拝啓、昔の人へ。2047年の僕より。

チャーハン@新作はぼちぼち

幸福度

 夕焼けに染まる田舎町。築八十年を経た古民家の縁側で、黒猫が丸くなって眠っている。夕日の光を浴びて、その黒い毛並みがかすかに照り返し、静謐な時間が流れていた。


 少年はその隣に腰を下ろし、宙に浮かぶ半透明のホログラムを静かに見つめている。ホログラムの中央に大きく表示された「幸福度88」という数字。青白く輝く光の数字が、ゆらゆらと少年の目に映る。その度に、少年の瞳が微かに怯えるような機微を見せていた。まるで、その数字に囚われているかのように。


 西暦2047年。ブレイン・ネットと呼ばれる脳内ICチップが普及し、社会の様相は一変した。この穏やかな田舎町にも、効率化と利便性を追求するスマートシティの波が押し寄せ、古くからの自然と最新のテクノロジーが共存する、奇妙な均衡が保たれていた。人々は、言葉を持たないロボットたちと、ごく自然に日々の生活を送っている。少年もまた、日常的にブレイン・ネットを利用する世代の一人だ。


 ブレイン・ネットの普及は、社会のあらゆる側面に変化をもたらした。医療分野では、人々の生体情報を常にモニタリングすることで、病気の早期発見が飛躍的に向上した。わずかな臓器の異常や、神経系の微細な変化も捉えられ、早期治療によって多くの命が救われるようになった。


 その一方で、特に注目を集めている技術の一つが、潜在的犯罪者の逮捕である。これは、高度に発展したアンドロイド技術とブレイン・ネットの統合によって可能となった。


 自然言語処理、画像処理、音声処理といった個別の処理は、LLM(大規模言語モデル)やLMM(大規模マルチモーダルモデル。画像やテキストなど複数の情報を統合的に処理するモデル)、そしてフィジカルAI(現実世界とデジタル世界を高度に連携させるAI)へと進化し、人々と自然に共生できるアンドロイドが誕生した。


 そして2040年、アンドロイドはブレイン・ネットとの統合を果たし、さらなる進化を遂げた。この統合により、アンドロイドは人間が直接アクセスできない他者の感情や生理的な数値を、職務質問という名目で取得し、分析できるようになった。


 LLMやLMMは、これらの数値情報と過去の犯罪データを照合することで、犯罪を犯す可能性の高い人物を予測する。フィジカルAIを搭載したアンドロイドは、予測結果に基づいて適切な行動を取り、潜在的な犯罪を未然に防ぐことが可能となった。


 アンドロイド警官は人間以上の治安維持能力を持ち、街の安全を守る存在となる。暴力沙汰が発生しても、AIによる状況分析と、非致死性兵器の使用や群衆心理に基づいた誘導によって、迅速かつ的確に暴徒を鎮圧することができる。


 人間のように怠惰を許さず、常に学習した内容に柔軟に対応できるアンドロイドは、最新情報を提供するAIネットワークからの情報共有によって、広範囲にわたる監視活動や、状況に応じた迅速かつ適切な判断を実行することができる。


 その結果、アンドロイドは公共インフラの管理、物流、介護、治安維持に至るまで、社会のあらゆる分野でその存在感を増している。ブレイン・ネットを通じて常に最適化された社会は、かつてないほどの効率性と安全性を実現している。


 しかしその一方で、人々の感情や行動が常に監視され、管理される社会に対する静かな不安も広がっているのも事実である。


「……よかった。今日も、数字は変わらなかった」


 18時。少年はブレイン・ネットの外部接続を切断した。学校から提示された条件である、健康状態管理のために午前9時から午後6時までの間はカウンセリングAIに健康状態を送信するという時間を終えたのだ。


「……毎日毎日、疲れるな。いい子を演じるのは」


 少年は縁台で足をぶらぶらと揺らしながら、ポツリと呟いた。ブレイン・ネットの普及に伴い人々の生活は豊かになった。しかしその結果、過剰ともいえるような管理社会が到来したのだ。


 誰も犯罪を起こさず、治安を悪くするようなこともない。ベーシックインカムによる収入は保証され、税金徴収に関しても、問題が発生しないよう様々な国でAIが導入されている。


 そう、豊かさは増しているのだ。確かに。 しかし、そこには心がなかった。


 まるで、感情を持たない初期のアンドロイドのように、平坦に用意されたつまらないレールを渡るだけの人生だ。立派になって独り立ちできる力を手にできる人生。それは、人を立派にしてくれるが、それが正しいとは言い切れない。


 ホログラムに表示される『幸福度』という数値が、本当に人々の心の豊かさを表しているのか――夕焼け空を見上げながら、少年はつぶやいた。


「拝啓、昔の人へ。あなたは、幸せですか?」


 少年の言葉が空にのって消えていく。

 幸い、誰にも聞かれることはなかったようだ。


 日は落ちて、月が昇る。 今日も、つまらない一日が終わっていく。

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