覚していたのでしょうね、学校に慣れてきた頃にまた声をかけると言って笑ってくれたわ。それで、この話は一旦据え置かれることになってた。そこまでは良かったわね。でも、それがどう捻じ曲がって伝わったのか、私は一週間も経たないうちに、生徒会長に反抗したことになっていて、そこからはご想像のとおりよ。気にする必要もないのだけれど、ただでさえ何もかもつまらないのに、冤罪をかけられて、頭が痛かったの。だから、逃げ出そうと思ったわ。

「そろそろ、いいかしら」

 まだ外も暗かった。確か、午前三時二十二分。何で細かく覚えてるのかって?それほど綺麗なものが見れたからよ。閉めていたカーテンの隙間から覗き見るようにして、外の様子を確認すると、少し紫が混じり始めている空が見えた。今でも、早い時間帯の空は、一日のうちで一番好きよ。

 本来は、外出届を申請すれば、外には出られたわ。けれど、それでは何の面白みもないでしょう?それなら、無断外出をしようって、安直に思い立ったの。ちなみに作戦を思いついたのは、前日の放課後よ。ふふ、今と変わらないですね、って?茶々を入れないでちょうだい。

 少ない私服の中から選んでおいたものに着替えて、小さめのトートバッグに財布と、変装用の帽子を入れて、そっと部屋を出たわ。久々の外出にテンションがあがって、裾口に可愛らしく花の刺繍が施されている白の半袖ワンピースに、淡い桃色の長袖カーディガンを用意してしまったのは、私だけの秘密。……もう言ってしまったから秘密じゃない?だから、いちいち茶々を入れないでちょうだい。

 寮の玄関を通って、正面の門の横、私の身長158cmより少し高い塀に近くの木を利用して乗り、寮とは反対方向に降りた。朝の冷たい空気をめいっぱい吸い込むと、生きてるって感覚がしたわ。空気っていうものは、こんなに美味しかっただろうかってね。あんなに簡単に外に出れたなんて少し拍子抜けだったけれど、単純に幸先がよかったということで深く考えなかったわ。

最初はどこから行こうって、わくわくした。特に行き先は気にしていなかったのだけれど、学校周辺にいるのはやめたほうがいいって思ったの。

「……駅ね」

 とにかく、遠くへ。そう思って、最寄り駅までの道を思い出しながら、私はいつもより早く歩き出したわ。


 私は駅前にあるコンビニでサンドイッチを一つ買って、始発電車が来るまで駅のホームのベンチで眠ってた。始発電車に乗ると、流石に車両に人は一人もいなくて、とりあえず、そこそこの値段の切符を買ったから、ある程度遠くまで行けるだろうと思ってた。

 朝が早かったから眠気があって欠伸をかみ殺していると、ガラガラと音が響いた。車両間のドアが開く音がしたの。こんな時間に誰だろうって、ドアの方を見ると、私より幾分背の低い少年が、黒い学ラン姿に大きなリュックサックを背負って車両の隅に立っていたわ。

「中学生?」

「えっ」

 しまったと思った。二人だけの車両に、思わず出た私の声が良く響いてたの。少年は、急に話しかけられて驚いたのか、その場で呆けた顔をしていた。仕方ない。どうせ知らない子なんだし、少しくらい恥ずかしい思いをしても問題は無いって思ったから、笑いかけてあげたわ。……うまく笑えてたかは、わからなかったけれど。何よ、その顔は。いつだって笑えては無いですって?君って本当に失礼ね……。

「え、っと、一人?」

「あ、はい……」

 少しぎこちなく喋りかけると、相手もぎこちなく返してくれた。だから、暇つぶしにこの子を巻き込もうって思いついたの。男性は嫌いだけれど、中学生くらいの、まだあどけなさが残るその姿からは害があるとは思えなかったから。

