つくばねの

彩葉

第1話

 家に帰り一番にするのは靴を脱ぐことでも電気を点けることでもない。

 ポストに大量に投かんされた紙片をまとめて引っ掴むことだった。

 扉の中心の少し下に設置されたポストはまるで口のようだ。息ができないほどの投函物に喘いでいるこの口を解放することが、俺の日課となっている。

 気味が悪いというフェーズはもはや遠き過去の記憶で、今残るのはただただ迷惑だという怒りだけ。一度、大事な通知書類がこの紙片の海に溺れ、見逃したことがある。

 明確な損害だった。

 それ以来俺は、見たくもない呪物のような紙片を、一つ一つ見分しなければいけなくなった。一日で最も苦痛な時間だ。

 今日も、引っ掴んだそれらを一つ一つ分けていく。

 差出人は成田陽子。近所に住む女子大生だ。

 文学部に属しているらしい。紙片には詩とも小説とも取れない散文が所狭しと並んでいる。

 正直、あまり上手という訳でもない。

 俺への愛を綴ってくれているというのはかろうじて分かったが、だからといって何が言いたいかは分からなかった。いや確かに、俺の想像するようなストーカーは隠し撮りを現像して送ったり、なぜか合鍵を持っていて部屋に侵入するといった、古典的かつ確実な犯罪者だけだった。

 だからそれに基づくならば、ストーカーに伝えたい事などは無いのかもしれない。だが、この成田陽子という女は、曲がりなりにも創作物という手法をとっている。すべての創作物に意味があるとは言わないが、少なくとも、贈る相手が明確なラブレターがこう散文的では貰ったところでなにも受け取れる真意がない。

 分別し終わった紙片を、成田陽子用のゴミ箱に投げ入れる。


「罪な男だねえ」

 酔った友人が放った言葉は、確実に俺を動揺させた。

 男だけの寂しい宅飲みだった。それぞれが好きに酒やつまみを持ち寄り、他愛もない話で夜を明かす、俺の唯一の楽しみだった。

「俺は悪くねえよ」

 そう、俺は悪くない。まるで成田陽子の所業が俺のせいとでもいうかのような言い回しに、俺は反発した。俺は悪くない。そもそも俺はなにもしていない。

「かわいいの? そのストーカーちゃん」

「知らねえよ。見たことねえもん」

「呼び出してみたら? 可愛かったら襲っちゃえよ」

「そうだそうだ。可愛かったら俺らにも紹介しろ」

 酒に濡れているとはいえ不謹慎ないじりに、俺はそっぽを向いた。そんな幼稚な対抗手段に出たのは単純に俺も酔っていたというだけだったが、彼らのなにかに触れたらしい。

 大爆笑が背中越しに聞こえてくる。

 警察も、ここまでの笑いではなかったが、俺の訴えに苦笑した。それぐらい我慢しなさいという母の呆れ笑いが脳裏に過る。俺の嫌だという気持ちはどこかへやられてしまったらしい。

 早々に友人の家から抜け出した俺は、やはり口を苦しめる紙片の塊を引っ掴んだ。


 筑波嶺つくばねの

 みねよりつる

 みなのがわ

 こいもりて

 ふちとなりぬる


 どうしてお前まで俺を責めるんだ。

 なんだか泣きたくなって、俺は紙片を引っ掴んだままにゴミ箱へと叩きつけた。

 創作者なら他人のそのままパクるなよ。

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つくばねの 彩葉 @irohamikan

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