「なんで一人なの?」

「……家出です」

「えっ」

「家出です。聞こえなかったんですか、耳が悪いですね」

「はぁっ……!」

 まぁ、ものすごく失礼ではあったわね。えぇ、本当に。

「……家出なんて、駄目なんじゃないの?そんな格好だとすぐ見つけられちゃうじゃない」

「貴女こそ、家出でしょう?それなのに文句をつけないでください。僕の勝手でしょう」

「家出なんて、どうしてそう思うのよ」

 睨みつけるように少年を見たら、いつの間にか近づいてきていて、でも、ほんの少しだけ表情が柔らかくなってた気がしたわ。

「勘です」

「はぁ?」

「もういいでしょう?」

「良いわけないでしょう」

 この失礼でめんどくさそうな少年を逃がしてはいけないと、私は直感的にそう思った。少しずつ吐き気が迫っているような気もしたけれど、気にしたら負けだった。私はともかくその少年に話しかけたわ。

「……名前は?」

「今更ですか?」

 怪訝そうにこちらを見る少年に、私は何も言えなくなった。そういう顔は、苦手だったから。

「……か」

「え?」

「だから、名前。立夏ですよ」

「りっか、くん」

「えぇ、そうです。貴女は?」

「私は、透子」

「へぇ」

 大きな溜息とともに名前を教えてくれた立夏くんは、私の名前はどうでもよかったらしく興味なさげにしていたわね。君が聞いてきたくせにね。


「失礼よね、本当に立夏くんは」

 そう言うと、透子さんは窓際に座ったまま、ソファーで本を読んでいた僕の方を見ている。正直どうでもいい、なんて言ったら、また文句を言われてしまうんだろうな。

「あの頃はガキだったんですよ……」

「あら、今もそうじゃない」

 相変わらずその美しい顔は貼り付けたように微笑んでいるままで、それが余計に僕の神経を逆撫でしてくる。平常心、平常心。いちいちこんなのに突っ込んでたら、この人の相手は出来ないんだと、電車で会った日に知った。

「なんで、そんな話、今になって話すんですか?」

「そうねぇ……。立夏くん、こっちを見て」

 透子さんが指さしている方向は、窓の外。つまり、空を見ろということなのだろう。

「あの朝に見た空も、こんな色してたの」

 完全に意識がこちらに向いていない。こうなったら、何も言わなくていい。

あの後、お互いに名乗った後は、どうしたんだっけ。その後も話したのかどうか、実はよく覚えていない。そもそも、僕があの時僕だったかもよくわからない。

透子さんは僕のことなんかお構いなしに鼻歌を歌っている。そのメロディはどこか懐かしく、でも、どこか寂しい。鼻歌を歌う時、透子さんは必ず目を瞑る。そうやって、彼女はまた、世界から自分を遠ざけていくんだ。

 最近の寝不足がたたってか、とても眠い。今日は予定も入っていないから、特に時間は気にしなくていいだろう。手に持っていた本を横に置いて、僕は目を閉じた。


 立夏くんは眠ってしまったらしく、規則的な寝息を繰り返している。その間にも、窓の外はだんだん明るくなってきている。

あの頃の私に、世界はどう見えていたのだろう。少なくとも、もう少し良いものに見えていたはずだ。窓を少しだけ開けると、冷たい空気が部屋に流れ込んでくる。空はこんなにも、濁った色だっただろうか。記憶の中に鮮明に残っている、あの空を思い浮かべると、私の頬を生温いものが滑っていく。あぁ、世界はこんなにも表情を変えないものだったかしら。今となってはそれすら曖昧で、私はそっと窓際から離れる。眠っている立夏くんが座るソファーの横にあるベッドに、音をたてないように寝転がる。

ハンプティダンプティは、壊れたら元には戻せないの。だから、同じように落として、壊してしまえばいいんだ。戻らなくなるから。だからもう、寝てしまおう。全部全部、落としてしまおう。そうすれば簡単なの。それが最善だなんて、思ってもいないし、思えもしないけれど。

 そういえば、私を無視したあの子達はどうしたんだっけ。確か、いつの間にかいなくなっていた。どうしていなくなっていたのかはわからないけれど、それで私が少しだけ安心したことは覚えてる。

 取り留めのないことが、ふわふわと浮かんできては沈んでいく。もう電車に飛び乗れもしない私は、これからどこに行けるのだろう。どこかに行けるのだろうか。

 立夏くんは、変わらない。きっと、これからもそうだと思う。

「おやすみなさい、りっかくん」

 眠くて動きにくい口を開いて、声に出す。他の何が壊れても、君だけは壊れないでいてくれる。私から君へ、一方的な感情を抱いたまま、今日も世界を閉ざすの。

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